26.子猫伯爵と女神の使徒
純白の天井を見上げ、その高さを思い知る。
女神の居城と謳われるだけあって、その規模も輝きも何もかもが段違いだった。
王城に行った事はないが、それと比較しても引けを取らない壮麗さではないのだろうか。
柱から床、飾られる装飾に至るまで白銀の神殿に、ただただ感嘆の息を漏らした。
王都にある神殿には何度も世話になったが、本殿とも呼べる大神殿に訪れるのはこれが初めての事だ。
普通に生きていれば『知啓の祝福』くらいでしか訪れる事はないため、大神殿を拝むのは今日が最初で最後になるのだろう。
この優美な景色を少しでも頭に焼きつけようと、神殿の中を幾度となく見回した。
「シャルル、口が開いている」
感動のあまり口が開いていたらしい。
ハンスに指摘されたオレは、ぽかんと開く間抜けな口に力を入れた。
きゅっと唇を閉じ、真面目な顔を装ってから前を進む生徒たちについて行く。
「――皆様、こちらでお待ちください」
開かれた扉の前で司祭の一人が頭を下げた。
白地のローブに袖を通した司祭たちが、扉の奥へと生徒を順々に案内していく。
それが目的なのか、目深にフードを被った彼らの顔は分からない。
顔の見えない司祭たちに示されるまま、オレたちは広い空間へと通された。
礼拝堂だろうか――広間に並べられた木製の椅子に、先に到着した生徒たちが落ち着かない様子で腰かけている。
やはり白い木材で作られた席にオレたちも並んで腰を下ろした。
視線の先にあるのは一段高い演壇だ。
演壇の上に立つ二人の司祭は、監視でもするかのように生徒たちを見つめている。
「どうしよ、内臓吐きそう」
「大丈夫よテウルゲネフ。きっと上手くいくわ」
仲良く隣に座ったアンナとレフが小さな声で溢す。
ソワソワと体を動かすレフを宥めるように、アンナはレフの手を握っていた。
眼鏡の奥で震える瞳を見る限り、少なからず彼女も緊張しているようだ。
レフに似た瞳孔の細い瞳が微かにだが揺らいで見える。
それとは逆に、ハンスは冷静沈着を着込みでもしているのだろうか。
いつも通りオレの隣を陣取ったかと思えば、顔色一つ変えずに正面に設けられた高座を睨みつけている。
「大司祭様ってどんな人なんだろうね」
「エルル、エルルレ?エルデデ?エルなんとか様だろ!」
「エルデルバルト様よ。それくらい覚えなさい」
オレの右に座ったレフが舌足らずに言い、更に右のアンナがため息をつく。
一番右に座ったユージーンも呆れ気味に微笑んだ。
「はは、でも楽しみだよな。儀式の時には直接話せるかもしれないんだろ?」
「そうらしい。大司祭と話すような事はないと思うが…」
レフをフォローするようにオレとハンスも会話に入る。
当たり障りのない事を言っておいたが、その実、大司祭エルデルバルトの事はよく知っていた。
(遂にエルデルバルトに会えるのか…!)
平静を装っているが、心の中では鼻息が荒くなる。
何を隠そう――エルデルバルトと言えば『ラブデス』の主要人物の一人。
ハンスとアイリスを導くサポートキャラクターとして登場した人物で、ハンスを助けるために神殿を訪れたアイリスに加護を授けた張本人だ。
味方の少ない二人に手を差し伸べてくれる数少ない人物でもある彼は、作中でもかなり人気が高かった覚えがある。
アイリスを推しているもあるが、二人を優しく見守るエルデルバルトの姿にオレも好感を持っていた。
反面、常に笑顔を浮かべているせいか、胡散臭いと感じる人たちも多かったようだ。
ハンスたちの良き理解者と信じられる裏で、顔からして胡散臭い、絶対に途中で裏切る、黒幕として再登場しそう――とまで言われていた。
当然だがオレは良い人と信じている。
今から会う人が、世を揺るがす極悪人なんてのは絶対に嫌だし、一ファンとしても、この地に生きる人間としても、心優しい大司祭が現れてくれる事を願うばかりだ。
(あー!緊張してきた!エルデルバルトと会話出来たらどうしよう…!?)
そんなこんなでファンならではの興奮を隠しきれないまま、オレはエルデルバルトの登場を今か今かと待ちわびていた。
生徒の大半もオレと同じように期待と高揚に満ちた眼差しで演壇を見つめている。
女神信仰の根強いこの地では、大司祭は神の代弁者として尊ばれる人だ。
大司祭に憧れや畏怖を抱くのは当たり前の事で、ここにいる生徒のほとんども、大司祭の尊顔を拝す瞬間を待ち望んでいるに違いない。
騒がしいとまでいかずとも落ち着かないそこに、扉の軋む重々しい音が反響した。
バタンと閉じられた入口に、広間のざわつきは深まっていく。
「――これより『知啓の祝福』を執り行います」
喧噪を鎮めるように凛とした声が響き渡った。
その声を合図に、高座に立っていた司祭たちが高座の後方へと移動する。
何が起こるんだと、オレも他の生徒も、演壇に意識を向けた。
シャン――。
どこかから澄み渡る鈴の音が聞こえる。
サア――。
それが凪いだ水面の音であると理解した時、目の前に柔らかな波が押し寄せた。
視線が集まった先には深い青色。
広間に集められたオレたちの前に、柔和な顔つきの男がしずしずと現れた。
(この人が………)
長く伸びた海色の髪を揺らし、その男は高座の中央で足を止める。
白銀に輝くローブを纏った青年の姿に誰しもが息を呑んでいた。
「本日はようこそおいでくださいました。不肖エルデルバルト――神殿を代表する大司祭として、そして女神様の代弁者として皆様を歓迎致します」
長い袖をゆるやかに舞わせ、胸の前に指で三角形を作る。
「まずは皆様に祝福を――アクラ・マナン」
「「アクラ・マナン」」
全員が大司祭に倣って胸の前に三角形を作る。
オレも同じように指を合わせた。
この世界の女神のことはいまだ信用していないが、形だけはとっておく。
今しがた唱えたアクラ・マナンという言葉には女神の心臓という意味があるらしい。
神、つまりは二柱の女神クーラとアースを一度に言う場合の呼称がアクラなのだそうだ。
そしてマナンには生命力、すなわち心臓の意味が込められる。
これを覚えているのは半分寝ながらでも授業を聞いていた証拠だ。
「既に説明があったかと思いますが、私からも『知啓の祝福』についてお話しましょう」
頃合いを見計らってエルデルバルトがふわりと微笑んだ。
柔和な顔つきの彼が微笑むだけで、あちこちから微睡んだような吐息が漏れる。
「知っての通り、偉大なる女神様は我々に〝知〟という宝を授けてくださいました」
優しく微笑んだままエルデルバルトは言葉を紡ぎ出した。
「〝知〟とは頭が良いという事を示すものではありません。心に気づく事、過去を心に留め未来に思いを馳せる事、あまねくマナンに寄り添い感謝する事。そういった営みこそが我々に与えられた〝知〟であると言えましょう。いつの日か女神様の御許へ還る時、培った〝知〟を女神様へと捧げる事が、我々知恵ある獣の在り様なのです」
穏やかな声に生徒たちがうんうんと頭を上下させる。
期待や興奮を越え、半ば熱狂的なその様子にオレは引き気味だ。
ぽつぽつと雑念が浮かびあがるが、何とか集中を保ってエルデルバルトの声に耳を傾ける。
「皆様がこれまで築いてきた〝知〟を目に見える形にする事こそが『知啓の祝福』。加護とは女神様によってただ与えられるものではないのです。あなた方の魂が彩られ、さらなる高みを志すために今ここに祝福を授けましょう」
「一つは空の加護を。
尊き魂によってあらゆる自然と調和する術を与えましょう」
「一つは地の加護を。
強き魂によって器を破壊し生まれ直す術を与えましょう」
「一つは海の加護を。
清き魂によって万物を癒し芽吹かせる術を与えましょう」
一際凛と響いた言葉に、礼拝堂は静まり返った。
息をするのも忘れ見入る生徒たちにエルデルバルトはもう一度微笑みを返す。
「祝福は拝殿により行われます。名前を呼びますので、一人ずついらしてください。皆様に気高き女神様の慈悲があらん事を――」
胸の前に三角形を作り、エルデルバルトは高座を降りた。
その姿が消えるまで静寂は続き、程なくしてぽつぽつと歓喜の声が溢れていく。
(宗教って怖~!)
オレが抱いた感想はと言えばこれだ。
エルデルバルトを悪く言うわけではなく、女神信仰というものが単純に気持ち悪かった。
真っ向から否定する気もないし好きにやってくれと思う。
ただし前世の記憶を取り戻してしまったオレにはついていけない領域なのはたしかだ。
オレは誕生日も正月もハロウィンもクリスマスも全部楽しみたい楽観的な人種なのである。
(……女神に良い思い出も何もないしな)
そんな失礼極まりないオレをよそに司祭たちは慌ただしく準備を進めていく。
やがて、長い巻物状の用紙を持った司祭が演壇の下に立った。
用紙を見つめ、ハリのある声を広間に轟かせる。
「――初めにデルホーク公爵家御令息、カイト・デルホーク様。どうぞこちらに」
最初に呼ばれたのはカイトだ。
祝福が与えられる順は一に爵位、二に神殿への寄付金、三に国への貢献度となっている。
この学年で公爵家の人間はカイト一人。
呼ばれるべくして呼ばれたカイトは司祭に連れられて、神殿の奥へと進んでいった。
(十中八九、原作通りの加護なんだろうな)
緊張のきの字も感じられないカイトの背中をそれとなく見つめてみる。
カイトに対するイレギュラーは少ないはずだし、オレの知るあの厄介な力を授かるのだろう。
(あ、バロッドじゃん)
ふと視線をずらすと、苛立ちを隠しきれない様子のサマルの背中が見えた。
堂々たる振る舞いで最後にやって来たカイトは最前列の中央に座っていたが、サマルは最前列から少し数えた座席の右端に腰かけていたらしい。
(あいつら仲悪いんだろうな)
二人が離れた位置に座った事に気づき、何とも言えない気持ちになった。
小説の中でもカイトとサマルは信頼し合うような仲ではなかったが、こういう姿を見ると本当に利用し合っているだけの関係なんだと実感させられる。
爵位や権力でしか物事を測れないカイトたちに、ほんの少しだが同情してしまう。
(……キッカケがあればあいつらも変われたりすんのかな)
オレのキッカケは一朝一夕に再現できるものではないが、カイトたちにも思い止まれる何かがあれば良いのにと思う。
悪役令息街道から一抜けを決めたオレは、どこか他人事にそんな事を考えていた。




