81.子猫伯爵と二者択一
新学期早々、オレの学院生活はハンスとカイトに引きずり回されるだけで終わっていた。
一日中二人に挟まれ、どこに行くにもどちらかがついて来るのである。
トイレくらい一人で行かせてくれと思うのに、二人揃って一歩も譲る気配はない。
放課後になっても、ハンスは家の手伝いなど知らないといった顔で、オレが馬車に乗り込むまでついて来るようになったのだった。
カイトに連日サロンや家に誘われるのも、もはや日常茶飯事だ。
しかもカイトが忙しい時にはルーカスがオレの傍にくっついて来るのである。
理由を聞いても〝それが仕事〟の一点張りで、ルーカスもまた引く気配を見せなかった。
そんなハンスたちの奇行だが、意外にも注目を浴びたのは初日だけだ。
カイトがオレに言い寄ったところで、男妾を抱える事がけして珍しくない貴族たちには、特別驚く事でも嫌悪する事でもなかったようである。
しかもオレには急に態度を変えたようにしか見えないが、周囲から見ると案外そういうわけでもないらしい。
ようやく聖人を迎え入れる気になったのかと、カイトを後押しする者もいるくらいだった。
オレからすれば、まだその話題を引き摺るのかという感じではあるが。
とかく――オレが勝手に避けていただけで、カイトがオレを大切にしようとしている事は周知の事実だったというわけである。
(知らなかったのオレだけかよ……)
カイトは悪役、ハンスの宿敵――その一面しか見ていなかったのが、まざまざと分かる結果だ。
ハンスとの付き合いは今に始まった事ではないのでさておき、そんなこんなでオレたちのじゃれ合いはあっという間に日常の光景に変わり果てたのだった。
では何が注目を集めているかと言えば、それはもちろんジュリアナだ。
新たに入学した後輩たちも含め、生徒たちは一様に異国の王女に夢中になっていた。
目立ちたくないというオレのささやかな願いを叶えてくれたジュリアナには感謝せざるを得ないだろう。
(だからって気を許す気はないけど)
ジュリアナの周りには既に有力な貴族や見目麗しい男たちが集まっている。
それらを取り仕切るのはサマルで、王女の補佐を気取ったサマルの態度は日に日に大きくなっていた。
王族という公爵家以上の後ろ盾を得たからだろう。
あの一件以来大人しくしていたのが嘘のようにサマルは幅を利かせている。
(どうせオレやハンスの事も、ある事ない事適当に喋ってんだろうな)
ジュリアナに嫌われたところでどうとも思わないが、面倒事に巻き込まれるのだけは御免だ。
サマルが変な事を吹聴していない事を祈りながら、オレは休日にも関わらず学院の中にある食堂へとやって来た。
休日だけあって食堂の中はがらんとしている。
生徒でごった返す見慣れた風景とは違う、いつになく静かな様子を見渡しながら、オレは目当ての席へと向かっていった。
「ここ、座って良い?」
ひょこりと顔を覗かせ、テーブルに腰かける三人へと声をかけた。
三人はオレの顔を見るや否や目を丸くしたのだった。
「僕の記憶に間違いがなければ今日って休日だよね」
「そのはずよ」
「オレはシャルルに会えて嬉しいぞー!」
怪訝な顔をするアンナに睨まれながら、小首を傾げるユージーンの隣へと腰を下ろす。
座りがてら持ってきたジュースを煽ると、呑気なオレが気に障ったのかアンナがため息をついた。
「休日に学院に来るなんてどうしたのよ」
「んー、だってアンナたちと全然話せてなかったじゃん」
「まさか、それだけのために?」
うんうんと頷くオレを、アンナが信じられないという風に見つめてくる。
あまりに冷たい目で見られると心が痛い。
じとーっとオレを見つめるアンナを宥めてくれたのは、オレの隣に座るユージーンだった。
「あれを考えるとしょうがないよ。一人で行動させて良いのかって不安はあるけど……」
「何だよユージーンまで。ハンスたちが邪魔してこなきゃ、ここまでしないっての」
「…………まあ良いわ」
オレの状況をよく知るアンナはもう一度ため息を吐く。
その息は先程のものとは違い、哀れみのようなものが込められていた。
それもそのはず、こうしてアンナたちとゆっくり会話するのは休暇を除いても実に1週間ぶりの事だった。
グループワークや昼食時には顔を合わせる事もあったが、和気あいあいと談笑する程の余裕はどこにもなかったのである。
「あの公子様に言い寄られるなんてシャルルも大変ね」
「ほんとそれだよ。そのせいでハンスも過敏になってるし休まる気がしないんだよなぁ」
「シャルルは人気者だなー!オレも誇らしいぞー!」
「言っとくけど誇らしくも何ともないからな?」
にこにこと笑うレフに、アンナとユージーンが苦笑を溢す。
オレも同じように苦笑するが、心の中では小躍りをしていた。
(これだよ、これ…!)
友達との他愛のないやり取り――。
オレが求めていたのはこれだと、久々に実感する学生らしい空気を満喫する。
ジュースと一緒に持ってきたお茶菓子をつまみながら会話に花を咲かせていった。
皆でお茶菓子を囲む中、ガッツリと食事を摂るのはユージーンだけだ。
入学早々に遅刻する時点でお察しではあるが、ユージーンは朝が苦手なのである。
顔に似合わず夜型らしく、本を読んだり復習をしたりする内についつい夜更かしをしてしまうそうだ。
休日ともなると昼まで寝て過ごす事もしょっちゅうなのだという。
アンナたち曰く、部屋の中もなかなかに汚いのだとか。
ユージーンのような優等生にもズボラな一面があるのだと思うと、親近感が湧いてくるのだった。
(アンナもその辺はあんまりなんだっけか)
本人はそんな事はないと顔を顰めるが、レフに言わせるとアンナも整理整頓が苦手な部類らしい。
研究肌と言うべきか、ユージーンもアンナも勉強以外には無頓着な所があるのだろう。
そんなお似合いにも見える二人も、手紙を見るに上手くはいかなかったようだ。
今日はその詳細を聞きに来たのだと、オレは年度末のパーティーの話題を切り出した。
「手紙の事だけどさ――」
そこまで言っただけで意図が伝わったらしい。
代表するようにアンナが口を開く。
「結果は手紙で書いた通りよ。でも言いたい事は全部伝えられたわ」
「変な話かもしれないけど、これからも変わらず友達でいようって事で話をつけたんだ」
屈託のない微笑みを携えるアンナに続いてユージーンが眉を下げて笑う。
手紙の通りアンナの恋が実る事はなかったようだ。
しかしながら、あの日のアンナが綺麗だったのは本当の事だ。
ドレスと化粧で見違えただけでなく、他でもないアンナ自身から、どの令嬢たちにも負けない凛々しさと美しさを感じ取る事が出来た。
そんな気品溢れる姿を見ても心変わりしないというのだから、ユージーンもユージーンである。
少しは響くかと思ったが、そう易々と琴線に触れる事は出来なかったらしい。
(――ほんと、罪深い奴)
だが和やかに笑い合う二人の様子は晴れやかなものだった。
蟠りや遠慮のようなものはなく、二人が納得した結果ならオレも受け入れようと思う。
ほんのりと寂しい気持ちをジュースと共に飲み下し、空になったグラスを置いた。
そのタイミングを見計らったかのように、アンナが躊躇いがちに唇を開く。
「それで……その、続きがあるんだけど」
「続き?」
オレとユージーンが声を揃えて聞き返す。
オレたちの正面――隣同士に座ったアンナとレフは顔を見合わせ、決心したように頷いた。
「まずは今まで黙ってた事を謝るわ」
「オレとベレジュナーヤはつが――」
「許嫁なの」
食い気味にレフの言葉を遮って、アンナが照れ臭そうに告げる。
「え、許嫁?二人が?」
「同郷とは聞いてたけど……そっか。それで振られる覚悟だったんだね」
告げられた言葉にオレは目を丸くした。
ユージーンも今初めて知ったのか、オレと同じように目を見開いている。
しかしその目にはすぐに理解の色が宿ったようだった。
オレの方もあの日のレフの言動を思い出し、全てではないが点と点が繋がっていく。
「こんな事を言うのも恥ずかしいけど、今までずっと自分の事をテウルゲネフにふさわしくないと思っていたの。許嫁って言っても大人たちが決めた事で、テウルゲネフの事をそういう風に思った事はなかったわ」
驚愕を拭いきれないオレたちの前でアメジストの瞳が伏せられる。
今だからこそかもしれないが、釣り合わないと悩むアンナの気持ちが分かる気がした。
「学院に来て、ユージーンに会って、素敵な人だなって思ったのは本当よ。これからもずっとアンナとして生きられたら楽しいだろうなって思ったわ。でも私はベレジュナーヤだから…、テウルゲネフの手を離す事が出来なかった」
「オレはベレジュナーヤの気持ちをそ…そん……そち……」
「尊重ね」
「尊重したいからベレジュナーヤの好きにさせる事にしたんだ。結果が見えてたってのもあるにはあるけど……まあ、ジンが了承してたらちょっと引っ掻いたかもしれないなー」
アンナの言葉に添えてレフが笑う。
しかしさらっと復讐を宣言されたユージーンは眉を顰めた。
「え…?僕殴られたかもしれないの…?」
「もしもの話だぞー」
子供っぽいように見えてレフも一丁前に恋する男なのだ。
アンナの事となると少し周りが見えない部分があるという事なのだろう。
そんなレフをアメジストの瞳が優しく見つめている。
「誰かを好きになること自体、私には分からないものだったわ。でもあなたたちに出会ってたくさんの事を学ぶ事が出来たの。おかげでテウルゲネフがどれだけ私を大事にしてくれているかにも気が付けたわ。都合が良いかもしれないけど、これからは義務とか決められたからとかじゃなく、自分の意思でテウルゲネフと向き合っていこうと思うの」
それはとても穏やかな声だった。
アンナを見つめ返すレフの目も柔らかく、寄り添い合う二人を見るだけで胸が温かくなってくる。
それはユージーンも同じなのだろう。
嬉しそうに目を細めて、一歩を踏み出した二人へと祝福を贈るのだった。
「おめでとう。少し複雑な気分だけど、二人のキューピッドになったと思えば悪くはないかな」
「オレからもおめでとう。恋のキューピッドはオレだけどな」
オレもちょっとした皮肉と共に祝福を贈る。
三者三様に納得しこの結果に辿り着いたというなら、オレから口煩く言う事はない。
「ありがとう、二人とも」
「ありがとな!ベレジュナーヤの事は任せておけ!」
オレたちからの祝福を受け、アンナとレフは顔を見合わせて微笑んだ。
アンナが手紙に認めたように、これはオレの思い描いた結果ではなかったかもしれない。
それでも仲良くなった二人が固い絆で結ばれた事をオレは心から嬉しく思う。
――と、アンナの恋模様が良い感じにまとまったところで二人が目を光らせる。
「私たちの事よりシャルルはどうなの?」
「あれは言い逃れ出来ないもんなー」
今度の標的はオレらしい。
徒党を組むように狙いを定められたオレはたまらず喉を詰まらせる。
「オ、オレよりユージーンはどうなんだよ…!?」
「僕は特に。アマレット先生もなかなか気を許してくれないからね」
「……そりゃそうだろ」
自分の息子、下手をしたら孫の年齢の相手に言い寄られても困るだけだ。
幸い―と言って良いかは分からないが―なのは、アマレット・ニール教授が寡婦という事だ。
本気と取られていないだけにせよ、不倫を疑われる心配がないだけマシと言えるだろう。
そんな実るかどうか以前のユージーンの話題は一瞬で幕を閉じ、再び三人の視線はオレへと集まった。
「でもようやくそこまで進んだんだね」
「ようやくって何だよ」
「…………うん、そんな気はしてたけど。ハンスは最初からシャルルに気が合ったと思うよ?」
憐れむように告げられ、オレは表情を凍らせる。
「最初って入学直後から?」
「僕が知り合った時にはそうだったと思うけどね。シャルルに近づくだけで睨まれるんだから怖かったの何の……って本当に気付いてなかったんだ」
ユージーンの顔は心底不憫そうだった。
オレではなくハンスを憐れむその顔に、オレは助けを求めるようにアンナとレフに同意を求めた。
しかし二人はまた顔を見合わせ、やはり不憫そうに首を振る。
「ハンスさんの気持ちはともかく、二人の距離は異様に近いと思ってたわ」
「むしろ何もなかった事に驚きだぞ。てっきり契り合った仲だと思ってたからなー」
「う…嘘だろ……」
突きつけられた事実にオレはあんぐりと口を開けた。
まさに開いた口が塞がらない――である。
「いやいやいや、絶対ないって!だってハンスだぞ?そんな最初からとか……」
言いながらこの1年間の事を思い返す。
ハンスとの出会いは良くも悪くも衝撃的だった。
絶対に関わらないと決めていた矢先、ハンスとカイト二人揃ってオレに近づいて来るのだから、驚くのも当然だろう。
何が駆り立てたのか、あの日のハンスはとにかく諦めが悪かった事を覚えている。
頑固で融通が利かないところがあるとはいえ、基本的に人が嫌がる事はしたがらない男だ。
そのハンスがオレの機嫌を損ねるリスクを背負ってまで、粘り強くオレに声をかけてきたのである。
(あの日には既にって事か……?)
だとしたら納得がいかないと記憶を漁り直す。
綺麗サッパリ忘れていたのはさておき、カイトとは入学以前から接点があった。
それこそがカイトがオレに近づいてきた理由だが、ハンスとの関わりは学院に来てからの事である。
シャルルのような顔からして小生意気な男に惚れるとは到底思えず、頭を捻るばかりだった。
しかし記憶の中のハンスはいつもオレに優しかった。
嬉しそうに笑い、照れ臭そうに耳を赤くし、時には恋人にするようにオレの手をとった。
(…………あれ……)
意識をしていなかっただけで、オレを見つめる目はいつだって熱を帯びていたのではないだろうか。
凍りついた青色が解けてしまうくらい、その瞳は柔らかな温もりを湛えていた。
始まりはともかく、ハンスはいつだってオレを一番に考えてくれていた。
そこまで考え、全身を熱が昇っていく。
「真っ赤になってるぞー」
「な、なってねーし!!これは、その、暑いからで……!!」
ここまでくると自分の体温が高いのか、食堂が暑いのかすら分からない。
熱を追い払うようにぺちぺちと頬を叩いていると、ユージーンが覗き込んでくる。
「でも実際どうなの?」
「どうって……」
「ハンスとデルホーク様、どっちが気になってるの?」
「なっ、何でその二択なんだよ!?つーか自然に受け入れんなよ!!」
オレは男でハンスもカイトも男なのだ。
いくら貴族社会では珍しくないとは言っても、当たり前のように受け入れないで欲しい。
思わず頬を膨らませるとユージーンは至極残念そうにオレを見るのだった。
「そうは言ってもデルホーク様が相手だからね。ハンスは例外として、あそこまで大事にされてるのを見て手を出せる人なんていないと思うよ」
「何が言いたいんだよ…?」
「あなたが何を言っても公子様のお手付きって事に変わりはないって事よ。それを利用しようと近づいて来る人はいるでしょうけど、マトモな考えを持ってるなら手を出そうとは思わないでしょうね」
「そういう事。デルホーク様が諦めない限り、真っ当な縁談は難しいんじゃないかな」
「シャルルも大変だなー……」
ユージーンとアンナの波状攻撃、そしてレフに向けられる憐憫に、オレはその場に項垂れた。
そして思わず声を荒げてしまう。
「疫病神じゃねーか…!!!」
振り回されるだけでも大変だと言うのに、まだ見ぬ恋の芽まで潰してくるなんて聞いていない。
このままでは卒業後にまでしぶとく二人の影が付き纏ってきそうだった。
残り2年の辛抱なんて抜かしている間に、逃げ場がないくらい囲い込まれてしまいそうなものである。
(早くアイリスに会いたい)
あの美しく清らかなヒロインは今どこで何をしているのだろう。
アイリスに会いさえすればハンスは目を覚ますはずなのだ。
そしてハンスが惹かれたとなれば、宿敵の定めとしてカイトだってアイリスに気持ちが向くに違いない。
オレの葛藤など無視して、今すぐにでもアイリスに現れて欲しかった。
(何でオレばっかこんな目に……!)
これ以上あの二人に心を乱されてはオレの身がもたないだろう。
オレだってどうにもならない事に気を揉みたくなどないし、本気になりたくだってないのだ。
何でも良いから解放してくれと、オレはユージーンたちに泣き言を漏らすのだった。




