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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
1部-2章.シャルル・ミオンの学院生活②
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▼.カイト・デルホーク

サマル・バロッド――俺の右腕を自称するバロッド侯爵家の次男坊。

野心家なのは良い。

自らの運命に抗おうとする姿勢も悪くない。

弱者に容赦しないのも評価できる。

だがバロッドには才能がない。

人の上に立つには才能が必要だ。

相手を侮辱できるかどうかでも、暴力を振るえるかどうかでもない。

そんな事は誰にだって出来る。

必要なのは力加減――そして力を振るうべき相手を選ぶ感性だ。

それが揃えば自ずと人はついてくるものだ。

だがバロッドはどうだ。

あいつは誰にでも噛みついて、嫌味を言わなければ気が済まない。

侯爵家の人間というだけでシャルルにも噛みつく始末だった。

だがもしシャルルが気を悪くしたらどうなるか。

――答えは簡単だ。

バロッドがどれだけ泣きついたところで誰も助けはしないだろう。

それどころか噛みつく相手を間違えたと切り捨てられるだけだ。

たとえ代用品(スペア)なのだとしてもそれは変わらない。

誰だって壊れた代用品(スペア)なんていらないのは当然の話だ。

「――お、カイトじゃん」

足で扉を蹴り開けてシャルルがサロンへと入ってくる。

奔放(ほんぽう)な行いではあるが、行儀が悪いと注意する事はない。

バロッドなら口煩(くちうるさ)く小言を(こぼ)しただろうが、先人の決めた礼儀などさほど重要な事ではないものだ。

「特等席ゲット!」

とてとてと小走りに近づいてきたシャルルが俺の膝の上に飛び乗ってくる。

大股で座る俺の足の上に腰を下ろすと、シャルルはにこにこと笑顔を浮かべた。

ミオン伯爵がのべつ幕なしに褒めちぎるそれは見ていて悪い気はしない。

本人はあまり好きではないようだが、柔らかな毛も、長い睫毛も、小高い鼻も、桜色の唇も、どれもが見目麗しく整ったものだった。

とりわけ金色に輝く瞳は美しい。

大粒のダイヤを思わせるその目は、誰にも手に入れる事が出来ない満月を閉じ込めたかのようだった。

レディ・ゴールドとも(うた)われるレイアには悪いが、この瞳の輝きは彼女のそれを遥かに(しの)ぐだろう。

誰もが羨むその宝石を膝に乗せるというのは、それだけで誇らしい事だ。

俺は男にしては随分と華奢なシャルルの頭に手を乗せた。

ふわふわと揺れる赤い髪を撫で、俺にだけ許された温もりを堪能(たんのう)する。

「何かあったのか?」

「んー…カイトはさ、いつまでバロッドを好きにさせとくわけ?」

「また何か言われたのか」

「またっつーか常に?あいつの話聞いてもつまんないから全部聞き流してるけど」

バロッドは変わらず情勢を理解出来ていないようだ。

それが分からずとも、シャルルが俺のお気に入りである事くらいは知っているはずだ。

本当に視野の狭い奴だと呆れてしまう。

「バロッドの言う事を気にする必要はない。あいつは嫌味を言わなければ死ぬ病気にでも(かか)っているんだろう。相手にするだけ無駄だ」

「うわ、何その病気。最悪じゃん」

「例えばの話だがな。あまりに酷いなら手を打たねばならないだろうが……」

事実、バロッドには頭を痛める事も多い。

使い道があるだろうと様子を見てはいるが、あの性格が矯正(きょうせい)される見込みは薄そうだった。

(ナレル卿の息子だからと期待しすぎたか)

俺の産まれたデルホークの家門は『大地の国アズロ』の軍事を一手に(にな)っている。

王族の護衛から国境線の防衛までその仕事が多岐に渡る分、直属の部下も多かった。

バロッド侯爵家もその内の一つで、古来より長い年月を共に歩んできたそうだ。

当代のナレル侯爵の仕事ぶりもしっかりとしたもので、利己的ながらもデルホークによく仕えてくれていると言えるだろう。

だからこそ息子にも期待を持っていたのだが、どうにも野心が強すぎる。

その(くせ)、野心のために自らを偽る事すら出来ない、ある意味では純真な男だった。

「――怖い顔になってる」

「ああ、悪かった。お前といる時にまで考える事ではなかったな」

俺に体重を預けてくれるシャルルの頭をわしゃわしゃと撫でる。

柔らかな髪が指にふわりと絡み、それだけでも心地が良い。

シャルルは俺にとって鏡のような存在だった。

優しくした分、優しが返ってくるという事は、当たり前のようでいて実際には得難いものだ。

誰も彼もが我欲(がよく)に生き、他人を利用する事ばかり考えるのがこの世界の常だった。

その中でシャルルは俺に何も求めなかった。

それでいて俺が優しさを与えればその分それを返してくれる。

不思議なくらい手放し(がた)い相手だった。

あまりに純粋で、あまりに真っすぐで、俺の方が不安になってしまうくらいのものだ。

そのシャルルの顔が暗く(よど)んでいく。

人一倍、敵意に敏感なシャルルの顔を見れば誰が来たかは姿を見ずとも理解できた。

「――カイト様、サマルです」

ノックをしたのを良い事に、俺の返事を待たずにバロッドが顔を出す。

お前にそこまでの無礼を許したわけではないと文句を言うより早く、バロッドがシャルルに目を付けた。

「ミオン、そこを降りるんだ」

聞くだけで陰湿だと分かる声だ。

じとっとした嫌らしい目つきで、俺の膝に乗ったシャルルを睨みつけている。

「何だよバロッド、羨ましいのかよ」

「羨むも何もカイト様に失礼だと思わないのか」

「そのカイトが良いって言ってんだよ」

「本当に君は口の利き方も知らなければ、社交辞令というものも分かってないようだね?」

ちくちくと嫌味を(こぼ)しながらバロッドは今日の出来事を報告してくる。

(おも)だってハンス・ウィルフレッドについてを語るバロッドの顔は(いびつ)なものだった。

頬を膨らませるシャルルを抱いたまま、俺はさして楽しくもない報告を聞き入れる。

「ウィルフレッドは今日も生意気なものでしたよ」

それが義務であるかのようにバロッドは事細かくウィルフレッドへの仕打ちを説明する。

つまらない話をよくもまあ飽きずに出来るものだと呆れるばかりだった。

バロッドは俺がウィルフレッドを(しいたげ)げる事を望んでいると思っているようだが、正直ウィルフレッドがどうなろうと俺の知った事ではない。

()いて言えば、入学早々にシャルルに声をかけてきた時には心底苛ついた。

あの人数の中から的確にシャルルを選び抜いた審美眼を褒めるべきなのかもしれないが、俺もそこまで出来た人間ではないという事だ。

とはいえ声をかけただけならば、そこまで腹立たしく思う事はなかっただろう。

自分で言うのも難だが、俺はシャルルに甘いのだ。

シャルルが怯える事なく仲良くなりたいと言うのなら、きっとウィルフレッドの事も受け入れていた。

だがウィルフレッドがシャルルを見る目は異常だった。

強い好奇心と羨望、そして執着。

あの目を見た瞬間、俺はシャルルを奪われるのではないかと憂慮(ゆうりょ)した。

あまりの熱量に困惑するシャルルが目に入った時には、あの男を近づけてはいけないと思ったのだ。

その後はバロッドやガーネットたちの好きにさせた。

ウィルフレッドがどんな目に遭ったとしても、自業自得だと気にも留めなかった。

ただそれだけの事だ。

だからこそ俺は過ちに気が付くまでに時間を要してしまったのだろう。


――ある秋の日の事だ。

バロッドの独断があの平民を怒らせた。


見るからに正義感の強いあの男が、目の前で猫を殺されて平然としているわけがない。

そんな事は考えなくたって分かるはずの事だ。

だというのにバロッドは猫1匹であの平民を抑えられると踏んだのだ。

あまりの愚かさにズキズキと頭が痛む。

その上バロッドが手をかけたのは鳩色(ダブ)の猫だった。

見覚えのあるその猫は、よくシャルルの足元にすり寄ってきていた雌猫だ。

シャルルも表向きは迷惑そうにしていたが、周囲の目を盗んでは一人可愛がりに行っていた。

バロッドはそんな事さえ知らずあの猫に狙いを定めたのだ。

小心者のバロッドが分かってやったとは思えない。

何も知らず、思い付きのようにあの猫に手を伸ばしたのだろう。

計画通りウィルフレッドの心が折れたとして、シャルルが俺に泣きついたらどうするつもりだったのか。

俺が動かずともバロッドが痛い目を見るのは確実だ。

侯爵令息とはいえ親に見放されたバロッドはただのお飾り、ただの代用品(スペア)

引きかえシャルルは一家の宝物だ。

ラドフォード伯爵が動いたとなれば、ナレル侯爵は平気な顔で息子を捨てるだろう。

(それすら理解できてない時点で程度が知れる)

だが一番の愚か者は俺だ。

使い道があるかもしれないとバロッドを野放しにし続けた俺のせいだ。

シャルルの言葉を聞くべきだったのだと、俺は自分の甘さを深く悔いた。

その後悔が(むく)われる事などなく、嫌な現実が突き刺さる。

「――カイト」

サマルが仕出かした事件から数日。

随分と久しぶりに見たような気がするシャルルの顔はいつも通りの小綺麗なものだった。

俺たちと同じように酷い目に遭ったと聞いていたが、その顔には(あざ)一つ見当たらない。

お抱えの治療師がいる俺の家とは違い、息子を溺愛する伯爵がすぐさま神殿へ連れて行ったのだろう。

どれだけの金額を寄付してでも、いち早くシャルルの怪我を治させただろう事は予想出来た。

「オレ、退学する事にしたから」

「………そうか」

俺の顔をじっと見つめ、シャルルが決心したように呟いた。

今にも泣き出しそうな震える声が小さく響き、俺はただ首肯(しゅこう)する。

シャルルが俺を訪ねてきた時点でそんな気はしていた。

こればかりはどうしようもない。

シャルルを守る事が出来なかった俺には、シャルルの決断を塗り替える事は出来ない。

「理由、聞かないんだ?」

「聞かなくても分かる。お前との付き合いは長いからな」

「ん。ごめん。でも――」

堪えきれなくなったのか、シャルルが大粒の涙を(こぼ)す。

瞳の色を反射する雫は金に煌めき、黄金を煮溶かしているかのようだった。

「怖い。オレ、怖いんだ。考えるだけで体が震えるんだよ…!あいつが殴ってきた時の顔が忘れられなくて、死ぬんだって…殺されるんだって思った!あいつと同じ場所にいたくない…、あいつの顔が見たくない……!」

ボロボロと涙を流しながらシャルルが叫ぶ。

「オレ…、オレ、何も出来なかった…!何の役にも立たなかった…!こんな加護(アーク)持ってるくせに、肝心な時に使い物にならなくて……!ごめん、ごめんなさい……」

しゃくり上げるシャルルの涙を拭う事すら出来ない。

俺にはもうそれすら許されない気がした。

「……ごめん、カイト」

もう一度謝って、シャルルは逃げ出すように立ち去っていった。

その背中を見送って嘲笑(わら)う。

嘲笑(わら)うしかなかった。

「残念だ。本当に残念だ」

シャルルの事はかけがえのない友人だと思っていた。

唯一友と呼べる相手だった。

だが俺はその友をたった今失ってしまったのだ。

ミオンの宝石を奪った気でいたが、結局その宝石は箱の中へと戻ってしまった。

固く施錠されたその箱を再び開ける事は到底叶わないだろう。

「――ハンス・ウィルフレッド」

あの平民を潰す。

潰さなければ気が済まない。

この代償は必ず支払わせてやると誰でもない俺自身にそう誓った。

「必ず貴様の息の根を止めてやる。何年掛かっても必ず俺の手で仕留めてやる」


そう思っていたのに――


「無様だな、ウィルフレッド」

正義感も誇りも何もかもを捨て、犬のように女に(ひさまず)くウィルフレッドを見てぼやく。

「こんな簡単に壊れる奴だったとは思いもしなかった」

向こうの流儀に従い正々堂々叩き潰すつもりでいたというのに酷い話だ。

そこにはもう俺が叩きのめそうと思っていた男はいない。

「――違うな」

あの一件が全ての原因だ。

あの日の出来事がなければシャルルがいなくなる事も、ウィルフレッドが壊れる事もなかった。

「フッ…ハハ、ハハハ!」

完全に見誤った。

バロッドをもっと早めに潰しておくべきだった。

「そうだな、シャルル。あいつを野放しにすべきじゃなかったな。いつだってお前の言う事が一番正しかった」

だが撒いた種はきっちり回収してもらうとしよう。

お似合いのところに送ってやるとバロッドを呼びつける。

「バロッド、遂にお前の悲願が果たされる時がきた。今のウィルフレッドなら簡単に調理できる。これまでの鬱憤(うっぷん)を晴らすと良い」

王女ジュリアナのせいもあるが、長らくウィルフレッドに手をこまねいていたバロッドだ。

少し(そそのか)してやるだけで、水を得た魚のように飛び出していった。

「……本当に馬鹿な奴だ」

その言葉はバロッドに向けたものだったのか。

自分自身に向けたものだったのか。

その後、バロッドが王女に襲い掛かったという(しら)せはすぐに俺の元へと届けられた。

ウィルフレッドに手を出せばあの色狂いの王女が激昂(げっこう)するとは思ったが、予想通りバロッドは切り捨てられたようだ。

そして王族を襲った罪に問われたバロッドは僻地(へきち)へと送られる事になった。

僻地とは大陸の最南端に位置する『海嘯(かいしょう)の国ヨルハ』の事だ。

海の底からやって来ると言うように、ヨナは南から現れる。

その(いや)しき獣ヨナたちから大陸を守るための防波堤を担う場所こそがヨルハだ。

俺たちが暮らす『聖なる大地クーラ・アース』で最も危険な場所であり、いざという時の人柱(ひとばしら)にされるのがヨルハに送られた罪人たちの役割だった。

バロッドはそんな国の神殿に軟禁される事になったのである。

朝から晩まで償いのために働き、二度と俺の前に姿を見せる事はない。

死ぬまで神殿に従事するか、ヨナに襲われて死ぬかの二択だけだ。

当然哀れむつもりはない。

むしろ(しか)るべき罪だろうとさえ思っている。

「恨みたければ恨めばいい。それは俺も同じ事だ」

これを機に他の連中も切る事にした。

勝手な行動をする(やから)も、俺の命令が聞けない奴も傍に置いて良い事はない。

唯一残ったルーカスでさえ、心の底から信頼する事は出来なかった。

こうなればもう忘れるだけだ。

ウィルフレッドの事もバロッドの事も忘れよう。


シャルルの事も――忘れなければ。


苦い思い出だ。

こうなってしまえば全てが胸を焼く残照(ざんしょう)に過ぎない。

『カイトはカイトだろ?』

記憶の中でシャルルが笑う。

『デルホークじゃなくなっても、俺が落ちぶれたとしても、お前は俺が俺だと言ってくれるのか?』

『当たり前だろ!オレたち友達なんだからさ!』

あの日の思い出が胸に突き刺さる。

デルホークに生まれた俺は地の(つるぎ)である事を求められた。

父も母も厳しく、俺には地の剣としての価値しかなかった。

誰も信じるなと教えられ、周囲の人間も俺を利用価値があるか否かでしか判断しなかった。

そんな俺に手を差し伸べてくれたのがシャルルだった。

だがそれも、もう見る事のない姿だ。

「守ってやれなくて、すまなかった」

虚空(こくう)に向け、一人()ちる。

せめてお前が安らかに過ごせるよう、俺は俺のすべき事をしよう。

お前の箱庭が壊れないように手を尽くそう。

「だからお前も忘れるんだ」

バロッドの事も、ウィルフレッドの事も――――俺の事も全て。

何もなかった事にしよう。

お前の幸福を(さまた)げるくらいならば、俺との記憶など忘れてしまえば良い。

この感情が友愛を過ぎたものであると気付いたところでもう遅い。


子供心にも分かるものだ。

俺は二度と友を作る事も誰かを愛する事もないだろう。

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