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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
1部-2章.シャルル・ミオンの学院生活②
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90.子猫伯爵とほつれたボタン

ナサニエルは時計を見る。

時刻を確認しては仕事に戻り、少しするとまた時間を確認する。

時計がない場所では外を見つめ、なかなか戻らない主人の帰りを待った。

「ナサニエル?大丈夫か?」

「別に」

「上の空になっている。シャルル様が心配なのは分かるが、そんな(ざま)では従者(ヴァレット)失格だ」

祖父であり執事長であるクリスティアンに注意を受けるも、ナサニエルの意識は屋敷の外へと向いていた。

時刻は午後6時――いつもならとっくに帰って来ている頃合いだ。

耳をそばだて、まだ小さな主人を運ぶ馬の声を待ち侘びる。

(こんな体じゃなきゃ俺が行くんだけどな)

仕事が忙しい事を理由に御者(ぎょしゃ)を譲っているが、問題となるのは学院に張られた結界の方だ。

シャルルがすぐ横にいてくれるなら何とか堪えられそうなものだが、簡単に揺らいでしまう体であの結界の近くにいく事は避けたかった。

不祥事を起こし主人の顔に泥を塗るなんて、それこそ従者(ヴァレット)失格だ。

ナサニエルは自らの過去を呪い、顔を見せないシャルルの事ばかりを考える。

(これさえなきゃ身分偽ってでも学院通うってのに……)

せめてあと数歳若ければと、ナサニエルは融通の利かない体を睨む。

『女神の呪い』――加護(アーク)を乱用しすぎた結果、ナサニエルは自身の存在を消失しかけてしまった。

今もナサニエル・エインワーズという存在を保っているようで、その実かなり不安定な状態である事に違いはないのだ。

仮に呪いに(さいな)まれる前のナサニエルが白一色の絵具としよう。

今のナサニエルは黒でも赤でも緑でも、ありとあらゆる色が混じった後だった。

どれだけ白を混ぜたとしても、もう完全に白一色に戻る事は出来ない。

他人の加護(アーク)を真似る――を通り越し、自分の物にしてしまう所業は、それだけ(ごう)の深いものだったのである。

そんなこんなで他人ありきでしか存在を示せなくなったのがナサニエルという男だった。

(今日の御者はクレイスだったか)

本来御者(ぎょしゃ)あるいは同行を務めるナサニエルがこの状態のため、登下校の際の御者は信用に足る中から適宜(てきぎ)選ばれている。

単にくじ引きで選ばれているだけではあるが、シャルルが可愛い使用人たちがこぞって神頼みをする中、今日の御者の座は新米のクレイスに決まったのだった。

そんなクレイスは、今年の頭から加わった新入りだ。

ようやく半年という事で、シャルルの御者争奪戦への参戦が決まったのである。

幼い頃のシャルルの暴れっぷりが主だった原因だが、ミオン家が抱えている使用人の数は多くなかった。

それが昨年カレンが引き起こした事件もあり、年末に大量増員を図ったのだ。

その時に採用された一人が、体力自慢のクレイスだった。

よく言えば人の良い、悪く言えば頭の足りない彼は、頼まれたら断れない性格が災いし、多額の借金を抱えてしまっていた。

その返済の機会として、使用人の募集に目を付けたというわけである。

(クレイス。苗字はなし。農家出身の三男。上の兄弟に何でもかんでも押し付けられて召使いのように育つも、本人は持ち前の明るさと精神力で気にも留めない。三年前、次男に借金だけを押し付けられて逃げられる――うーん、典型的なお人好しだな)

クレイスの調査書類を思い返し、ナサニエルは眉を寄せる。

仕事は出来るのだが、端々(はしばし)から感じられる頭の弱さにどうしても不安を抱いてしまうのだった。

そんなクレイスの採用を決めたのはクリスティアンとキッドマン、そしてミレーヌの三人だ。

面接に立ち会ったナサニエルは却下しようとしたが、上三人に勝てるわけもなく、大人しく引き下がったのだった。

ちなみに面接はスコールと共にクリスティアン、キッドマン、ミレーヌ、ナサニエルの5人で行われた。

結果10名ほどが採用となり、ナサニエルが新人育成を任されたのである。

クレイスには特に口酸っぱく〝一人で判断するな〟〝まず主人の意見を仰ぐ〟〝結論を出す前に持ち帰って報告する〟と教え込んだので、今日だってきっと大丈夫なはずだ。

(……仕事はちゃんとこなしてるしな)

心配しすぎかと、ナサニエルはキッドマンの手伝いへと戻る。

収支状況や作物の取れ高、河川の氾濫(はんらん)や気候まで、領地にまつわる記録をまとめていくのもエインワーズの仕事の一つだ。

面白みのない書類や過去の記録と向き合い、領主代理であるスコールが(つつが)なく仕事ができるようにサポートをしていくのである。

記録保管庫に籠ったナサニエルは資料を漁っては時刻を気にし、報告書を書き上げては時計に目をやった。

落ち着かない様子のナサニエルの肩を叩くのは書類を受け取りに来たキッドマンだ。

いつもの事とはいえ、せせこましい息子が気になるのは親心というものだろう。

「シャルル坊ちゃまが心配かい?」

「そりゃ当然でしょ」

「だとしてもクレイスだって立派なうちの使用人だ。そうやって顔に出すと、信頼していないようにとられてしまうよ。この屋敷でのお前の影響力はかなりのものなんだ。それを肝に銘じるように頼むよ」

「………分かってるって」

父であるキッドマンにまで小言を(こぼ)され、ナサニエルは口を曲げた。

しかし午後7時を回ってもシャルルは帰ってこない。

これまでも課題やショッピングで遅くなる事はあったが、シャルルはあれでしっかりものだ。

皆に心配をかけさせたくないと、事前の断りがない限りはそう遅くなく帰宅するのである。

なかなか姿を見せない主人にスミレたちも不安になってきたらしい。

四匹揃ってエントランスをうろうろと歩き回っている。

並べられた餌に手を付けるのも子猫たちだけで、スミレは拗ねたように見向きもしなかった。

そんな猫たちを尻目に、ナサニエルはシャルルの部屋掃除にベッドメイクに服の整理を終え、暇潰しのように普段は使われていない部屋の掃除を始めていく。

その間も時計を見る事だけは止めず、人を寄せ付けない雰囲気で仕事に励むのだった。

そして――時刻は午後8時。

仕事に集中できなくなったナサニエルは、暗い夜空の下、アプローチの端から端までを何往復もする。

門から玄関までのけして短くはない道を行ったり来たりしては通りへと目を向けた。

それはスコールも同じで、わざわざ玄関が見える部屋に移動して、外を見ながら事務処理をしているのである。

(どっかで夕食を食べてからなら、まだ考えられる時間だ)

今すぐにでも飛び出したいのを我慢して、ナサニエルは足元をちょろちょろと歩くスミレと共に庭先を歩き続けた。

時折、掃き掃除をしたり、低木についた育ち過ぎた葉や栄養の足りない枝先を処理はするのだが、そのどれもが上の空のまま。

ここまでくるとクリスティアンもキッドマンも口を挟む事は諦める。

シャルルのおかげで丸くなっただけで、ナサニエルは相当な荒れくれ者なのだ。

下手に刺激をして勝手な真似をされる方が問題だった。

そして時はさらに進み――時刻は午後9時。

短針が9時を指した瞬間、ナサニエルは屋敷を飛び出そうとする。

自身が学生だった頃は連日のように日付が変わってから帰宅していたものだが、それがシャルルとなっては話は別だ。

何かあったに違いないとナニサエルは表情の消えた顔を門へと向けた。

「待ちなさい、ナサニエル」

その足を止めたのはクリスティアンだった。

苛立ちを隠さないナサニエルの肩を掴み、出発を待つ馬車を指差した。

門の傍に寄せられた大型の馬車には既にスコールが乗っている。

浮かない顔のスコールの周りを固めるのは赤いマントを身に着けた騎士たちだ。

軍部を担うデルホーク公爵家やバロッド侯爵家に比べればこじんまりとしたものだが、ミオンもそれ相応の護衛騎士を抱えている。

しかし唇を真一文字に結んだ騎士たちを見て、ナサニエルは一層気持ちを暗くした。

騎士を出す事の意味が嫌な予感を掻き立てていく。

「旦那様とシルビア様はこちらで対処する。スコール様とシャルル様は頼むぞ」

「………了解」

同乗する騎士は五人。

カッチリと鎧を着こんだ騎士に囲まれたスコールに頭を下げ、ナサニエルは空いている御者台(ぎょしゃだい)へと飛び乗った。

その膝の上にスミレがぴょんと飛び上がってくる。

「お前も来んのか」

「みゃう」

「飛ばすから落ちないようにな」

膝の間にスミレを挟み、ナサニエルは空気を舐める。

雨の匂いの混じったじめっとした空気を吸い、その中からシャルルの匂いを探すのだった。

(………この辺じゃまだ分かんねーか)

黄色に染まった瞳孔を見開き手綱(たずな)を引く。

使うのは嗅覚強化の加護(アーク)だ。

すんすんと鼻を鳴らし、犬のようにシャルルの痕跡を探しながら馬車を走らせた。

微かに残った香りは朝に通っていったものだろう。

用事がない限りは、安全面の考慮もあって決められた以外の道を走る事はない。

学院へ向かう一番大きな道を進みながら、ナサニエルは夜露(よつゆ)の匂いを嗅ぎ取っていった。

その足が止まったのは十字路に差し掛かっての事だ。

王都ファストレイの下、ゲイブ領の北部にあたるその場所で、ナサニエルは一度馬車を停める。

(………匂いが強い)

すんと鼻を鳴らし、僅かにだが残った匂いを感じ取る。

スミレも何かを感じたらしく、そわそわと辺りを見渡していた。

「何かあったのか?」

「スコール様。シャルル様は恐らく脇道に入ったのだと思います」

「脇道?屋敷には着くが、そっちは遠回りだろう?」

「いえ、昨年の大雨の影響で現在こちらの道はメルゲル領までは直接繋がっていません。ですが今日の御者は新人のクレイスです。気づかずに入り迷ってしまった可能性があります」

昨年ゲイブ領は雨が多く、雑木林を抜けたあたりの場所で土砂災害が発生していた。

領の中心に行く道はすぐに整備されたが、メルゲル領に続く道は復旧が済んでいなかったはずだ。

状況を把握していなければ、道なりに進んでゲイブ領のただ中に入ってしまった可能性もある。

ここまで行き違わなかった事もあり、ナサニエルは細道へと馬を向かわせる。

「とにかく行ってみます。念のため警戒を強めておいてください。それとこの先は砂利道のようです。揺れますのでお気を付けください」

鼻を研ぎ澄ませながらも横道へと入って行く。

居心地が悪そうに座るスミレには一瞥(いちべつ)もくれず、ナサニエルは四頭の馬を走らせた。

ガタゴトと馬車が揺れる音だけを耳に、真っ暗な雑木林の中を進んでいく。

視力強化も重ね、シャルルの残り()を辿りながらも(くま)なく暗闇の中を探っていった。

「あれは――」

(しばら)くしてナサニエルは目を見開いた。

急ぎながらも丁寧に馬車を停め、スコールに声をかける暇も惜しいと言わんばかりに御者台を飛び降りる。

「っ…シャルル様!!」

「みゃみゃー!!」

一緒に飛び降りたスミレも甲高く鳴いた。

鳴いて、目の前に広がる酷い有様へと突っ込んでいく。

切迫したナサニエルの声を聞いて、スコールも騎士の制止を振り切って馬車を飛び降りた。

「そんな、こんな事……」

「スコール様、気をお確かに!」

馬車を下りたスコールはその場で足をふらつかせた。

崩れそうになる体を騎士に支えられ、大破した馬車へゆっくりと近づくのだった。

見間違えようのないシャルルの乗った馬車の見るも無残な姿に、上ずった声が上がってしまう。

「シャルル…!シャルルは……!?」

「すぐに捜索します」

「スコール様はこちらでお待ちください」

騎士の一人がスコールを支え、残りの四人が周囲の捜索を開始する。

抜刀した剣とランプを手に、緊張した面持ちで茂みの中へ踏み入っていった。

真っ暗な闇が何もかもを飲み込み、じっとりと重い空気が圧し掛かってくる。

その重みに耐えるのがかろうじてといった様子で、スコールはその場に立ち尽くすのだった。

震えるスコールを背に、ナサニエルは壊れた馬車へと手を触れる。

中を覗き込み、ぐちゃぐちゃになったそこを見下ろした。

(シャルル様とクレイス以外の匂いはなし。外に跳ねだされたとして――)

馬車の周りに目を配る。

外に飛び出したクッションの一つ一つを目で追い、地面に残ったくぼみへと視線を落とした。

地面に残された車輪の痕を見るに、かなりの勢いで木に突撃したのだろう。

馬車が転倒しなかったのが不思議なくらいで、放り投げられただろうシャルルを思い、胸を痛める。

(俺が傍にいれば……)

勝手な都合で御者の任を避けてきた己の決定を悔やむ。

たとえ馬が暴走しようとも、自分ならシャルルを助けられる事が出来たはずだ。

後悔のあまり、歯茎から血が滲むくらい強く歯を食いしばった。

(……クソ、今は悔やんでる場合じゃない)

口の中に広がった鉄の味を飲み込み、転がったような、引き摺ったような跡を追って、川の方へと歩いていく。

残されたシャルルの匂いは川まで続き、ナサニエルは息を詰まらせた。

「ナサニエル…?まさか……」

迷いなく川に向かったナニサエルにスコールは顔を真っ青にする。

ナサニエルは考え込むように唇を結び、にゃーにゃーとスミレが(わめ)く場所へと目をやった。

そこには薄く呼吸をする馬が横たわっている。

白い体に赤い鬣の馬が二頭並んで、もつれ合うように転がっていた。

ゆっくりと動く腹とスミレの髭を揺らす鼻息を見るあたり、暴れ疲れただけで、二頭とも生きているようだ。

足元の方に血が広がっていたが、怪我をしているわけではないらしい。

御者台を中心に広がる血痕を見つめ、ナサニエルはもう一度川の方へと視線を向ける。

馬車から続くものとは別に、血を伴った後が川目掛けて走っていた。

「何とか言ってくれ…。シャルルは…、シャルルはどうなって………」

震えるスコールに背を向け、ナサニエルは顔を曇らせる。

「…………分かりません」

揺れそうになる声を押さえつけるだけで手一杯だった。

人の目がなければ、馬車にでも大木にでも当たり散らしていただろう。

フーッ、フーッと鋭く尖った息を吐き出し、ナサニエルは自分の顔を固く握った拳で殴る。

つぅ…と零れ出た鼻血をそのままに、じっと河川へと視線を送った。

(落ち着け…。落ち着いて考えろ。俺はナサニエル・エインワーズだろ。シャルル様がこんなくだらない事で死ぬわけがない。俺が…死なせはしない)

肺がいっぱいになるまで空気を吸い、時間をかけて吐き出していく。

見開いた瞳孔に宿るのは目まぐるしく色を変える煌めきだ。

嗅覚、視覚、聴覚、触覚、直感に思考に温度も――持てる全てを使ってシャルルの痕跡を探し出す。


ポチャン――と、真っ暗な闇に落ちてしまったような気分だった。

感覚の全てが遮断され、指一本動かせない。

それでも求めるものを探して、小さく可愛らしい足跡を追いかける。

青白い輝きが途絶えるのは――


「ナサニエル…!!」

名前を呼ばれ、ナサニエルは天を向きそうになっていた瞳をぐりんと戻した。

気持ちが悪いと思えば、だらだらと流れる鼻血がべっとりとシャツを濡らしている。

濃灰(のうかい)のシャツでさえこれだけ目立つのだから、白を着ていたら大惨事だっただろう。

どのみちシャツ一枚どうなろうと関係ない。

加護(アーク)を一気に使ったのが原因だが、止まらなくなってしまった鼻を乱暴に拭い、憔悴(しょうすい)しきったスコールへと向き合った。

「一度、騎士を下げて貰っても良いですか?」

「……分かった。呼ぶまで周囲の捜索に専念してくれ。ただし遠くまで行きすぎるな」

「かしこまりました」

スコールに指示を出され、残っていた騎士も周囲の捜索へと混ざっていく。

不審なものがないか探し続ける騎士たちを横目に、二人きりになったスコールとナサニエルは一度馬車へと乗り込んだ。

今にも倒れそうなスコールを座らせてから、ナサニエルも向かいの座席へと腰を下ろす。

「……何か分かったのか?」

「いくつか試したところ、微かにですが匂いが残っていました」

不安に支配されているのだろう。

おずおずと聞き出したスコールへと早口気味に答える。

「まず河川の捜索を。生死の程は分かりませんが、クレイスの匂いは川を伝って降りていっているので、河川に沿って行けば見つかるかと思います」

ナサニエルは一度言葉を切る。

垂れてくる血を思いきり(すす)り、口で息を吐いた。

「シャルル様は………申し訳ありません。分かりません」

「………っ……そんな」

「ただ……川には転落していない可能性が高いです。出血が酷い分クレイスの匂いはハッキリ分かるのですが、シャルル様の匂いを川から感じ取る事は出来ませんでした」

「なら周辺の捜索を…!!」

「それが林からも匂いは感じられないんです。馬車からまっすぐ川に向かい――ですが川からは匂いがしない。憶測の域を出ませんが、事故に見せかけた誘拐を念頭に入れるべきでしょう」

ナサニエルの言葉にスコールは固まった。

すでに青白い顔からは一層血の気が消え、慟哭(どうこく)にも似た息が開いた口から零れ落ちていく。

目もどこを見るでもなく泳ぎ、膝の上に置いていた手も小刻みに震えていた。

「シャルルが誘拐…そんな、どうしよう……」

狼狽(うろた)えるスコールにナサニエルも歯噛みする。

悔しくて、情けなくて、許し(がた)い。

自分自身にも言い聞かせるように、ナサニエルはスコールを見つめた。

「スコール様!あなたがすべき事は嘆く事ではないはずです!」

「あ…、ナサニエル……」

「一度屋敷に戻りましょう。引き続き俺と騎士で河川と周辺の捜索を続けます。スコール様は戻り次第応援を送ってください。もちろん俺が責任を持ってスコール様を屋敷まで届けますのでご安心を。異論があればどうぞ」

「いや。君の言う通りだ。シャルルはもっと怖い思いをしているんだ。少しでも生きている可能性があるなら、震えているわけにはいかないね」

震える手を押さえつけスコールは前を向いた。

光を取り戻した瞳に、ナサニエルも気合を入れ直す。

「それとクレイスですが……生きて発見出来た場合、ミオンの皆様とエインワーズ以外の誰とも接触できないようにお願いします」

「それは……クレイスが糸を引いていると?」

「可能性の話ですがね。シャルル様の性格を考えても、何の用もなくこの道を選ぶとは思いません。人員募集で入った新人が初めて御者を担当した日にこんな事が起きているんです。クレイスを疑いたくはありませんが…脅されて言う事を聞いたという事もあるでしょう。何にせよ、押さえておくべきだと思います」

「……分かった。そのように手配する」

恐怖心を誤魔化すように笑顔を作り、スコールは行動を起こす。

気力が戻った事でナサニエルの支えなしにしっかりと地を踏む事が出来た。

ぬかるむ大地を踏みしめ、スコールは集まって貰った騎士へと宣言する。

「僕は屋敷に戻って父上たちと対策を組む。皆は引き続き二人の捜索と周辺の調査に当たってくれ。ナサニエルに場を一任するからそのように」

「はっ!しかし若旦那様!一人で戻られるおつもりですか…!?」

「今はシャルルを探し出す事が先決だ。僕だって皆と一緒に鍛えているし心配しないでくれ」

慌てる騎士たちを宥め、スコールはそれ以上の追随(ついずい)を避けるように一人馬に(またが)った。

馬車から馬を一頭はずすと、慣れた動きでその背に乗る。

(ではスコール様。すぐに追い付きますのでお待ちを)

(信頼しているよ、ナサニエル)

ナサニエルの加護(アーク)の事を知っているのはミオンとエインワーズだけだ。

ものがものだけに、いらぬ混乱を招かないためにも秘匿にされているのである。

駆け出したスコールを見送り、ナサニエルも騎士たちの目を盗んでその体を三つに分ける。

(屋敷の方は任せておけ)

(俺は先に下流の捜索に行けば良いんだな?)

(ああ。けどシャルル様がいない状態で無理は出来ない。加護は控えめで頼む)

この時点で分裂と並列思考を駆使しているわけだが、背に腹は代えられない。

なるべく温存の方向で、それぞれ散開する。

「んみー!」

下流を目指すナサニエルの足元について来たのは薄紫の小さな塊だ。

「ついて来たのかよ」

「んみゃ!」

「お前の言ってること分かるのシャルル様だけだからな。とにかく邪魔だけはすんなよ」

嗅覚強化を重ね、ナサニエルはスミレと共に川を下っていった。

屋敷へ戻ったナサニエルはスコールと合流し、現場を任されたナサニエルは、馬車を休憩場所に、騎士たちと共に雑木林での捜索に明け暮れるのだった。



「シャルルが行方不明に……?」

スコールが屋敷に戻ったのは日付を回った後だった。

急ぎラドフォードとシルビア、クリスティアン、キッドマンを招集し、言葉にするのも心苦しい事柄を報告する。

愕然と目を見開いたラドフォードの前で、スコールは

「ゲイブ領の北部――この場所ですね。ここで馬車が事故に見舞われ、シャルルと御者のクレイスの行方が分からなくなっています」

地図を広げ、スコールは雑木林の付近に目印となるおもしを置く。

その後はナサニエルに交代し、考えられる状況を共有した。

土に足を取られたのか、馬が暴走して事故が起きただろう事。

御者を務めていたクレイスが川に落ちただろう事。

そしてシャルルの行方が知れず、誘拐された可能性がある事。

出来るだけ淡々と事務的に告げるナサニエルの言葉に、談話室の中は重く淀んでいった。

どんより濁った空気に、ラドフォードの顔にもシルビアの顔にも陰が差している。

一瞬の静けさが訪れ――嫌な空気を裂くようにラドフォードが口を開いた。

「――騎士を総動員する。侯爵家への挨拶と要請は日が昇り次第、私が向かおう。まずは現場の維持と周辺捜索に努めるように。シャルルの行方が知れない事は口外するな。学院にも体調不良として届けを出しておいてくれ」

「かしこまりました。他の家門への要請はいかが致しますか?」

「………神殿には事故の件を伝えてくれ。家門への要請はまだ不要だ。誘拐の可能性がある以上、事を大きくするわけにはいかない」

歯噛みするように言い捨てる。

尋ねたクリスティアンは何も言わずに頷き、護衛騎士が寝泊まりする舎宅へと向かっていった。

全員が全員ではないが、騎士にしても使用人にしても、その多くはミオンの敷地内に暮らしている。

今いる人員を集めるべく、クリスティアンは急ぎ足で談話室を出ていった。

それを皮切りにするようにシルビアが泣き崩れる。

ソファに座ったまま、肩にかけていたケープをぎゅっと抱きしめた。

「こんな…こんな事なら!普段から加護(アーク)で見ておけば……!」

「君のせいじゃない。君が見たとしても、この結果が変えられなかった事は分かってるだろう?」

「それでも…!身構える事が出来たらもっと…!!」

口を押え、それでも堪えきれずに嗚咽を漏らす。

化粧が落ちる事も構わず、シルビアはボロボロと涙を溢した。

シルビアの加護はあくまで相手に纏わりつくオーラを見るだけのものだ。

分かるのは良くない事が起きるだろうという事だけで、その内容も、いつ起きるかについても一切分からない。

仮に不運を予見したところで、防ぎきる事は出来なかっただろう。

それでもと嘆く肩をスコールが抱き寄せる。

つられて涙を流し、成人した事を忘れたように泣きじゃくった。

ラドフォードは涙に暮れる二人を見つめ、組んだ手を額に押し当て項垂れた。

祈るようにも見えるその手は、怒りと悲しみに震えている。

「旦那様、悲嘆に暮れている暇はございません」

「分かっている。だがキッド、息子がいるお前になら分かるはずだ」

「旦那様のお気持ちは重々承知しております。坊ちゃまは私にとっても息子のようなお方ですから」

生きている――その可能性は希望でもあり苦しみだ。

シャルルが今まさに辛い目に遭っているという事でもあり、政略的に利用される可能性が高いという事でもある。

領地も資産も全てを投げ出す覚悟はとうに出来ているが、そんなくだらない事に愛するシャルルを巻き込んでしまう事がひどく耐えがたかった。

(頼む、生きていてくれ)

けれど、それが救いである以上ラドフォードは祈りを捧げた。

犯人からでも良い。

生きているという報せさえあれば、まだ耐えられる。

シャルルが生きている事を一心に願い、ラドフォードは静けさを破る窓の外を見やった。

夜遅いにも関わらず、庭先にはクリスティアンに集められた騎士たちが整列してくれている。

命令を下すべく、ラドフォードも重い腰を持ち上げる。

「キッド。この事はミレーヌには伝えるな」

「……お心遣いありがとうございます」

スコールたちを宥めていたキッドマンが頭を下げる。

シャルルを息子同然に育てたミレーヌがこの事を知れば、腹の子にも障るだろう。

そうでなくとも不安の多い出産だ。

キッドマンはラドフォードの心中を図り、肉の付いた背を深々と曲げるのだった。

「ナサニエル」

談話室を出る直前、ラドフォードは険しい視線をナサニエルへと向けた。

「何としてでもシャルルを見つけろ。それが従者たるお前の責務だ」

「承知しております」

責めるようにも感じられる眼差しに、ナサニエルは歯噛みする。

しかし現場に残った自分からも、下流に向かった自分からも成果は上がってこない。

シャルルがいない状態で加護を使う事には抵抗があったが、四の五の言っている場合ではないだろう。

ナサニエルはスコールたちのケアをしながら、休まずに捜索を続けるのだった。


その甲斐なく、一晩が経ってもシャルルの痕跡が見つかる事はなかった。

クレイスの行方も知れず、嘲笑うような日差しが頬に突き刺さる。

川というにはあまりに広大な河口を前に、ナサニエルは打ちひしがれるしかなかった。

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