84.子猫伯爵と不猫寄
嫌な事があった時は猫に限る。
屋敷に着いたオレは部屋で待つスミレたちへと飛び付いた。
「スーミーレー!」
「んにゃん…!」
猫用ベッドで丸まるスミレの尻めがけて手を伸ばすと同時、鈍い鳴き声が一つ。
スミレはオレの手を躱さんと、バッと飛び退いたのだった。
「スミレ……?」
呆然とするオレをよそにスミレは不機嫌丸出しだ。
きっと虫の居所が悪かったのだろう。
不服そうなスミレを一旦諦めて、床に転がっているモモへと手を伸ばす。
「んみっ!!」
しかしモモもオレを避けるように垂直ジャンプを披露した。
四つ足のままびょんと飛び上がったかと思えば、窓際に置かれたテーブルの上へと避難する。
めげずにクロとサビにも突っ込むが、二匹も同じくオレから逃げていくのだった。
「うぅ…何で………」
猫に避けられるというオレ史上初めての出来事に撃沈する。
前世でだって猫に嫌われた事はないというのに、オレの何がいけなかったというのか。
たっぷり遊んで食事だって美味しいものを与えている。
部屋に閉じ込めるなんて事もせず、自由に部屋と庭を往来できるようにだってしているのだ。
昨日も一緒に眠った仲にも関わらずこの仕打ちはあんまりだ。
がっくしと項垂れるオレが不憫に見えたのだろう。
気まずそうな足取りのスミレがてこてこと近づいて来る。
「スミレぇ……!!」
やはりスミレはオレを見捨ててはいなかった。
バッと腕を広げるオレに歩み寄り、しかしスミレはくしゃりと顔を歪めたのだった。
その顔は〝くさっ!!〟とでも言っているようである。
フレーメン反応だったか、雨の日の靴ないし臭い靴下を嗅いだ時のような顔に、オレは自分の体の匂いを嗅いでみた。
スンスンと鼻を鳴らし――
「へくちっ!!」
くしゃみが飛び出したのだった。
手で押さえる間もなく出たくしゃみに絶句する。
「…………これだ。絶対これだ」
ジュリアナのフェロモンがこびり付いていたという事だろう。
オレとスミレたちの仲を引き裂こうとする匂いにオレも怒り心頭である。
ハンスではないが、ズモモモモ…と黒いオーラが溢れてきそうだった。
「スミレたちが嫌がる匂いつけやがって…!ナサニエルー!!」
呼び鈴を鳴らすのも億劫と言わんばかりに大声でナサニエルを呼びつけた。
「もー、何ですか大声出して」
「今すぐお風呂!あとこの服捨てるから!」
「汚れてるようには見えませんけど……」
「めちゃくちゃ花粉つけられたから無理。スミレたちも嫌がってるし」
オレの足元でスミレが、ナニサエルにも分かるようにわざとらしく顔を顰めている。
んああぁと口を斜めに曲げ、小刻みに震える体全部で臭いと表現していた。
部屋の四方に散り散りになった子猫たちも相まって、ナサニエルも何かを悟ったようだ。
「お風呂に浸かりながらで良いんで、お話聞かせて貰っても?」
「ん!」
スミレたちを部屋に残し、ナサニエルと共に1階にある浴室を訪れる。
タイル張りの部屋の真ん中に猫足バスタブ一つがぽつんと置かれた、優雅なんだか物寂しいんだかな場所である。
「すぐに準備しますね」
手早くタオルや着替えを準備したナサニエルがバスタブへと触れる。
たちまちの内にお湯が沸き出し、浴槽を満たしていった。
このバスタブ自体が魔具であり、神力を注ぐとお湯が湧き出てくる神秘のお風呂なのである。
けして安価ではないが、魔具としては量産されているタイプの代物だそうだ。
それなりに貴族の家になら一台以上はある事だろう。
ナサニエルがお湯を張ってくれている間に、オレはぽいぽいと匂いの染みついた服を脱ぎ散らかす。
一段高くなった足場に靴を揃え、半分ほどがお湯で満たされたバスタブに飛び込んだ。
「少々お待ちを」
肩までお湯が昇ったのを確認してから、ナサニエルはオレの脱いだ服を袋にしまう。
匂いが漏れないように密閉すると部屋の隅へと寄せた。
その後に手を洗い、解かれたオレの髪にお湯をかけていく。
「じゃあ洗っていきますね」
「んー」
気恥ずかしさが抜けないが、これがオレのお風呂スタイルだ。
貴族らしく従者であるナサニエルに全身を綺麗にしてもらうのである。
昔はもっとたくさんの使用人に囲まれていたが、記憶を取り戻してからは恥ずかしさの方が勝り、エインワーズ一家に頼りきりだった。
ナサニエルがオレの従者になってからは、こうしてナサニエル一人に任せっきりだ。
とはいえ他人に体を預ける事は何となしに抵抗がある。
たとえナサニエルが小さい頃から一緒に過ごしてきた兄貴分だとしても、体の隅々まで触られるのは緊張するものがあった。
その緊張も結局は温かなお湯に包まれる内に少しずつ緩んでいく。
オレはほわほわとした気持ちで、ナサニエルに頭を洗ってもらっていた。
「痒いとこありませんかぁ?」
「んー…良い感じ」
顔だけでなく腕や指先にもほくろの多いナサニエルの手が長い髪を梳いていく。
洗髪用の石鹸が泡を作り、真っ赤な髪を白く包んでいった。
この世界にはシャンプーもなければ、リンスやトリートメントなんてものもない。
それでも髪の毛が傷まないのは、用意されたこの石鹸が最上級のものだからだろう。
牛乳石鹸の類のようで、白い泡からはほんのりと甘い香りが漂ってくる。
ジュリアナが発するものとは違う、爽やかな香りに気持ちが和らいでいった。
「髪染めるとしたら何色が良いかな?」
「そんなこと言ったら旦那様が泣きますよ」
「そこまでする?」
「ミオンの証拠みたいなものですからねぇ。今は血が混じって赤褐色になっちゃってますけど、鮮やかな色ほど血が濃い印だそうです。その髪を染めたいなんて言ったら旦那様どころかクソジジイも黙っちゃいないと思いますよ」
泡を流しながらナサニエルが告げる。
父たちどころか、肖像画でしか知らない祖父や曾祖父も赤褐色のため、そちらが普通かと思いきやどうやら違ったらしい。
(そういやカレン夫人も黒髪だったっけか)
姉はカレン夫人の血もあって、落ち着いた赤色なのだろう。
兄の茶色寄りの髪も、肖像画に描かれる亜麻色の髪の曾祖母の血を継いでいるというになる。
「っても、オレも血が濃いわけじゃなくね?」
オレの場合、母の髪がピンクにほど近いストロベリーブロンドだったのが影響しているだけのはずだ。
しかしナサニエルはゆっくりと首を振った。
「だからこそですよ。奥様と同じ色ならまだしも、違う色に染めたいなんてのはいくらシャルル様のお願とはいえお許し頂けないと思います。どうしてもって言うならカツラか魔具で諦めてください」
「んー…そうする」
魔具の中には髪や目の色を変える効果を持つものもある。
メイナードのように姿形まで変える事は出来ないが、使い切りのものであれば、お手軽なファッション用品として比較的安価で手に入れる事が出来るそうだ。
父たちに泣かれてまで染めたいとは思わないため、オレは早々に折れる事にした。
その間にも洗髪は終わり、柔らかなタオルで水気を拭かれていく。
「香油使いますね」
「すっごい良い香りがする…」
「アダマントローズのエキスです。量があったので香油にしてみました」
「めちゃくちゃ贅沢ぅ……」
思わず溢すとナサニエルも苦笑を漏らす。
王族でもなければ三公ですらないのに、アダマントローズの香油である。
誰しもが羨むだろう香りの心地よさに眠ってしまいそうだった。
その眠気を振り払い、忘れる前にと本題に差し掛かる。
「ナサニエルに聞きたい事があんだけど」
「はいはい、何ですか」
「フェロモンを操る加護について知ってる事ない?」
ナサニエルは色々な加護を扱える大変羨ましい才能の持ち主だ。
扱える中にジュリアナのような加護があってもおかしくはないだろう。
「その前にフェロモンって何です?」
「えっと、何だろ?異性を魅了する匂い…?」
フェロモンが伝わらない事に焦りつつも説明する。
しかしながらオレも何となくの事を知っているだけで、学者のように解説が出来るわけではない。
咄嗟の説明も悲しいくらいふわっとしたものになってしまった。
それでもニュアンスは伝わったらしく、ナサニエルは考えるように天井を仰ぐ。
「匂いですか。だとすれば地の加護ですね。うーん、体臭を消す、悪臭を放つなんてのは知ってますけど、相手を魅了するっていうのは初めて聞きました。相手の好む体臭になるってのが一番近いとは思いますけど、もっと効力が強い感じですよね?」
「んー…、効果は結構強いと思う。魅了っていうかほとんど洗脳に近いもんだと思うし」
「それはまた美味そ――厄介な加護な事で」
「今欲しいって思ったろ」
じとーっと見るがナサニエルは悪びれもなく笑ったままだ。
「あーでも分かりました。服に着いた匂いの原因って事ですよね。となれば服は俺が貰って良いですか?ちょっとした解析くらいなら出来るかもしれません」
「良いけど、ほんと何でも出来るよな」
「それがなんとシャルル様の従者なんですよ。いやはやシャルル様は恵まれてますねぇ」
ナサニエルは冗談めかしてにこにこと笑う。
その顔が一瞬で恐ろしい笑顔へと変貌した。
「というかシャルル様?匂いが付いてるって事はやられたって事ですよねぇ?」
温かな湯船に浸かっているはずなのに、芯から体が冷えてしまいそうだ。
オレは体を小さくしながらも大丈夫だと意思表示する。
「オレには効かなかったみたいだから大丈夫。くしゃみが止まんなくなるだけで、それ以外に変なとこはなかったから…!」
「もう一度聞きますが相手の加護は?」
「匂いで異性を魅了する。んで、最悪洗脳された状態になっちゃう」
「旦那様に報告――」
怖い顔をするナサニエルに向けバタバタと足を泳がせる。
お湯が飛び散るのも構わず、それだけは駄目だと首を左右に振った。
「それだけは駄目!ほんっとーに駄目だから!」
「理由は?お答え出来ないなら報告するしかありません」
「スキラの王女なんだよ!新学期から留学に来るって話しただろ!?」
相手が相手だけに事を大きくしたくはない。
オレの気持ちが伝わったのか、ナサニエルは不満そうにしながらも一先ず頷いてくれた。
「たしかに下手に動けば旦那様の首の方が飛びかねないですね」
「だろ?だから出来るだけ穏便に済ませたいんだって!」
「それは構いませんが具体的にどうするおつもりで?命令さえ頂ければさくっと殺ってきますけど……シャルル様はそういうの嫌なんでしょう?」
ナサニエルはこんな時にも通常運転のようだ。
王女が相手だろうと、さらっと物騒な事を言えてしまうのだから良くも悪くも心強い。
だがやはり殺しは駄目だろう。
そんな事で罪を背負って欲しくないと唇を尖らせる。
「分かってるなら聞くなよ。で、さっきも言ったけどオレには魅了は効かないと思う。けどオレ以外はそうはいかないだろ。だからフェロモン――加護を防ぐ方法を知りたいんだ。ナサニエルなら何か知ってるんじゃないかって思ったんだけど……」
体を洗われながらナサニエルを見上げる。
真っ白な泡が水面ごと全身を包んでいたが、押し流されるお湯によって流されていった。
泡を押しやりながらお湯が溢れ、バスタブを零れ出たお湯が排水溝へと飲み込まれていく。
ゴボゴボと音をたてる水を見やり、ナサニエルは平然と口を開いた。
「防ぐだけならいくらでも可能ですよ」
「まじで!?」
「目に見えずとも、形あるものなら燃やすでも吹き飛ばすでも何でも出来ますからね。準備は必要でしょうが、難しい事ではないと思います」
流石加護マスターは言う事が違う。
対策さえ分かればこっちのもんだと目を輝かせると、ナサニエルの指がオレの鼻先を撫でた。
泡が乗っていたそこをタオルでこすり、呆れにも似た眼差しを向けてくる。
「だからってシャルル様も油断は禁物ですよ?効果がまったくないわけではなく、体に支障を来たしているのはたしかですからね。魅了されないから良いってわけじゃありません」
「分かってるって」
「本当に分かっているのやら……。はぁ、物に出来れば手っ取り早いんですけどね。王女様が相手じゃそれも難しそうなので、俺は解析に励むとしましょう。さあ、もう上がって大丈夫ですよ」
嫌な匂いは汚れと一緒に落ち、オレの鼻に届くのは石鹸とアダマントローズの香りだけだ。
体もぽかぽかと温まり、名実ともに気分が現れたようだった。
「少しじっとしていてくださいね」
ふかふかのタオルで全身を包み込まれる。
何でもかんでも魔具に頼るわけではなく、こういったところはアナログなのだ。
髪を中心に水気を拭かれ、その後はゆったりとした部屋着へと袖を通す。
柔らかな生地のシャツとズボンを身に纏い、待ち詫びていたスミレたちの下へと駆けていった。
「スーミーレー!」
「んにー!」
スミレは一瞬だけ身構えたが、あの匂いがしないと分かるや否や腕に飛び込んできた。
ずっしりとしたスミレの重さと温もりを抱きしめ、オレはベッドへと転がり込む。
オレの腕に抱かれたスミレを見て、子猫たちもベッドへと乗りあがってきた。
「へへ…、疲れた時は猫に限る……」
四匹に囲まれたオレはだらしなく顔を緩ませる。
あわやジュリアナのせいで嫌われるところだったと思うと、スミレたちの温もりが格別に思えてきた。
それにしてもジュリアナ・ラ・スキラ。
噂以上――否、『ラブデス』で知る以上に恐ろしい女である。
ハンスだけでなくスミレたちまで脅かすのであれば、もはや期待する必要も、遠慮する理由もないだろう。
絶対にジュリアナの思い通りにはさせないと、スミレの腹に顔を埋めながら闘志を燃やすのだった。
「――ああ、そうだ。さっきの話ですけど」
「んんー?」
オレと一緒に部屋に来たナサニエルが、片手間に物の整理をしながら振り向いた。
「手っ取り早い解決法があるじゃないですか」
ナサニエルがにこりと微笑む。
その手には装飾が施された小さな箱が握られていた。




