▽.忠犬と射手
ガンガンと神力を纏った剣がぶつかり合う。
片や大地の赤に、片や天空の金に染まる刃は、互いに引く気配も譲る素振りも見せはしない。
「正直侮っていた。まさかここまで食らいついて来るとはな」
「……まだ自分が上だとでも?」
「さてな。だが貴様に譲ってやるつもりはない。勝利も――」
シャルルも――と唇だけで呟き、カイトは剣を持つ手を突き出した。
ハンスは左手に構えた盾で刺突を防ぐ。
「くっ…!!」
しかし、重い。
片手で持ち堪えるにはあまりに重い一撃に、ハンスは足を踏みしめる。
床と踵がこすれ合い、少しずつ後ろに追いやられながらも、右手を振り抜いた。
刃は鎌の形を作り、本来なら足りえないリーチを補完する。
「甘い!!」
「クソッ…!!」
鎌が届く直前、カイトがさらに体重を乗せる。
凪ぐ事も耐える事も出来ず、ハンスの体は後方へと弾き飛ばされるのだった。
後ろ跳びをする形で体勢を保つが、左腕にはじんじんとした痺れが残っている。
震えそうになる手を忌々しげに見つめ、ハンスは次の衝撃へと身構えた。
ぎゅっと柄を握りしめ――
「そこまで」
ハンスの耳に届いたのはキースの声だった。
カイトを背に抱き、制するように左腕を上げている。
「俺の負け……ですか?」
「勝敗も何もこれ以上は授業で行われる範囲ではありません。あくまでこれは訓練であり、正式な試合ではない事をお忘れなく」
視線を落とすハンスへと淡々と告げる。
落ち込んだ様子のハンスを立たせると、カイトと挨拶をするように背中を押した。
「………手合わせありがとうございました」
「………こちらこそ」
揃って不服そうに握手を交わし、目と目で語り合う。
(この決着はいずれ着ける。その日をせいぜい楽しみにしておけ)
(…………ほざいてろ)
睨み合いだけは止めず、二人は距離を置いた。
とはいえ、手に汗握る熱戦を見せられた生徒たちは、興奮冷めやらぬ状態だ。
第二ラウンドが始まるのではないかと、期待に満ちた眼差しをハンスたちへと向けている。
熱気に溢れた空気に、キースも訓練はままならないと判断を下したのだった。
やぶさかではなさそうなカイトに視線を送ると、構えるよう促した。
「デルホーク公子。宜しければ一戦いかがですか?」
「もちろん。騎士爵にお相手頂けるとは光栄です」
「ウィルフレッド、君もです。二人同時にかかってきなさい」
「……はい。分かりました」
ハンスにも声をかけ、キースは左手に魔具を持つ。
盾は持たず、赤く光る刃を静かに構えた。
オーソドックスなショートソードと言ったところだろうか。
騎士や戦士が好んで用いる、長すぎず短すぎずの刃がハンスとカイト両名に向けられる。
「少しくらいハンデを設けましょう。どちらか一方でも私に当てられたら君達の勝ちとします。説明はそれで充分ですね?」
それを合図にキースが踏み出した。
生徒たちの目にはフッ…とキースが消えたように見え、次の瞬間にはカイトの後ろへと現れる。
「っ!!」
振り向くより先に盾を出すが、そこにはもうキースはいない。
「油断のし過ぎです。私はもう前線を退いた身ですが、こうして皆さんの教師を務めるくらいには現役なわけです。老いさらばえた騎士と思う事なかれ――とでも言っておきましょう」
トン――と柄が触れる。
後ろを振り返ったカイトの脇腹に、キースの手に握られた魔具が押し付けられていた。
文句のつけようもない敗北に、カイトは潔く頭を下げた。
「肝に銘じておきます」
「それと……公子は目に見える情報に頼りすぎです。加護の影響もあるかと思いますが、あらゆる感覚を研ぎ澄ませるべきでしょう。補うための訓練も忘れずに」
柄でトントンと腹を小突きながら弱点を指摘する。
その背後に差し迫るのはハンスだ。
生徒たちが息を呑む中、剣を振り上げキースの背中目掛けて振り下ろす。
「奇襲をするのであれば殺気は隠しなさい。そして最短で武器を振り抜くように」
しかしながら、その手を下げる事は叶わなかった。
高く上げられた爪先が、剣を持つハンスの手を的確に抑えつけている。
振り下ろせなかった手はそのまま外側へと蹴り飛ばされ、武器を失ったハンスは舌打ちをした。
「すぐ舌打ちをする癖も直しなさい」
「………気を付けます」
首元に足先を突きつけられ、ハンスは口をへの字に曲げる。
呆気なくやり込められた二人に、生徒たちは唖然とするのだった。
そして――
「皆さん訓練に戻りなさい。気持ちが先行する事もあるでしょうが、神力のコントロールをより正確にしていく事が先決です。デルホーク公子、ウィルフレッドのように戦うにも、まずは基礎を整える事が大切になります」
キースが手を鳴らすと、生徒たちはそそくさと訓練へと戻っていった。
恐怖と羨望の混じった表情で、打ち合いへと取り組んでいく。
「……ダシにしましたね?」
「あのままでは集中出来ないと判断しただけです。騎士団でも同じような事はよくありましたから」
ハンスはむっとした顔でキースを見る。
キースは涼しく言い返し、持っていた魔具を箱の中へとしまった。
対になる盾と並べ、小箱の蓋を閉める。
(念のため点検をしておくか)
キースの視線の先には暴走を起こした魔具が置いてあった。
寄せておいたそれを見つめ、僅かに表情を曇らせる。
魔具の暴走は取り立てて珍しい事ではないが、だからといって頻繁に起こる事でもない。
再発を防ぐためにも、キースは小さく亀裂の入った魔具を手に取って見つめた。
(この罅は暴走時に出来たようだが……)
暴走が起きるパターンは大きく二つ。
想定以上の神力が注がれるか、魔具自体が破損しているかのいずれかだ。
(……前者の可能性は考えにくいか)
全ての魔具は、刻まれた加護回路によって必要以上の神力が注がれる事がないよう制御されている。
核となる魔石と極めて相性が良い場合には異例が起きかねないが、それだって数十年、数百年にあるかないかの話だった。
(学院で保管する魔具は定期的に検査を行っている。見た目に異常が確認出来ないという事は、回路が直接やられている可能性もあるな。だが……)
異変があれば今のようにすぐ回収される。
不良品が紛れ込んでいたと考えるのも無理があるだろう。
キースはさらに深く考え込んでいく。
(この魔具を使っていたのはサンダスだったか。問題を起こすような性格でも家柄でもないな)
最後に魔具を使ったのはオーガスト・サンダス。
子爵家の令息で至って普通の貴族派の一人だ。
所謂過激派には当たらず、交友関係や日頃の行いも特別非難するようなものはない。
(考えすぎか…?)
知識がなければ回路だけを破壊するなんて芸当は出来ない。
いかに神学院が歴史ある教育機関だとしても、そこまでの技量を持つ生徒はいないだろう。
意図的に手が加えられている可能性を考え――しかし、それを裏付けるには情報が足りなかった。
諜報は専門外だとキースは頭を悩ませる。
(上に報告するとして、何かが引っ掛かる)
愉快犯というには危険性が高く、暗殺というにはあまりにお粗末だ。
キースを邪険に思っているだけなら、普段の態度が悪いでも何でも文句のつけようはあるだろう。
気に掛かる何かが分からないまま、キースは破損した魔具をポケットへと突っ込んだ。
「教授?」
「今日の放課後は空いているか?暇なら片付けを手伝え」
「分かりました」
共有だけはしておくべきかと、キースは不安そうに覗き込むハンスの肩を叩く。
そこにハンス同様休憩に入ったカイトが割って入ってきた。
「先程はご指導ありがとうございました。叶うなら騎士爵に稽古をつけて貰いたいくらいです」
「勿体ないお言葉ですが、公子様であれば騎士団の者に掛け合ってみてはどうでしょう。ナディン団長――今は顧問でしたか。私の師に当たる人です。彼の方が指南役には適任かと思います」
「ナディン卿ですね。聞いた事があります」
キースに話しかけるカイトを見て、ハンスは顔を歪ませる。
シャルルに留まらずキースまで懐柔する気かと、苛立ちを露わに睨み続けた。
(シャルルは大丈夫だろうか…?)
キースにあしらわれるカイトをほくそ笑むように一瞥し、戻ってこないシャルルへと思いを馳せる。
相手がユージーンだけに問題はないはずだが、明らかに様子のおかしい姿がどうにも気に掛かる。
「では後で伺います」
「ああ、アーチボルトにもよろしく」
結局、授業が終わるまで二人は戻ってこなかった。
思ったよりも状態が酷いのかもしれないと、ハンスは終業と同時に医務室へと走っていく。
駆け足気味に中央棟の1階を目指し、挨拶もそぞろに中へと入っていった。
「シャルル!ジン!」
「あー!ハンス!先生は!?キース先生は来てないの!?」
「おわ!暴れんなよ!?安静にしろって言われたばっかだろ!?」
ハンスが顔を見せると、ベッドに座っていたユージーンが飛び降りようとする。
それをシャルルが押さえつけているが、ユージーンは人が変わったように落ち着きがない。
「とりあえず寝てろ…!!」
暴れるユージーンをベッドに押し返し、シャルルはハンスへと体を向ける。
そこにはだいぶげんなりとした顔があった。
「怪我はないから大丈夫。ただかなり興奮状態みたいで……見ての通りだけど」
「たしかにこれは酷いな」
ユージーンの様子もだが、シャルルの顔も酷い。
居た堪れない思いになって、ハンスはそっとシャルルの頬に触れた。
ただでさえ華奢な体が余計に萎んだように感じられる。
やはり一緒に行くべきだったと、ハンスは色の白い頬を労わる様になぞった。
「僕が居るの忘れないんで欲しいんだけど?」
その手をやっかむようにユージーンが唇を尖らせる。
ハンスはびくりと手を止め、いささか不機嫌な目でユージーンを見下ろすのだった。
その圧に怯む事なく、ユージーンは目を輝かせる。
「それよりハンスって先生と仲良いよね?どうやって仲良くなったの?僕も授業の手伝いに行って良いかな?」
キラキラと目を輝かせるユージーンに、ハンスは思わず顔を顰めた。
シャルルはもはや諦めているのだろう。
呆れたように首を振っている。
「やはり頭を打ったんじゃないのか?」
「オレもそう思う」
コソコソと掛け合うシャルルとハンスにユージーンは再び唇を尖らせるのだった。
「当たり冷たくない?」
「つい昨日までニール教授追っかけてたんだから当然だろ。それが急にトラスティーナ教授に惚れたって言われてもさぁ…………男同士だし」
「シャルルがそこ言っちゃうんだ」
「うっ、うるせー!オレはノーマルですー!」
「それを言ったら僕もノーマルだよ。キース先生は惚れちゃったんだからしかたないよね」
この流れに口出しは出来ず、ハンスは子供じみた二人のやり取りを見守った。
幸いにも今日はもう授業がない。
既に生徒たちは解散となっているため、ハンスはゆったりとした気分でシャルルの隣を陣取った。
進級してからはカイトとジュリアナの邪魔ばかり入り、こうしてシャルルの温もりを味わう事すら難しくなっていたのだ。
久方ぶりの穏やかな空気に、ハンスは気を緩ませた。
「少しくらい先生のこと教えてよ」
「俺の口から言える事はない。そんなに気になるなら直接聞きに行け」
かえって煩い気もするが、不安要素が減った事もあり心は穏やかだ。
そこにアンナとレフとジョン、そして訓練のペアを組んでいたダニエルも合流する。
「ジンが壊れたんだぞー」
「恋は盲目とは言ったものね……」
後からやって来た面々も、芽生えた恋に突き進もうとするユージーンを見て眉を顰める。
アンナは複雑そうにしていたが、寮生活同士、アンタたちに任せておけば問題はないだろう。
取り留めもない――実際にはユージーンの不毛な叫びの数々を聞き流し、ハンスはシャルルを馬車まで見送った。
・
・
・
「アーチボルトはどうだった?」
「……怪我はないそうです」
含みのある言い方にキースは眉を寄せる。
あれから1時間程――所要を終えたハンスはキースが待つ修練場へと戻ってきていた。
「別の問題があったのか?」
こう見えて生徒思いのキースだ。
ハンスはいくらか悩み、医務室での事を正直に打ち明けた。
あの様子ではユージーンは明日にもキースに突撃をするだろう。
多少なりとも心構えが出来ていた方がマシだろうと、ユージーンの事を伝えたのだった。
「…………そうか」
突拍子もない話かと思いきや、キースは怒りしなければ驚きもしない。
代わりにその顔は一気に疲弊したように見えた。
「教師をやっていると、こういう事も多いんですか?」
「そういう話題に事欠かない教師がいるのもたしかだな。僕も何年か前まではそれなりに…といったところか」
キースが苦々しく口を開く。
「こんな騎士崩れでも騎士の名誉欲しさに言い寄ってくる令嬢はたくさんいたという事だ」
「それはまた……」
「学院に来たのが18の時だったからな。あの頃はまだ若かった。年齢が近いのもあって既成事実を作られそうになった事もある」
さめざめと語るキースにハンスは強い同情を抱く。
それとは別にハンスは首を傾げた。
「………18で教師になったんですか?」
「言わなかったか?厳密には19になる年だが、上からの要請もあって騎士をやめてすぐ学院に来たんだ」
「そういえば今年で勤続9年目でしたね」
深く考えていなかったが、逆算すると学院に来たのは18歳の時にまで遡る。
自分が思っている以上に凄い人なのではないかと、ハンスは改めてキースに畏怖の念を抱いた。
「教授の事を聞いても…?」
「それくらいは構わないが、面白くはないぞ」
キースは少し考えた素振りをして口を開く。
「学院に来たのは騎士を辞めてからだ。18の時に騎士の名と爵位を頂いて――騎士団からも除名された。皆騎士の名を羨ましがるが、僕に与えられたのは同情からみたいなものだ」
「随分と早い除隊ですね」
「だろうな。騎士団に入ったのは15の時だった。分かりやすく言えばたった3年――3年ぽっちで僕は体を使い潰したって事だ」
嘆くようにキースは語る。
虚しい言葉にハンスはただ相槌を打つしか出来なかった。
「僕はずっと南の方で生まれたんだ。もう地図にはない場所だ。僕の故郷はヨナに襲われなくなってしまった」
「それは……」
『大地の国アズロ』ではヨナを見る事はほとんどない。
しかし南に行けば行く程ヨナの出現は顕著となり、最南部までいくと毎日のようにヨナの脅威に晒されるのである。
高低差の激しい大陸そのものの形が要因ではあるのだが、海に面した南西は、到底人が穏やかに暮らせるような場所ではなかった。
中にはヨナの襲撃に消え去った街や村も多く、キースの故郷もその一つだったのだと言う。
言い知れぬ無力さにハンスは拳を握りしめる。
唇を噛み締めるハンスを宥めるように、キースは薄く笑んだ。
「レグルス・ヴァン・ナディン団長。師と言ったように、彼が身寄りのない僕を拾って騎士として育ててくれたんだ。僕にとっては師匠であり――頑なに認めなられなかったけど、立派な父親だった」
懐かしむような声は優しく、ハンスは力んでいた手を緩める。
「トラスティーナの名も彼が考えてくれたんだ。〝確固たる信頼〟という意味が込められているそうだ」
そこまで話し、キースは口を閉じた。
その目はどこか悲しげで、ハンスは何も言えないまま色褪せたような青色を見つめる。
「――昔話はこれくらいにしておこう」
しんみりとした空気を掻き消すように、キースはしまいこんでいた魔具を取り出した。
破損した魔具をハンスへと投げ渡す。
「今日暴走した魔具だ」
「これが何か?」
「魔具の暴走は滅多な事じゃ起こらない。僕の考えすぎかもはしれないが、何者かが意図的に細工したんじゃないかとも思っている」
生徒に話す事ではなくとも、弟子に伝える分には許されるだろう。
ルールの抜け目を利用するように、キースは自身の考えを口にする。
「原因の究明に努めるが、お前も気を張っておけ。ただでさえ王女が留学中なんだ。問題の一つや二つ起きるくらいのつもりでいた方が良い」
「それには同意します」
頭が痛いと言わんばかりにハンスが嘆息する。
キースも同じく息を吐き、罅割れた魔具をハンスの手から回収した。
「アーチボルトの事は放っておけ。どうせすぐに飽きるだろうからな」
「………だと良いんですが」
その後はいつものように鍛錬と手合わせをし、暗くなりきる前の解散となった。
疲れた体に鞭を打ち、ハンスは家までの道を走っていく。
体作りに余念のないハンスを見送って、キースは行きたくもない教員室へと赴くのだった。
真面目腐った空気が苦手なのもあるが、今日に限っては問題を提起しなければいけないのだ。
傍目には分からないだろうが、キースはどんよりと重い空気を背負って自分の戦場へと向かっていく。
(せめて痺れさえなければ……)
ヨナのひしめく戦地が恋しいと思えるのはキースだからこそだろう。
とぼとぼとした足取りで、キースは教員室へと足を踏み入れた。
この時のキースはまだ知らない。
ユージーン・アーチボルトという男がいかに執念深い男かを―――




