32.子猫伯爵と射手再び
加護を得た翌日――再び恐怖の授業が始まろうとしていた。
「皆さんこんにちは。キース・ヴァン・トラスティーナです」
教卓を左指で叩きながら教師たる男は口を開く。
「会うのは2回目ですね。まあそれは良いでしょう。今日の授業では加護を得た君たちにその扱い方を学んでもらいます」
キース・ヴァン・トラスティーナ。
加護術の教師であり、一度目の授業で生徒の心をへし折った恐怖の対象だ。
びびりなオレじゃなくとも、この人の恐ろしさは身に染みている事だろう。
オレから見ればここも小説の中ではあるが、それでも開幕早々に〝殺せました〟などと宣うのはフィクション限定の話であって欲しい。
「まずはおさらいといきましょう」
教卓から手を離し、トラスティーナ教授が気だるげに説明を開始する。
伸ばしっぱなしの髪を適当にかき上げただけの、どこかうらぶれた雰囲気は前回のままだ。
元々国のために働く弓兵だったとは言うが、今の姿からはその面影は感じられない。
今日も変わらず教本を開くつもりもなければ、黒板に内容を書き記すつもりもないようだった。
「加護を使うにはまず生命力が必要になります。この生命力とは言葉通り、体力や気力といった生きるためのエネルギーです。走ったら疲れる、寝なければ頭が回らない――なんて事はまだ若い皆さんにも経験があるでしょう。それと同じように加護を使うと体に負荷がかかります」
抑揚のない言葉が淡々と紡がれていく。
「次に神力についてお話しましょう。加護を使うために最も重要な要素が神力――つまりは大地を包む女神様の力になります。この神力に働きかけ、自らの中に取り込む事で加護を使う事が出来ます。通常、人間は誰しもが無意識のうちに神力を取り込んでいるものなので、ほとんどの人は感覚的に加護を扱う事ができるでしょう」
おさらいと言ったように、口早に生命力と神力の関係を口にする。
『知啓の祝福』の際、エルデルバルトから直接説明されたのもあって、このへんの知識は完璧だ。
予習もバッチリのオレは欠伸をこらえながら教授の話に耳を傾けた。
(ねむ…いけど、ちゃんと聞かなきゃ……)
エルデルバルトは神力の扱い方を学べば眠気も消えると言っていたが本当だろうか。
睡魔と戦わずに済むのなら、いち早くそうなりたい。
教授が怖いのは変わらずだが、この加護術の授業が楽しみな事に違いはなかった。
案の定と言うべきか他の生徒たちもそわそわと浮足立っている。
加護を手に入れた今、早く実践がしたくて堪らないのだろう。
トラスティーナ教授の恐ろしさも忘れ、教室の中はざわつきを見せていた。
そんな生徒の空気を感じたのだろう。
説明する口を止め、教授がより気だるげに――否、機嫌が悪そうに教室を嘗め回す。
途端に教室の空気は変わり、気の弱い生徒はびくびくと体を震わせた。
(何でこの人、教師なんてやってんだろ……)
優しければ良いと言うものもないが、怖くないに越した事はない。
前世でだってこんな鬼教官に出会った事はないのではないだろうか。
オレに一番厳しいのは母だった気がするが、その母だってこんなに怖かった覚えはない。
そこに居るだけで竦みあがるトラスティーナ教授の圧に、オレはまた胃が小さくなるのを感じた。
(こいつはほんと動じねーな)
隣に座るハンスはこんな時にでも堂々としたものである。
教授の威圧など何のその、真面目腐った顔で前を向いている。
ユージーンはユージーンで慣れたのか、平気そうな顔で授業内容をしたためていた。
だが平然としているのは極少数だ。
教室が静まり返った後、刺々しい言葉が教授の口をついて出る。
「――この授業までに加護を使った人は手を挙げてください」
その言葉に何人かがおずおずと挙手をする。
トラスティーナ教授に鋭く睨まれて追加でもう数人が手を上げた。
その中には何とハンスも含まれている。
(マジメ過ぎんだろ……)
オレだったら絶対に手を挙げないのに――思わず憐れみを込めた目でハンスを見つめてしまった。
反省の色もなく真っ直ぐ手を挙げる姿がおかしかったのか、トラスティーナ教授でさえ訝しそうにハンスを一瞥する始末である。
「……今手を挙げた人たちは自分の幸運に感謝しなさい」
小さく咳払いをし、トラスティーナ教授は重い口調で言い放つ。
手を下ろさせ、一度だけ教卓を叩いた。
静寂の中に響いた音に、オレも他の生徒も揃って目を向ける。
「自分の想定以上の生命力が消費されるとどうなるでしょうか?」
質問したさそうにウズウズするユージーンを無視して教授は続ける。
「最悪死に至ります。生命力なしに生物はいきられません。そういった事故を防ぐため、私は皆さんに加護の扱いを教える義務があります」
語気を強め、教授は一度も開かれた事のない教本で机を叩いた。
バシンと強い音が鳴り、オレも他の生徒もびくりと体を縮ませる。
「指示を聞けない者はすぐ出て行きなさい。指示一つ守れない者に教える事はありません。加護というものは皆さんが思っているよりも遥かに危険が潜むものです」
騎士としての顔を露わにし、トラスティーナは言い捨てた。
恐怖もあって誰も席を立つ事はしない。
「異論はないようなので続けます」
黙りこくった生徒たちを目だけでぐるりと見回してから教授は教本を放った。
「さて、生命力と神力の関係については理解してもらえた事と思います。特に神力を使うと生命力が減り肉体が疲弊する事、度が過ぎれば死に至る事、この二つはしっかり覚えてください」
死に至る――教授はこの一点をとりわけ強調する。
腕を悪くした事に関係するかは分からないが、加護を使う事の危険性を注視しているようだった。
「そして神力ですが、まずは実際に慣れてもらおうと思います。ただ呼吸をするだけではさほど気にならない匂いでも、意識して嗅げばしっかり分かる場合もあるでしょう。同じように今まで無意識に接してきた神力を感じる事が、加護を使うための第一歩となります」
喋り終え、教授は微かに息をつく。
「それでは今から魔具を配ります――ウィルフレッド」
チラリとこちらに目をやったと思えば教授はハンスの名を呼んだ。
名指しされたハンスは文句の一つも溢さず教卓の傍へ降りていく。
そして教授に言われるまま、教卓の脇に用意されていた箱の中身を生徒たちに配っていった。
『知啓の祝福』で触った石板によく似た、石の嵌った木版が生徒の手に渡っていく。
「あんがと」
「ありがとうハンス!」
中央に集まったカイトたちへの対応は雑に、ハンスはオレたちの分の道具を抱えて戻ってきた。
席に座るハンスにこそこそと話しかける。
(お仕置き?)
(何故?仕置きされる理由がないが…)
(だって、さっき手上げてたじゃん)
(あれは…その、色々と事情があってだな……)
オレの問いにハンスは咳込んだ。
ここにきて恥ずかしくなったのか、耳がほんのりと赤く染まっている。
(いびられてるんじゃないなら良いや)
(いびられ……勘違いしてるようだが、トラスティーナ教授はそういう人じゃない)
意外にもハンスはトラスティーナ教授の事が苦手ではないらしい。
授業中の無駄に凛然とした態度からいってもそうだが、ハンスくらい肝が据わっていると怖さを感じないという事なのだろう。
羨ましいと思いつつ、魔具の説明を始めた教授に意識を向ける。
「神力を感じるにあたり、神具と魔具の説明をしましょう。今皆さんに配ったものが魔具と呼ばれる道具です。触れてみても構いません」
そう言って生徒に配られたものと同じ板を持ち上げる。
「神具あるいは魔具とは、加護の力を再現するための道具です。加護回路――つまり加護を解析した回路が刻まれたものに、神力を蓄えた神石またはヨナから獲れる魔石を核に据える事で特定の加護の力を引き出す事が出来ます」
オレも直接触るのはこれが二度目だが、この世界には加護と呼ばれる不思議な力があるだけあって、このような便利な道具も存在する。
これがあれば海の加護を持ったオレでも、回路に刻まれた別の加護を使う事が出来るのである。
魂に刻まれた女神の祝言を視覚化したものが加護回路なのだそうだが、分かりやすく言えば呪文の詠唱ないし魔法陣のようなものだろう。
とはいえこの道具も好き放題使えるようなものではない。
便利とは言いつつ、回路を解析する事は難しく、暗闇を照らすやら、火を灯すやら、一動作で出来るような至極簡単な事しかいまだ実用化されていないのである。
――たとえばハンスの氷を操る空の加護。
加護を持ったハンスは何もない所から氷を生み出し、それを武器に成形する事ができる。
対して神具ないし魔具が出来るのは、〝その場にある水分を凍らせる〟事だけだ。
使いようによっては優れたものだが、融通の利かなさの方が目立つくらいらしい。
結局加護を上回るような事はないし、この神具や魔具を持っていれば最強なんて事もないのである。
熟練の彫師と貴重な神石か魔石があって初めて完成される事もあって、大陸全土への普及はまだまだ遠い先の話といったところだろう。
その魔具を片手に、教授は説明を続ける。
「神具及び魔具は神力を注ぐ事で力を発揮します。皆さんに配った魔具は神力を注ぎ込む事が出来れば、核となっている魔石が光るようになっています。まずは呼吸を整え、魔具に意識を集中してください。無理に力を注ぐのではなく、自身の延長であると捉え体温を分け与えるような感覚で触れてみると良いでしょう」
神力が注がれているのか、教授の持つ木版が光を放つ。
基本的な効力は神殿の石板と同じようだが、この魔具は触れただけでは光らないらしい。
うんともすんとも言わない魔具を前にオレは頭を捻る。
(体温を分け与える…?)
教授はそう言うが、そんな事を言われてもさっぱりだ。
急に優しい路線になられても困惑が勝ってしまうものである。
「お!光った!」
「見てください先生、光りましたよ!」
教授の言葉に振り回されるオレを置いてけぼりに、何人かの生徒はもう神力を注ぐ事が出来たらしい。
魔石の光った木版を掲げ、嬉々とした声をあげている。
「流石カイト様!もう神力の扱いを心得られたのですね!」
澄ました顔で座るカイトの魔具も早い事に淡い光を放っていた。
遅れまいとオレも木版を両手でしっかりと握りしめる。
(光れー!)
心の中で強く念じ魔具に意識を集中するが――――何も起きなかった。
(あれ…?)
気を取り直して再度魔具に意識を傾ける。
だが何度念じようとオレの手に握られた魔具が光る気配は悲しいかな、どこにもなかった。




