表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
1部-2章.シャルル・ミオンの学院生活②
121/566

87.子猫伯爵と選べないもの

ユージーンが頭を打ったとしか思えない翌日。

放課後になっても、教室の中はガヤガヤと賑わっていた。

理由は簡単、カイトが公爵家から様々な魔具(まぐ)を持ってきたのだ。

「カイト様は太っ腹ですね!」

「随分と古いもののようですが、これは何の魔具ですか?」

「私にも触らせてくださる?」

カイトを取り囲むのは総じて貴族の面々だ。

その中にジュリアナも混じって、並べられた魔具を前に盛り上がっている。

「いつまで使ってる気だ?王女様がお待ちだぞ!?」

「さあ王女様、こちらをどうぞ!」

最近ではカイトと不仲に見えていたが、サマルも魔具の見物に参加しているようだ。

他の生徒から奪うように魔具を取り上げてはジュリアナへと手渡している。

サマル自身の身分の高さもあって、表立って文句を言う者はいない。

非難の目を向けるのが精一杯で、気が付けば魔具のほとんどはジュリアナの前へと集まっているのだった。

助けを求めてカイトを見つめる者もいたが、王女が相手ではカイトにも成す(すべ)はないのだろう。

無理に口を挟む事はせず、ジュリアナたちを見守っている。

「……偽善者(ぎぜんしゃ)が」

「お前わりと口悪いよな」

「なら権力の犬とでも言えば良いか?」

席に座ったままオレとハンスもカイトたちの様子を横目に見る。

今日は選択授業の希望提出日で、オレたちは書類を前に頭を悩ませる真っ最中だった。

オレの心は経営と研究でほぼほぼ決まっているのだが、いざ提出となると悩んでしまうのである。

それはハンスも同じようで、書きかけになったオレの書類を見ては(うな)っていた。

「研究…、研究か……」

「文句あんのかよ?」

「研究も捨てがたいと思っているだけだ」

ちなみに現時点でのハンスの希望は経営と騎士道だ。

経営こと経営基礎では領地運営だけでなく商業の基本を学んでいく事になる。

商会を継ぐ気でいるハンスには適した授業だろう。

ちなみに基礎とついているのは2年生の授業だからであって、来年には経営応用という名称に変わるそうだ。

ハンスが候補にあげる騎士道は、名前の通り剣術などの武術を習う授業である。

似たものに武道指南があるが、騎士道では騎士としての礼儀や立ち居振る舞いを学んでいく事になる。

単純に戦い方を知りたいなら武道指南、騎士団や貴族付きの専属騎士を目指すなら騎士道といった感じらしい。

ハンスはてっきり武道指南を選ぶのかと思っていたのだが、本人の希望は騎士道の方だったようだ。

「んー…こうして見ると地理も面白そうだよなぁ」

研究を最終候補にあげ始めたハンスの隣で、オレも地理へと目を向ける。

聖地巡礼という意味では地理を学ぶのも楽しそうだ。

兄スコールの手伝いが出来れば良いかと思い、経営を選んではいるが、最後の局面で心が揺らぎそうになるのだった。

「オレは武道と騎士道に決めたぞー!!」

一番抜けしたのは隣の机に座るレフだった。

武道と騎士道といういかにも体育会系な二つにするらしい。

騎士になりたいと言っていたレフにぴったりの組み合わせだろう。

座学を捨て去った潔さには感服するばかりである。

「私は天文学と大陸史にするわ」

「ぼくは経営と騎士道にしました」

アンナとジョンもそれぞれ記入を終え筆を置く。

オレも遅れるまいと、最初に決めた通りの二つを選び、最後に自分の名前をサインした。

「自分も経営と研究です。シャルル様と一緒ですね!」

オレの決断にジョンの隣に座るロナルドが微笑んだ。

経営は大抵の生徒が選ぶとして、魔具職人を志すロナルドにとっては研究が必須科目なのだろう。

見知った相手が一緒だという事にオレも微笑み、残すハンスとユージーンを待つ事にする。

「……………経営と騎士道でいく」

悩みに悩んでハンスも最初に決めた二つを選択する。

その横でユージーンも頭を(ひね)らせ――

「僕も経営と騎士道にする!」

ハンスとまったく同じ答えを出したのだった。

「おお!ジンも騎士道にするのかー!?」

「うん。騎士道ならキース先生に会えるしね」

「まさか、そのためだけに騎士道を選ぶつもりなの?」

アンナが顔を(しか)める気持ちがよく分かる。

元々騎士を目指しているならともかく、担当であるトラスティーナ教授に会いたいという一時の感情で選ぶには危険度の高い授業だろう。

内容が内容だけに重傷者が出る事も多いらしい。

経験者や肉体に自信のある者が集う状態でそれなのだから、純然たる初心者のユージーンが選択するには不安がある。

そんなオレたちの心配をよそに、ユージーンは笑みを浮かべるのだった。

「身を守る術を覚えておいて損はないし、天文学や大陸史はその気になれば卒業後でも学べるでしょ?キース先生に教われるのは今だけだから、その機会を逃すわけにはいかないよ」

迷いのない言葉にオレたちは揃って口を(つぐ)む。

(本当に頭打ってないのよね?)

(んー…そのはずなんだけどなぁ……)

(変なものでも食べたんだろう)

けして納得したわけではない。

トラスティーナ教授で頭がいっぱいになっているユージーンには何を言っても無駄――という結論に至り、哀れみに似た目を向けるのだった。

(恋って人を変えるんだな……)

今までのユージーンは良識の範囲内だったはずだ。

アマレット・ニール教授に熱を上げこそ、淑女(しゅくじょ)である彼女をあれこれ詮索(せんさく)する事もなければ、追いかけ回すような真似だってした試しはない。

口を開けば〝アマレット先生〟なんて事もなく、交友関係に勉学にと落ち着いた生活を送っていたはずだった。

それがこれである。

命の恩人とも言えるトラスティーナ教授に完全に惚れこんでしまっていた。

それはユージーンの提出書類を見ても明らかだ。

騎士道を決めた上で、もう一つを何にするかでずっと悩んでいたようなのである。

希望届(きぼうとどけ)は僕がまとめて持って行くよ!」

にこにこと笑ってユージーンが立ち上がった。

ちゃっかりトラスティーナ教授と二人きりで会おうとするあたり末恐ろしい男である。

(ごめん、教授…!!)

もはやユージーンを止める事は出来ない。

オレは心の中で教授に謝りながら書類を手渡すのだった。

「じゃあ行ってくるね!」

ハンスたちからも書類を回収し、ユージーンは意気揚々と教員室へ走っていった。

「…………」

「…………」

「…………私たちも帰る準備をしましょう」

本当に恋愛というものは恐ろしい。

隠す気も何もないユージーンを見送り、オレたちはアンナに促されるままに机を片付けていく。

出しっぱなしだった教本と筆記用具をしまい、鞄へと詰め込んでいった。

「新しくしたのか?」

「んー?サビに座布団にされてたからさ」

「ざぶ……?」

「クッションな。荷物入れ替えんの大変だったんだぞ」

適当に誤魔化し、いつもより少し小さな鞄に荷物をぎゅうぎゅうにしまい込む。

ホックは閉まらなかったが、馬車で帰るだけの分には問題ないだろう。

「スミレたちは元気か?」

「めちゃくちゃ元気。この前なんか――」

ジュリアナに花粉攻撃を食らった時の話をしようとして口を止める。

ハンスは不思議そうな顔をしていたが、ジュリアナ本人がいる場所で話す事ではないだろう。

「あー……この話はまた今度で良いや」

「そうか。それは少し残念だな」

「そういうハンスこそどうよ?街の連中とは上手くやってる?」

「ああ、(つつが)なく。最近では共同で大規模な畑を作らないかという話をしていて――」

他愛もない話をしながら、帰り支度を済ませていく。

ユージーンを待とうかとも思ったが、あの様子では時間が掛かるに違いない。

どのみち寮生活の彼らとは学院でお別れだ。

どうせ明日には会えるのだしと、オレはハンスの支度が整ったのを見て立ち上がった。

その時、ロナルドがぼんやりとカイトたちを見つめている事に気づく。

一瞬ジュリアナに見惚れているのかと思ったが、その眼差しが向かうのは多種多様な魔具だった。

「気になんの?」

「あ、まあ……これでも魔具職人が夢なので」

オレの問いに答えるロナルドは照れ臭そうだ。

しかし、その目は真剣に魔具を見つめ続けている。

魔具職人とは、言葉のまま魔具を製作する職人の事である。

加護回路(アークコード)を理解する知識と、それを魔具へと彫り込んでいく繊細な技術が求められる非常に難解な職なのだそうだ。

オレとロナルドが選択した魔道研究の授業でも、そういった部分に触れていく機会があると聞いている。

「折角なんだし見に行けば良いじゃん」

「えっ!?む、無理ですよ!?」

少し前までのオレなら同じ事を思っただろう。

不興(ふきょう)を買ってまで関わりたくないと避けたに違いない。

だが今は少なからず信頼出来ると思っている。

他の誰が駄目でも、カイトだけはオレを無下(むげ)にしないと思う事が出来るようになっていた。

「オレが一緒に行くし大丈夫だって。ロナルドだって間近で見たいんだろ?」

「や、でも……」

「はいはい、良いから立つ!ほら、行くぞ!」

たじろぐロナルドを立たせ、オレは背の割に細い腕をひく。

「ハンスは待ってて良いから――いや、待ってろ」

「………少しだけだぞ」

念のためハンスには()()をしておく。

カイトと顔を合わせても言い争いになるだけだし、わざわざジュリアナに近づける必要はない。

不服そうな顔をしていたが、ハンス本人も自分が行けばどうなるかが理解出来ているのだろう。

ぶすくれながらも大人しく椅子に座ってくれた。

そんなハンスを背に、ロナルドと共に貴族たちの輪へと突進する。

ジュリアナから距離を開けるようにカイトの後ろ側から近づいていった。

(突撃したもののどうしよ)

皆ジュリアナと魔具に夢中でこちらには気づいていない。

無理に押し入るのも気が引け、しかたなしにカイトの袖をくいくいと引っ張ってみる。

「……!シャルルか。お前も興味があるのか?」

「オレってかロナルドが」

「あ、自分は――」

挨拶しかけるロナルドの口を塞ぐ。

カイトはじっとロナルドを見つめてから口を開いた。

「お前とは初めて喋るな。シャルル、彼は?」

「オレの友達。ロナルドも挨拶して」

「あ…はい。公子様にご挨拶申し上げます、ロナルドです」

名乗りを上げたロナルドが深々と頭を下げる。

ロナルドには悪いが、他の貴族の手前、しっかりと挨拶をさせないわけにはいかない。

貴族でもないロナルドが公爵令息であるカイトに自分から話しかけるのはもっての外で、オレは周りの目を窺いながらも茶番じみたやり取りを行った。

中にはハンスのような権力に屈しない(ごう)の者もいるが、いらぬ衝突を避けるにはこうしておた方が良いだろう。

「魔具が見たいんだな。一先ずこれで良いか?」

オレの後ろで居場所がなさそうにするロナルドを一瞥(いちべつ)し、カイトは魔具の一つを寄越してきた。

集まった面々も、持ち主であるカイトが好きにする分には何も言わなかった。

「ん。あんがと」

「あ、ありがとうございます…!!」

「礼には及ばない」

カイトの意識はずっとオレに向いているが、ロナルドの気にするところではないのだろう。

魔具を手にさっそく興奮気味になっていた。

「なるほど。ここがこうなって…この部分は……」

ぶつぶつと呟きながら魔具を回しては見つめ、回しては見つめを繰り返している。

熱中すると周りが見えなくなるタイプのようだ。

何にせよ、あれこれ声をかけるより好きにさせておいた方が良いだろう。

手持無沙汰になったオレは、爪先立ちになって魔具の置かれた教卓を覗き込む。

その腰にカイトの手が添えられた。

「あの…?」

「転んでしまわないか心配でな。望むなら抱き上げてやるが?」

「……いらないです」

カイトの申し出を断り首を伸ばす。

ロナルドが見つめる物の他、どんなものがあるのだろうかと目を凝らすと、一つの魔具が目についた。

「あれ?」

見た事もない魔具が並ぶ中、一つだけ妙に見覚えのある魔具の存在が目に留まる。

円形の石板で、中央に黒い石が嵌っている魔具だ。

(あれって祝福の時の……)

大司祭エルデルバルトに引き留められた事もあるだろう。

学院に入学してすぐに行われた『知啓(ちけい)の祝福』の事は、今でもしっかりと覚えている。

祝福のために呼ばれたこじんまりとした拝殿(はいでん)

その中央には円柱の台座が置かれていた。

神殿と同じく真っ白な柱の上に置かれていたのが、今目の前にあるものによく似た神具(しんぐ)だったのである。

加護(アーク)を判別するための神具と言っていたか。

触れた時に放たれた青白い光の美しさは印象的だった。

細かい模様まで記憶しているわけではないが、見れば見る程あの石板と教卓に乗った魔具はそっくりだ。

「あの魔具、祝福の時に見たのと似てるよな」

「そう…だろうか?まあ、似ている魔具があってもおかしくはないだろう」

何となしに(こぼ)すと、カイトは微かに眉を寄せた。

考えるようなその顔に、オレは冷や汗が流れそうになった。

(あー!そっか!普通はあっさり終わるから覚えてないのか…!神殿に興味があるみたいになってんじゃん…!!)

よくよく考えたらオレは拝殿に長居したのである。

エルデルバルト直々(じきじき)に神力と加護(アーク)の説明を受け、神具である石板をゆっくり見る時間もあったのだ。

恐らくだが、あの日早々に帰ったカイトは、オレが長時間拝殿にいた事は知らないのだろう。

これ以上聖人に繋がるような事態は避けたいと、オレは急いで他の魔具へと目を向ける。

その最中(さなか)、ジュリアナの赤い瞳と視線がかち合った。

魔具を眺めていたかと思えば、その赤が月のように細められる。

「お二人は本当に仲が良いのね」

にこりと笑うジュリアナの目は、オレの腰を支えるカイトの腕を見つめていた。

「こっ、これにはわけが――」

「仰る通りです、王女殿下。御覧の通り俺とシャルルは深い仲で結ばれております」

「まあ!やっぱりそうなのね!」

「は?」

どの口が物を言っているのだろう。

特別仲が良いわけでもなければ、深い仲で結ばれた覚えもない。

しかし、しかしだ。

周囲の目はカイトの妄言(もうげん)を当然のように受け取っている。

サマルだけは平常運転で顔を(しか)めてくれるが、大抵の生徒は微笑ましくオレたちを見つめていた。

(ありえないという顔をしているが、お前も悪い)

愕然(がくぜん)とするオレにカイトがそっと耳打ちをする。

(そういう仲でもなければ、俺を人前で呼び捨てるなど出来はしない。お前が何と言おうが、公衆の面前でカイトと呼んだ時点でお前の負けだった――とでも言っておこうか)

意地悪く微笑むカイトの顔にオレの体はわなわなと震え上がった。

(こ、こいつ…!!)

余裕綽綽(よゆうしゃくしゃく)なその顔を一発殴ってやりたい。

とはいえ、そんな事しても悪い方に転ぶのは明白だ。

カイトに手を挙げられるくらい仲が良いと見なされたならまだマシで、最悪罰として完全にカイトに囲われてしまうだろう。

どうせオレのパンチなど簡単に(かわ)されるのだし、拳を握りしめるに留めておく。

だからといってカイトとの仲を肯定するわけではない。

(それを言われたらオレも悪いけどさ…!!)

オレとて貴族の礼儀やルールを(おろそ)かにしているわけではない。

どんなにムカついてもサマルに敬語を使う事は出来るし、許可なく呼び捨てにしたりもしない。

ただ少し、ほんの少しだけ、その先にある貴族らしい隠された応酬を忘れていただけだ。

(名前一つで揚げ足とりやがって…!!!)

完全にカイトの手の上で転がっていた事に気づいたオレは自分の事を殴りたくなった。

逆手(さかて)に取られるなど考えもせず、許されてるから良いか――くらいの感覚でカイトと呼んでしまった自分を今からで良いから助走をつけて殴りたい。

もちろんそんな痛い思いはしたくはないし、馬鹿な真似をする気もないので項垂れるに止めておく。

だというのに、悲嘆に暮れるオレにカイトが止めを刺しにきたのだった。

「この魔具もシャルルが俺のためにとくれたのです。自分の目と同じ色のものを用意するなんていじらしいとは思いませんか?」

「まあ、素敵!ミオン様はロマンチストなのね!」

左胸に付けたフィブランの魔石をこれ見よがしに披露(ひろう)し、カイトはオレの腰を抱き寄せた。

「違っ…!!それはナサニエルがオレのために…!!」

「わざわざ良い魔石を用意してくれたんだろう?お前の使用人は気が利くな」

反論虚しく、カイトの胸でフィブランの魔石が光を放つ。

しかしながら石の色が黄色なのは、フィブランの魔石だからでしかない。

魔石はヨナの種類によって色と形が決まってくるのである。

フィブランの場合、オレンジの体色に違わぬ、山吹色(やまぶきいろ)の魔石を持っているというだけの話だった。

そうは言っても、元はナサニエルが進級祝いにくれたものである。

オレの目に合わせて選んでくれた可能性は高いだろう。

それがこんな形で裏目に出るとは思いもせず、オレは抵抗する気力も失ってしまう。

もはや止めを通り越しオーバーキルと言えるだろう。

何を言っても利用されると分かれば、考えなしの自分の行いを激しく後悔するだけだ。

(そこまで考えなかったもんなぁ……)

悔しいが全てはカイトの思う(つぼ)だ。

この世界にも自分または相手を象徴する色や形の装飾品を贈ったり、身に着ける風習があるのである。

家族や恋人同士では特にの話で、所属や関係を表す時にもこの手法が用いられている。

女性の場合、自分を象徴する色のハンカチに相手の家門の刺繍(ししゅう)をして贈るなんて事も多いそうだ。

オレがハンスとカイトに渡したネックレスも、そういう意味でとられてもけしておかしな話ではなかったのである。

悲しいかな、社交界からすっかり遠のいていたオレは、そんな基本的な事も記憶の片隅に追いやっていた――というわけだ。

(クソ…、完全にやらかした…。カイトがこういう奴だってのは知ってたはずなのに……)

言葉(たく)みに人心を掴み操るのはカイトの得意技だ。

『ラブデス』で散々知っていたにも関わらず、オレは優しくされたからと気を許し過ぎてしまっていたのだ。

晴れてカイトのお気に入りとして紹介され直したオレは、心の中で大反省会を開くのだった。

その時、背筋を凍らせる程の視線が突き刺さる。

「……………」

「…………うぁ…」

オレを見つめるのは殺気立った青い瞳だ。

会話内容まで聞こえていたかは分からないが、目に見えて不機嫌そうなハンスがこちらを睨んでいた。

これ以上はもう我慢の限界なのだろう。

今にも立ち上がってきそうなハンスを見つけたオレは、急いでカイトの腕を押し返す。

「そ、そろそろ帰らないと……!!」

「それは残念だ。手間のかかる犬の世話はさぞかし大変なのだろう」

「……タコに比べれば全然相手しやすいですよ」

皮肉に皮肉を返し、ロナルドの首根っこを引っ掴む。

ロナルドは物足りなさそうだったが、ジュリアナのいる場所に一人置いていくわけにもいかない。

海産物にはとんと(うと)いこの世界だ。

タコが何かを知らないカイトの手を逃れ、オレはハンスのところへと走っていった。

「帰るぞ!!」

「…………」

返事がないが、そんな事に構ってる暇はない。

ユージーンを待つアンナたちへとロナルドを放り投げ、オレはハンスを教室の外へと引っ張り出した。

とりあえず庭園へと連れ出し、通い慣れてしまった茂みの奥を二人並んで歩いていく。

陰のように見えて風通しが良いのだろう。

スミレの住処だった丸太はいまだ腐らずに健在だった。

ゆるやかに湾曲した丸太へとハンスを座らせる。

目の前に立つオレには視線を合わせず、ハンスはぼそりと口を開いた。

「…………俺だって貰った」

「そうだよ、お前にもあげだよ」

この様子だと全部聞こえていたのだろう。

しかし怒っているというよりも、拗ねているといった様子だ。

ぼそぼそと小さく呟く姿は、親に怒られて不貞腐(ふてくさ)れた子供のようだった。

「カイトとはそういうのじゃねーから」

「…………知ってる」

「じゃあ何で機嫌悪そうなんだよ」

「…………シャルルは」

ハンスが下に向けていた瞳をオレへと向ける。

複雑な色を宿した青がオレを見つめた。

「シャルルは俺が他の奴と話していても平気なのか?」

「他の奴って…、急に何の話だよ?」

「俺は嫌だ。お前が俺以外の奴と話すのも、体を触らせるのも、全部嫌だ」

オレを凝視したまま、ハンスがオレの腕を掴む。

お気に入りの玩具(おもちゃ)をとられた幼子(おさなご)のようにも見え、思わずその頭に手を置いてしまう。

わしわしと青みがかった黒い髪を撫でると、ハンスはどこか照れ臭そうに唇を尖らせる。

嬉しいけれどそうじゃない――といったところだろうか。

それも束の間、体が引き寄せられた。

叫び声をあげる間もなく、オレはハンスの腕の中に閉じ込められる。

「………頼むから俺を置いて行かないでくれ」

固い感触と、それとは真逆に優しい温もり。

落ち着いているようで(せわ)しない鼓動に、オレは胸が締め付けられるような思いになった。

カイトに抱きとめられた時にはなかった苦しさが広がっていく。

呼吸を忘れてしまいそうになるオレを抱きしめ、ハンスが耳元で低く囁いた。

「気が付くとお前は遠くへ行ってしまう。どれだけ努力をしても、お前にふさわしい男になろうとしても、お前は俺を置いて遠くへ行ってしまう」

切なさを帯びた声が腹に響く。

「どうすればお前に届く?お前の隣に立てる?やっと傍に行けたと思っても、お前はまた俺の先へと行ってしまうんだ。俺は……どうすれば良い?」

「何だよそれ。オレを置いて行くの間違いだろ?」

自分で言って辛くなる。

ハンスに抱いてしまう苦しさの原因はいつだってこれだ。

そのために努力しているはずなのに、その日が近づく程に心が重くなっていく。

カイトに気を許してしまっているのもそのせいだ。

優しさに甘えたくなって、(すが)ってしまっているだけに他ならない。

(……ほんと、ズルいよな)

ハンスはカイトの事を偽善者だと言った。

けれど本当の偽善者はオレの方だ。

心から拒絶する事も出来ず、二人の優しさを利用しているのは他の誰でもなくオレだった。

それでもオレはハンスに笑って欲しくて、アイリスとの幸せな未来を手にして欲しくて、ハンスに笑いかける。

「置いて行った事なんて一度もないだろ?ほら、暗くなる前に帰ろうぜ」

優しく声をかけ、ハンスの背中を叩いてやる。

ハンスも少しは気が済んだのか、暫く無言で抱きしめた後オレを放してくれた。

「そうだ。スミレの話なんだけどさ――」

「………ああ」

馬車までの道を何もなかったように語り合う。

カイトのせいもあって距離は近づいているはずなのに、あの日の感情に触れる事は禁句であるように振る舞った。

オレにはまだ何も選べない。

それでもオレは少しでもハンスの温もりを感じたくて、わざとゆっくり()を進めるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ