28.子猫伯爵と女神の贈物
「――静粛に」
体を丸め、押し寄せる熱に耐えるオレの耳にエルデルバルトの声が響く。
漣のような優しい声だ。
乱れる事なく柔らかな微笑みを浮かべたまま、エルデルバルトはただオレを見つめている。
雪のような、雲のような、淡い灰色の瞳には複雑な色が宿っているように見えた。
――何故そんな顔をするのだろうか。
問いかけるようにその瞳を見つめ返す内に、体に渦巻いていた苦しみが少しずつ引いていった。
「あ……は、ぁ……」
「落ち着かれましたか?」
「………はい」
やっとの事で音になった返事に、エルデルバルトは満足したように頷いた。
じっとオレを見つめ、やがて口を開く。
「ダフネ、ロラン。席をはずしてください」
それはどういう意味なのだろうか。
まだぼんやりとする頭でエルデルバルトの言葉を反芻するが理解が追い付かない。
「エルデルバルト様!?」
「今、席をはずせと仰ったのですか?」
理解できなかったのは二人の司祭も同じだったらしい。
顔こそ見えないが、きっとぎょっとした表情をしているのだろう。
「すぐに終わります。呼ぶまで外に出ていてください」
慌てる二人の司祭を窘め、エルデルバルトは落ち着き払って首肯する。
一歩も引く様子のないエルデルバルトにダフネ、そしてロランと呼ばれた司祭は肩を落とした。
その後にしかたがないという風に拝殿の外へと向かっていく。
「まずは祝福を終えら――え?どういう状況ですか?」
「エルデルバルト様の指示だ。呼ばれるまでここで待機するようにとの事だ」
扉が開くと、拝殿まで案内をしてくれた司祭たちも驚いた様子だった。
予定外の事に素っ頓狂な声を出し、扉の隙間から中の様子を伺っている。
「何かありましたら、すぐにお呼びください」
一番大柄な司祭が頭を下げる。
バタンと扉が閉じ、狭い部屋の中にオレとエルデルバルトだけが残された。
「――さて、ミオン様」
二人きりになったのを確認して、エルデルバルトはにこにこと楽しそうに微笑んだ。
優しく穏やか――というよりは茶目っ気のある笑顔だ。
その顔に『ラブデス』読者の例の感想が駆け巡る。
ふつふつと湧いてきた嫌な予感に、オレは溜まってもいない唾液を呑み込んだ。
命が助かっただけ良いが、悪事の片棒を担げなどと言われたらどうすれば良いのだろう。
思わず背後を見るが、背中に背負った扉は固く閉ざされている。
運良く開けられたとしても、その先に待つのは四人の司祭だ。
エルデルバルトの行動に驚いていたが、彼らも女神に従事する司祭である以上、オレの言葉より大司祭の言葉を信じるに決まっている。
大声を上げたとして広間まで届くのか。
届いたとして賑わう生徒たちの耳に助けを求める声は聞こえるのか。
まだぐらつく頭でぐるぐる考えるが、これっぽっちも事態の飲み込めない状況では、意味も分からず震えるしか出来なかった。
女神に文句を垂れたツケが回ったのかもしれない。
悪い方向にばかり囚われ怯えるオレの前で、エルデルバルトがにっこりと笑う。
――結果だけ言えば、嫌な予感が的中する事はなかった。
「まずは無事、加護を賜った事に祝福を」
困惑するオレにエルデルバルトはふわりと微笑んだ。
胸の前に三角を作り、〝アクラ・マナン〟と祈りを捧げこそ、こちらに近づく気配はない。
とはいえオレの頭に浮かぶのは〝?〟だけだ。
いまだ状況が掴めずにいるオレに、エルデルバルトが口を開く。
「この石板ですが――」
エルデルバルトの指先が触れた瞬間、石板に嵌められた黒い石が青色に代わり、青白い光を放った。
柔らかな光が室内を照らし、純白のローブを青色に染めている。
手を離すと光もゆっくりと消えていった。
「この石板には魂に刻まれた特質を見定める力があります。金に光れば空、赤に光れば地、そして今のように青に光れば海の加護を持つと判断する事ができます。ミオン様も触ってみてください」
「は、はい」
言われ、恐る恐る石板に手を伸ばす。
オレの指先が触れるや否や、石板が淡い光を放ちだした。
「あっ!」
驚愕の声を漏らすオレの前で青い光が拝殿を照らす。
黒色に戻った石が再び青色に染まり、先程と同じように青白い光で室内を包み込んだ。
時折、水の底から空を見上げた時のような輝きがチラついては消えていく。
(――ハンスの目の色と同じだ)
その鮮やかな青色にハンスが重なって、不思議な気分で光を見つめ続けた。
口が開く事にも気づかず、茫然と光を追った先でエルデルバルトと視線が絡む。
薄っすらと青色を映し込んだ瞳がオレを待っているようだった。
あっと思って身を引くと、拝殿を包み込んでいた光が収まっていく。
石板がシン…と静まり返ったのを確認して、エルデルバルトは再び胸の前に手を合わせた。
「ミオン様には海の加護が授けられました。正しき心、曇りなき眼を持ち、清き翼に恥じぬ寛大な獣となる事を願いましょう」
凛とした声が淀みなく告げる。
神々しさすら感じるエルデルバルトに胸がすっとしたような感覚に陥った。
ストンと何かが落ちたような、そんな感触だ。
それと同時に、感慨をぶち壊すくらい大量の〝?〟が頭に巣食った。
「海…???」
「はい、海の加護です。傷を癒し、病を払う力が授けられました」
「地じゃなくて…???」
「血筋や環境は一つの指標に過ぎません。女神様はあなたを清き魂を持つ者と見定められたのです」
尚もにこにこと微笑み続けるエルデルバルトに首を傾げるしかない。
どこから突っ込めば良いか分からないが、一先ず危惧したような悪人ではなさそうな事にほっとする。
ぴょこりと顔を出した逃走担当のオレを奥へしまいこみながら息を吐き出した。
(どういう状況なんだコレ……)
だがいまだ事態は掴めていない。
オレの加護が海である事は分かったが、まさかこの話をするためだけに司祭を追い出したなんて事はないだろう。
(司祭も驚いてたし、普通じゃないのはたしかだよな)
問い質して良いものかと、少し高い位置にあるエルデルバルトの顔を見上げてみる。
何を聞けば良いのか、大司祭に声をかけて良いものか、ぐっと喉の奥で詰まらせていると向こうもその視線に気が付いらたしい。
オレの疑問などお見通しなのか、エルデルバルトは言葉を探すように目を伏せた。
「ふむ、そうですね……」
顎に手を当て、エルデルバルトは何事かを思案する。
やがて静かに語り出した。
「我々には女神様により二つの器が与えられています。一つは生命力――つまり肉体の事です。もう一つは神力――女神様の力でもあり個人が扱える力の大きさの事です」
言いながら右手の指を二本立てる。
左手にはオレが空にした銀の杯が持たれていた。
「この杯、つまり人間の肉体は生命力で満たされた器です。ここに神力を取り込むと――」
石板を部屋の隅に寄せ、台座の中央に杯を置く。
透明な液体をギリギリまで注ぎ入れると、エルデルバルトはその中に付けていた耳飾りを放り込んだ。
金に光る三角形の耳飾りがポチャンと軽快な音を立てて杯の底に沈んでいく。
収まりきらなくなった液体は台座へと流れていった。
「――このように生命力を糧に神力は肉体へと入り込みます」
大司祭の手ずからの講義にオレはうんうんと頷いた。
ケンネル教授いわく神力とはこの大地を包み込む女神の力だ。
魔力ないし魔素やマナとでも言えば良いのだろうか。
加護を扱う際にはこの神力に働きかけ、自らの中に取り込む必要がある。
今注いだのって秘薬なのでは――という疑問が頭を過ったが、口を挟むのはやめておこう。
「取り込んだ神力は加護を使う、あるいは時間の経過によって肉体から消失します」
頷くオレの前でエルデルバルトは杯の底に沈んだ耳飾りを取り出した。
いっぱいまで注がれていた液体は9分目程まで下がっている。
「この時に生じる生命力の差が神力が肉体に課す負荷です。人はこの負荷を補うために寝食を行います」
再び杯の中に液体を注ぎ入れる。
表面張力でうっすら膨らんだ液体を見て、エルデルバルトは満足そうに微笑んだ。
「さて、ここで本題に入りましょう」
にこりと笑って、エルデルバルトは拳を作った右手を杯へと躊躇いなく突っ込んだ。
耳飾りの比でなく液体が零れ、杯の中にはほんの少しの液体しか残っていない。
目を丸くしてその様子を眺めていると、エルデルバルトはじっとオレを見つめた。
「器と言ったように、人が取り込める神力には差があります。一度目のように少ししか取り込めない人もいれば、このように大量に取り込める人もいるわけです。そしてこの杯はミオン様そのもの――」
ほんの少しの液体――ここでは生命力が残った杯から手を離し、エルデルバルトはそう言った。
室内に用意されていた布巾で手を拭き、細い指で銀色のフチをなぞる。
「このようにミオン様は肉体に取り込める神力の量が常人のそれよりも遥かに多いのです。故に神力の源とも言える秘薬を飲んだ時、神力を一気に取り込む事になってしまった肉体が強烈な負荷に見舞われました――これがミオン様の身に起きた出来事です」
どうやらオレの身に起きたのは神力による負荷だったらしい。
堅苦しい物言いのせいで頭がごちゃごちゃになるが、何となくの事は理解できてきた。
エルデルバルトを始め司祭たちは専門用語をふんだんに使った回りくどい言い方が好きなようだが、もう少し分かりやすく言ってくれるとオレとしては助かるところだ。
「えーと…?オレが死にかけたのは秘薬…いや、神力のせいって事ですか…?」
「そうと言われれば否定はできません。驚かせてしまった事は謝罪致します。ですが、死なせはしませんのでその点はご安心ください」
にこやかだった顔を引き締めて、エルデルバルトは深々と頭を垂れた。
まさか大司祭に直接頭を下げられようとは誰が想像出来ただろうか。
慌てて大丈夫だと言い張ったが、海色の頭は深く下がったままだ。
「あの!他の人は?オレみたいになるのは普通じゃないんですよね!?」
話を挿げ替えるように聞けば、エルデルバルトはようやく頭を上げてくれた。
「神力を取り込める量に差があると言ったように、取り込めなかった分はそのまま体外へと流れていきます。あのように急激な負荷に見舞われるのは、それだけミオン様が女神様の祝福を受けられたという事――」
エルデルバルトが一度呼吸を置く。
そのすぐ後に清々しいくらいにこやかな笑顔を浮かべた。
「ずばり――ミオン様は非常に強い力をお持ちという事です!」
これまでの堅苦しい雰囲気を投げ捨てた単純明快な答えにオレも思わず笑顔になった。
オレが求めていた分かりやすさに大満足である。
心の中でも読んでいるんじゃなかろうかと思うが、大司祭であるエルデルバルトの加護は海だ。
大方オレの顔にそう書いてあるだけなのだろう。
だがなるほど、オレも女神に見放されたわけではなかったらしい。
本気で死ぬかと焦ったが、どうやらそれも才能故の事のようだ。
これで少しは転生者らしい箔がついてきたのではないだろうか。
(……転生者らしい箔って何だよ)
自分で自分にツッコミを入れつつお腹をさする。
エルデルバルトに出会えた興奮と、一時の恐怖感だけで耐えていたが、オレのお腹はこんな厳かな場所でも主張を上げそうになっていた。
連載開始から1ヵ月となりました。
活動報告に記念イラストを掲載してますので、良かったら覗いてみてください!
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(2021/9/10)




