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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
1部-1章.シャルル・ミオンの学院生活①
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38.子猫伯爵と茨の棘

「――ごめん」

待てど暮らせど何を言ってこないハンスへと(こぼ)す。

いっそ殴られる方が楽かもしれないと思うのに、ハンスは黙したままだ。

後ろを振り向けないでいるオレには、ハンスがどんな顔をしているのかは分からない。

立ち止まったオレの髪を一陣の風がさらっていった。

もう春も中頃だというのに風がいやに冷たく感じられるのは、後ろめたさのせいなのだろうか。

(言い過ぎた……よな)

動かなくなってしまった自分の足を見下ろし声を詰まらせる。

カッとなったとはいえ、やり過ぎた自覚はあった。

ハンスの事情しか知らないオレが、一方的に首を突っ込んでいい事ではなかったはずだ。

高慢(こうまん)ちきらしく無礼だと切り捨てる方がまだマシだったかもしれない。

(けど嫌だったんだよ。ハンスの帰る場所がこんなんだって思ったら腹が立ったんだよ)

未練がましい弁明だとは思うが、まだ煮え切らない思いを心の内で吐露(とろ)し続ける。

原作通りにはさせないと意気込んではいるが、本当に望む道が(ひら)けるとは限らない。

そうなった時にせめて帰る場所くらい幸せな思い出の(あふ)れる場所であって欲しいと思ってしまったのだ。

生まれ故郷くらいは胸を張って帰れる場所であって欲しいと、そう思ったのだ。

(…………これじゃ逆効果か)

ハンスのためになら悪役になっても良いと思ったのは事実だ。

だがこれではハンスまで悪人になってしまったのではないだろうか。

あの場では首を振っていたが、あの子供たちだって一切の努力をしなかったわけではないはずだ。

それでも越えられなくて、ハンスを悪者にしてしまったのだろう。

オレにだってその気持ちが分からないわけではない。

我が身が可愛いのはオレだって同じだし、オレがこの街に生まれた子供なら、きっと一緒になってハンスに心無い言葉をぶつけていただろう。

それでもオレはミオンの家に生まれ、幸か不幸か前世の事を思い出し、こうしてハンス共に時間を過ごしてきたのだ。

だからこそ許したくなかった。

ハンスの過去とこれからを知る読者として、ハンスの友達として、許してはいけないと思った。

それが自分勝手な我儘だとしても、オレはハンスのために怒りたかった。


けれど結局オレは後悔をしているのだ。

どっちを選んでも思い悩む事には変わらなかったかもしれないが、オレはこの選択が正しかったのかと頭を悩ませる。


ふいに、嫌われたくないと呟いたハンスの顔を思い出す。

オレの何が良いのかいまだに分からないが、ハンスは最初にそう言った。

今ならその気持ちがありありと分かる。

こんな事をしでかしておきながら、オレはハンスに嫌われたくなくてその顔を見れないでいた。

(これで終わっちまうのかな)

殴られたら、きっと終わりだ。

経緯(いきさつ)が違おうが、状況が変わろうが、殴られたら一つの終局を迎えるのだろう。

ボヒュンと存在が消えるなんて事はないだろうが、オレたちは友達じゃなくなって、喋る事もなくなって――別々の道を歩んでいく。

(やっぱ、嫌だな)

痛いのは嫌だ。

それ以上にハンスとの縁が切れるのが嫌だった。

じわりと涙が滲みそうになって、オレは(こぼ)れ出そうになる嗚咽(おえつ)を飲み込んだ。

「俺は――」

ぼそりと聞こえた音に息を呑む。

尻すぼみになっていく声が背中に届き、オレはゆっくりと足を動かした。

一歩、また一歩と重い足を回し、ハンスの顔を見る。

「――嬉しかった。シャルルが俺を認めてくれて、俺の事を必要だと言ってくれて嬉しかった」

オレを真正面に捉え、ハンスは掠れる声でそう言った。

責めるでも怒るでもないその言葉に涙が出そうになって、誤魔化すように自嘲(じちょう)する。

「殴んねーの?」

「殴るとすれば俺自身だ」

立ち止まったオレとの距離を詰めハンスは言った。

「俺は自分が情けなくてしかたがない。またお前に助けられてしまった」

「……オレが嫌だっただけだし」

「それでも助けられた事に変わりはない。俺を救ってくれるのはいつもお前だ」

ハンスは怒っていないようだった。

切なくも柔らかな眼差しが、ただじっとオレを見つめている。

それを見た瞬間、糸が切れたように力が抜け、ぼろぼろと大粒の涙が零れていった。

「ごめ、オレ……!何も考えないで、バカなこと言って……!」

「いいんだ、シャルル。お前が謝る事なんて何もない。むしろ俺の問題に巻き込んで、お前に嫌な思いをさせてすまなかった」

「オレは、言いたいこと言っただけだし…!オレのせいでハンスがもっと大変な目にあったら、オレ……!」

堪えきれずに泣きじゃくるオレを、ハンスの腕が抱きとめる。

距離が近いでも、男に抱きしめられても嬉しくないでも、言える事はいくらでもあったはずなのに、ハンスに包まれるとこの上なくほっとしてしまった。

眼前に迫った胸を濡らすオレの頭を撫で、ハンスは(うめ)くように呟く。

「――俺は諦めていた。彼らには何を言っても無駄だと、いずれ関わらなくなる相手だと、向き合う事すらしようとしなかった。でも本当は平気ではいられなくて、一言で良いから嫌だと言いたかった。俺を認めて欲しかった」

ハンス自身から聞く本心に胸が打たれる。

「だがそう思うだけで俺はずっと何も言えなかった。何も言わなければこれ以上嫌われずに済むと思っていた。そんな臆病な俺の代わりにシャルルが向き合ってくれたんだ。オレの言いたかった事を全部言ってくれた――それだけでもう十分だ」

それは優しい声だった。

恨みも憎しみもない声色に上を仰ぐと、強い意思を宿した青と視線が絡み合う。

「俺はシャルルがいてくれるならそれで良い。俺の欲しいものは全部、お前が与えてくれる」

「ハン、ス」

「今はただ傍にいさせてくれ。これ以上俺のために傷つかないでくれ。俺のために泣かないでくれ」

ぎゅっとオレを抱きしめる手に力がこもる。

あまりに優しい温もりに、オレも大丈夫だと伝えるようにハンスの体に腕を回した。

オレのした事は間違いじゃなかったと言って貰えた気がして、また泣きそうになる。

何も言えずに顔を押し付けるとハンスの体温が直に感じられた。

落ち着いたようで早いこの鼓動はオレのものなのか、それともハンスのものなのか。

その音に耳を傾けると――


「いつまでやってんですか?」

怪訝(けげん)な表情を浮かべたナサニエルがぬっと姿を現した。


「おわあああっ!!??」

「っ…!!」

突然の乱入者にオレとハンスは慌てて距離をとる。

別に距離をとる必要はなかった気もするが、バッと抱きしめ合っていた腕を離した。

「ナ、ナナナ、サニエルゥ」

「いや、どもりすぎでしょ」

涼しい顔でオレを見つめ、ナサニエルは見てられないという風にため息をつく。

深く聞いてこないだけ助かるが、見ていたならもっと早く声をかけて欲しいものである。

「い、今までどこいたんだよ」

「どこってシャルル様の後始末に決まってるじゃないですか」

姿が見えないと思えば、どうやらナサニエルはあの場に残り、オレの不始末を片付けていたらしい。

事情を説明したり、口止めをしたりと忙しかったに違いない。

それが終わり後を追ってきてみればこの状況――となればナサニエルだって困惑する事だろう。

「えと、ごめん」

「そうやってすぐ謝らない。そんなだから舐められるんですよ」

誤解だなんだと釈明(しゃくめい)する前にとりあえず謝罪する。

前世の感覚で簡単に謝るオレを叱りつつ、ナサニエルはハンスを一瞥(いちべつ)した。

「俺からも言っておいたんで、あと大丈夫だと思いますよ。よほどの馬鹿じゃない限り、表立って喧嘩売る奴はいないんじゃないですかねぇ」

街の人たちの心情はさておき、一応の解決を迎えたなら一安心だ。

ハンスももう良いとは言っていたが、表面上だけでもああいうやっかみが消えてくれるならそれに越した事はないだろう。

オレが見つめるとハンスもいくらかスッキリとした表情で頷いた。

笑って応えようとするオレの間に、ナサニエルが割って入る。

「俺もうクタクタなんで、さっさと案内してくださいよ」

「あ、ああ。こっちだ」

肩を回すナサニエルに促され、ハンスがそそくさと前に出る。

当初の目的を忘れていたが、そういえばオレはハンスの家に遊びに来たのだった。

(まだ警戒してんの?)

(えー?何のことですかね?)

(しら)を切るナサニエルと共にハンスの後を追いかけていく。

心臓がバクバクと煩く鳴るのは、ナサニエルに(おど)かされたせいだろう。

頬どころか耳まで熱くなっているのを感じたが、それも気のせいに違いない。

涙の引っ込んだ目をごしごしを拭き、オレは治まる気配のない胸を押さえつけた。

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