13.子猫伯爵とひとやすみ
ふっ…と意識が舞い戻る。
どうやら夢を見ていたようだった。
覚醒した意識を寄せ集め、ぼんやりと霞む情景を思い起こす。
何かに導かれたようなそんな夢だった。
今はもう思い出せないそれが、ひどく懐かしいと同時に胸をえぐる。
(……覚えてない事なんていっぱいあるのにな)
実のところ、オレは自分が死んだのかどうかすら分かっていない。
シャルルでありながらシャルルではない記憶を持つ状況から、そうなんだろうと思っているだけに過ぎなかった。
反面、覚えていない事にほっとする自分もいた。
通り魔に刺されたにしても、トラックに轢かれたにしても、死というものはどうあっても痛く苦しいもののはずだ。
どうせシャルルには必要のない記憶だ。
考えるだけで恐ろしい最期を覚えていないのなら、それはそれで良かった。
それに今はシャルルとして生きているのだ。
使える記憶の活用こそすれど、思い出せない事にまで固執する意味はないだろう。
今を生きるのにさえ精一杯なのに、過去までほじくり返したってしかたがない。
楽観が過ぎるかもしれないが、そうやって今のオレと昔のオレとの間に折り合いをつける事にしたのだ。
もっとも今も昔もオレがシャルルである事に違いはない。
どうしても小さい頃の自分を別物のように俯瞰しがちだが、結局それもオレ自身の事でしかないのだ。
気に食わないと言うだけで使用人に冷たく当たった事も。
勉強がうまくいかないのを家庭教師にして辞めさせた事も。
急な心変わりと思い付きで他人に無理難題をふっかけた事も全て、オレが背負うべき過去なのである。
子供の我儘で済まない横暴も多々ある気がするが、取り返しがつかなくなる前に己を顧みる事が出来ただけ救いがあると思っておこう。
かつての価値観のおかげもあって、人よりも早く自分の愚かさに気が付く事が出来たのは不幸中の幸いだった。
そんな中、ハッキリ区別をつけているのは『ラブデス』の中のシャルル・ミオンだ。
オレが成りえたかもしれない未来の姿が重く圧し掛かり、ああはなりたくないとひた願う。
(大変なのはこれから――だよな)
オレの、あるいはハンスの物語は確実に動き出したのだ。
『ラブデス』の内容を思い出してからの2年間、準備と称した現実逃避をしてきたわけだが、ここまで来たら先に進む以外に道はない。
仲良くなったとはいえ機嫌を損ねれば殴られるかもしれないし、やはりこの3年間を乗り越えられるかどうかにオレの生活が掛かっているのだろう。
平穏な学院生活を送る――ただそれだけの事が試験なんかよりもよほど難しいのだから、困ったものである。
当初の予定とは変わってしまったが、出来るだけ穏便に、何より楽しく3年間を過ごせるよう立ち回らなければ。
そうして悠々自適の自由気ままな生活を――そこまで考えたところで深い赤色と視線が絡み合った。
「シャルル?目が覚めたのかい?」
ベッドにすっぽり収まったままのオレを、父が不安げな顔で覗き込んでくる。
オレが眠った後もずっと手を握っていてくれたのだろう。
掴まれた手は父の温もりに包まれていた。
どうりで温かかったわけだと納得したのも束の間、目の下のクマが一層酷くなったように見える父の顔が目につき、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ごめんなさい」
「どうして謝るんだい?悪い事なんて何もしてないだろう?」
「父さんたちに心配かけたから、ごめんなさい」
瞳を伏せると父は物憂げに微笑んだ。
どこか寂しさが交じった眼差しに、このままでは父の方が倒れてしまうのではないかと不安になってしまう。
ここは父の業務を気に掛けるクリスティアンのためにも一肌脱ぐべきか。
オレはもぞもぞとベッドの片側へ移動し、ここが空いていると示すように弾力のあるマットを叩いた。
「一緒に寝る?」
「シャルル…!」
父は感嘆の声を漏らすと、すかさずベッドに滑り込んだ。
こういう時に躊躇わないところがあまりに父らしくて思わず笑ってしまう。
目に入れても痛くないを地で行く父も同じように笑ってくれた。
「学院で友達が出来たんだ」
「それは父さんも安心だ。シャルルの友達なら、きっと素敵な子だろうね」
一つのシーツを分け合って、学院での事を父に話す。
父の心労が増しそうなのでカイトについては触れないでおこう。
「一緒にロータウンに行ってハサミパン食べたんだ。美味しかったよ」
「ハサミパン?」
「パンの間にハムや玉子が挟んであるやつ。これから流行るかもしれないって」
「なら品薄になる前にシャルルに連れて行ってもらおうかな」
お世辞にもオシャレではない肉屋に入る父の姿を想像して笑いそうになる。
大口をあけてハサミパンを頬張る姿も思い浮かばないし、父にはナイフとフォークが必要な事だろう。
とはいえ上品にハサミパンにありつく姿は滑稽で、想像とはいえ噴き出してしまいそうだった。
口角をにんまり持ち上げるオレを見て、父はふっと瞳を細くする。
「シャルル。逃げる事はけして恥ずかしい事じゃない。学院に通う事が世の中の全てではないのだし、辛くなったらいつでも辞めて構わないからね」
オレの髪を撫でながら父は言う。
その優しさに甘んじてしまうオレも駄目なのだが、この温もりに抗えというのもまた難題であった。
「私たちはいつでもお前の味方だ。それだけは忘れないでくれ」
ぽんぽんとお腹のあたりを優しく叩いて、父はまた物憂げに微笑んだ。
眠気を誘う声色に、ふわぁ…とあくびが零れ落ちてしまう。
「おやすみ。私の可愛いシャル」
むにゃむにゃと唇を動かすオレの額にキスが贈られる。
いまだ慣れない習慣だが、慣れたふりをしてにへらっと笑った。
「おやすみ、父さん」
父の腕に抱かれながら瞼を閉じる。
こうして、いやに長く感じる一日が終わりを告げたのだった。




