▼.キース・ヴァン・トラスティーナ
「キースは何になりたいの?」
一つのベッド。
一つの毛布。
それらを共有する二人は小さな声で語り合う。
「そういうワルドは何になりたいんだ」
ぶっきら棒に聞き返したキースに、共に生まれてきたワルドは笑みを浮かべた。
「僕は騎士になるんだ」
「騎士?」
「そう!騎士になってヨナから皆を守るんだ!お金もいっぱいもらえるし、お腹を空かせることもなくなるよ!」
どこで聞き齧ったのか、ワルドはにこにこと笑ってそう言った。
「そんなの夢物語だよ」
「やってみなきゃ分からないよ!」
すぐ間近に海を臨む辺境に生まれたキースたちにとって、騎士なんてものは夢のまた夢。
遠い遠い王都に行く事でさえ叶うかどうか微妙なところなのに、騎士になろうなんてあまりにも愚かで夢見がちな発言でしかない。
呆れたキースは目を閉じる。
隣の部屋で眠る両親もすでに寝入っているのだろう。
聞こえてくるのは眠気を誘う漣の音だけだった。
海には恐ろしい魔物が住むと言うが、そんなのはきっと子供騙しの教訓だ。
ザァ…ザァ…と心地の良い波の音に耳を澄ませ、キースは体を丸くする。
外から入り込んでくるぼんやりとした明かりは、毛布に包まればすぐに消え去った。
「バカ言ってないでワルドも寝なよ」
「キースはもっと夢を見なよ」
ワルドももそもそと毛布の中へと埋まっていった。
すぐ傍に感じる体温が愛おしくて、二人は寒さを凌ぐように手を握る。
「一緒に騎士になろうよ、キース」
その願いは聞こえていたがキースは何も答えずに眠りへと落ちていった。
・
・
・
「父さん!母さん!ワルド!」
声を枯らしてでも叫ぶ。
悲鳴と咆哮が響き渡る狂騒の中、そうでもしなければ声は届きそうになかった。
「ワルド!ワルド!げほっ、う……ワルド!」
煙を吸い込んだ肺が痛い。
見慣れた村は呆気なく崩れ去り、どこを歩けば家に帰れるかも分からなかった。
すぐ近くの森に狩りに行くと言ったのは日が昇り切る前だったか。
いつもは双子の弟ワルドと出掛けるのだが、冷え込んできた空気にやられたのだろう。
熱をあげたワルドを置いて、朝早くから一人で森へと足を踏み入れたのである。
しかし成果という成果は得られなかった。
本格的な冬を前に獲物は少なく、キースは空っぽの篭にため息を漏らす。
これが春や夏ならば、鹿の一頭でも捕まえられた事だろう。
肉が無理だったとしても果実なり薬草なりが採れたはずだ。
雪が降る前に冬越しの準備がしたかったのにと、とぼとぼと数十人程度が暮らす村へと戻ったのだった。
そんなキースの前に広がるのは、あまりにも醜悪な光景だった。
「あ…、何で………」
森からでも見える高く上がった煙に、初めは焚火をしているのかと思っていた。
しかし燃えているのは家屋で、火の粉は次々と洗濯物や別の建造物へと移っていく。
村は瞬く間に赤く染まり、人々の叫び声さえ、轟々と燃える炎の音に掻き消されていった。
その中を隣人たちが駆けていく。
逃げ惑う人たちの姿が見えたかと思えば、次の瞬間には血飛沫をあげてぐったりと動かなくなった。
「クルルル!」
目を疑う凄惨な様子にキースは叫ぶ事も出来ずに立ち尽くす。
十数m向こうの視界の先に佇むのは一匹の獣だ。
まるで人形遊びでもするかのように、見た事もない悍ましい怪物が人の体を握り潰していた。
それを見た瞬間、キースはあれが人々に忌み嫌われ恐れられるヨナなのだと直感した。
(作り話じゃなかったんだ……)
森に棲む動物たちとはまるで違う異形の姿。
蛇にも似た鱗に覆われた体は、夜の闇のように暗く淀んだ色を宿している。
太い足が足踏みをするだけで簡単に建物が崩れさったかと思えば、長い手に捕らえられた人々は成す術なく喰われていった。
バクリ、バクリと人を丸呑みにする怪物から逃げるように、キースは家を目指して走り出す。
「ワルド…っ!どこだー!僕だよ、キースだよ!!」
炎と血で赤く濡れた村の中をひた走る。
人の波に押し返されそうになりながらも、キースは片割れを探して家だった場所へと走っていった。
「父さん、母さん……」
バラバラに砕けた瓦礫の中に両親の姿を見つける。
真紅に沈んだ体は動かず、そっと触れてみても笑いかけてくれる事はなかった。
「うっ…ぷ………」
胃の中のものが逆流するのを寸でで堪え、キースはまだ発見できていないワルドを探す。
ドアだった木片を投げ飛ばし、小さく砕けた食器や家具を手あたり次第に放り投げていった。
「ワルド!どこだ!?ここにいるんだろ…!!」
「…きー…す……?」
「ワルド…!!」
瓦礫の隙間から掠れた声が漏れる。
その音だけを頼りにキースは砕けたレンガを押しのけた。
手が切れ血が滲み始めたが、そんな事はどうだっていい。
犬がするように瓦礫を掘り進め、よく似た弟の顔を掘り当てる。
「ワルド!僕だ!今助けるから、もう少しだけ頑張るんだ!」
キースは懸命に周りの土砂を掘る。
瓦礫を押しのけ、爪が剥がれるのも構わず土を掘り返していった。
けれどワルドは僅かに動く首を横に振った。
その体は瓦礫に押し潰されたのか、辺り一面に血の海を作っている。
「あ……、まだ…!まだ、助かるから…!」
成人を迎えていないとはいえ、ワルドと共に何度となく狩りへと赴いたキースだ。
命を貰う瞬間の事はよく知っている。
だからこそ、それが致命傷である事はすぐに理解出来てしまった。
「まだ、まだ助かる……。僕が絶対助けるから……!!」
「キース……。僕の分まで………」
「やめろ!一緒に騎士になるんだろ!一緒に…!僕たちはいつだって一緒だったじゃないか…!!!」
涙を溢しながら、無駄と分かってなお瓦礫を崩していく。
血に染まった手で重い岩石を持ち上げ、横へと積み重ねていった。
それでもまだワルドの体を土砂の山から救う事は出来ない。
「キー…ス……、ごめん、ね……」
青白い唇が小さく動く。
その顔は穏やかに微笑んでいるようにも、突然の悲劇に苦しんでいるようにも見えた。
「ワルド……?」
黙りこくったワルドの顔に震える手を伸ばす。
顔にかかった土を払ったつもりが、逆に赤黒い線が頬に引かれてしまった。
「ワルド……。頼むから返事を……、返事をしてよ………」
肩を掴んで揺さぶるが帰ってくる声どころか息すらない。
濁った目が遠い場所を見つめていた。
「あ、あぁ………っ…!!」
キースは何も言わず、ただ嗚咽だけを漏らして、鋭く尖った岩山を押しのける。
まるで墓でも積むように岩を並べ、半身の体を取り戻そうとした。
その間にも背後からは絶えず叫び声が聞こえてくる。
火の手が高く伸びているのか、それとも今は夕方だったのか、空は真っ赤に染まっていた。
「クルルルル……」
家族の死を悼む暇もなく、それはやって来た。
ドスン、ドスンと地面を揺らして、あの怪物が逃げ遅れたキースの下へと近づいて来たのだった。
長い舌でチロチロと空気を舐め一直線にキースを目指す。
地響きに振り返ったキースはギリギリと歯を食いしばった。
「クルル、クルルル」
「…………お前らが」
座り尽くすキースを見下ろし、キースの3、4倍はあるだろうヨナは高笑いしたようだった。
逃げない獲物を前に、長い舌で細く尖った口を舐めずっている。
その様子をキースは泣き言一つあげずに見上げ、かさついた唇を開いた。
「お前らさえ、来なきゃ良かったんだ」
憎悪を宿した瞳がヨナを射抜く。
突き刺すようにヨナを睨んだまま、キースはゆらりと立ち上がった。
「お前らなんか…!!ヨナなんか存在しなければ良かったんだ…!!」
「クル?」
おどけた様子のヨナに向かってキースは突進した。
幸か不幸か、狩りに出掛けていたキースの手には小ぶりのナイフが握られている。
ナイフを右手に、キースは大きく振りかぶった。
「クルルル!!」
ヨナはというと、獲物が自ら近づいて来る事が嬉しかったのだろう。
地に着くほど長く伸びた腕を広げ、キースが飛び込んでくるのを待った。
その腹にナイフが深く突き刺さる。
どしりと構えるヨナの少し手前、キースは手に持っていたナイフを投擲したのだった。
「クル、ル?」
ドロリと赤い液体が零れる感覚に、ヨナはペタペタと腹を触る。
そして数拍を置いて叫び声をあげたのだった。
「クルルルル!!?」
すぼまった頭を振り回しヨナは激しく悶絶する。
血を噴き出す腹には、ギョロリとした丸く大きな目玉がくっ付いていた。
「お前の頭がそこだって事は知ってるんだよ…!!」
ワルドたちを探す中、キースはヨナの残虐な姿をしっかりと目に焼き付けていた。
今目の前にいる怪物は、頭のような器官を囮に、腹についた頭で獲物を捕食するのである。
食われた村の人たちの顔が頭に過り、キースは苛立ちのままにナイフをもう一本投擲する。
「クルルルル!!!!」
両の目を潰されたヨナは痛みにのた打ち回った。
ドスンドスンと地団駄を踏み、キースを掴まえようと長い腕を前へ前へと伸ばしてくる。
「……殺してやる」
動きの重いヨナの手を逃れ、キースは低く唸る。
持っていた篭からロープを取り出すと、その端を家を支えていた柱へと括り付けた。
そして這いずってでも近づこうとするヨナへと飛び掛かった。
「クルルッ!?」
振り払おうとするヨナにしがみ付き、頭のような器官にロープを巻き付ける。
暴れるヨナによって柱がもげるが、ヨナの自由を奪ってくれさえすればそれで良い。
絡まっていくロープと柱の重みで動きを一層鈍くしたヨナ目掛け、キースは瓦礫を振り下ろした。
「グルゥ!!??」
ざらついたヨナの鱗のせいだろう。
服が裂け、全身から血が滴っていたが、キースは痛みになど目もくれずに大きな岩石を持ち上げる。
その重みさえ利用してヨナの腹へと岩を叩きつけた。
「グル゛ゥ゛…ッ!!!!」
ガンッ、ガンッと何度も同じ場所に瓦礫を落とす。
一度で駄目なら十度。
十度で足りないなら百度。
それでもまだ無理だと言うなら千度でも――キースは狂ったようにヨナの体に岩をぶつけ続けた。
返り血に染まり、瓦礫を持つ手が引き裂け傷だらけになっても、血で滑った岩肌が手足を抉っても、それでもキースはヨナ目掛けて石を積み上げていく。
「死ね…!死ね…!お前みたいな怪物死んじまえ…!!」
醜い鳴き声が聞こえなくなろうとも、キースはヨナの大口目掛け石を投げ込んでいった。
どれだけそうしていたのだろう。
「誰でも良い!早く来てくれ!」
「子供が生きている!手の空いている司祭をこっちへ!」
頭の先から爪先まで血と生傷に塗れたキースに、見慣れない大人たちが駆け寄ってきた。
見れば炎も収まり、村は廃墟のように静まり返っている。
唯一喧噪を立てる大人たちは、キースを見つけるな否や血相を変えた。
無心で腕を振り上げるキースを羽交い絞めにし、まるっきり動かなくなったヨナから引き剝がす。
「離せ…!!そいつを殺すんだ…!!ワルドの仇をとるんだ!!」
「あのヨナはもう死んでいる…!まずは君の治療を……っ!」
「離せ!!今更っ…今更何なんだよ!!返せよ、ワルドを…父さんを、母さんを返してくれぉ……!!」
ボロボロと涙を溢してキースは泣き叫んだ。
痛くて、苦しくて、泣かずにはいられない。
ワルドとはずっと一緒だったのだ。
生まれてくる時からずっと、キースの隣にはワルドがいた。
何をするにも一緒だった。
生まれてくる日も、教わった事も、好きな色も、髪も目も顔も全部。
死ぬ時だって一緒のはずだった。
そのはずだったのに――ワルドはもうどこにもいない。
裂けた手の痛みよりも、灰を吸った内臓よりも、もつれてしまう足よりも、心が痛くてならなかった。
「ワルド…!!ワルドぉ…!!」
動かないワルドへと手を伸ばす。
ワルドの顔は悲しげに泣いているように見えた。
その姿を最後に、キースの意識は途絶えたのだった。
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「本当にあの子供がヨナを?」
「俄かには信じられませんがね。駆けつけた冒険者と司祭の話では、ヌースアンガーの上に座って瓦礫を打ちつけ続けていたそうです」
顔なき狩人――それがヌースアンガーだ。
その名を与えられたように、ヌースアンガーは頭部に口を模したパーツを持つ中型のヨナだった。
騎士を始めヨナと相対する者の間では、口に似た器官で敵を惑わし、腹部にある本当の口で獲物を丸呑みする事で知られている。
しかしながら、その事を知っていてもヌースアンガーを討伐する事は難しい。
肉を裂くほど鋭い鱗状の表皮は固く、生半可な刃物では傷一つ付ける事が出来ないのである。
核となる魔石も、捕食時にしか開かない鋭利な牙に覆われた口内に隠されており、核を壊すのでさえ命がけなのだ。
鈍間で愚鈍を体現したようなヨナである反面、熟練の戦士でも一人での討伐は難しいとされるのがヌースアンガーだった。
「恨みっていうのは恐ろしいものだな」
「笑い事じゃありません。もし本当にヌースアンガーを一人で倒したって言うなら冒険者の面目丸潰れなんですからね!」
話し込んでいるのは二人の男女だった。
渦中の少年の話を報告するも、冒険者を取りまとめる神行組合の支部長たる女は不機嫌そうに腕を組んだ。
彼女の放った言葉に男は視線を鋭くする。
「子供が無事生還した事より面目が大事なのか?」
「あ…、それは……」
女はやってしまったというように口を塞ぐ。
しかし時すでに遅く、騎士団の部隊長たる男は支部長へとずいっと詰め寄った。
「そういう話ならあの子は俺が引き取る。どのみちお前らみたいな利益しか見えてない連中に手懐けられる玉じゃないだろうからな」
「待ってください!あの子を先に保護したのは神行組合ですよ!?」
「その子供のために言っている事か?」
詰め寄られ、女は申し訳程度に頷いてみせる。
それで引いてくれるような男ではないと知りながらも、そうするしかなかった。
「なら俺の納得する答えを今すぐ用意しろ。出来なければ連れて行く」
「あー…えっと、とりあえず冒険者に掛け合ってみます。あれだけの才能を持った子なら貴族の中にも欲しがる人がいるでしょうし、大々的に取り沙汰してみても良いんじゃないでしょうか。養子とはいえ貴族の一員になれるなら大出世じゃないですか!それまでの衣食住は神行組合で保証しますし――」
「もういい!お前らに聞いた俺が馬鹿だった!」
「あっ!ちょっと!最後まで話を……!」
金儲けの事しか頭にない相手と話をしても不毛なだけだ。
慌てる女をギロリと睨みつけ、男は出ていった。
目指すのはヨナを倒したという暴れん坊のいるテントである。
(しかし酷いもんだ……)
ヨナの襲撃によって、村だった場所は跡形もないくらいに潰れている。
かろうじて残った建物も人が住める状態ではなく、討伐と救援に来た者たちのテントが立ち並ぶ有様だった。
その内の一つから聞こえてくるのは子供の怒号だ。
「ハハ!探す手間が省けたな」
「あなたは騎士団の…。生憎ですがここは神行組合のテントです!騎士の方にはお帰りを――」
「悪いが例の子供に用がある。お前らんとこの上にも了承済みだ。通してもらうぞ」
制止を振り切り、男はズカズカとテントの中へと押し入っていく。
外まで聞こえた叫び声の通り、金髪の少年が大人たちを相手に大暴れしているのだった。
手に噛みつくなんてのは生易しいくらいで、今は奪い取った剣を構えて威嚇をしている。
「お前らの言葉なんか信じられるか!!」
「子供が剣なんか振り回しちゃ……うわっ!?こいつ本当に斬りかかって来たぞ!?」
「おじさんたちは怖くないよ~?おじさんたちが駆け付けなかったら君も危なかったんだよ?」
「うるさい!うるさい!誰も助けてくれなかったくせに!!みんな、みんな死んでから来て……!!良い人ぶったりなんかするな!!」
こなれた手つきで剣を振り回し、少年――キースは叫び散らした。
そんなキースに男はのしのしと近づいていく。
臆する事も、まして怒る事もなく、キースへと距離を詰めていった。
「ち、近づくな…!!」
明らかに他の大人とは違う気配にキースも思わず後ずさる。
一歩、二歩と後ろへ下がり、すぐに先程まで眠っていたシーツの上へと辿り着いた。
後ろは垂れ幕で、切り裂いて逃げようにも時間が掛かりすぎる。
「近づくなって言ってるだろ!!」
追い詰められたキースは男に向かって剣を振るった。
鎧に覆われた男の肩目掛け、細身の剣を振り下ろす。
「ひっ!!」
「あのガキ、やりやがった!!」
冒険者たちが狼狽える中、男は目を瞑る事もなくその攻撃を受け入れる。
ガキンッと鎧に刃がぶつかった音を聞いて、にっと笑ってみせるのだった。
「はは!思った通り腕が良いな!」
「な、何で……」
「最初っからここ狙ってただろ?ヨナを一人で倒したってのも納得だ」
驚くキースの前で男は姿勢を落とす。
目と目を合わせ、大きな手でキースの頭を優しく撫でた。
「すぐに駆けつけてやれなくて悪かった」
「何、を……」
「憎いだろ。ムカつくだろ。俺たちが少しでも早く着いてれば、こんな事にはならなかったかもしれないんだからな」
神妙な男の言葉に、キースは震える手から剣を落とした。
地面を転がる剣には目もくれず、男はキースへと語り掛ける。
「その怒りは正当なものだ。お前は怒って良い。殴りたきゃ殴って良いんだ。けどな、ここにいる全員、命を張ってここに立ってるんだ。俺もそこにいる連中も、出来るなら皆救いたかったんだよ。どんなに腹が立っても、それだけは分かって欲しい」
「………ほんとに?見捨てたわけじゃない…?」
「ああ、本当だ。だからな、お前が生きていてくれて俺は嬉しい。一人でも助かった奴がいてくれて、俺は心底ほっとした」
「っ……!ふ、うぁ………」
真っ直ぐな言葉に、キースは涙を溢した。
しゃくり上げ、自分の体を抱き留める広い男の胸を濡らしていく。
「坊主、名前は?」
「ふっ、うぐ……キース」
「そうか、キースか。良い名前だ。恐れずに戦ったお前にふさわしい名前じゃないか」
わしわしと髪を撫でる男を見上げ、キースは目を瞬かせる。
「……?父さんは森って意味だって……」
「そうか、森か!俺の国では戦士って意味があってな。だがたしかにお前の見た目は絵本に出てくる森の精霊みたいだな!」
血と泥に汚れてなお、金の髪は透き通るように輝いている。
湖畔を思わせる青い瞳もあって、キースの出で立ちは童話や伝承で知られる森の民のようだった。
男はそんなキースへと手を伸ばした。
「俺はレグルス・ナディン。『大地の国アズロ』から派遣された騎士だ」
レグルスと名乗った男は左手でキースを抱えあげる。
そして逆の手でドンと胸を叩いた。
誇らしげなレグルスをよそに、キースは騎士という単語に目を見張る。
「キースさえ良ければ俺と一緒に来ないか?俺みたいに騎士を目指すもよし!あいつらにみたいに冒険者になるのだって良いだろう。他にやりたい事があれば力に――」
「なるよ、騎士」
鳶色の目を見つめ返し、キースは呟く。
その青はとり憑かれたかのように暗い色を宿していた。
あまりに深い影にレグルスは眉を寄せる。
けれど、今にも泡になって消えてしまいそうなキースに宿った生きる目的を奪う事は出来なかった。
「じゃあお前が立派な騎士になれるよう俺がみっちり鍛えてやる!厳しくしごいてやるから楽しみにしておけよ?」
豪快に笑い飛ばし、レグルスはキースを連れ出した。
冒険者をまとめる神行組合の面々を無視し、アズロの旗印を掲げる騎士団のテントへと向かっていく。
「今からお前はナディンの一員だ。俺の事も父さんって呼んで良いからな」
「………おじさん」
「ははは!最初はそうだよなぁ!」
高笑いするレグルスを迎え入れるのは、驚きと呆れを浮かべた騎士たちだった。
歓迎されているのか、されていないのか。
キースはそんな事は構わず、騎士たちが身に着ける純白の鎧と剣に目を向ける。
(――ワルド。僕、騎士になるよ)
脳裏に浮かぶのは双子の弟の事だ。
長い時間を共に生きてきた大切な半身。
顔も声も考えも、全てが瓜二つだった大事な片割れ。
今はいないワルドに語り掛けるように、キースは目を閉じる。
(あいつら全員殺してやる。お前の分も全部、全部殺してやる。だから……僕が生きる事を許してくれ)
一緒に死ぬ事が出来なかったのならば、殺すしかない。
ぽっかりと失ってしまった空白に注がれたのは、レグルスの危惧する通り、ヨナに対する激しい憎悪と殺意だけだった。
それから数年――。
憎悪に囚われたキースは鍛錬に明け暮れる日々を送った。
レグルスが止めようと、誰に後ろ指を指されようと、ヨナを屠る事だけを考え、寝食も蔑ろに自分自身を追い詰めていったのだ。
「キース!また無茶をして…!」
「あんたには関係ないだろ」
「俺はお前の父親なんだ!息子を心配して何が悪い!?」
「父親になってくれなんて頼んだ覚えはない…!」
憎悪を募らせ続けるキースは、何度となくレグルスと衝突した。
生き方を諭され、道を示され、殴り合いの喧嘩に発展する事も一度や二度の話ではない。
それでもキースは復讐を手放す事だけはしなかった。
怨恨と妄執がもたらすものが破滅だとしても、キースはけして胸を焼く怨嗟を捨てる事はなかったのである。
ただヨナを食い潰す事を夢見て、血に濡れた場所に立ち続ける。
その足元にあるのは瓜二つの顔の弟だ。
『ねえ、キース。僕の、父さんの、母さんの仇をとってくれよ』
耳に届くそれが真実かどうかはもう覚えていない。
ただの幻聴だとしても構わなかった。
それこそが戦う意味なのだと、キースはその言葉に従うようにヨナを屠り続けた。
その果てに、結局キースは生き残ってしまったのだった。




