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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
1部-1章.シャルル・ミオンの学院生活①
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▼.ユージーン・アーチボルト

昔から何かを知る事は嫌いじゃなかった。

知らない事があれば知りたくなるし、分からない事があればすぐに聞いて回る。

それが僕の普通で、僕の生き方だ。

もちろん何もかもを知れるわけじゃない。

大人に聞いても分からない事はたくさんあるし、本を読んでも書いてない事はどこにでも転がっていた。

それでもより多くの事が知りたくて、僕は神学院の扉を叩いた。


入学式から数日が経った頃、教室の中で一人座りつくす少年が目についた。

名前はたしかハンスだっただろうか。

初日に行われた紹介で一度聞いただけのため自信はない。

「どうしたんだ、ジーン」

一人きりの少年を見つめる僕を不思議に思ってか、友人が肩を叩いた。

思わずハッとすると、彼もあの少年に気が付いたようだ。

「ああ、あいつ。ウィルフレッドだろ」

「知ってるの?」

「知ってる…というか有名じゃん。デルホーク様の機嫌を損ねたのって、あの平民だよ」

カイト・デルホークの名はよく知っている。

この国でも(わず)か3家しか存在しない公爵家の一人息子だ。

とても同じ年齢とは思えない体格と、機転の早さ。

堂々とした佇まいから何から何まで全て、住む世界が違うと感じさせる雲の上の人だ。

新興派の僕が関わる事はほぼないが、パーティーでも学院でも彼という存在は常に輝いていた。

教室の隅に座りつくす彼は、どうやらそんなデルホーク様に目をつけられてしまったらしい。

ただでさえ貴族主義の根強い国だ。

貴族派筆頭候補の恨みを買ったとなれば、なるほど、誰も近づかないのも(うなづ)ける。

「でもしかたないよな。平民だから悪いとまで言わないけど、学院に来るなら立場ってのを知っておくべきだったとは思うよ」

「でも学院の理念は生徒はみな平等だよ」

「え?まさか真に受けてるのか?あんなもの上辺だけだろ」

学院の理念はたしかに平等を掲げている。

学問は誰にでも開かれるもので、生まれ持った身分で優劣をつけるものではないと(うた)っていた。

(理想は理想に過ぎない――か)

最初にその理念を聞いた時は心が躍ったものだ。

でも実際にはそんな事はない。

平民や貧民に生まれたら最後、苦労の連続だ。

学院に入るまでの学習は自ら取り組むべき事で支援がされる事はないし、学院に入ってからも差別と侮蔑(ぶべつ)の中を生き抜いていかなければならない。

貴族の目につき誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を受けようと、彼らにはそれを証明する手段も、権力も、財力も何もかもが足りなかった。

ハンスもまたそうなのだろう。

誰もデルホーク様には逆らえないし、下手に味方をしようものなら自らの首を絞めるだけだ。

同じ平民でさえ我が身可愛さにハンスに触れようとはしない。

ただの数日で暗い影を(まと)う彼に、胸がぎゅっと締め付けられる。

「変なこと考えてないよな?」

「変なこと?」

「……あの平民に関わるなってこと」

いつになく険しい顔だ。

「あいつに関わるなら、お前との縁は切らせてもらうからな。お前だってデルホーク様たちの機嫌を損ねたらどうなるかくらい分かってるだろ?お前に付き合ってうちにまで火の粉がかかるのは御免だからな」

バッサリ言い捨てる彼に僕は無理やり微笑んだ。

「分かってる。そんな事しないよ」


――ああ、でも僕は、この選択を一生後悔し続けるのだろう。


結局僕は最後までハンスに声をかける事は出来なかった。

友人を捨てる事も、家を裏切る事も出来ず、見て見ぬふりを続け3年を過ごしたのだった。

何度も声をかけようとしては友人の影に怯え、デルホーク様の圧に震え――そしてハンス本人の憎悪を前に足が震えるだけだった。

分かっている。

何の関係もない平民一人の犠牲(ぎせい)で済んだのなら、それはとても安い事だ。

僕の安寧が彼の苦しみの上にあったのだとしても、もう彼に会う事はないのだろうし、過ぎ去った事を気にするだけ時間の無駄でしかない。

それでもふと思い出す。

あの時の選択は間違っていたのだと。

僕の中の正義はとっくの昔になくなっていたのだと。

誰かに手を差し伸べる度に、何て事はない幸福に感謝する度に、かつての僕が僕を偽善者と言って嘲笑(あざわら)った。


――あれから5年が過ぎた冬の日。

女神の月が始まった今日、どこもかしこもがお祭り騒ぎで賑わっていた。

城下にも屋台が並び、この期間に至ってはハイタウンもロータウンも関係なしに盛り上がっている。

()()う人の多さも普段の比ではない。

一度でもぎゅうぎゅう詰めの中に入ってしまえば、出てくるのは容易な事ではないだろう。

その中を黒い影が横切っていった。

(あれは……)

見間違いだろうか。

もう何年も見ていないハンスが歩いて行ったように見えた。

その顔は朗らかで、柔らかな視線が下の方へと注がれている。

相手が誰かまでは分からないが、そんな事はどうだって良い。

(――ああ、良かった)

僕は今、やっと救われた気持ちになった。

ずっと気がかりだった事が晴れ、自然と笑みがこぼれ出る。

分かっている。

彼を救いたかったわけじゃない。

僕はただ、僕が救われたかっただけだった。

それでも――それでも僕は、彼にもたらされた幸福に心から感謝した。


そして、僕は再び神学院の扉を叩いた。

「初めまして、ユージーン・アーチボルトです。これから皆さんと一緒に基礎言語を学んでいく事になります。基礎言語とは言いますが、この授業は主に礼節について勉強します」

昔から何かを知る事が好きだった。

知らない事があれば知りたくなるし、分からない事があればすぐに聞いて回った。

今度は僕がそれを教える番だ。

「礼節とはただ敬語を使えば良いというものではありません。相手の心を知り、(おもんば)る事が最も大切な事です。これは歴史を(かんが)みても分かりやすい事でしょう」

あれから数年、僕は学院の教師を務めている。

彼は今、何をしているのだろうか。

僕たちの道は交わる事はなかったけれど、僕にとって彼は大きな意味を持つ人となった。

もちろんあの日の後悔が消える事はない。

それでも今の僕があるのは、ハンス・ウィルフレッド、彼との出会いがあったからだ。

次に会う事があるのならば、その時こそ友達になれるだろうか。

その時にはちゃんと声をかけられたら良いなと思う。


――誰の意志でもない、僕自身の意志で。

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