39.子猫伯爵と石の塔
畑に囲まれた街の奥に行くほど、住居や店舗が増え、通りにも賑わいが見えてきた。
大きかったり小さかったり複雑に入り組んだ通路に並ぶ家はどれもそこそこの大きさだ。
一世帯頭の人数が多いのもあるだろうが、オレの記憶にある家やアパートがぎゅっと詰まった景色よりもずっと豪勢に見えるくらいだった。
人一人通れない家と家の間も、所狭しと立ち並ぶアパートも、空を埋め尽くすようなマンションも、こうして見るとかなり異様なものだったのではないかと思えてくる。
「あそこに見える赤い屋根の建物だ」
半歩先を歩くハンスが指を差す。
ハンスの家は畑から離れた場所にあり、ぱっと見る限りでも他の家屋よりも立派だった。
商会の出入口となる大きな扉の前には、気難しそうな男性と優しそうな雰囲気の女性の姿。
女性の方が朗らかな笑顔でこちらへと手を振っている。
見た目からしてハンスにそっくりな男性が父親なのだろう。
頑固でマジメな性格だけでなく、黒い髪と青い瞳も父親譲りのようだ。
母親はサンディブロンドの長い髪をバレッタでまとめた小ざっぱりとした人だ。
纏うドレスも作業に向いた厚手の生地のもので、その指にあるのは宝石の嵌った指輪でも、金で出来た指輪でもなく、日々の手仕事で出来た傷だけだった。
唯一輝きを放つのは鈍銀色の指輪で、結婚指輪であろうそれを大事にしてきた事が伺える。
その二人がオレたちを温かく出迎えてくれた。
「よくぞいらしてくださいました。愚息が世話になっております」
「初めまして、シャルル様。何もないところですが、どうぞゆっくり過ごしていってください」
カーターと名乗った男性が深々と頭を下げる。
エリンと名乗った女性は長いスカートの裾をつまんで頭を下げる。
見よう見まねの動きなのか、令嬢たちの挨拶に比べると不格好だが、エリンの誠意は十二分に伝わってきた。
貴族主義の人間なら、動きがなってないやら、そもそもの礼儀がなってないと叱るところだろうが、オレもナサニエルも特に気にする事なく挨拶を返す。
「ご挨拶どうもウィルフレッド夫妻。こちらこそ坊ちゃんが世話になっております。私の事はどうぞナサニエルとお呼びください。ご存じでしょうがこちらは――」
「シャルルです。いつもお菓子ありがとうございます」
雄弁なナサニエルな言葉を遮って二人にお礼を述べる。
目下の相手を敬う必要はないと小言が飛んできそうだが、年上にはとりあえず敬語を使っておこうという処世術により、オレは無難な物言いでハンスの両親と挨拶を交わした。
これも前世の記憶故のものだが、17年分の感覚が染みついたオレには敬語を使うなという方が難しいくらいなのも確かである。
「立ち話も難でしょう。さあ、どうぞ中へ」
「シャルル様が来てくださると聞いて、たくさんお菓子を用意したんですよ」
挨拶もそこそこ、左手にある石で造られた建造物へと案内される。
元々の住居がこちらで商会部分はあとから建てたのだろう。
昔ながらの古めかしい石の塔が高く聳え立っていた。
「妻はお菓子を作るのが好きなのですが、私もハンスも甘いものはあんまりでして。シャルル様に召し上がって頂けるとなって、妻も大変喜んでおります」
「そうなんです、今日もお会いできるのを楽しみにしていたんですよ!ハンスも昔はお菓子が好きだったのに、大きくなってからはめっきりで……。シャルル様が喜んでくださると聞いて、今日もついついはりきってしまいました」
顔を見るのは初めてだが、よくハンスにお菓子を持たせてくれるのが彼女だ。
父親似といったようにハンスとはあまり似ていないが、笑った時の表情は母親譲りなのかもしれない。
ハンスに重なる優しげな笑顔を見ていたら少し照れ臭くなった。
ちなみにハンスは甘いものが苦手というより食べられれば何でも良いタイプである。
肉類を好む傾向にあるが、それも単に菓子類の腹持ちが悪いからだそうだ。
オレの食生活にとやかく言わないあたり、そもそも食事に興味がないのかもしれない。
きっとオレが生クリームとフルーツをこれでもかと挟んだ、アイスクリームの乗った5段重ねの分厚いパンケーキに、たっぷりのキャラメルと蜂蜜をかけたとしても何も言わない事だろう。
(考えたら食べたくなってきたな)
テレビや雑誌で見るだけでそんな贅沢パンケーキは食べた事がないが、想像したらお腹が空いてきた。
(帰ったらクリスティアンにお願いしてみよ)
この世界には今考えたようなパンケーキは存在しないとはいえ、それらしいものは作れるだろう。
小麦粉やら強力粉やら似通った名前の粉の事などよく分からないし、配分も手順もさっぱりだが、クリスティアンと料理長の知恵と腕前があれば何とかなるはずだ。
ふわっとしか説明の出来ないオレの意図を組んでくれる事を願いながら、オレはハンスの後ろをぴよぴよと雛のようについて行った。
家の中は思ったよりもずっと暗く、石造りのせいかひんやりとしているようだ。
初めて目にする庶民の生活風景にオレはぽかんと口を開けるばかりで、ハンスはそれをどこか面白そうに眺めている。
「焼きたてを召し上がって欲しくて、昨日のうちから仕込んでおいたんです。少し時間がかかりますのでそれまでお待ちください」
「それなら私が手伝いますよ。ハンス君はシャルル様と一緒に居てください」
入ってすぐの居間で、エリンがエプロンを身に着ける。
まだまだ空腹の受難から逃れられていないオレは、ナサニエルを伴って台所へと向かうエリンを見送った。
ハンスはと言うと突然外面の良くなったナサニエルに若干引き気味だ。
〝ウィルフレッド君〟呼びが〝ハンス君〟呼びに変わったのも気持ち悪かったのだろう。
しかめっ面でナサニエルを見つめていた。
(年上は範囲外だから……)
(今言う事か……?)
念のためと思ってこそこそと耳打ちをする。
ハンスはそうじゃないと言いたげだったが、ナサニエルが変な事を考えてないとだけ知ってもらえればそれで良いだろう。
ちなみにだがナサニエルは年下好きだ。
思わず食べちゃいたくなるような可愛い子(巨乳ならなお良し)が好きらしい。
おまけに言うとクリスティアンの奥さんも若い頃はそんな感じだったそうだ。
良くも悪くも血は争えないという事である。
「――私は仕事があるのでこのへんで。シャルル様、どうぞ寛いでいってください」
生暖かくハンスを見守るオレに、ハンスによく似た顔がお辞儀をする。
そのままオレとハンスを残し、カーターは商会として使われる別棟へと向かっていった。
『ラブデス』本編のハンスでもまだカーターより若い印象だが、10年20年も経てばこんな感じに成長するのだろう。
(ハンスの方がかっこいいけどな!)
一人勝ち誇ったオレは部屋へ行こうというハンスに、またもぴよぴよとついて行く。
「こっちだ」
ハンスと共に急勾配の階段を上がっていく。
灰色の石が積み上げられた一段一段が無駄に高く、何となしに振り返った下がやたら遠くに見えた。
ハンスの部屋があるのは石塔の三階らしい。
一階に居間や台所などの水場があり、二階に祖父母の部屋と書斎、そして三階に両親の部屋とハンスの部屋があるようだ。
祖父母は体の調子が悪く部屋で休んでいるそうだが、一度くらい顔を見られたら良いと思う。
「少し待っていてくれ。飲み物を持ってくる」
40段は上ったのではないだろうか。
高い位置にある部屋に着くや否や、思い出したようにハンスが台所へと向かう。
一人残されたオレは、切れそうになった息を整えながら、ハンスらしいシンプルな内装の部屋をぐるりと見渡した。
タペストリーもなければ、柄物もない殺風景な部屋だ。
その何もない―と言うのは語弊があるが―部屋に取り残されたせいか、沸々と恥ずかしさが湧き上がってきた。
「…………ぅあ」
考えないようにしていたが、つい先刻の出来事だ。
そう簡単に忘れ去れるほど都合の良い脳みそはしていなのが人間というもので、街の人たちへの暴言の数々を思い出したオレはその場で身悶える。
「ああああぁぁぁ!!やっちまったぁ!!」
ついにはじっとしていられなくなり、ブーツをぽいぽいと脱ぎ捨てベッドにダイブした。
勝手にハンスのベッドを拝借し、固いマットの上を右へ左へと回転する。
頭を抱え、自分のしでかした事に悶えては転がり続けた。
ハンスは許してくれたが、それでもやはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
穴があったら入りたい一心で転げ回った。
「――シャルル?何をやってるんだ?」
カップと出来立てクッキーの乗ったトレーを片手にハンスが部屋に戻ってくる。
ベッドの上を馬鹿みたいに転げ回るオレが不審じゃないわけがなく、ハンスはぎょっとした顔でオレを見つめていた。
「………今めちゃくちゃ反省してんの」
ハンスが持ってきてくれたお菓子に目もくれず、オレは固い枕に顔を埋めた。
人のベッドだろうが何だろうが知った事じゃない。
打ち上げられたアザラシのようにうつぶせになり、枕に向かって思いの丈をぶちまける。
「あんな事言っちゃったけどさぁ、あれじゃデルホークたちと何も変わんねーじゃん!!貴族の立場を良い事に好き放題言っただけじゃん!!普通に嫌な奴じゃん!!」
枕が音を吸収してくれるが、それでも煩い事には変わらないだろう。
ギャーギャー喚くオレにハンスも呆れているに違いない。
(ほんとオレの馬鹿!考えなし!)
ナサニエルが釘を刺してくれたようだが、最後までちゃんと見届けたわけではない。
今日は良くても明日からは駄目かもしれない。
後になればなる程、自分の考えの至らなさに気づかされ憂鬱になる。
悪口ばかりの奴らに嫌われたところでどうとも思わないが、オレのせいでハンスに迷惑が被るのはだけは嫌だった。
一気に悪役街道を進んでしまったのも今思えばかなりの痛手だ。
後悔先に立たずとは言えど、オレはまたベッドの上を転がり回った。
シーツを巻き込みながら、もんどり打つ勢いで転げ回る。
黙っていられずにジタバタと暴れるオレが面白かったのか、ハンスは小さく噴き出した。
「フッ…、フフ」
「あ!笑うなよ!こっちは真剣なんだぞ!」
「フフッ、悪い」
持ってきたトレーを机に置くと、ハンスはベッドの脇へと遠慮がちに腰かけた。
これではどちらが部屋の主が分からない。
「お前はデルホークたちとは違う」
「けどさぁ……」
「そうやってすぐ反省できるのがお前の良い所だ。たとえ悪い事をしたとしても、お前はちゃんと顧みる事が出来る人間だ。何より……誰かのために怒る事が出来るじゃないか」
その言葉にぎゅっと胸が締め付けられた。
人のためと言いながら、結局は自分のためにしか行動できない自分に嫌気が差してしまう。
それでもハンスが笑ってくれるから。
オレを許してくれるから。
オレは――落ちぶれずにいる事が出来た。
「でも、本当に解決したとは限らないじゃん」
「シャルルは俺を化物じゃないと言ってくれた。なら俺はそれに応えるだけだ。彼らが何と言ってこようと、それを聞き入れるつもりもないし、これから胸を張って立ち向かえる」
「…………そっか」
唇を尖らせるオレに、ハンスは慄然とした態度を返す。
ハンスへのやっかみがなくなるかどうかは定かではないが、ハンスの中でこの件は解決を迎えたのだろう。
迷いのない瞳に、オレはそれ以上この件に関する事を言えなくなってしまった。
「……前を向けたなら良いけどさ。お前、もうちょっと自分の意見を持った方が良いぞ」
枕から顔を離し、ハンスを見る。
「オレがどうかじゃなくて、お前がどうしたいかだろ」
「……分かってはいる。だが俺のしたい事はお前のしたい事だ」
「だーかーらー!何でそうなるんだよ!」
不貞腐れ半分、常々の疑問をぶつけてみたがハンスの答えはいつも通りだ。
何をどうして、ここまでオレ優先になるのだろうか。
騎士の忠誠を誓ったわけでもないし、まして使用人として小さい頃から一緒にいたわけでもない。
オレにとってハンスは憧れの主人公だが、ハンスにとってオレはただの学友でしかないはずだ。
声を荒げるオレにハンスは困ったように眉を下げる。
「…………約束」
ぼそりと呟かれた言葉にオレは首を傾げた。
ハンスとそんな人生全部を賭けたような約束をした覚えはない。
「ある人と約束をした。今はこれで許して欲しい」
その人に口留めされているのだろうか。
口を割ってくれそうにない真剣な面持ちのハンスに、オレは顔を顰める。
「分かったよ。けどいつか教えろよな」
そして呆れ気味に笑った。
真面目で律儀なハンスなら、いずれ教えてくれる事だろう。
こうして反省会を終えたオレたちは、エリンの作るケーキに舌鼓を打つ平穏な時間を過ごした。




