▽.女神に仕える者
――遡る事、数刻。
『知啓の祝福』の最中、拝殿を追いやられた司祭の一人は荒々しく地面を蹴った。
「こんなの初めてなんだけど!?」
「やめなさい。エルデルバルト様にもお考えがあるのでしょう」
「そうですよー。ダフネさんは準司祭なんですから黙っててください」
頬を膨らませる準司祭ダフネに一番小柄な司祭が唇を尖らせる。
エルデルバルトに待機するよう言われた四人だったが、理解が追い付かないままでは、ただ黙って待っている事は出来なかったようだ。
「何よ…!誰が守ってあげてると思ってるわけ!?」
「その考えがダメなんですよー。だからダフネさんは海の加護を授かれなかったんですよー?」
声を荒げるダフネだが、小柄な司祭はそれをものともせずため息をついた。
残された二人の司祭もやれやれといった風にダフネたちのやり取りを見守っている。
今しがた準司祭と言われたように、ダフネは正式に司祭と呼ばれる人間ではない。
理由は単純明快――海の加護を持たないからだ。
海の加護を持たずとも神殿に従事する事は可能だが、司祭として最も重要な治療を行えない彼らは『準司祭』と呼ばれ、司祭たちの護衛の他、神殿の雑務をこなすのが務めとなっている。
戦闘に特化した者を神殿騎士と呼ぶ者もいるが、ここは神の住まう居城。
諍いを想起させる言葉を使うべきではないと、戦える者もそうでない者も一様に『準司祭』と呼ばれている。
「言わせておけば…!マンクスも何か言ってやってよ!!」
話を振られた一番大柄な準司祭マンクスが首を振る。
「我々が準司祭である事は女神様がお決めになられた事だ。守ってあげていると考える事自体が間違っている」
「くぅ、マンクスまで……」
「実力だけ優れていても心が伴わねば意味がない。だからこそエルデルバルト様も、此度の側仕えにお前を選んだのだ。まだ若き子らを見て、初心を思い出させるために」
マンクスの達観した言葉に小柄な司祭もそうだそうだと首を上下させる。
「フィルはまだ見習いじゃないの」
「見習いでも司祭は司祭ですー。エルデルバルト様も伸びしろがあるようにとフィルの名を授けてくださったのですよー」
ふんすと鼻を鳴らす司祭フィルに呆れたのか、ついにダフネは怒りを収めた。
「フィルが私より大きくなる事はないと思うけどね」
捨てゼリフは忘れず、壁にもたれかかると厚い扉の向こうへと視線を移す。
防音の神具が使われているため、中の様子は何一つとして分からない。
「……あの子、大丈夫かしらね?」
「エルデルバルト様が直に看てくださっているのでしょう。心配はないはずです」
ダフネと共に追い出された司祭ロランも憂うように扉を見つめる。
「えーと?ミオン様でしたっけ?何かあったんですかー?」
「秘薬の飲んだ後に倒れたのよ。すぐに良くなったみたいだけど、エルデルバルト様が私たちに出ていけって……」
「エルデルバルト様はお優しい方だ。治療をするにしても、その子に気を遣って人払いをしたのだろう」
そうこう言っている間に話が終わったようだ。
エルデルバルトがシャルルと共に拝殿の外へと現れた。
四人の司祭は顔を見合わせ、黙々と持ち場へと戻っていく。
(何があったか気になるけど…!)
(まー、教えてくれるわけないですからねー)
(雑念が多い。それにエルデルバルト様を疑うような事を言うな)
(はは…。疑うも何も治療をしていただけだと思うのですがね)
視線だけで会話をし、ダフネとロランは広間へ行く二人を見送った。
「いつか神殿に来てくれるかもしれません。その時には優しくしてあげてくださいね」
穏やかに微笑むエルデルバルトがシャルルの背を見つめ続ける。
その言葉に残された二人はシャルルが海の加護を授かったのだと感じ取った。
(あー、あの子目を付けられたわけね)
(人聞きの悪い言い方はやめてください。ですが……)
ダフネとロランは視線を交わしひっそりと息を吐き出した。
二人の頭には数年後、司祭として働くシャルルの姿が思い描かれていた。
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「では皆さん、本日はご苦労様でした」
無事に『知啓の祝福』を終え、大司祭であるエルデルバルトは広間を後にする。
今日のために集まった司祭たちも頭を下げ、各々の持ち場へと戻っていく。
家に帰る者、神殿に用意された部屋へ向かう者、警備に勤しむ者とその行き先は様々だ。
エルデルバルトもまた大神殿の中に用意された居室へと足を向ける。
白銀の神殿の奥にひっそりと佇むそこが彼の永住の住まいであり、唯一心を休める事が出来る場所だった。
「これで一つ重荷が減りましたね」
重いローブを脱ぎ落し、エルデルバルトは息を吐く。
部屋の中は殺風景なものだ。
一人掛けの椅子が一脚に、さほど大きくもないテーブルが一つ。
こじんまりとしたクローゼットと、小難しい内容の本ばかりが詰まった書棚が一つ。
そして一人用のベッドが一台だけの実に簡素な装いである。
とはいえ、これも神殿に従事する者なら当然の事。
贅沢は許されず、ただ純然と女神に仕える事のみが望まれる故のものだ。
大司祭であろうとそれは変わらない。
「さて、休む前にもう一仕事しなければ……」
脱いだローブを椅子にかけ、エルデルバルトはテーブルに向かった。
持ってきた石板を目の前に置くと、祝福の時と同じように指で触れる。
たちまち青い光が零れ落ち、狭い部屋を照らし出した。
しかしその光は部屋を包み込む事なく、エルデルバルトの前に無数の文字列を映し出した。
記されているのは加護の記録だ。
一番最後に鑑定したベレジュナーヤのものから過去数百年に渡る全ての記録が、この鍋の蓋ほどの大きさの石板に刻み込まれているのである。
大司祭にのみ伝えられる石板の真価を見つめ、エルデルバルトはその記録の一部を書き写していく。
「ふむ…やはり面白い加護ですね」
確認しながら公爵令息カイト・デルホークの記録を書き留める。
デルホークの名を継ぐだけあって、カイトの加護は過去を遡っても珍しいものだった。
「流石は地の剣――これなら陛下も喜ばれる事でしょう」
大地の国アズロにおいて、公爵家はデルホークを始めとする三家のみが存在する。
一つは空の衣アウラスタ。
一つは地の剣デルホーク。
一つは海の盾クロウリア。
三公とも呼ばれる彼らは王家の忠実な臣下として、様々な形で政に関わってきた。
時に王家の婚姻相手として、時に戦の指揮官として、時に女神の威光を広める伝道師として、歴史の表舞台に立ってきたのがこの三公なのである。
血を重んじ優秀な血を掛け合わせてきた彼らだけに、件のカイトの加護も特異なものだ。
明日の謁見で国王に良い報告が出来そうだと、エルデルバルトは次々に記録を書き写していく。
ふと手を留めたのはシャルル・ミオンの記録を目にした時だ。
「………………」
分厚い紙に海の加護と短く記す。
特記事項には触れず、淡々と作業に打ち込んだ。
その後、小一時間ほど掛かり国王に渡すための記録が完成した。
「ふぅ…。73名もいると骨が折れますね」
通常的に行っている『知啓の祝福』ではこんなにも多くの人を相手にする事はない。
試練自体は春、夏、秋の年に三回開催されているものの、それを通過する者はそう多くないからだ。
多くても十数人、少なければ対象者なしの祝福に比べると、一度に73人もの相手に祝福を贈るのは異例と言っても良いようなものである。
「おや、これは……」
今日の祝福で加護を得た73名の記録をもう一度確認し、エルデルバルトはある一人に目を留めた。
祝福の際には気が付かなかったが、過去類を見ない記録が刻まれている。
「ふふ、やはり今年は異例が多い」
その記録にエルデルバルトは静かに笑った。
そして石板から指を離し、床下に隠された神力に反応する金庫へと丁重にしまう。
「――陛下への報告はカイト・デルホークのみ。後は様子を見るとしましょう」
決意を固めるように静寂に溢す。
返ってこない返事に耳を貸す事なく、エルデルバルトは長い一日に終わりを告げた。
――翌日、エルデルバルトは大地の国アズロの王城へと登城した。
「ご挨拶に代わり祝福を――」
胸の前に三角を作り頭を垂れる。
広大な玉座の間を飾るのは、壁に描かれた色鮮やかな絵画たちだ。
女神の伝承に始まり、強き魂を持つ翼ある獣の偉業、そして新しいものでは歴代の王族たちの功績がびっしりと描かれていた。
大地の国の国王ゲオルギウス・ラ・アズロは王座に座ったまま、絵画に取り囲まれたエルデルバルトを見下ろしている。
「うむ、面を上げるが良い。私とお主の仲ではないか」
「有難きお言葉感謝致します。しかしながら私はまだ大司祭を継いで浅い身の上でございます。陛下と杯を交わすにはいささか早いものがあるかと……」
「よい。お主も先代も話が長くてかなわん」
祝福の構えのまま口を開くと、ゲオルギウスは心底つまらなさそうに首を振った。
そのすぐ後にエルデルバルトの持つ巻物に視線を落とす。
「祝福はどうであった?」
「陛下のお力添えもあり、此度の祝福もつつがなく終了致しました。こちらに記録をまとめておりますのでご覧頂ければと思います」
言いながらエルデルバルトは脇に控えていた宰相に記録を渡す。
宰相はその場で巻物を広げ、中身をざっと確認するとゲオルギウスに向け頷いた。
「お前から見て我が目に留まるような者はいたか?」
「デルホーク公爵家の御令息が稀有な加護をお持ちでした。昨年の空の衣に続き、地の剣たるデルホークの者が優れた加護を授かったとなれば、陛下としても大変鼻が高い事でしょう」
「デルホークの倅か。私に娘がいないのが悔やまれるな」
「他に特別陛下のお耳に入れるべき者はおりませんでした。皆良き加護には恵まれましたが、やはり王家の皆様方や三公の皆様方に並ぶような者は簡単には現れないようです」
言葉を切るとゲオルギウスは頷いた。
宰相から巻物を受け取り、上から下までを深緑の瞳でじっくりと嘗め回した。
やがて不審なところがないと判断したのだろう。
巻物を宰相の手に戻し、ひじ掛けを指で叩く。
それはこれ以上話す事はないという彼なりの合図だった。
「うむ、ご苦労であった。お主も忙しいだろうしな、もう下がって良いぞ」
「陛下の御威光に賜れましたこと光栄に思います。大地を統べる強き君に、女神様の尊き慈悲があらん事を――」
再び祈りを捧げ、エルデルバルトはその場を後にした。
国王との会談が終わった事への安堵か、エルデルバルトはひっそりと息をつく。
(これで良い。全ては私の胸の内に――)
昨晩の決断通り、カイト以外の真実はこの先ずっと誰の目にも触れる事はないだろう。
エルデルバルトの思惑を知るのは二柱の女神だけだった。




