▽.忠犬、射手に狩られる
「――ウィルフレッド」
加護術の授業が終わり、終業を告げる鐘の音が鳴り響く。
一人の生徒を伴って教室を出たキースは自分の後ろをついてくる生徒の名を呼んだ。
呼ばれたハンスは魔具の入った箱に向けていた顔を上げる。
訝しげな色を宿したキースの瞳と目が合った。
「何故、手を挙げた?」
「………授業中の事ですか?」
間を置いてハンスは答える。
要領を得ない返事に苛立ちを覚えつつ、キースは〝そうだ〟とため息をついた。
「お前が加護を使ったのは僕の指示だ。あの場で手を挙げる必要はなかったはずだ」
キースに言われハンスは目を丸くする。
「……そこまで考えていませんでした」
「次からは馬鹿正直に反応しなくて良い。僕の気が削がれるからな」
やれやれとキースは前を向き直した。
ハンスはこれも鍛錬と思いながら、重い箱を持ってその背中を追いかけていく。
遡ること数時間、話は朝にまで戻る――。
キースに鍛錬をつけてもらう事になったハンスは、約束通り早朝から修練場を訪れた。
誰もいないここへ来るのはこれで3度目だ。
1度は『知啓の祝福』を受けた昨日の朝、2度目はその終わりの夜にである。
昨日までは加護術の授業の延長とも言える座学が行われたが、今日からは実践となるのだろう。
ハンスはいくらか逸る気持ちで修練場の隅で待つキースへと声をかけた。
「おはようございます」
「……ああ。まずは加護を得た事に祝福を」
薄目を開けたキースが声をかけてきた相手を確認する。
言葉だけの祝福で、祝う気持ちの感じられない淡々とした声が返ってきた。
だからと言ってハンスも思う事はない。
壁にもたれかかるキースが動くのを黙って待ち続ける。
「それで、何の加護だ?」
「空の加護です。氷を作り出す事が出来ます」
「……空か。僕の専門じゃないが、まあ良い。これを持て」
重そうに体を動かし、足元に置いてあった箱から薄い板を取り出して投げる。
ハンスの手に収まったのは石の嵌った木版だ。
長方形の軽い木版には記号のような文字のような文様が刻まれていた。
掘られた文様は特殊な液体で加工されているらしく、どことなく妖しい輝きを放っている。
「感知の魔具だ。それに神力を注ぐと石が光るようになっている」
じっと木版を眺めるハンスにキースは説明をする。
「生命力と神力の関係は昨晩説明した通りだ。神具と魔具についても二度説明する必要はないだろう。習うより慣れろと言うくらいだし、まずはその魔具に神力を注いでみろ」
感知と言うようにこの魔具は神力を注ぐ事で核となる魔石が光るようになっている。
学院や神殿で使われる訓練用の魔具であり、それ以上の効力は有していない。
多くの生徒を相手にしてきた証なのか、随分とくたびれた様子の魔具へとハンスは力を込めた。
「……出来ました」
言い終わる前にハンスの持つ魔具は光を帯びる。
光は安定した輝きを放ち、まだ薄暗い修練場を眩しいくらいに照らし出した。
「もっと強くできるか?」
「はい」
光が一層の輝きを秘める。
「……弱く」
キースの言葉に反応するように、魔具の光は今度は小さく収縮する。
そこには弱いながらも安定したままの光が灯っていた。
変幻自在に姿を変える光を一瞥し、キースは頭をかきむしる。
「……お前の神力を扱うセンスが優れている事は分かった」
実際、優れているどころではない。
王国騎士に名を連ねる者でも、ここまで自在に神力を調整できる人間はそういないだろう。
初めてでこれならば才能と言わざるを得ない。
だがキースにはハンスの事を天才だ神童だと褒めるつもりは微塵にもなかった。
その傲りが才能を食い潰してきた例を幾度となく見てきたからだ。
(それに僕が教えるのは名を上げるための戦い方じゃない)
名を上げたいだけならば、誇りを守りたいだけならば、別の誰かを頼れば良い。
自分のすべき事を見据え、キースは無駄口を挟まずに指示を出す。
「魔具はあと良い。加護を使ってみろ」
「分かりました」
魔具を置き、正面に手をかざす。
ハンスの手には見る見る間に氷が生まれ、細長い杖の形を象った。
「……!」
だがその杖は呆気なく砕け散る。
目を見開くハンスにキースは冷静に言い放つ。
「神力が足りていない。お前が作ろうする型に対して神力が弱すぎる」
「………もう一度やってみます」
パラパラと氷が散っていく中、ハンスは再び氷の塊を作り出す。
先程よりもゆっくり成形を進めるが、やはり氷は途中で砕け散ってしまった。
砕けた氷は風の中に溶け、床に染みを作る間もなく消えていく。
「……っ……もう一度」
小さく宣言し、再度成形を試みる。
だが何度やっても結果は変わらず、ハンスの前には氷の粒が舞うだけだった。
「もう一度――」
「そのくらいにしておけ」
何度目かも分からない〝もう一度〟の声をかき消すように、キースはハンスの手を押さえつけた。
躍起になるハンスの顔を見つめ、面倒くさそうに息を吐く。
「何故、上手くいかないと思う?」
問われ、ハンスは頭を捻る。
理由を聞きたいのはハンスの方だった。
理解が及ばずに顔を顰めるハンスに向け、キースは口を開く。
「まず理想が高い。それを悪いとは言わないが、今すぐ成し得ない理想を掲げ焦ってどうする」
「……ですが、俺には守るべきものが」
「次に傲りだ。お前の心の中には慢心が潜んでいる」
「俺は驕った事なんて――」
理屈を重ねるハンスへと冷ややかな視線が突き刺さる。
「守るべき相手がいると言うが、相手はお前に守られる事を望んでいるのか?お前にはその相手を守れるだけの強さが本当にあるのか?今だってこれくらい出来て当然と思って出来もしない事をやろうとしていたんじゃないのか?」
キースの目が揺れる青を射抜いた。
「――これが傲りじゃないなら、何と言うのか言ってみろ」
鋭く胸をえぐる言葉にハンスは押し黙る。
返す言葉が見つからなかった。
「はぁ……僕にこんな事を言わせるな」
唇を噛み締めるハンスへとキースは左手を伸ばす。
その手を落ち込む肩に置き、励ましでもするようにぽんぽんと叩いた。
「守るという事は守られているという事だ。自分一人が守っているなどと、まして守ってあげているなどと思ったりはするな。その傲りがお前を殺し、守りたいものすら傷つける事になるだろう」
「……はい、肝に銘じます」
「まあ、元上官の受け売りだけどな」
口だけで笑い、キースは〝今日はここまで〟と魔具を回収する。
「……ありがとうございました」
「次は……明日か。それと今日の授業の前に僕のところに来てくれ」
ハンスはどこか釈然としない気持ちのまま、その日の鍛錬を終えた。
(……傲りか。たしかに、浮かれていたのかもしれないな)
ままならない手を握りしめ、校門を目指す。
(シャルルはもう来ているだろうか)
いつからかシャルルが学院に着く時間が早くなった。
もしかしたら今日も、既に学院に到着しているかもしれない。
シャルルを待たせないためにも、ハンスは急ぎ足で修練場を後にした。
――時は戻り、現在。
キースの後を追いかけながら、ハンスはキースに話しかける。
最初こそシャルルを殺すと宣った危険人物だったが、何度も接するうちに師弟としての信頼が築けるようになってきていた。
「教授の加護はたしか視力の強化でしたよね」
「よく知っているな。その気になればここから王城くらいまでは見えるが……まあ、もうそんな無茶な使い方は出来ないか」
「それも神力のもたらす負荷ですか?」
ハンスの問いかけにキースは僅かに黙る。
その後に重々しく口を開いた。
「そうだ。一般的には一時的な肉体や精神の疲弊と考えられているが、無理な使い方をすれば肉体そのものを破壊しかねない」
言いながら左指で自らの目元を軽く叩く。
「特に地の加護は肉体に密接に関係する能力だ。僕の場合、視力の大部分を失う事になってしまった。加護を使えば遠くまで見る事も出来なくはないが、司祭には次無理をすれば失明すると言われている。空や海の加護持ちにどんな弊害が起きるかは分からないが、こんな苦痛は味わわない方が良いだろう」
「ですが授業ではそこまでの危険性は説明していません」
「生徒を脅すなと怒られるのは僕だ。騎士や冒険者になれば知る事になるだろうし、必要がある奴はその時に知れば良い。もっとも、そこまでの負荷を負うような奴は騎士の中でだってそうそういないのだし、知る必要もないのかもしれないけどな」
自棄気味に言い捨て、キースは口だけで微笑む。
「だがお前は知っておいた方が良い。最期まで戦い抜きたいのなら猶更のこと。お前は……僕のようになるべきじゃない」
ハンスは何も言わず、その言葉に頷いた。
口も態度も悪いが、その根底にあるのは誰も死なせたくないという強い意思だ。
文句を言いながらも面倒を見てくれるキースは、信頼に値する人物である事はたしかだろう。
「明日は今日の続きだ。当分は基礎を叩き込むから覚悟しておけ」
「分かりました」
キースと共に訪れた倉庫に箱を置く。
彼の言う傲りをなくすためにも初心に返る必要があるだろう。
ハンスはかけられた言葉にしっかりと頷くと、キースと別れた。
「…………僕もまだまだ青いな」
教室へ戻るハンスの背中を見送り、キースは一人言ちる。
誰に聞かせるでもないぼやきが消えた後、倉庫の鍵を閉めた。
きっと、この心の渇きは簡単に褪せてはくれないのだろう。
ハンスという少年の中に戦場を垣間見る自分の愚かさをキースは静かに嘲笑った。




