83.子猫伯爵とジギタリス
カイトに手を引かれジュリアナの居城を後にする。
オレの腕を掴む手は素っ気なく、あの日向けられたような熱はなかった。
(怒ってんだろうな……)
いかにカイトがオレに優しいと言っても物事には限度があるものだ。
口酸っぱく一人で行動するなと諭されたにも関わらず、一人で飛び出していったのはオレだ。
その上で忠告されていたジュリアナに捕まっているのである。
言い訳の一つしようにないオレは黙ってカイトについて行くのだった。
(ハンスも怒ってんだろうなぁ………)
ハンスもいまだオレを探して学院中を走り回っているに違いない。
それを思うと罪悪感が込み上げ、オレの背中は自然と丸くなっていった。
とぼとぼとカイトの背中を追いかけ、2階へ繋がる階段を上っていく。
しかし案内されたのは誰にでも開放されている普通のサロンだった。
王族や三公御用達のあの豪勢な部屋ではなく、少し広めの部屋へと通される。
「――えっと、カイト?」
「俺が駆け付けなかったらどうするつもりだったんですか?」
何かがおかしいと思い声をかけると、カイトはあまりにらしからぬ口調で喋り出した。
「!?」
突然の事に固まったオレの前で、カイトの姿がぐにゅぐにゅと崩れていく。
溶けるように顔が歪み、纏っている服も少しずつその色を変えていった。
その光景は前世で楽しんだアニメやゲームに登場するスライムの変身さながらである。
少しばかり気持ち悪いが、まさしくファンタジーな情景にオレは釘付けになっていた。
「あれ?驚かないんですね?」
数十秒ほどだろうか。
奇妙な光景が収まり、オレの前に糸のように細い目をした男が現れる。
「メイナード・セストッド?」
「そうですメイナードです。覚えて頂き光栄です、ミオン様」
メイナード・セストッド――。
セストッド伯爵家の跡取りで、カイトの取り巻きとしてオレたちの前の席に陣取った内の一人だ。
狐を彷彿とさせる男が役者ぶって頭を下げる。
それも束の間、にこにこと口角を持ち上げ、どこを見ているか分からない目をオレへと向けた。
「ミオン様は海の加護持ちだから授業で一緒になる事ないですもんね。今みたいに変身するのが俺の加護です。変身に時間が掛かる上に10分くらいしか持ちませんけど……ま!それなりに役に立つとは思いますよ!」
加護は魂そのものの性質とも謳われる。
メイナードの場合、狐を思わせる顔のまま〝虎の威を借る狐〟という事なのだろう。
変身自体はナサニエルのおかげでよく知っているため驚く事もないが、何ともらしい加護に一人納得をするのだった。
しかし感じていた違和感の正体はこれだったようだ。
姿形こそ真似する事が出来ても、中身までは伴わないという事である。
(――って、何ほっとしてんだよ!?)
カイトに冷たい態度をとられたわけではないと分かったからか、気が付けばオレは安堵していた。
敵対したいわけではないが、特別好かれたいわけでもない。
人目を憚らずに恋慕を向けられる事だって迷惑だ。
そのはずなのに、優しい色を宿した深緑の瞳が失われる事が怖いと思ってしまった。
(しっかりしろオレ!)
この程度の事に振り回されるなと自分を叱咤する。
そうしてからメイナードへと向き直った。
本当に見えているのかすら疑問な糸目が特徴的で、その目も相まって裏の読めない印象だ。
ショートボブといった風な砂色の髪の毛は、付け根のあたりが白く色抜けしている。
恐らく地毛は白色なのだろう。
前世ではよく見た所謂プリンの状態になっている。
「髪染めてんの?」
気になって声をかけるとメイナードはバッと生え際を隠した。
「もしかして目立ってます?」
「それなりに。地毛嫌いなの?」
「嫌って程じゃないですけど……、この国のトレンドはやっぱ茶髪ですよ!」
メイナードがふふんと鼻を鳴らす。
たしかにこの『大地の国アズロ』の王族は茶髪が多く、カイトの髪も例に漏れず落ち着きのある茶色だ。
彼らへの憧れも含め、髪の毛を茶色に染めたがるのもよくある話だった。
一般的にも茶髪と金髪、次いで黒髪が主流だろう。
とはいえナサニエル―は少し例外だが―然り、ジョン然り、けして白髪が珍しいわけではない。
白程ではないにせよ、赤に青に緑にと、前世では自然に生まれる事のない髪色の持ち主だって少なくはなかった。
その中でもオレのような真っ赤な髪が稀有なのはたしかだが。
(父さんたちも褐色寄りだし、ユージーンも真っ青っつーかは白っぽいもんな)
癖の強い髪を引っ張ってみても、オレの目に映るのは鮮やかな赤色だ。
色の強い髪色でも黒に近い暗い色か、白に近い薄い色である場合が多く、オレのような原色に程近い色はそう見られないと聞いている。
事実、級友たちの中でもオレの頭が一番目立つ事に違いはなかった。
(オレも染めようかな)
学生の身分だった事もあり、前世でも髪の毛を染めた記憶はない。
前世で出来なかった初体験も良いかもしれない――なんて事を思いながらメイナードに相槌を打つ。
いつまでも続きそうな染髪の話題を打ち切り、居心地の悪いあの場所から連れ出してくれたメイナードへと素直に礼を述べた。
「さっきは助けてくれてありがとな」
「いえいえ、そんな~!今日の事は俺からカイト様に報告しておきますけど、ミオン様からも俺の功績だって伝えておいてくれればそれで良いですよ!」
「あ、うん」
笑顔を絶やさないメイナードに、典型的な権力に胡麻をするタイプだと直感する。
役には立つが、最終局面において信頼の出来ない人種だろう。
(ルーカスが右腕なのはたしかだもんな)
『ラブデス』どころかオレが直に見てきた現実でもサマルが右腕を自称していたが、実際にカイトの信頼を得ているのはルーカスだ。
キングスレイ侯爵家の跡取りでもある彼は、二人の妹の兄だけあって面倒見も良いのである。
いささか真面目が過ぎるが、オレにもカイトにも実直で頼りになる事に間違いはないだろう。
そんなルーカス比べるとメイナードは見るからに胡散臭い。
サマルやオズウェルに比べればよほど頼れる相手だとは思うが、これまでのカイトとの確執もあって簡単に心を開く事は出来そうになかった。
その警戒を見透かすかのように、メイナードは糸のような目を弓なりにして笑っている。
「カイト様のこと教えてあげましょうか?」
「へ?」
「カイト様も言葉が多い方じゃないでしょ?あの人、ミオン様が誕生日パーティーに来なかったのかなり気にしてますからね。欠席の返事を貰ってるのに、当日になってもまだミオン様が来てくれるんじゃないかって外ばっか気にしてたんですよ」
オレの返事も待たず、メイナードはけらけらと笑ってカイトの暴露話を始めた。
だがオレは笑う気にはなれない。
頭を打ったのが大元の原因とはいえ、良心が抉られ罪悪感が積み重なっていくだけだった。
「いや~!口を開けばミオン、ミオンって見ているこっちは面白かったですけどね!あ!知ってます?ミオン様って社交界では心を患ったとか、本当はもう亡くなってるなんて噂もあったんですよ。その話を聞くだけでカイト様の機嫌が悪くなるんだから怖いものでしたね」
「そっか……」
「まあ、大抵はバロッド様が悪いんですけどね。バロッド様って何でも一番じゃないと気が済まな人じゃないですか。カイト様が何かにつけてミオン様の話題を出すのが気に食わなかったんですよ。機嫌を損ねてるとも知らずに張り合う姿は見物でしたね。俺としては空気の読めないあの人が勝手に潰れてくれるしで良い事尽くめでしたけど~!」
メイナードはカイトの悪口――もとい面白おかしい話をずっと誰かに話したかったのだろう。
たしかにこんな話カイトたちの前では出来ないだろう。
だからといってオレに話す内容でもない気はするが、頼んでもいないのにあれこれと話してくれた。
「カイト様がミオン様の事を大切にしてるのは本当ですよ?バロッド様やガーネット様……あの双子もですね。あの人たちが怖いもの知らずだっただけで、俺たち皆ミオン様に失礼がないよう言われてましたから。キャメロンは子供なだけですけど、あの辺は家柄がなまじ良い分、生意気なんですよ」
「へぇ~……」
「それに俺、ミオン様には感謝してるんですよ!俺もカイト様との付き合いはそれなりですけどね。こんなに機嫌良いのは初めてですもん!口先ばっかの連中も追いやってくれましたし、ミオン様々ってやつですよ~!カイト様の文句でも何でも聞きますし、お望みならカイト様の事もいくらでもお教えしますよ」
オレが一言を発する間にメイナードはその十倍を喋っているのではないだろうか。
ぺちゃくちゃとよく回る口に、だんだんと疲れが溜まってくる。
このままだとメイナードの話だけで日が暮れてしまうだろう。
純粋に楽しめない事もあって、オレはチラチラと時計を気にする素振りを見せた。
「そろそろ戻った方が良いと思うんだけど……」
「そうですね!あの平民も探してるでしょうし、とりあえず教室に戻りましょうか。理由は聞きませんけど、これに懲りたなら一人でうろつくのは控えてくださいよ!ミオン様に何かあったら怒られるのこっちなんですからね!」
心身共に早熟な連中が多い中、お喋りなメイナードは年相応といった印象だ。
ナサニエルに似た飄々とした部分もあるようだが、唇を尖らせて小言を漏らす様は随分と子供っぽく見えた。
そのいまいち信頼しきれないメイナードと共に教室へと向かっていく。
道中ジュリアナの手にかかった連中に出くわす事もなく、オレはハンスとの再会を果たした。
荷物をそのままにしていたため、いずれは教室に戻ってくると考えたのだろう。
ハンスはオレの荷物を守るかのように机の周りをうろうろと歩き回っていたのだった。
「シャルル…!頼むからあんな真似はしないでくれ……!」
「ん。心配かけてごめん」
オレの姿を見止めるや否やハンスはオレの傍に駆け寄ってきた。
即座にメイナードからオレを引きはがし、オレの体を抱きしめる。
(ん……)
恥ずかしさもあるが人も少ないし今更だ。
反省の気持ちも込めて、ハンスの好きにさせる事にした。
とはいえガックリと項垂れるハンスに、オレの気分も萎れていく。
(……折角だけど封印かな)
忍者気分を味わえたが、人込みを切り抜けるあの技を使うのはもうやめにしよう。
本気で学院中を走り回っただろう汗だくのハンスを見て、オレはそう心に決めるのだった。
「ほんと俺が助けないとどうなってた事やら」
「あっ!言わなくて良い!言わなくて良いから!!」
その後は一言多いメイナードのせいで小言をたくさん貰う羽目になった。
事情を知ったハンスにこってり絞られ、今後は一人で行動しないと約束させられたのである。
本物のカイトはルーカスと共に帰宅済みだったが、明日になればきっとカイトにも怒られるのだろう。
「クソ…。子供扱いしやがって……」
だがあんな目に遭うくらいなら警戒して損はない。
ケンネル教授を信用できないリストに突っ込み、オレはハンスに見送られる形で馬車へと乗り込んだ。
「気を付けて帰るんだぞ」
「分かってるって。ハンスも気つけろよ」
主にジュリアナに――という言葉を飲み込んで帰路に着く。
自分だけが守られている心苦しさもあるだろう。
オレが駄目となれば直接ハンスを狙うのではないかと、胸の中には不安が巣食い始めていた。
(対策考えないとな)
どのみちジュリアナは動き出した。
そして『ラブデス』のまま、人を意のままに操る悪女だろう事は明白だ。
ハンスに原作と同じ苦しみを味わわせるわけにはいかないと、オレは決意を固め直すのだった。
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「ごめんなさい。少しだけ一人になりたいの」
男たちを追い出し、ジュリアナはギリギリと歯を食いしばる。
ジュリアナにとって今日の出来事はあまりに想定外で――初めての屈辱だった。
「今までこんな事はなかったのに…!!」
苛立ちに身を任せ手に握っていたカップを床に叩きつける。
ガシャンと破片が飛び散り、真っ赤な紅茶が血だまりのように床に広がっていった。
「ありえない…!!ありえないわ…!!」
ジュリアナは自分の加護に自信を持っていた。
一見すると地味ではあるが、どんな屈強な男をも言いなりにさせられるのだから、そこいらの凡俗な加護とはわけが違う。
事実、たとえ訓練された騎士であろうとも、時間さえ掛ければ自分の物にする事が出来た。
勘付かれる事はあっても、最後に笑うのはジュリアナだった。
今まではずっとそうだった。
けれど――シャルル・ミオン。
あの少年には何一つとして効果を発揮する事なく終わって――否、拒絶された。
その現実が人よりも遥かにプライドの高いジュリアナを苛立たせる。
『海望の国スキラ』の第四王女として生まれたジュリアナのプライドは留まる所を知らなかったのだ。
王女として持てはやされる反面、王位には遠いと下に見られる日々が、彼女の自尊心を傷つけると同時に虚栄心と欲心を膨らませていったのである。
先に生まれただけの兄や姉よりも自分こそが頂点にふさわしいと豪語するジュリアナにとって、拒絶というものは許されざる行いだった。
「……聖人の名は伊達じゃないという事ね」
身を守る術も知らなさそうな見た目に騙されたと、ジュリアナは荒く息を吐いた。
それと同時に胸の内に火が灯る。
難攻不落であればある程、熱意は燃え、手に入れた時の喜びも増していくのだ。
幼い頃から己を律してきた騎士も、勉学にのみ打ち込んできた頭の固い学者も、プライドばかりが高い権威者も皆、ありとあらゆる手を尽くして落としてきた。
相手が誰であれそれは変わらない。
ジュリアナはにんまりと唇の端を吊り上げると、赤い瞳を爛々と光らせる。
「所詮は男だもの。私に手に入れられないわけがないわ…!!」
あんな間抜けな形で拒絶するなんて許さない。
これまで通り欲しい物は絶対に手に入れてやると、ジュリアナは策を巡らせる。
「あの聖人さえ手に入れば――」
その後は思うがままだ。
輝かしい未来に思いを馳せ、ジュリアナは高らかに笑うのだった。




