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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
1部-1章.シャルル・ミオンの学院生活①
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▽.忠犬、射手を狩る

「――3分もあれば私はこの場にいる全員を殺す事が出来たでしょう」


キース・ヴァン・トラスティーナが言い放つ。

加護術(かごじゅつ)の教師として登壇(とうだん)したキースの言葉に、ハンスは静かに怒りを灯した。

宣戦布告ともとれる発言にキースをきつく睨みつける。

自分に似た青い瞳と視線が交錯(こうさく)し――――



ハンスは目の前の机を勢い良く蹴り上げた。

教本が飛ぼうが、インクが飛び散ろうが関係はない。

刹那、大量のナイフが机に突き刺さった。

厚い木版を深々と突き刺す刃に、隣にいたシャルルの口から悲鳴が上がる。

眼前ギリギリまで迫った切っ先に動じる事もなく、ハンスは空中に浮いたままの机を蹴り飛ばした。

ドグシャッと机がひしゃげる音こそすれど、そこにキースの姿はない。

「チッ」

キースを狙ったつもりだったが、狙いの男はもう目の前だ。

左手に握られたナイフが見え、反射的に首を庇った。

ブツリ――耳に届いたそれが、刃が突き刺さる音なのか、肉を裂く音なのかは分からない。

顔の前に出した右腕に激しい痛みが走り、強く嚙み締めた歯の隙間から鈍い呻きが漏れていった。

僅かに怯んだハンスへと二本目のナイフが振り下ろされる。

冷ややかな青が無情にもハンスを見下ろしていた。

「――(いさぎよ)く死ね」

左腕を高く振り上げたキースの右足を払い上げる。

微かにだがバランスを崩したキースの顔を鷲掴(わしづか)みにし――頭ごと砕く勢いで床に叩きつけた。

石で出来た床が砕け散る。

頭蓋(ずがい)が割れる音だったのだろうか、鈍い音を聞いてようやくハンスはその手を離した。

「…………」

「……はぁ…はぁ…」

キースはぐったりと四肢を垂らし、ピクリとも動かない。

頭からはドクドクと血が(あふ)れ、へこんだ床に血だまりを作っていた。

その姿を見下ろし、ハンスはわずか数十秒で変わり果てた教室を一瞥(いちべつ)する。

一言で教室の中は阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図だった。

大声で泣き(わめ)く者、逃げ惑う者、他の生徒を盾にする者――そして既に息絶えた者。

ほとんどの者が死に絶え、運良く生き残った者は(おぞ)ましいものを見る目でハンスを見つめている。

彼らにとっては、キースもハンスもただ恐ろしいだけの怪物に見えた事だろう。

「――83秒」

その視線も一瞬で消え去った。

バタバタと倒れる彼らの顔には銀に光るナイフが突き刺さっている。

ゆらり――目を見張るハンスの前で、キースがゆらゆらと上体を起こした。

そのまま血で染まった顔を拭いもせずにハンスへと突進する。

「化け物め……!」

思わず悪態がついて出たが、その程度で動揺(どうよう)するような相手ではない。

ふらつきながらも走り寄るキースの異常さに()され、ハンスは一歩後ずさる。

(このままだとシャルルにまで被害が――)

一度だけ自身の後ろで座りつくすシャルルに視線を向ける。

このままシャルルを後ろに背負った状態でキースを迎え撃つのは危険だろう。

そう判断したハンスは腰を抜かしたシャルルを抱き上げ、窓ガラスをぶち破った。

後方の席からでは2階近い高さがあるが、キースが迫る今そんな事にこだわっている暇はない。

「………っ…!」

飛び降りる間際(まぎわ)、ナイフを放つキースの姿が見えた。

咄嗟(とっさ)にそこにいた人間を引っ掴んで盾にする。

運悪く脳天にナイフが突き刺さってしまったらしい。

鼻から血を垂らす、もはや肉塊(にくかい)となったユージーンを盾に、シャルルと共に庭園へと転がり落ちた。

「に゛ゃっ!!?」

「ぐっ…うぅ!!」

シャルルを庇って打った背中が痛い。

しかし相手は短くうなる時間すら与えてくれないようだ。

どこに隠し持っているのか、何本ものナイフが二人めがけて飛んでくる。

「シャルル!!お前だけでも逃げろ!!」

叫んで、ナイフの雨に立ち向かうが間に合わない。

ユージーンで防ぎ切れなかった数本が、走り出したシャルルを射抜こうとしていた。

「クソッ!!」

ハンスは腕を伸ばした。

突き刺さる痛みに呻きながらも、シャルルが逃げる姿を見届ける。

当然の事だがキースはその瞬間を見逃さなかった。

ほっとしたのも束の間、体重の乗った(かかと)がハンスの頭に直撃する。

「ガッ…!!?」

脳が揺れ、立っているのもやっとだ。

だがハンスもただでは倒れない。

着地したばかりのキースの腕を掴み、その体に(こぶし)をお見舞いした。

衝撃にのけぞる体を掴み寄せ、何度も拳を叩きつける。

距離を離そうとするが、それを許しては勝機はないだろう。

意地だけでキースの腕を押さえ込み、傷の深い頭に狙いを定めた。

だがキースは腕が引き千切れるのも(いと)わず身を(ひるがえ)す。

ブチブチと皮が裂け、右腕の肘から下がなくなろうと、キースはその身を弓なりにする。

「ぐっ…!?」

重心が傾きまともに立っていられない。

体勢を崩したハンスの首に、すかさずキースの両足が絡みついた。

高くまで持ち上がった両足がハンスの首を絞めつけ、呼吸を奪おうとする。

「ぐ、うぅ……!」

必死に抵抗するが息が続かない。

微かに緩んだ拘束から腕を抜き、宙吊り状態だったキースはその半身を持ち上げる。

「――お前はよくやった。だがこれで終いだ」

首を押さえつけたまま、キースはナイフを掲げた。

そして、ハンスの脳天に突き立てる。

力を失い倒れ伏したハンスから降り、キースは庭園に視線を移した。

どこまで走ろうと、どこまで逃げようと、キースの前では無意味な事だ。

その目はもうシャルルの姿をハッキリと捉えていた――



(――駄目だ)

頭によぎった光景を振り払う。

何度考えてもキースに勝てる光景が思い浮かばない。

弓、ナイフ、レイピア、素手――色々なパターンを考えるが、加護(アーク)も武器もない状態で騎士を相手取るのはあまりに難しい事だった。

仮に加護(アーク)があったとしても、無傷のまま勝利を収める事は出来ないだろう。

どうあっても踏んだ場数が違い過ぎる。

キースに与えられた騎士(ヴァン)の名が、いかに死線を潜り抜けてきたかを物語っていた。

ただの弓兵と侮る事は出来ない。

筋肉の付き方や所作(しょさ)からいっても、キースは近距離戦でもその力を遺憾(いかん)なく発揮する事だろう。

何より守るべきものがあるという重責(じゅうせき)

この場ではシャルルを守ろうとするハンスの方が確実に不利であった。

最悪逃げ切れば良いと言いたいところだが、キースが相手ではそれも叶わない。

(魔眼の射手、だったか)

魔眼の射手――それはキースが弓兵だった頃の呼び名だ。

地の加護を持ち、視力を何十倍にまで跳ね上げる事が出来るキースは、その目をもってどんな獲物をも捉える事が出来たという。

その目を前に逃げ切る事は不可能だろう。

やはりキースに勝つにはキースを打ち倒す以外にない。

キースが武器を抜く前に距離を詰めて殴る事が、シャルルを守る上では最善だろう。

武器を抜かれるようならユージーンでも誰でも盾に使うだけだ。

カイト一味を盾に出来るのが1番だが、それが出来るほど時間に余裕がないのが残念である。

そうして何度もシミュレーションを繰り返し――

「良き祝福を。皆さんが問題なく『知啓(ちけい)の祝福』を終えられる事を願っています」

糸口を探す内に授業は終わりを迎えていた。

時間いっぱい使って勝利を掴めなかったハンスは、行き場のない怒りに身を(くす)ぶらせる。

「ハンス?」

シャルルの声が聞こえるが、ハンスはキースが立っていた場所を見つめ続けた。

(このままじゃシャルルを守れない)

想像の中ですらシャルルを守れなかった不甲斐(ふがい)なさに腹が立ってしかたがない。

あまりの無力さにその顔を見る事が出来なかった。

(俺はもう二度と――)

ギリ…と拳を握りしめる。

初めからプライドなんてものはない。

ハンスはこれから成すべき事を心に決めた。


放課後、授業が終わるや否やハンスはキースの元を訪れた。

「トラスティーナ教授」

「同じ事は二度説明しないと言ったはずです」

見向きもしないどころか、内容を聞くつもりもないキースにハンスは食いかかる。

じっとその目を見つめ、一言だけ呟いた。

「――189秒」

ピクリ、キースの片眉が動く。

「俺に189秒ください」

短く告げるとキースはゆっくりとハンスの顔を見た。

氷の色を宿した青と、氷の冷たさを宿した青が交錯(こうさく)し――キースは浅く息を()く。

視線を交わした事で真意を感じとったのだろう。

それでなくてもうらぶれた雰囲気のキースは気だるげに立ち上がった。

「良いでしょう。修練場に来なさい」

そして、にこりともせず言い放つ。

ハンスは何も言わず歩き出したキースの後ろ姿を追いかけて行った。


「――無礼講といこう。僕はこの通り指を失った」


誰もいない修練場に着くと、キースは右手を上げ、手をぐっ、ぱっと開いては閉じてを繰り返す。

そこに親指から中指までの3本はない。

残った指さえ指先が欠け、皮は()けるという酷い有様だ。

「騎士にとって手は命そのもの。この手ではもう弓を()る事は出来ない」

指に留まらず手の半分が欠けた右手を見つめ、キースは無感情に呟く。

騎士(ヴァン)の名を冠するほどの達人でも、この状態では弓を捨てざるを得なかったのだろう。

「今の僕に教えられるのは座学くらいだ。ウィルフレッド、そんな僕に果たして何を教わりたいというんだ?」

無表情に、無感情にキースは問う。

ハンスはその目を真っ直ぐに見据え、答えた。

「俺に戦い方を教えてください。何度考えてもあなたに勝てる光景が思い浮かばなかった」

その答えにキースは目を閉じる。

「……馬鹿馬鹿しい」

あまつさえ真摯(しんし)に答えるハンスを一笑(いっしょう)()し、しまいには肩をすくめた。

「お前は僕を過大評価しすぎだ。騎士団にいた頃ならまだしも、今の僕にあの人数を3分足らずで殺せるわけがない。あんなものはただの騎士団ジョーク――返り討ちにあって終わるだけだ」

「だとしても――」

「それに僕が見るにお前は強い。僕が教える事なんてない」

一人話を完結させキースは出口へ向かおうとする。

その腕を掴み、取り合う様子を見せないキースへとハンスは頭を下げた。

「お願いです教授!俺には守りたい人がいるんです。絶対に守ると、そう約束した人が…!俺はその人のために強くならなきゃいけない…!」

過大評価と謙遜(けんそん)するが、キースは確実に力を秘めた人だ。

貴族でも何でもないハンスには伝手(ツテ)などないし、他に頼れる人もいない。

土下座をしてでも靴を舐めてでもこの男に(すが)るつもりだった。

恥じも外聞もかなぐり捨てるハンスにキースは遂に足を止める。

「約束――か」

ぽそりとこぼし、鼻で笑う。

それは作り笑いでも何でもない初めて感情が乗った顔に見えた。

「青い。そして傲慢(ごうまん)だ」

キースはその後に続く言葉を言わなかった。

代わりに、いくらか光を取り戻した瞳でハンスを見る。

「僕が教えられるのは殺すための戦い方だけだ。腕を食われようと、足が千切れようと、それこそ死んででも相手を殺す――そんな戦い方だ。それでも良いというなら相手をしてやる」

「構いません。殺す戦いしか出来ないあなたに勝てないようじゃ、それこそ何も守れない」

ハンスの返事にキースは今度こそ(きびす)を返す。

「加護術のある日の朝6時、ここで待っている。やる気がなければ来なくて良い」

「っ…ありがとうございます…!!」

顔をぱっと輝かせ、ハンスはキースの後ろに駆け寄った。

年相応になったその表情を見ていると、自分もまだ青かったのだとキースは感じ取る。

(約束――か。僕も始まりはそうだったな)

失われた右手に視線を落とした。

もう二度と弓を射る事はないその腕に息が詰まりそうになる。

自分でも諦めたこの身にまだ意味があるのなら――

(そうだ。僕の価値は僕が決める)

キースはふっと笑みを浮かべた。


それは再びキースの時間が動き出した瞬間でもあった。

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