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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
1部-2章.シャルル・ミオンの学院生活②
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91.子猫伯爵と紡錘の誘い

ピチョン――。


ピチョン――――。


髪を濡らす水の冷たさに意識が覚醒する。

「ここ、は……」

泣きじゃくったせいなのか喉がカラカラだ。

掠れた声を(こぼ)し、オレはゆっくりと目を開く。

「…………」

ぼーっとする頭では、何故こんな場所にいるのかが思い出せない。

廃墟とでも言えば良いのだろうか。

泥とレンガに覆われた薄暗い空間がオレを見下ろしていた。

夏を間近にしているのが嘘のように指先は冷たく、体を包むじっとりとした嫌な冷気に体を震わせる。

ブルリ――と頭の先から足先まで悪寒が抜けていった。

(そうだ、オレ……)

突き刺す冷気が意識を鮮明にする。

オレは自分の身に起きた事をありありと思い出したのだった。

「いっつ…!?」

思い出したついでに体が痛む。

ずっと同じ姿勢をとらされていたのか、少し動かすだけでも、じんじんとした痺れが広がっていった。

踏みつけられた甲は青く腫れ、何をしなくても鈍い痛みを感じさせる。

「クソ痛ぇ…。男のくせにあんな高いヒール履きやがって…」

ズキズキと痛む手を睨み、半泣きになりながらも傷を治していく。

体と外気に流れる神力(しんりょく)を意識すると、すぐに光が集まり全身の痛みを和らげていった。

場違いなくらい柔らかな光が消える頃には、(こう)に広がっていた青あざもすっかりと元通りだ。

痛みも消え、ぐっ、ぱー、と動かしても何の違和感もない。

完全回復した体に、こんな時ばかりは海の加護で良かったと心の底から感謝するのだった。

しかし――

「……取れそうにはないか」

重く鈍い音に、何も解決していない現実を突きつけられる。

左足に()められた足枷が、オレの体をこの不気味な場所へと縛り付けていた。

非力なオレの手でどうこう出来る代物ではないだろう。

コツコツと軽く叩いてみたものの、足枷も、そこから伸びる太く長い鎖も固い音を鳴らすばかりだった。

ただ一つ分かるのは、すぐに殺すつもりはないという事だ。

不安に押しつぶされそうになりながらも、誰もいない空間を見渡してみた。

(ここ、どこなんだろ)

幸いにも、オレが転がされていたのは薄汚いベッドの上だった。

気持ち程度のボロボロのシーツは汚く、マットも木が入っているんじゃないかというくらい固かったが、何もないよりはマシだろう。

(神殿……っぽいよな)

地面を()う鎖に気を付けながらベッドの脇に腰かける。

頭上からは水滴が零れ、壁や床の至る所には(こけ)がむしていた。

元は白色だったのだろう。

積年の汚れと風化によって青黒く淀んだレンガが窮屈そうにオレを閉じ込めている。

かろうじて息苦しさを感じないのは、目の前を遮る赤錆のついた鉄格子のおかげだ。

閉じ込められている時点で息が詰まってしまいそうなのはたしかだが、何もない空間に放り込まれるよりは視界が開ける分、開放感を覚えるのだった。

もちろん、本気でそう思っているわけではない。

少しでも平静を保とうと、この廃神殿(はいしんでん)と思しき場所の良い点を、躍起(やっき)になって探そうとしているだけだ。

その努力も虚しく、オレに黒い影が突っ込んでくる。

「んあああああっ!!!!」

猛然(もうぜん)とオレ目掛けて飛んできたのは黒光りする甲虫だ。

最も嫌いとするアレではない気もするが、突進された時点でパニックに陥ったオレには種類など関係がない。

ベッドに倒れ込み、固いマットの上をジタバタと泳ぐのだった。

「無理!!無理だって!!こんな場所ぉ…!!!!」

良いところを探そうとしたが無理なものは無理だ。

壁にも床にも天井にも、大嫌いな虫が張り付いている。

部屋の隅には虫が集まり、天井にはいくつもの蜘蛛の巣が張られ、地面の上には説明するのも嫌な虫の数々が歩いているのだ。

意識をした途端、ブブブ…やらカサカサ…やら、身の毛もよだつ(おぞ)ましい音が耳を撫で、右に左とにベッドの上を転げ回った。

小蠅(コバエ)にすらびびって体を跳ねさせるのがオレだ。

気持ちの悪い虫が大量にいる場所で過ごすなんて到底耐えられない。

前世にも増して温室育ちになってしまったオレには、むき身の虫が飛び交っている光景は、とてもではないが落ち着いていられるものではなかった。

「ひー!!おもしろ!!」

突如、声が降ってくる。

暴れるオレに降ってきたのは、虫の発する音以上に嫌な声だった。

笑っているようで突き刺すようなその声に、オレは虫に襲われている事も忘れビクリと体を震わせた。

冷たい汗が背筋を濡らし気持ちが悪い。

「虫嫌いなんだ?そいつは悪い事したな」

「……っ……昨日の」

「お、案外と時間感覚はしっかりしてんだな」

気配も何もなかったはずのそこに男が立っている。

当然と言えば当然だが、鉄格子の向こうからオレを覗くのは、オレたちを襲った男の一人だった。

真っ白いフードを被った出で立ちは、昨日見た時のままだ。

ゆったりとしたロングコート姿は司祭そっくりだが、細かな装飾や色合いは司祭のものとは違うらしい。

鳥ではなく、魚を模したような意匠(いしょう)が施されている。

「ぐっすり眠れたか~?」

施錠(せじょう)など(はな)からしていなかったのだろう。

鉄格子の扉を蹴飛ばし、男はオレの傍へと近づいてきた。

見たところ背の高い方の男はいないようだ。

この男と同じように、突然湧くように出てくるのかもしれないが。

「な、何が目的だ……?」

本音を言えば関わりたくない。

だからといって、ただ捕らえられているわけにもいかないだろう。

口の軽そうなこの男が何か滑らせてくれないかと、淡い期待を込めて声をかけてみる事にする。

「そりゃ気になるよな。でも残念。ただの悪人ごっこなの、これ」

「悪人ごっこ……?」

「おままごとした事ない?あんたがママで俺がベイビ~♪今やってるのはそれと同じってわけだ」

しかし男はわけの分からない事を言うばかりだった。

こんな場面フィクションでしか知らないが、普通はもっと別に言う事があるのではないだろうか。

困惑するオレの前で、男がにっと口角を持ち上げる。

今は口布をしていないようで、裂けたような口がよく見えた。

「ああでも俺は良い子だからね。ママの嫌いな虫は退治してあげちゃおっかな」

風――だろうか。

何かが頬に走ったと思った瞬間には、壁に張り付いていた虫の全てがいなくなっていた。

耳障りな羽音もなくなり、代わりにくっちゃくっちゃとより一層気味の悪い音が耳を(なぶ)る。

「はい、掃除終了♪」

「う、おぇ……」

笑顔を浮かべる男の前で、間髪入れずにオレは嘔吐(おうと)しそうになった。

大口を開けて虫を食べる姿が目に入り、あまりの醜悪(しゅうあく)さにえづいてしまう。

理解出来るか否かはさておき、この世界にも前世にも食虫の文化がある事は知っている。

それでもオレは虫を食べようなんて思った事はないし、オレの周りにもそんな事をしようという猛者(もさ)はいなかった。

生きたままの虫を口の中に放り込むなんてもっての他の話である。

(頭おかしいだろ……)

虫なんかよりも、この男の方がよほど怖くて気味が悪い。

まるっきり意思の疎通(そつう)が出来ないわけではないが、そこには未知のものに対面する恐怖があった。

「俺、良い子?」

「は……?」

「だから俺良い子かって聞いてんだよ」

フードの影から覗く瞳が突き刺さる。

(はい)とも(いいえ)とも答えられずにいると、もう一人の男が戻ってきたようだった。

「何をしている?」

「おままごと。ママが虫嫌いって言うから掃除してやったんだ。で?そっちはどうだったよ?」

これもいつもの事なのだろう。

さして気にする様子もなく、背の高い男は麻袋を投げ捨てる。

聞き馴染みのある金属の擦れるような音に、それがお金である事はすぐに分かった。

硬貨の種類までは判別出来ないが、パンパンに膨らんだ袋を見るにかなりの金額だろう。

「金貨200枚――お前を殺すのに渡された金額だ」

男がさもつまらなさそうに呟いた。

気味の悪い男の手前、動けずにいるオレをねめつけてから麻袋を足蹴(あしげ)にする。

蹴られた衝撃で金貨が零れ、汚い地面へと散らばっていった。

告げられた言葉にオレは呼吸も忘れ、金貨が詰め込まれた袋を見る。

それがオレの価値なんだと突きつけられているようで、そこに落とされたものがオレの命なんだと言われたようで、頭が真っ白になった。

(オレ、殺されるんだ……)

直面した死というものに、上手く頭が働かない。

何か言わなければと思うのに、ひどく乾いた喉は張り付き、思うように声が出なかった。

あまりに強い恐怖のせいだろう。

殺される――そう思っても涙が出る事はおろか、叫ぶ事すら叶わなかった。

「今度は泣かないんだ?」

「ようやく死を覚悟したという事か?」

震える吐息を(こぼ)すしか出来ないオレの前に二人が立つ。

オレを見下ろし、ゆっくりと手を伸ばした。

首を絞められるのか、刃物で斬られるのか、それとも――嫌な考えばかりが頭を(よぎ)っていくオレの前で、長身の男がポケットに手を突っ込む。


そして――コインの一枚を指で弾いた。


金貨とも少し違うコインが天井近くまで高く跳び、くるくると回って落ちてくる。

そのコインを掴んだのはやはり背の高い方の男だ。

コインを握りしめた手を、オレのすぐ前へと突き出してくる。

「殺す前にゲームといこう」

「ゲ、ゲーム……?」

「今日を含めて10日――それまでに誰かがこの場所を見つけ、お前を助ける事が出来たらお前の勝ちだ。そのまま見逃してやろう。誰も助けに来なければ俺たちの勝ちというわけだな」

「お友達に祈るだけなんだから簡単だろ?10日経つまであんたにも、あんたのお仲間にも手出しはしない。このコインと同じで二つに一つ、生きるか死ぬかのサバイバルゲームってやつだ」

開かれた手の平の上には表向きのコインが乗っている。

しかし突然ゲームだなんて言われても理解が及ばない。

すぐに殺されないと考えれば、たしかにそれは有り難い限りだろう。

だとしても、ただの善意や同情で持ちかけた話じゃない事だけはオレにだって理解出来る。

「そ、そんな事して、何の――」

「楽しいから」

食い気味にオレの言葉を遮って、口が軽い男が笑った。

「楽しいからやるんだよ。なあ?」

「そうだ。不平等になってはいけないからな」

背の高い男の方もにいっと口角を上げて笑う。

口が軽い男よりいくらかマシなだけで、この男も相当にイカれているのだろう。

人の命をゲームとして賭ける時点で普通ではないのだ。

有無を言わさぬ圧に、オレはごくりと息を呑む。

(拒否権はないって事か……)

オレが(うん)と言わなくても、この二人はゲームを開始するだろう。

どのみち断る理由もない。

猶予(ゆうよ)をくれると言うのなら、貰っておくべきだ。

オレに出来るのは待つ事だけかもしれないが、それでもこんな場所で死ぬわけにはいかない。

(そうだ。皆に会うんだ)

もう一度、会いたい。

父に兄に姉に、クリスティアンにもナサニエルにも――ハンスにも。

何も伝えられずに死ぬなんてそんなのは御免だ。

お礼の一つも言えずにお別れなんて、絶対にしたくない。

何よりオレは皆を信じている。

(皆ならきっと、オレを見つけてくれる)

これ以上不安に呑まれるかと、下腹に力を入れる。

きゅっと唇を結び、にやにやと笑う男たちを真っ直ぐに見据えた。

「覚悟は決まったみたいだな?」

「……ん。ルールは守れよ」

(いぶか)しく思いながらも男たちの提案に乗る。

ゲームの開始を宣戦するように、オレはコインを受け取ったのだった。

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