18.子猫伯爵とまんまる毛玉
あれから数日、初日のいざこざが嘘のように穏やかな日々が続いている。
きっと全ての災禍があの一日に集結していたのだろう。
カイトがオレの傍に来たのも最初の二日だけで、それ以降は実に静かなものだった。
おおかた貴族派への勧誘だろうが、向こうから関わらないでくれるならそれに越した事はない。
ハンスともカイトとも友達になる――そんな器用な真似はオレには無理だろうし、この距離感を保ち続けてくれるなら大変有難いわけである。
ハンスとの付き合いにもだいぶ慣れてきた。
変にお節介な部分も多いが、慣れてしまえばそれも愛嬌である。
ハンス―正確には他人にだが―に優しくされて悪い気はしないし、要注意人物が多い学院では傍にいてくれるだけで単純に心強かった。
ハンスの母親が作ってくれるお菓子も絶品だ。
いつでも腹ぺこのオレの話を聞いてハンスにお菓子を持たせてくれているそうだが、どうしても高級なものばかり口にする今、家庭の味ともいうべき素朴なクッキーやカップケーキには一味違う美味しさがあった。
餌付けされているだけの気がしないでもないが、そんなこんなでハンスとは良い関係を築けているように思う。
この調子なら、ちょっとやそっとの事でハンスが殴ってくる事だってないはずだ。
光明が差し始めた未来に、オレの気持ちも随分と軽さを増しつつあった。
ユージーンとの仲も変わらずである。
新興派同士の付き合いがあるらしく常に一緒にいるわけではないが、ユージーンとも顔を合わせれば話をする間柄になった。
授業でつまづく事もなく、オレの学院生活は順調に進んでいる。
今日はといえば一人学院の散策に明け暮れている真っ最中だ。
だだっ広い庭園を歩き回り、お菓子休憩に良さそうな場所を探し続けている。
お上品なお坊ちゃんお嬢様が庭の冒険などするわけもなく、オレは一人気ままに庭を練り歩いた。
(お!あそこ入っていけそうだな!)
整備された庭園の片隅に、裏側に入って行けそうな隙間を発見する。
茂みと茂みの間、地面スレスレの穴を通り抜ければ奥へと侵入できそうだ。
いかにもな気配にオレはいそいそと体を滑らせた。
服に土汚れがつくのもお構いなしだ。
「よいしょっと。ふぅ…、思ったより長かったな」
頭についた葉っぱを払いつつ、植え込みの向こう側に移動した学院を振り返った。
先程までとは違い、視界に映るのは学院の上側だけだ。
放課後にも関わらず学院の中にはまだたくさん人がいるようで、誰かまではハッキリしないが外からでも廊下を歩く人たちが確認できる。
ユージーンも今頃あの中で清掃に駆り出されている事だろう。
寮を利用する者の義務というやつだ。
ハンスは家の手伝いがあるからと授業後すぐに走っていった。
一人で探索するというオレに、これ以上なく不安そうな顔をしていたが、そんなに頼りないとでもいうのだろうか。
たしかにハンスに比べると小さいかもしれないが、これでもオレだって160近くあるし、精神年齢だけならハンスよりもずっと年上だ。
あからさまに心配されてしまうと立つ瀬がなくなってしまう。
苛立ち半分にハンスを追いやり、こうして穴場の探索をしているのが今というわけである。
一息ついたところで探索再開――
「ミー」
そう思ったところで声をかけられ、オレは足を止めた。
甘えるようなその声に、オレは自分が話しかけられたのだと直感する。
「ミー」
やはり聞き間違いではない。
再び聞こえた声にオレは足を踏み出した。
迷路のようにそびえたつ植え込みの間を抜け、声の方へと一歩、また一歩と歩み寄る。
ガサゴソと茂みを越えた先には、薄紫色の猫が座っていた。
「ミゥ」
「どうしたんだ?迷子か?」
猫の前にしゃがんで話しかける。
ちょこんと芝生の上に座る姿はどの角度から見ても愛らしい。
大きく育ったその猫は、こちらを警戒する事なく座り込んだままだ。
じっとオレの瞳を見つめ、その後に重そうな腰を持ち上げる。
「ついて来いって?」
「ミ!」
薄紫の猫は振り返って小さく鳴いた。
オレの返事を待たず、まん丸の尻をオレに向けてさらに奥へと歩いて行く。
てってっと軽い足取りで歩く猫を見失わないよう、オレもスピードを上げた。
「おーい、待てってば」
シャルルは昔から猫に懐かれた。
今のように猫の方からシャルルに歩み寄ってくれるのである。
シャルルとして生きていた頃のオレは猫に触るのが苦手だったが今のオレは違う。
寄ってくる猫は1匹残らずもふもふした後お帰り頂いた。
当然この猫も近寄ってくるというのなら思う存分もふもふするつもりだ。
とはいえ、かつてのシャルルも別段猫が嫌いだったわけではない。
猫をはじめ小動物を相手にすると、壊してしまうのではないかと思って触れなかったのだ。
液体のように伸びたり縮んだりする猫はその代表格で、〝ねこしゃ、ねこしゃっ、しんじゃうぅ~!!〟と床まで伸びった猫を引きずりながら父に泣きついた事もあった。
(あの時は姉さんに笑われたな)
幼い頃から美人だった姉が腹を抱えて笑っていたのを思い出す。
懐かしくも小恥ずかしいその記憶を頭から追い出しつつ、オレは猫との追いかけっこを続けた。
こっちだと言うようにミーミー鳴いて、猫は奥へ奥へと進んでいく。
「ミャ~ン」
かなり奥まった場所まで来た頃に、ようやく猫は足を止めた。
置きっぱなしになっているスコップやバケツ、手入れの行き届いてない生え放題の低木を見るに、人が来る事は滅多にないのだろう。
閑散とした庭の片隅に気をとられるオレを呼び戻すように、猫は乾いた丸太を軽々と飛び越えてみせる。
そして自身がすっぽり隠れる丸太からの先から、頭だけをぴょこりと覗かせた。
「ミア!」
丸太の影に目当てのものがあるらしい。
上から丸太の裏を覗き込むと――そこには3匹の子猫がいた。
「ンミー」
「んにゃにゃ…んにゃ…」
「みゃう?うみゃあ?」
目が開いたばかりなのだろうか。
パッチリと大きな瞳をさらに大きく開き、3匹は不思議そうにオレを見つめている。
オレを連れてきた猫は3匹の母親で、可愛い息子たちを自慢したかったらしい。
丸太の上に移動した彼女は得意げに尻尾を揺らしている。
「よしよし、よく頑張ったな」
猫の習性からいってもこの母猫はたった一人で子供を産んだのだ。
頭に手を置くと母猫は自ら愛撫を受け入れてくれた。
ぐりぐりと頭をこすり付け、もっと褒めろと言わんばかりに撫でられにくる。
そうして一通り撫でられるのを満喫すると、オレの袖を銜えて子猫の方へと引っ張っていく。
「こいつらも撫でろって?」
「ミア!」
「太っ腹だな~!お前ももっと撫でてやろうな~!」
まだ小さい子猫を潰さないように優しく指で触れる。
右手で子猫を、左手で母猫をもふり続けた。
母親に似て肝が据わっているのか、子猫たちもみゃーみゃー愉快な声を上げている。
「お前も大変だったんだろ」
わしゃわしゃと腹を撫でる左指に、突っ張った感触が触れる。
鳥にでも襲われたのだろう、母猫の腹には猫同士の喧嘩にしては大きすぎる傷が残っていた。
運良く、あるいは逞しくもここまで辿り着いた彼女は、そのまま学院の庭に住み着いたという事だろう。
彼女の苦労を思い、一等優しく傷を撫でてやる。
「スミレ」
何の気なしにそう呼んでやると母猫は耳をピンと立て反応した。
「気に入った?」
「ミャン!」
短く鳴いて彼女はオレの周りをぐるぐる走り回った。
毛色そのままの名前だが気に入ってくれたのならばオレとしても気分が良い。
スミレ――それはかつてオレが暮らしていた国の言葉だが、優しい薄紫の毛を持つ彼女にはぴったりの名前だろう。
気が済むまでオレの周りをぐるぐる走り回って、スミレは今度は子猫たちに鼻を押し当てた。
そしてオレの顔を見上げ、また子猫に鼻を押し付ける。
「ミゥ!ミ!」
「オレが名前つけて良いの?」
「ミャミャ!」
スミレは子供たちの名前も欲しいようだ。
贅沢な奴め――そう思うのも可愛さ故か。
見たところ子猫はオスが2匹、メスが1匹で、3匹とも毛色が違う。
オスの1匹は銀灰1色で、もう1匹は銀灰の中に黒がまばらに混ざり合った錆猫に似た毛色だ。
メスは母猫譲りの薄紫の毛と白のブチ模様だ。
瞳の色は皆よく似たオレンジだった。
「うーん、女の子にブチはあんまりだよな」
考えてはみるがオシャレな名前なんてものはまるっきり思い浮かばない。
薄々分かってはいたが、オレにそういうセンスはなかった。
結局、見たまま以上の名前をつける事はできず、最初に思い浮かんだ名前を口にする。
「よし!単色のがクロで、まだらがサビ、んでもって女の子がモモでどうだ!」
紫と白が混ざれば限りなくピンクに近いという事にしておこう。
指を差しながらスミレに名前を教えると、理解しているかどうかは分からないが、彼女は満足そうに鳴いてくれた。
その丸っこい頭をもう一度撫でしてから腰を持ち上げる。
スミレたちとの別れは名残惜しいが、あまり遅くなる前に帰らなければ――。
「変な奴に見つかんなよ?」
強風が吹くだけでころころ転がっていってしまいそうな子猫たちだ。
心配になって忠告すると、スミレは周りに落ちていた葉っぱで子供たちを包み込んだ。
大事な子供をせっせと隠し、今度はオレの足元をちょろちょろと歩き回る。
見送りまでしてくれるという事だろう。
「なんだよ、子供のそばにいて良いのに」
「ミャ~」
甘えた声でスミレはオレについてくる。
だが人に見つかって良い事はないだろう。
「またな、スミレ」
「ミャミャミャ」
学院に近づいたところで声をかけると、一声だけ返事をし、スミレは茂みの中に駆けていった。
あっという間に姿を消し、オレの元には大量の抜け毛だけが残されている。
その抜け毛さえ愛らしく感じるのだから動物とはズルいものである。
「明日からエサもってこよ」
軽くゴミを払いながらオレは顔を綻ばせる。
学院での楽しみがまた一つ増え、上機嫌のまま帰路へと着いたのだった。




