12.子猫伯爵と伯爵邸
ハンスと別れてから2時間余り。
眠るオレを起こさないようゆっくり走ったからだろうか。
ミオンの領地に着いたのは、辺りが薄暗くなってからの事だった。
青かった空も、紫と茜色とがちょうど半分に混ざり合い、夜を迎える直前といった様相に変わっている。
「おかえりなさいませ、シャルル様」
正門の前で馬車を降りると、家付きの執事クリスティアン・エインワーズが出迎えてくれた。
正式にはランド・スチュワートと呼ばれる使用人の長らしいが、オレにとって執事は執事、それ以上でも以下でもない。
単にランド・スチュワートやらバトラーやら無駄に種類の多い用語を覚えるのが面倒なだけだが、クリスティアン以外に執事はいないのだから問題はないだろう。
「旦那様が談話室でお待ちになっております」
薄っぺらい荷物を受け取って、クリスティアンがにこやかに微笑んだ。
どうやら父―おそらくは兄と姉も―がオレの帰りを待っていたらしい。
「記念すべき学院生活の幕開けでしたからね。シルビア様だけでなく、スコール様まで一仕事終える度に学院に行くと仰っておりましたよ」
クリスティアンが楽しげに声を転がすと、年齢によって刻まれた皺がさらに深くなった。
平然と言ってのけているが、家の中はさぞ騒々しい事だっただろう。
自由人の姉シルビアだけならまだしも、しっかり者の兄スコールまで騒ぎ立てていたというのだから、使用人たちは大変だったに違いない。
そんな今日の領地での出来事を聞きながら、クリスティアンと共に門からエントランスまでを繋ぐ石張りのアプローチを歩いて行く。
白を基調とした道は一つの汚れも許さないかのようにピカピカだ。
短く切り揃えられた芝生も、まん丸にカットされた低木もみな、いつ誰が来ても恥ずかしくない仕上がりだった。
しかし何度歩いても思うが玄関までが遠い。
大理石か天然石か知らないが十数メートルではきかないアプローチの次は、なだらかなカーブを描いたスロープが待っている。
玄関の左右両側に伸びたゆるやかな階段を上り切ってようやくエントランスへとたどり着いた。
「お開け致します」
オレの後ろを歩いていたクリスティアンが一歩前へ出る。
無駄に背の高い両開きのドアを押し開ける姿は老け込んだ見た目に寄らずパワフルだ。
オレが生まれた頃にはすでに執事だったと言うし、70歳は下らないだろう。
ずっと一緒に生活していた事もあって、お祖父ちゃんといった方がしっくりくるくらいだ。
顔とは逆に皺一つない燕尾服を着こなす姿もかっこいいものである。
端役のシャルルの関係者だけあって『ラブデス』に登場する事はないが、もしクリスティアンが登場していたならばさぞ人気が出た事だろう。
血の繋がりも何もないが、お祖父ちゃんっ子のオレが言うのだから間違いはない。
「旦那様も帰ってこられてからずっとシャルル様の事を気にかけておられました。随分早くに戻られたましたので、老婆心ながら明日の業務が心配で心配で……」
「ははは、オレからも言っておくよ」
「それは助かります。私めの言葉は聞き届けて頂けなくとも、シャルル様のお願いであれば聞いてくださる事でしょう」
付き合いの長いクリスティアンとは冗談めいたやり取りをする事も多い。
彼が誠心誠意ミオン家に仕えてきた証であり、ミオン家からの信頼の表れと言えるだろう。
そうしてクリスティアンと話をしながら、談話室のある西棟を目指す。
仮にここでオレが〝行かない!寝る!〟と暴れてもお咎めはないだろう。
クリスティアンの仕事が増えるだけなので実践はしないが、そんな幼稚な事が許されるのがシャルル・ミオンという人物だった。
そして目の前に迫る扉の向こうには、シャルルの我儘を許す甘い家族が待っている。
「エインワーズです。シャルル様をお連れ致しました」
再びクリスティアンが一歩前へ出る。
コンコンと軽くノックをし、中からの返事を確認してからドアを開けた。
「学院はいかがでしたか――とお尋ねしたいところですが、私が先に聞いてしまってはなりませんね。シャルル様さえ宜しければ、旦那様方の後にぜひお聞かせください」
クリスティアンが頭を下げ、オレの背中を見送った。
開かれた談話室に足を踏み入れると、これまたにこやかな家族がオレを迎え入れてくれる。
「ご苦労だったね、シャル」
優雅にお茶を嗜んでいた3人が一切にこちらに振り向いた。
1番大きな椅子に腰かけるのがラドフォード・ミオン。
シャルルの父であり、ミオンの家と領地を統括するミオン伯爵その人だ。
「おかえりシャルル」
「大丈夫だった?私たちがいなくて寂しくはなかった?」
駆け寄ってきたのは兄のスコールと姉のシルビア。
オレよりもずっと大人な二人は両側からオレを抱きしめ、半ばオレの取り合い状態だった。
「スコール。シルビア」
「はい、父上」
「分かってますわお父様」
父に咎められ、二人は大人しく椅子へと戻った。
かといってオレは解放されたわけではない。
微笑む父に促され、オレよりも逞しい父の膝の上へと腰を下ろす。
「ただいま父さん」
「おかえり。今日は慣れない事をして大変だったろう?」
柔和な顔つきの父がオレの頭を撫でる。
こうして父たちに弄ばれる――もとい可愛がられるのもいつもの事だった。
「授業中はお腹空いたけどそれくらい」
「好きに食事をとれるようにしてあげられれば良いのだけどね。王立の学院じゃなかったら手を回せたというに……」
「休憩時間あるし平気だってば。学院に行くって言ったのはオレだし、授業中くらい我慢できるよ」
「シャル…!こんなに立派になって……!代わりにたくさんおやつを持てせてあげようね。食べたいものがあればクリスティアンに言いなさい。いくらでも用意させよう」
「分かってる」
王立機関でなければ本気で規則を曲げにかかったのだろう。
これ以上不穏な事を言い出す前に父の口をテーブルに置いてあったクッキーで塞いでおく。
「ん!」
「食べさせてくれるのかい?シャルは優しいね」
ゆるやかに垂れた目尻をさらに下げた父はデレデレと頬を緩めクッキーに齧りついた。
髪と同じ赤褐色の瞳も半月の形に細くなる。
その瞳の下にうっすらと見える暗い影が、王城に勤める父の多忙さを物語っていた。
中立派という立場上、貴族派と新興派の板挟みにされ大変なのだろう。
「シャル、分からない事があったら聞くんだよ。勉強でも何でも教えてあげるからね!」
「あらお兄様はお忙しいのですからお仕事に集中なさってください。シャルの面倒は私が責任もって見ますからご心配なく!」
バチバチと火花を散らすのは11個上の兄と9個上の姉だ。
一回りも違う二人は20歳を越え、兄は伯爵代理として領地の管理を任されている。
姉は基本的に自由人だが、〝魔女〟の異名で呼ばれるくらいその筋では有名らしい。
父譲りの柔和な顔つきながら力強い眼光を持つシルビアには、たしかに魔女と呼ばれるにふさわしい美しさと妖しさがあった。
スラリと高い背と腰までを覆うゆるいウェーブのかかった髪。
そして嫌でも目に付く豊満な胸がその妖艶さに拍車をかけている。
オレよりも少し暗いワインレッドの髪は毛先にかけて明るさが増し、一筋縄ではいかない大人の魅力を感じさせた。
シルビアが悪役令嬢として暗躍する作品があると言われたら、迷わず信じてしまうだろう。
髪からドレスまで赤と黒に染まった彼女は、稀代の悪女と謳われても不思議ではない魅力に満ちていた。
とはいえ姉は悪女でもなければ悪役令嬢でもない。
まして本当の魔女などでもなく、いわゆる占い師のようなものだった。
「シルビアこそ僕と違ってパーティーに出るのに忙しいんじゃなかったかな?」
「まあお兄様ったら!仕事とパーティーは別物でしょう?お兄様の仕事はなまけるわけにはいかないでしょうけど、パーティーは休んだところで問題になんかならないわ」
「君に仕事を頼みたい人はたくさんいるんだ。そういう人のためにもパーティーに出るのが君の役目だろう?」
なおもバチバチと火花を散らし続ける兄と姉。
わざとらしくにこにこ笑う兄の顔つきも父に似た優しい雰囲気のものだった。
パーマをかけたような強い癖毛は、隔世遺伝なのか茶色が強く出た赤色だ
この柔らかな髪質と赤い色もミオンの特徴だろう。
垂れた瞳もやはり父と同じ赤褐色で、兄と姉が並ぶと背格好も相まって双子のようだった。
口を揃えて〝似てない!!〟と憤るのも似た者同士故というものだ。
父はそんな二人を温かい目で見つめている。
見慣れた光景というのもあるが、いわばこれはオレの取り合いだ。
シャルル争奪戦に勝利済みの父には、穏やかな心で二人を眺める余裕があった。
「分からない事があれば二人を頼りなさい。二人にとっても教える側に回るのは良い経験になるだろう」
攻守が代わってクッキー挿入口と化したオレは、父が運ぶクッキーをせっせと頬っぺたに詰め込んでいた。
もっきゅもっきゅとクッキーを頬張り、時折ミルクたっぷりのコーヒーで流し込む。
体質のせいもあるが夕食前にお菓子を食べるなと叱られる事もない。
「あのさ父さん」
「何だい?何でも言ってみなさい」
父を見上げ、帰ったら聞こうと思っていた事を尋ねてみる。
「ティタって名前聞いた事ある?」
ティタとは『ラブデス』のヒロイン、アイリス・ティタの事だ。
ハンスと仲良くなったついで、アイリスの動向も探ってみようと決めたのだ。
「家名という事で良いかな?」
頷くと、父は少し悩んだ後に首を振った。
「私が知りうる限りでは聞いた事がないな。他国の名誉貴族までは把握していないから、その中にならいるかもしれないね」
「学院のお友達?」
「シャルが気になるなら調べようか?」
「ん-ん。ちょっと気になっただけ」
兄と姉がオレの顔を覗き込む。
だがオレがクッキーを頬張り始めればこの話はお終いだ。
(……アイリスを見つけるの難しいか)
クッキーを口に放り込みながら考える。
過去編にて名家のお嬢様として描かれるアイリスだ。
何かしらの爵位があると踏んでいたのだが、どうやら当てが外れたようだった。
王城に勤めて長い父が知らないとなると、ティタを名乗る貴族は存在しないとみて良いだろう。
(ハンスみたいなパターンもあるしな)
爵位がなくても商家などの大きい家は家名を持つ場合がある。
雇用主の娘ともなればお嬢様の扱いを受けていてもおかしくはないのだし、アイリスもそういった家の生まれだったのかもしれない。
(やっぱりアイリスを見つけるのはハンスに任せるしかないか)
オレが知っているのはアイリスの名前と容姿だけだ。
名誉貴族だけならまだしも、途方もない数の一般市民の中からアイリス・ティタという目的の一人を探し出すのは容易な事ではない。
それも他国までとなると、藁の中から針を探すようなものだ。
ただでさえ忙しい父たちの手を煩わせるわけにもいかないし、心苦しいがアイリスの探索は一度諦める他ないだろう。
(せめて3巻まで読めてれば……)
3巻まで進めばアイリスの出自についてもっと詳しく触れていたかもしれない。
そう思うと余計に辛くなる。
悲しい事だが、間もなく最新刊発売というところでオレの記憶は潰えていた。
(いや…、3巻は発売したんだっけ……?)
ふと本を手に取った時の感覚が蘇る。
何冊も重なった平積みの書籍。
普段は通らない帰り道。
妹が何かを言っていた。
そして――――
「シャルル!!!!」
父の叫び声に驚き、それ以上に安堵する。
一瞬、自分がどこにいるか分からなかった。
真っ暗で、恐ろしくて、冷たくて――息が出来なかった。
「父さん、オレ……」
汗で濡れるオレの額を拭い父は優しく笑う。
努めて冷静に、オレに心配させまいと微笑んでくれたようだった。
「今日は随分と疲れたようだな。無理をせず休んだ方が良い」
「そうだよ、シャル。まずはひと眠りしよう」
「いつ起きても良いようにデザートを用意させておくわね」
そのまま抱き上げられ、自室のベッドへと寝かされた。
オレを抱きしめる力強い父の腕も、心配そうに微笑む兄の瞳も、額に口づけてくれる姉の温もりも、全部が優しくて涙が零れそうになる。
「おやすみ、シャルル」
父の大きな手がオレの頭を撫でる。
オレが眠りに落ちるまでずっと、父はそうしてくれていた。




