14.子猫伯爵と陣取り合戦
ハンスとの強制エンカウントに始まり、カイトとの追加エンカウント。
さらには180度越えの手のひら返しという怒涛の一日を終え、オレは清々しい朝を迎えた。
(いくら何でもイベントが多すぎんだよ)
心の中で愚痴を垂れるが、この思いが女神に届いたとは思えない。
姉女神クーラはともかく、妹女神アースは慈悲深いというのだし、少しくらいオレを労わってくれても良いのではないだろうか。
神話を鵜吞みにするわけではないが、女神の恩恵も何もないオレは深呼吸がてら大きく息を吐き出した。
「よし!行くか!」
心配して張り付いてくる父たちを引きはがし準備万端の馬車へと乗り込んだ。
その日の天候や馬の体調によって左右されるが、家から学院までおよそ3時間。
6時には家を発ち、大人しく馬車に揺られるのがオレの仕事だ。
午前に3時間、昼に1時間、午後に3時間が学院の基礎スケジュールである事を考えると、移動も含め約半日が学業に吸われる事になっている。
2日おきに休みがあるのだし、そこまで苦ではないと信じよう。
(これもいまだに慣れないよなぁ)
この世界『聖なる大地クーラ・アース』のひと月は27日と定められている。
1週間は9日周期で、3週間でひと月が過ぎる計算だ。
学院での1週間も2日行って1日休みを3回繰り返す形になっているのだが、前世の記憶のせいで感覚がぐちゃぐちゃになってしまいそうだった。
ちなみにこの世界にも四季があり、3カ月ごとに季節が移り変わっていく。
おおむね前世の暦と似たようなものだろう。
特筆すべきは1年の終わりから始まりの間にある『女神の月』だろうか。
12カ月とは別に女神の月と呼ばれる9日間が用意されており、この1週間は女神への感謝を捧げると同時、翌年の豊穣を願ってのお祭り騒ぎとなるのだ。
この特別な9日を含めて合計333日がこの世界の1年という単位なのである。
何かにつけて3という数字を担ぐのは翼ある獣が3人だった事になぞらえての事らしい。
(分かりやすいと言えば分かりやすいのか…?)
どのみちオレがする事と言えば食うか寝るかの二択だ。
執事のクリスティアンが用意してくれた朝食をいそいそと広げ、晴れ渡る空を眺めながらガレットを口に放り込む事にした。
食べ応えのあるジャガイモたっぷりのガレットは腹持ちも良さそうだ。
もぐもぐと本日二度目の朝食を腹の中に収めていく。
(うーん、もうちょい何とかなんねーかな)
今日も変わらず燃費の悪い腹をさすり、最後の1枚になってしまったガレットを名残惜しくも平らげた。
粉とじゃがいものおかげで口の中はパサパサだ。
乾いた喉を潤すために、革の水入れに入ったぶどうジュースを一気にあおる。
柔らかさと弾力のある水筒は持ちにくく、馬車の揺れも相まって油断をしたら中身が零れてしまいそうだった。
(んげ、口の中ベタベタする)
ハンカチで口を拭くがそう簡単にべたつきはとれてくれそうにない。
これも前世と違う点だが、この世界には水を飲む文化がなく、通常的にエールなどのアルコールやミルクが飲料水代わりに使われている。
衛生問題が第一だろうが、これにはヨナの影響もあるのだろう。
悍ましい怪物ヨナを海、ひいては水を結びつける事はけして珍しい話ではない。
そういった側面からも水を飲む風習が根付いていないように思えた。
オレの知識でも簡単なろ過装置くらいなら作れるとは思うが、そうまでして水を飲みたいかと問われると悩むところでもある。
つくづくオレは異世界開発とやらに向いていないという事だろう。
あるものを程よく活用してのんびり暮らせればそれに越した事はなかった。
(着くまで寝るか……)
腹ごしらえを終えたオレはクッションを抱きしめる。
少し硬い感触に違和感を感じるが、こればかりはしかたがない。
よだれの犠牲になったお気に入りのクッションは今頃領地で日向ぼっこでもしている事だろう。
――ガタゴトと馬車に揺られてしばらく。
学院につくと門のすぐ脇にハンスの姿が見えた。
一人黙って腕を組み、登校する生徒たちを見つめている。
遠目には睨んでいるようにしか見えないが、たぶん見つめているだけなのだろう。
「シャルル!」
不審に思いながらも近づくと、ハンスはパッと顔を輝かせた。
どうやらオレを待っていたらしい。
「何やってんの?」
「シャルルを待っていた」
「今のはオレの聞き方が悪かった。何でこんなとこで待ってんの?」
「一緒に教室に行こうと思ったんだが……」
「教室で待ってれば良いじゃん」
あらゆる意味で何をやってるんだという感じだ。
いかに前世の記憶が曖昧とはいえ、門で出待ちする人間は初めて見たのではないだろうか。
気にしても仕方がないのでハンスを引き連れ教室へ向かう事にする。
座学用の教室は学年に関係なく学院の1階だ。
まだ実技のない最初の内は、ほとんどを昨日と同じ教室で過ごす事になる。
「昨日はよく眠れたか?」
「んー、まあ」
やたらと体調を気にするあたり、やはりハンスは心配性なのだろう。
適当に相槌を打って教室までをやり過ごし、昨日と同じ席に腰を下ろした。
オレのような怠け者が教卓前に座ったところで教師の癇に障るだけだろう。
ハンスを避ける必要もなくなった今、眺めの良いこの席が1番という結論に至ったのである。
「1限目って何だっけ?」
「神学だ。ヨナの起源について進めると言っていた」
「あー、言ってたな。えーと、教本教本……」
右隣にハンスが腰かけ、手早く授業の準備を完了させる。
オレもそれに倣い見た目だけは整えておいた。
目の前に分厚い教本を置き、左側にインク壺とペンを転がしておく。
真面目に授業を受けるかどうかは、授業が始まってから決めるつもりだ。
(けど……)
チラリと隣に座るハンスを見つめる。
この正義漢の横で船を漕ごうものなら、すぐさま小突かれてしまうのではないだろうか。
「眠いなら寝て良いぞ。板書は俺がしておく」
「え?あ、うん」
しかし予想外にもハンスはオレを小突くつもりはないようだ。
それどころか板書までしておいてくれるというサービス付きだ。
至れり尽くせりのハンスに感動するばかりだった。
――だからこそ。
(絶対寝ねぇ)
ハンスにそんなパシリのような真似はさせられない。
悪役令息脱却のためにもオレはちゃんと授業を受けようと決めた。
女神のせいかどうかも知らないが、くだらない運命の思い通りになどなってたまるものか。
誇らしげなハンスの顔を見ていると余計にそう思う。
しかし、お前のそれは優しさじゃないぞ――呆れ半分に言ってやるつもりの言葉は音になる事はなかった。
代わりに昨日1日で聞き馴染んでしまった声が耳に届く。
「ここは眺めが良さそうだな」
嫌なくらい堂々とした声。
その声に耳を疑い、何より目を疑った。
「ああ、ミオン。調子はどうだ?昨日はあまり体調が優れなかったようだが?」
「タ、あっや、大丈夫…です」
カイト・デルホーク。
オレの一つ前の席を陣取ったその男がオレを見てにっと口角を持ち上げる。
(は…?何で…?)
うっかりタコ野郎と言いかけて、かろうじて続きを飲み込んだオレを褒めたい。
だがそれ以上に怒りとも焦りとも呆れともつかない感情の波が押し寄せた。
(何でまたカイトが突っかかってくんだよ…!?)
カイトが前の席に陣取ってこようとは誰が想像できただろうか。
予定外もいいところのカイトの言動に心の中で今日一番の叫びを上げる。
まだ授業すら始まってないが、これが今日一番であろう事は容易に予測できた。
(どんだけハンスが嫌いなんだよ)
目をつけられたとは思っていたが、まさかこんな形に出られるとはハンスだって考えもしなかっただろう。
ハンスの表情も晴れから曇りへと変化し、今にも雷雨が降りそうに見えた。
一方カイトは上機嫌だ。
ハンスにねめつけられようと動じる様子は一切ない。
「何だ、まだ自分の立場が分かっていないのか?」
「お前には関係ない事だ」
「ハッ…とうとう取り繕う事もやめたか。お前のような野犬に敬われたところで虫唾が走るだけだがな」
「負け犬は引っ込んでろ」
「俺が負け犬だと?ハッ!番犬気取りが良い気になるなよ」
二人の間にはバチバチと盛大な音を立てて火花が散っている。
貴族だとか平民だとか関係なしにこの二人は反りが合わないのだろう。
険悪なハンスと笑顔を崩さないカイトの睨み合いは、放っておけばどこまでも続きそうだった。
2日目にして開幕してしまった諍いに、冗談抜きに頭痛が痛くなる。
本音を言えば昨日のように他人のフリをしたいがそうも言ってられないだろう。
このままハンスに任せておいても悪手になるだけだ。
オレは二人の間に割って入る。
内心は心臓が飛び出しそうなほどドキドキだ。
「あー…こいつ、敬語とか全然ダメで。オレから言っておきます」
にへらっと笑うオレをカイトの目が捉える。
そうでなくても力強い深緑の瞳に見つめられると、恐怖のあまり動けなくなってしまいそうだった。
「野犬じゃなく飼い犬だったか。それは失礼したな」
「ははは…どうもすみません……」
どう見ても目が笑っていないのはさておき、事なきを得たらしい。
物言いたげな顔で見てくるハンスの頭を押さえつけ、形だけでも頭を下げさせておいた。
カイトはそんなハンスに一瞥をくれる。
「ここが神学院である事に救われたな。だが噛みつく相手を間違えるなよ。お前の偽善が誰を追い詰めるか…少しは足りない頭で考えてみろ」
最後に言い捨てて、カイトは取り巻きたちが待つ中央の席へと戻っていった。
仮にも平等を謳う学院だ。
いかにカイトが公爵とはいえ学院の中では上も下もない。
もちろんそれは便宜上の事でしかないが、あっさり引いたという事は、今すぐに表立って動くつもりはないという事なのだろう。
引き際を弁えるカイトに、今日のところはほっとする。
「!」
目で追っていたカイトがこちらを見てふっと顔を緩めた。
ハンスに対する威圧的な雰囲気とあまりにかけ離れた笑みに、思いがけずドキリとしてしまう。
悪い事をしたわけでもないのに顔を逸らしたくなった。
(ああ、でも――)
カイトに熱狂するファンが多かった事にも頷ける。
顔良し、家柄良し、頭良し、体格良しの未来の公爵がモテないわけがないのだが、それを抜きにしてもカイトには人を惹きつける力があった。
タコ野郎と知っているオレでさえ良い奴だと錯覚しかけるのだから相当である。
ハンスとのやり取りだって〝礼儀のなってない平民と勇敢にも注意を促す公爵様〟に見えていた事だろう。
この教室の中にもカイトに熱っぽい視線を向ける令嬢はたくさんいるようだった。
肩書き以外ならハンスも負けていないと思うが、結局ここは貴族主義者たちの巣窟だ。
ハンスが日の目を見る事はないのかもしれない。
そしてオレも――。
学院での3年間はハンスとつるんで終わりそうな気がして溜息をついた。
「…………おい、ハンス」
依然としてカイトを睨みつけたままのハンスを見やる。
「せめて敬語使えよ。昨日は使ってただろ」
「昨日は場を収めたかっただけだ。あんな奴に頭を下げる必要はない」
小言を言うとハンスはツンとそっぽを向いた。
案外子供っぽいところもあるようだ。
ふふっと笑みをこぼすと、ハンスは顔をむっとさせる。
怒っているというよりは困っているといった感じだ。
「……シャルルの手を煩わせてしまった」
「平気。つーかそこ気にするなら敬語使えよ」
「う…、それは……」
珍しく言葉を濁すハンスにまた笑みがこぼれ出る。
カイトが厄介な事に変わりはないが、ハンスとなら何だかんだ楽しくやっていけそうな気がした。




