3.子猫伯爵と悪役令息
ハンス・ウィルフレッドとの予期せぬ出会いから数分。
頭をこねくり回していたオレはさらに頭を捻らせる。
一体何がダメだったのだろう。
シャルル・ミオンである以上、破滅の人生が運命づけられているという事なのか。
顔を向けたくもない隣にはハンスが。
そして――机を挟んだ正面にはカイト・デルホークが立っていた。
「シャルル・ミオンだな?」
騒がしい室内でもよく通る、自信に満ちた声に尋ねられる。
正直言って反応したくない。
だがここで無視をしようものなら、彼らの標的にされるのは自分だ。
(大丈夫、大丈夫………よし!)
心を決め、見上げる形でカイトへと顔を向ける。
ガッシリと太い腕を組んだカイトは、同じ年齢とは思えないくらい巨大に見えた。
(――こいつがカイト・デルホーク)
面と向かって拝んだカイトの姿に唾を呑み込む。
堂々たる態度も、威厳ある出で立ちも、全てが小説に書かれている通りのものだった。
短く切り揃えられた焦げ茶色の髪の毛。
力強さを感じさせるキリリと太い眉。
鷹の名にふさわしい獰猛さの中に、知性を感じさせる深緑の瞳。
しっかり通ったわし鼻に、悠然と持ち上げられた口角。
大柄と評されるハンスより一回り大きい逞しい体つき。
そこにはとても12歳とは思えない精悍な男が立っていた。
妹の言葉を借りるなら、硬派なハンスとは真逆の危ない色気を持つ伊達男――だそうだ。
やられ役のゴリラでも悪人面の不細工でもない主人公の宿敵。
やる事成す事最低だが、ライバルにふさわしいカイトの姿に、妹を筆頭にけして少なくないファンが熱を上げていた。
とはいえカイトの悪行は許されるものではない。
至極当然の事だが、一部の熱狂的ファンを除いてカイトの評価はすこぶる悪かった。
あまりの評判の悪さに、カイトの名前からとって〝タコ〟と呼ばれる程だ。
かくいうオレも〝タコ野郎〟と呼んでいた。
この世界では悪口として浸透していないようだが、海産物呼ばわりされて喜ぶ奴がいるとは思えない。
うっかり〝タコ野郎〟と呼ばないよう気を付けよう。
オレが思うのはそれだけだ。
「ドーモ」
冷や汗を垂らしながらニコリと微笑む。
意気込んだ割には、自分でも悲しくなるくらい声が出なかった。
(終わった……)
笑顔のまま体が凍る。
ピシリとヒビが入ったような気分だ。
今のが当たり障りのない挨拶じゃなかった事はオレにだって分かる。
カイトに目をつけられてしまえば、平穏無事に生きていくなんてのは無理な話だろう。
(終わった…………)
わずか数秒にも満たない沈黙がつらい。
重苦しい空気が圧し掛かれば、自主退学、国外逃亡、悪役令息、再起不能といった文字列が頭の中を埋め尽くしていった。
「挨拶が遅れた。知っているとは思うがカイト・デルホークだ。会えるのを楽しみにしていた」
一瞬で繰り広げられた危惧とは裏腹に、カイトは気を悪くした素振りなく笑みを返す。
腐っても公爵令息、残念感の強いオレの精一杯が咎められる事はなかった。
だからといってオレは気を緩められない。
(はっ…、嫌味な奴)
笑顔はそのままに心の中で悪態をつく。
今の言葉だって〝俺がデルホーク侯爵家の息子である事は当然知っているな〟という意味なのだから、おちおち油断はしていられない。
あえて身分を名乗らないのだから、本当に、本当に性質が悪い。
「ミオン…ラドフォード伯爵から聞かされてな。一度直接話をしてみたかったんだ」
「ソレハ光栄デス」
「ああ、もしかして招待状の事を気にしているのか?過ぎた話だ。そう警戒しなくて良い」
「アリガトゴザマス」
かろうじて笑顔を保つが、すでにオレの肉体は限界だ。
唇は引きつるし、片言にしか喋れない。
しかも招待状の話まで蒸し返され、完全に針の筵である。
わざわざご丁寧に話題に出してきたという事は根に持っているという事だ。
(クソッ!覚えてるのかよ!)
心の中でつく悪態だけは流暢に、苛立ちと不安でげんなりする。
カイトから招待状が届いたのは1年と少し前だったか。
記憶を取り戻したオレは、カイトと仲良くなるなど言語道断とその誘いをやんわりお断りしたのだ。
カイトにとってシャルルは都合の良い取り巻きに過ぎないはずだ。
縁がなかったで終わると思ったのに、なかなかどうして上手くいかないものである。
ちなみにだがラドフォードはオレ、すなわちシャルルの父の名だ。
「他の招待も断っていたそうだな。伯爵が話を聞かせてくれたのもあるが、本当なら学院に入る前に会ってみたかったんだ。パーティーが苦手なら、個人的に家に招待するがどうだ?」
「ヤ、オレハ」
「遠慮する事はない。俺の父もミオンが来てくれるとなれば喜ぶだろう」
「ハハハ……」
カイトの機嫌を損ねないためにも、とりあえず笑っておいた。
にへらっと締まりのない笑顔で問いかけにも触れずにおく。
沈黙は金というものだ。
(沈黙と言えば……)
黙ってくれているだけ有り難いが、カイトの後ろに立つ男の視線も痛い。
会話のドッジボールをしているだけなのに、嫌悪感をむき出しに睨まないで欲しい。
むしろオレは被害者だ。
(あ~!!無理!!帰りてえ~!!)
笑顔の裏で大泣きしながらカイトの話をふんふんと聞き流す。
頑張れオレの表情筋。
口の両端がピクピクと痙攣しているが今が踏ん張りどころだ。
だがそれもいつまで持つものか。
(も、ムリ)
この際、天変地異でも構わない。
心の底から思う――今すぐこのタコ野郎をオレの前から退場させてくれ。
「――いい加減にしろ」
肌に突き刺さる空気の鋭さに思わず息を呑む。
氷の冷たさを宿した青い瞳が、真っすぐにカイトを見つめていた。




