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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
1部-1章.シャルル・ミオンの学院生活①
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20.子猫伯爵と猫の庭

翌日、オレは少し早く学院へとやって来た。

「おはようシャルル」

「ん、はよ。お前いっつもこんな早いのかよ」

相変わらずハンスは門の横で待っている。

涼しい顔を見る限り、今さっき到着したという感じではない。

いつもの30分は早く着いたと思ったが、それでもここにいるという事は要するにそういう事なのだろう。

普段から必要以上にハンスを待たせているという事実に申し訳ない気持ちになった。

ハンスが気にしてなかろうと、友達として見過ごせないラインというものは確実に存在するのである。

「……明日からは時間決めようぜ」

「分かった。シャルルがそう言うならそうしよう」

ついでにこうして門で待つハンスを不審な目で見る生徒も少なくない。

今日はまだ見当たらないようだが、カイトに(ゆかり)のある者たちは一人門に立つハンスを鼻で笑っているようだった。

面と向かっての悪口に至ってないだけマシと捉えるべきか。

しかしそれもいつまで持つのやら――オレがそこまでの風除(かぜよ)けになれるか(はなは)だ疑問ではあるし、ハンスに無駄な時間を過ごさせない方が堅実(けんじつ)だろう。

ぼんやり考えながら人の往来の少ない校庭をハンスと共に歩いていく。

ハンスがオレの隣を歩くのも、すっかり見慣れた光景だ。

「今日は随分早いようだが、用事でもあるのか?」

「んー、会いたい奴がいて」

「は?」

一瞬、とてつもない重圧を感じた。

恐ろしく鈍く低い声が聞こえた気がするが、ハンスに限ってまさかそんな事は――。

「ハ、ハンス…?」

「どうかしたか?」

ぎょっとしてハンスを見上げるが、ハンスの様子はいつも通りだ。

にこにこともしていないが、機嫌が悪いといった感じでもない。

(気のせい…だよな?)

きっとオレが気にしすぎているだけだ。

『ラブデス』の顛末(てんまつ)を重ねて不必要に怯えているだけなのだろう。

今のところ殴られる要素はないのだし、恐れる事など何もない――はずだ。

臨戦態勢(りんせんたいせい)を取り始めた逃走担当のオレを押し込めつつ話を切り返る。

否、元に戻した。

「えーと、庭園に猫が住み着いててさ」

「もしかして灰色の?」

「灰っていうか薄紫?そいつに会いに行くつもりなんだけどハンスも――」

「行く」

スミレの事を話したついでに誘ってみると、ハンスは食い気味に返事をした。

「ハンスって猫好きなの?」

「好きだ。動物の中で1番愛らしいと思う」

「じゃあ一緒だ。可愛いよな~、猫」

「………ああ、可愛いな」

もしやと思い聞いてみると、やはりハンスも猫が好きなようだ。

照れ臭そうに頬を緩める顔には〝猫が好き〟と書いてあるようにも見える。

ハンスには自分のような人間が猫を好きという事に気恥ずかしさがあるようだが、そんなものは関係ない。

猫が好きな奴に悪い奴はそうそういないのだし、共通の話題が見つかったオレは嬉しくなってスミレとの出会いをハンスに語った。

それにハンスと猫の組み合わせも悪くない。

不器用なハンスが捨て猫に傘を差し伸べる――なんて王道な一幕があっても良いくらいだ。

(3巻にあったりしてな)

オレの知っている『ラブデス』2巻までにはなかったが、3巻以降ならそんな話もあったかもしれない。

猫と戯れるハンスを想像するとオレの頬も緩くなった。

「鍵は…かかってないみたいだな」

一面木製の扉の前に立ち、ハンスはゆっくりとドアハンドルを回す。

時間が時間だけに心配だったが、朝早くから庭園への道は開かれているようだ。

教室へ向かう生徒たちからはずれ、オレとハンスは庭へ下り立った。

どちらから出ても大差はないが、オレたちが使ったのは東側の通用口だ。

学院は座学用の教室や食堂のある中央棟、実験などの実技科目を行う東棟、修練などを行う西棟の三棟に分かれていて、それぞれの棟の間に庭へ繋がる扉が存在している。

棟と棟の間に細く広がる、ベンチと広葉樹が並ぶ道を抜ければ、昨日も歩き回った迷路のような庭が見えてくる。

「あった!ここ、ここ!」

庭園の(すみ)に駆け寄り、昨日も潜り抜けた茂みの前に立つ。

茂みの下にできた穴を抜けようとすると、体がふわりと持ち上がった。

「ちょ、待てって!!何すんだよ!?」

「服が汚れる。それにこっちの方が早い」

突然の事に暴れるが、どうやらハンスに抱き上げられたらしい。

慌てるオレを意にも介さず、ハンスは軽々と茂みを飛び越えた。

急に体が軽くなり、直後全身に重力が圧し掛かる。

「ひえっ!!!」

目まぐるしく変わる視界に恐怖が押し寄せて、気が付いた時にはハンスに抱きついていた。

首に手を回すだけでは足りず、足でもハンスにしがみつく。

「大丈夫か?」

「お、おおぉ…、何とか……」

何とかと言いつつ全然大丈夫じゃない。

今のオレはさしずめ木の幹にくっついたカブトムシだ。

(うぅ…かっこわる……)

重くないかとか聞きたい事はいっぱいあるのに、恥ずかしさが上回って何一つ聞けそうにない。

降りるタイミングを失ったと言うべきか、体が動かなかったと言うべきか、ハンスにしがみついたまま庭の奥へ奥へと進んでいった。

「ここで良いのか?」

「ん、降ろして」

昨日と変わらない景色を前に、オレはようやくハンスから降りる事が出来た。

涼しいどころか、かえってスッキリとしたぐらいのハンスの表情が何だか憎たらしい。

オレ一人運ぶくらい造作もないという事か。

ガッツリひっついたつもりだったが、あの程度ではびくともしない鋼の肉体が少しだけ羨ましくなった。

だがそんな事よりも今はスミレだ。

鞄から猫用の餌を取り出しスミレの名前を呼ぶ。

「スミレー?」

しかしスミレは現れない。

「出てこないな」

「んー…寝てんのかな?おーい!スミレー?」

もう一度呼んでみるが返事はなかった。

代わりに丸太の影からぬん…と不機嫌丸出しの顔が現れる。

「うわっ!スミレ?どうしたんだよ?」

「ミ゛ャ」

低い声を発し、スミレは心底嫌そうにハンスを一瞥(いちべつ)した。

見ず知らずのハンスを警戒しているのだろうか。

「こいつはオレの友達。大丈夫だからそんな顔するなって」

「ハンスだ。その、酷い事をするつもりはない。良かったら姿を見せてくれないか?」

「ほら、スミレ。怖くないだろ?な?」

ハンスも体を小さくしてスミレに手を差し出した。

友好の第一歩、餌やりである。

クリスティアンが持たせてくれたジャーキーをスミレの傍へ持って行き――

「ン゛ミ゛ャッ!!」

しかし、スミレはどうあってもハンスの事が気に入らないらしい。

目にも留まらぬスピードでハンスの手を引っ掻いた。

血こそ出なかったが、ハンスの手の甲には3本の線がくっきりと刻まれている。

「あっ!スミレ!」

オレが(しか)るのも何のその、スミレは丸太に飛び乗り前足を舐めた。

一仕事終えたと言わんばかりのふてぶてしい態度である。

それどころかハンスを見下ろす顔は、恐れのおの字もなく勝ち誇ったように悠然(ゆうぜん)としていた。

(あ、警戒じゃねーなこれ)

自慢げに鼻息を立てるスミレにオレはピンとくる。

猫の中にもヒエラルキーというものは当然存在するわけで、今この瞬間、スミレの中ではハンスが一番下の下っ端(したっぱ)になったようだった。

「残念だったな、ハンス。お前が1番下だってよ」

「嫌われてないなら良い」

憐れみを込めて告げてやるが、ハンスもこの程度でへこたれる気はないようだ。

懲りずに手を伸ばし――けれどスミレはその手を華麗に(かわ)しオレの足にすり寄ってくる。

何が何でもハンスに触らせるつもりはないらしい。

あまりにあからさまなスミレの態度に、オレはハンスを憐れみつつも噴き出しそうだった。

「スミレ……」

その上、項垂(うなだ)れるハンスはまるで叱られた直後の大型犬だ。

しゅんと耳を垂らすかのような様子に、ついつい笑いが隠せなくなってしまう。

「そう落ち込むなって。ほら、スミレには子供もいるんだ。みんな可愛いだろ~!」

誤魔化すように丸太の後ろを覗き込むと、昨日と同じように子猫たちがもぞもぞと動き回っている。

必死に取り繕っているが子猫を前にハンスもメロメロのようだ。

スミレにつなれなくされた事も忘れ、じっと子猫たちを見つめている。

「黒いのがクロで、こっちのまだらがサビ。女の子がモモな」

スミレが見守る中、ハンスにも子猫たちを紹介する。

「触っても良いのか?」

「たぶん。オレじゃなくてスミレに聞いた方が良いと思うけど」

「スミレ、触っても――」

「ウ゛ニ゛ャウ」

オレの言葉を()に受けたハンスは律儀にスミレに許可を得ようとする。

その言葉を(さえぎ)って、スミレはどっしりと丸太の上に腰を下ろした。

オレンジの双眸(そうぼう)にハンスを捉えてはいるが、先程のように引っ掻くつもりはなさそうだ。

「しかたないわね――だって」

「スミレ…!」

それっぽく伝えるとハンスは目を輝かせた。

完全にスミレの尻に敷かれているが本人が幸せなら良いとしよう。

恐る恐る子猫たちに手を伸ばすハンスを横に、オレはスミレの頭を撫でてやる。

「よしよし、ありがとな」

「ニャウン」

ウニャウニャ喉を転がして喜ぶスミレと共にハンスの一挙手(いっきょしゅ)一投足(いっとうそく)を見守る事にする。

震える指先で子猫をちょんちょんと突つく姿は微笑ましいを通り越して面白かった。

「びびりすぎだろ」

「だが潰してしまったら……」

「そんくらいじゃ潰れないっての。ほら、手出して」

ハンスに両手を出すように指示を出す。

受け皿のように開かせた、オレより一回りも大きい手の上にモモを乗せてみた。

「そのままだからな」

「あ、ああ!」

モモは固い手の上が嫌だったのか、収まりが悪そうに転がり回っている。

今にも落っこちてしまいそうなモモをオレの膝に移し、今度はサビを乗せてみた。

「うーん、サビも駄目か」

「俺が不甲斐ないばかりに…」

緊張が伝わってしまったのか、モモに曲がれ右をするようにサビも落ち着かない。

ジタバタ暴れるサビもオレの膝に放り込んだ。

スミレはオレの膝で丸くなる二匹の毛づくろいに夢中になっている。

本人には言えないが、ハンスの匂いが付いたのが気に入らないのだろう。

「じゃあ最後にクロ」

震えるハンスの手の上にクロを置く。

大柄なクロは3匹の長男といったところだろう。

中身も1番お兄ちゃんなのか、ハンスの手のひらにぺったりお腹をつけてくつろいでくれている。

かじかじと甘噛みをしたり、手のひらを舐めてみたり、図太くもハンスの味見に興じているようだ。

「お!クロはハンスのこと好きだって!」

「そうか…。ありがとう、クロ」

嬉しそうに微笑んでハンスはゆっくりとクロを自身の足の上に移動させる。

空いた手で背中を撫で、ふわふわの毛を堪能していた。

「実は猫を抱っこするのは初めてなんだ」

「まあ、慣れてない感じあったもんな」

「スミレがそうだったように、いつも引っ掻かれて終わりだ。こんな風に触れる日が来るなんて思いもしなかった。ありがとうシャルル」

クロを撫でながらオレの顔を覗き込む。

(こんなに近かったっけ――)

青い瞳に見つめられると言葉が出てこなくなった。

『ラブデス』を通してハンスを見てきたオレでさえ見慣れない、溶けてしまいそうなくらい優しい青色に目が離せない。

小説のハンスでも、皆が知るハンスでもない、オレだけが知るハンスにひどく優越感を覚えてしまう自分がいた。

この表情を知るのがオレだけだったら良いのにと、そんな事まで考えてしまう。

(――そりゃ憧れの相手が現れて、優しくされたら誰だって嬉しくなんだろ)

テレビの向こうで輝く芸能人やアイドルと同じ、本来なら絶対に手の届かない人物。

オレにとってハンスはそういう存在だ。

近づけば踏み込むのが怖くなり、遠ざかれば追いかけたくなるような。

仲良くなりたいと願いながら、それすら烏滸(おこ)がましいと思ってしまうような近くて遠い隣人。

恥ずかしさとも、後ろめたさとも違う居心地の悪さに耐えきれず、オレはバッと立ち上がった。

「そっ、そろそろ戻った方が良いよな!」

サビとモモをすかさずキャッチし、持ってきた餌と一緒に丸太の(うろ)に作られた巣の中に戻す。

最後にスミレを撫で、オレの準備は万端だ。

「これ置いてくけど食べ過ぎるなよ?あと今日は見送りしなくて良いからな」

「ミャン!」

ハンスもクロをそっと巣の中に戻し、再びスミレに対峙(たいじ)する。

「スミ――」

「ニ゛ャッ!!」

ちょっとやそっとじゃ気は変わらないようで、スミレはハンスの手をするりと躱した。

歯をむき出しにし、触るなと顔に(しわ)を寄せている。

そんなスミレに苦笑しつつ、オレたちはその場を後にした。

「また来ても良いか?」

「当たり前だろ。クロだって待ってるんだし、今から触れ合えばサビとモモだって懐いてくれると思うよ。スミレは……分かんないけど」

「そうか…!良かったらまた誘ってくれ!」

期待からかハンスが顔を輝かせる。

先は長そうだが、スミレたちが学院を去るまで、そこまで掛ればスミレは無理でも子猫たちくらいなら気を許してくれる事だろう。

(いざとなったらうちの庭に住んで貰えば良いしな)

オレとてそこまで馬鹿(バカ)ではない。

名前をつけた以上、最後までスミレたちの面倒を見るつもりだ。

ハンスとスミレの戦いはこの先もずっと続くのだろう。

この時はすっかり忘れていたが、この後すぐオレはまたハンスにしがみつくカブトムシになっていた。

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