11.子猫伯爵と忠犬候補
オレもといシャルルの体は燃費が悪い。
どれだけ寝てもすぐに眠くなるし、どれだけ食べてもすぐにお腹が空く桁外れの燃費の悪さを誇っていた。
オレとしての意識が芽生えてからはとみに酷く、1日の大半を寝食に費やすのも日常茶飯事の事だ。
最初こそ病気ではないかと不安に感じたが、ただ単にそういう体質らしい。
専属医からも〝よく食べてよく寝てください〟と何の解決にもならない金言を貰うに終わった程だ。
あの父たちがさほど心配していない様子なのを見ても本当に体質問題なのだろう。
食っちゃ寝が許されるシャルルの境遇もあって、オレは好きなように食べて寝てを繰り返した。
実を言うと今日の授業も大半を寝て過ごしたし、合間に持参のおやつをつまんでいたのだが結果はあの通り。
ハンスの倍以上食べたところで満腹には程遠く、まだまだ食べ足りないオレは食べ歩きツアーを敢行しようと思い立つ。
折角ロータウンに来たのだから心行くまで楽しまなければ損だろう。
広場に並ぶ屋台の端から端までを攻略すべく、オレはハンスの腕を引っ張った。
「――悪い。オレばっか楽しんだよな」
そうして本当に端から端までを食べ尽くしたオレはハンスに頭を下げた。
空腹が晴れた事で冷静さが戻ったというべきかもしれない。
小一時間程ハンスを連れ回し、馬車の近くまで戻ってきてようやく、オレはそこまで頭が回ったのである。
文句も言わずついて着てくれたハンスだったが、傍から見ればオレに無理やり引きずり回されてるだけにしか見えなかった事だろう。
ハンスがすぐ暴力に訴えかける奴じゃないと分かってはいるが、荷物持ちのような真似までさせてしまったのだ。
勝手が過ぎたと反省し、オレは素直に謝る事にした。
しかしハンスはオレが謝る理由が分からないといった様子だ。
「シャルルが楽しかったなら良い」
「けど……」
「ここに来たいと言ったのは俺だし、シャルルが気にする事はない」
気にするなと言われても気になるのが人間というものだ。
ハンスが本心から平気だと思っているのだとしても、一度気になってしまった以上、オレも簡単に引き下がる事はしたくない。
(だって、そればっかじゃん)
普通の相手であればそこまでの事は考えない。
だが目の前にいる男は口を開けば〝シャルルが良いなら俺は良い〟なのだ。
生身のハンスと付き合うのは今日が初めてとはいえ、どうにも主体性が見受けられない。
あれはどうだ、これがオススメだと言いはするものの、そこにあるのはオレへの気遣いばかりで自分自身の事は蔑ろにしているように思えてならなかった。
このままではオレがハンスを顎で使っていると誤解されるのも時間の問題だ。
殴られて退場する小悪党からジュリアナのポジション――主人公を手籠めにする悪女になったと思えば大層な進歩だが、そもそもオレは女ではないしハンスに色仕掛けをする予定も皆無だった。
(だから悪役にはなりたくないんだって――!!)
これが女神の作為というならば本当の本当に意地が悪い。
オレが欲しいのは友達であって取り巻きでも便利な子分でもないのだ。
悪の華道なんてものは1㎜たりとも望んでいないし、オレもハンスも〝楽しい〟でなければ意味がない。
やはりここはガツンと言ってやらなければいけないだろう。
謝ろうとしていた気がするがこういうのは勢いだ。
「気にするなって言うけど、ハンスの方がオレのこと気にしすぎなんだよ。そんな気遣わなくて平気だし、お前がそんなだとオレも楽しくないからな?」
「気を遣ってるわけじゃ……」
「は?あれで気遣ってないわけないだろ?オレが好きそうだからって言うけど、じゃあお前がやりたい事って何だよ。オレだってハンスに楽しんで欲しいって思ってんだからさ、ちょっとくらい我儘言えば良いだろ」
オレの言葉にハンスは気の強そうな眉を下げる。
「シャルルに……」
「何だよ?」
「我儘を言ってシャルルに嫌われたくない」
言われて、一瞬だけ呼吸を忘れる。
たしかにオレは自分勝手だ。
ころころ意見だって変えるし、我が身可愛さで逃げようとだってする。
それでも友達になった相手をあっさり見捨てると思われるのは心外中の心外だ。
「――気遣うくらいなら、オレを信じろよ」
ぼそりと呟いてハッとする。
物凄く恥ずかしい事を口走ったと気が付いた時には既に遅く――ハンスがオレの手をとった。
「絶対にシャルルを傷つけるような事はしない。だから――」
後に続く言葉は聞かなくても分かった。
「簡単に嫌いになったりしないっての。まあ、殴られでもしたら話は別だけど……」
「そんな事はしない」
「たとえばの話だって。けどそういう事だから変に気ばっか遣うなよ?」
「………頑張ってみる」
これで少しは金魚の糞を脱却してくれるだろうか。
初日から前途多難なオレとハンスの関係に、そろそろ疲れも限界だ。
「ふわ、んにゃ……」
食べた後もあって変なあくびが出てしまった。
目をしぱしぱさせるオレを見てハンスは小さな声で笑っている。
「そろそろ帰った方が良い。遅くなると家の人が心配する」
「それはお互い様だろ」
あくびを連発しながら城下の脇で待っていてくれた馬車に乗り込む。
ハンスはエスコートこそすれど、中には入ってこなかった。
「あれ?ハンスって何で来てんの?」
「徒歩だ。下手な馬車を使うより速い」
「へ、へぇ…、そっか……」
馬車だとすれば学院まで送る――と言おうとして、予想の斜め上をいくハンスの答えに言葉が引っ込んだ。
ハンスならやりかねないのも事実。
突っ込んだら負けな気もするし、それ以上気にするのはやめる事にしよう。
「乗ってく?」
「逆方向だし大丈夫だ」
「そっか、気をつけてな」
一応聞いてみたが手助けは不要らしい。
『ラブデス』でどう描写されていたかまでは定かではないが、これが後にヨナをバッサバッサ切り捨てる主人公のポテンシャルという事か。
底が見えないハンスの凄まじさに戦々恐々とするばかりだ。
「今日は付き合わせて悪かったな」
「シャルルが楽しかったなら――いや、俺の方こそ無理を言ってすまない。今日は楽しかった」
「ははっ!オレまどろっこしいのとかそんな好きじゃないしさ、あんま考え過ぎんなよ?じゃ、また明日な」
「ああ、また明日。おやすみシャルル」
ハンスに見送られ馬車が出発する。
2頭の馬が歩く振動と、のどかな風の音に包まれ、オレはすぐさま瞼を閉じる。
空はまだ明るいが家に着く頃には暗くなっているだろう。
(また明日――か)
その一言がこそばゆくて口元が緩くなる。
お気に入りのクッションがよだれまみれになる事を、眠りに落ちる寸前のオレはまだ知らなかった。
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車輪が回る音。
傾いていく陽光。
遠ざかっていく馬車を見つめ、ハンスもまた踵を返す。
「上手く、いかないな」
ひとり言ちて浅く息を吐いた。
(いや――怖いくらいに上手くいきすぎてるのか)
つい先ほど別れたばかりのシャルルの顔が頭に浮かぶ。
夢みたいとまで言うつもりはないが、シャルルと過ごしたこの数時間は実に充足したものだった。
けして気を遣っているわけではない。
シャルルには分からないかもしれないが、ただ一緒にいられるだけで十分だった。
それ以上を望むのはまだ――考えかけて頭を振る。
(嫌われたら元も子もないんだ。変な事は考えるな)
自分でもしつこかったと反省物のアプローチの末、何とか友達になれたのだ。
何が何でもシャルルに嫌われる事だけは避けなければならないだろう。
(まだ警戒されてるみたいだが……)
誓ってシャルルに嘘は付いていない。
いくつかある理由こそ言わなかったが、シャルルと仲良くなりたいというのは本心だ。
最初こそ表情の薄いこの顔が怖いのか、貴族以外と関わるのが嫌なのか無視をされてしまったが、それも概ね予想の範疇だ。
その程度で腹を立てる気など毛頭なかったし、眠たげなシャルルを眺めるだけで気持ちは穏やかなものだった。
だがカイト・デルホークに向けられた恐怖の入り混じった表情。
その顔を見た時に心が激しくざわついた。
シャルルはきっと俺の手をとってくれる――確信めいたものを感じとった。
(俺の考えは間違いじゃなかった)
一度とったその手を放す事は難しい。
ずっと欲しかったものを数年越しになってようやく手に入れた気分だった。
この先に待つものが苦難の道だったとしても、シャルルがいてくれるなら耐えられる。
(俺はもう……)
孤独だった過去は振り返らない。
守るべきものは分かっているのだから。




