80.子猫伯爵と宿敵
放課後、オレはハンスに引きずられ庭園へとやってきた。
久々に訪れる庭は温かく、新たに芽吹いた緑と花に包まれている。
ひらひらと飛び回る蝶たちも遠目に見る分には綺麗なものだ。
その穏やかな空気とは真逆の、いつまで経っても不機嫌なハンスがオレを見下ろしていた。
氷を宿した瞳が冷気を発しているのか、オレは温かな日差しの下にも関わらず身を震わせる。
「デルホークと何があった?」
オレの手首を掴んだままのハンスが低く唸る。
有無を言わさぬ力強さに気後れしたのもあるだろう。
陰を孕んだ顔を見てられず、目を逸らした。
「…………色々あったんだよ」
「その色々の部分を聞いているんだ」
しかしハンスは引き下がらない。
収まる事のない怒りを浮かべたまま、庭園の奥へ奥へとオレを引きずり込んでいった。
ここまで荒れ狂った姿を見るのはサマルとの一件以来だろうか。
嫌な想像に足が震えそうになり、掴まれた腕に力を入れる。
ギリギリと締め付けられる手の痛みに声を漏らすと、ハンスはハッとしたようだった。
だからといって手を緩める事はなくオレを捕らえ続けた。
そしてオレたちにとっては見慣れた、かつてスミレが暮らしていた場所でようやく足を止める。
「あの後だろう?あの後、デルホークと何があった?」
ハンスとて馬鹿ではない。
あの日――オレがハンスから逃げ出したあの後にカイトと何かあった事に気が付いているようだった。
「何を言われた?何をされた?何を許したんだ?」
「その、それは……」
どうしても口籠ってしまうオレに、ひどく狼狽した様子のハンスが詰め寄ってくる。
懇願にも似た切迫した声が耳を掠める度に、心苦しさが増していった。
けれどカイトにされた事を逐一答える気にはなれそうにない。
何をどう伝えるべきかと、オレは迷いの宿った目をハンスへと向けた。
(難易度おかしいだろ……)
進級前は余裕だろうと踏んでいたのに、蓋を開ければこれだ。
選択をちょっとでも誤れば、ハンスはジュリアナに付け込まれてしまうのではないだろうか。
(それだけは絶対に阻止しないと…!)
ジュリアナだけは駄目だと、どう切り出すかを頭をフル回転させ考える。
オレの返答次第では、ハンスは心に大きな傷を負ってしまうだろう。
少しでもハンスを刺激せずにカイトの事を伝える一言を求め、ぐるぐると考えを巡らせていった。
その苦労も虚しく、オレたちの前にカイトが現れる。
オレたちを追ってきたのか、微かに息を切らせたカイトがずんずんと歩み寄ってきた。
そして強く握られたオレの腕を見るや否や、力づくでハンスから引き剥がす。
うっすらと赤くなったオレの手首を包み、ハンスを睨みつけた。
「暴力に訴えかけるようでは器が知れるぞ」
「デルホーク…!」
「いちいち吠えるな。そんなだからシャルルが怖がるんだ」
出くわして早々、二人の間に流れる空気は険悪だ。
もはやどっちが主人公でどっちがライバルか分かったものではない。
今にも噛みつきそうなハンスを見ていると、こっちまで胃が痛くなってきそうだった。
(どんだけ嫌いなんだよ)
宿敵というだけに、二人の反りが合わないだろう事は理解できる。
しかしカイトに向けられるハンスの嫌悪は、宿敵という言葉で済ませられるようなものではない。
年度末を機に変化したカイトの態度に比例するように、ハンスの怨嗟も増大してしまったようなのである。
要するに嫉妬深いというわけなのだが、これではまるで親の仇か何かだ。
かろうじて暴れ出さずにいるだけで、その顔は殺気に溢れている。
「シャルルに触るな」
「何故貴様の機嫌を伺わなければならない。それに、何も教えてもらってないようだな?所詮は野良犬、信用がないという事か」
「何だと…?」
苛立ちを隠さないハンスに、カイトも負けじと燃料を投下する。
ぴくりとこめかみを震わせるハンスを一笑したかと思うと、そうするのが当然のようにオレの体を抱き寄せた。
節ばった指が頬を撫で、唇へと添えられる。
「シャルルは俺の寵愛を受ける事になった。そうだろう、シャルル?」
「待て待て待て…!!何言っちゃってくれてんの…!?」
「恥ずかしがる事はない。お前が俺を受け入れるのも時間の問題だ」
「そういう問題じゃないだろ!!?」
じたばたを暴れるオレを抑え、カイトは勝ち誇ったように宣言する。
その言葉にオレとカイトの間にあった事をおおよそ理解したのだろう。
ハンスは一層顔を歪め、歯を食いしばる。
「お前はまた俺からシャルルを奪うつもりか……」
「奪うだなんて人聞きが悪いな。シャルルが貴様のものだった事は一度もないはずだが?」
「黙れ…!それはお前も同じだ…!」
唸り声をあげたハンスが腕を伸ばす。
殴りかねない気迫にぎゅっと目を瞑るが、オレに触れたのは優しい温もりだった。
奪うようにオレを腕の中に閉じ込めカイトから遠ざける。
すると今度はカイトが笑顔の中に影を差し入れた。
(何でこうなっちゃうかなぁ……)
どこまでいっても剣呑な二人にオレは冷や汗を滲ませる。
このまま奪い合いをされるのであれば身が持たないだろう。
イケメンとハンサムに囲まれて嬉しいと喜べるほどオレの頭はお花畑ではなかった。
のしかかる空気の重さから逃れたい一心でカイトへと声を張り上げる。
「お、王女の事で話があるんだろ!?」
兎にも角にも一旦オレの事から離れてくれ。
オレを追ってきただろう理由を尋ねると、カイトはハンスを睨みながらも口を開いた。
「そうだったな。王女の事で話をしに来たんだったな」
言いながらカイトがオレの髪を掬う。
長く伸びた髪を掴み、慈しむようにくるくると弄んだ。
ハンスはそれすら嫌そうだったが、オレがぺちぺちと足を叩くと仕方なしに黙ってくれる。
「ウィルフレッドに聞かれて困る話でもないからな。ついでに耳に入れておけ」
静かになったハンスを見やり、カイトが口を開く。
「良いか、あの王女には出来る限り関わるな。公に口にする事は出来ないが、王女にはあまり良い噂を聞かなくてな。近頃スキラの国境沿いで頻発している事件に王女が関わっているなんて話もあるくらいだ」
一段暗くなった声が告げる。
それはオレの想定よりもずっと悪い話だった。
『ラブデス』で知るジュリアナはあくまでハンスを使い潰す悪女でしかない。
もしカイトの話が本当なら、ジュリアナは学院では収まらない相当数の悪意を持っている事になる。
思った以上に大変そうだと頭を捻り、カイトの言葉をかみ砕いていった。
「事件ってたしか……魔石の盗難被害だったっけか」
ナサニエルがそんな事を言っていた覚えがある。
種類や希少性を問わず無差別に魔石の窃盗にあったという話だったはずだ。
「…………魔石か。考えられるのは武器の開発だろうな」
オレの言葉にハンスが口を挟む。
世の中にはヨナと戦うための魔具もあるくらいだ。
それらを戦争のために運用してもおかしくはないと、ハンスは険しい顔で言い放つ。
カイトもそれに頷き、表情を沈ませた。
学生らしからぬ物騒な話にオレは一人置いてけぼりだ。
(つーか、意外と気が合うんじゃ……?)
真面目に論議を重ねる二人はまさに対等といった様子でお似合いだ。
戦いは同じレベルの者でしか起きないと聞いた事があるし、宿敵と銘打つだけあって二人には似た部分も多いという事なのだろう。
それはさておき、ジュリアナと魔石泥棒は上手いように繋がってこない。
戦争を仕掛けるための下見でも何でも理由をこじつける事は出来るが、そのどれもが推測の域を出る事はなかった。
(あ、でも王子の婚約者を狙ってたんだよな)
僅かな描写だが、小説の中のジュリアナはハンスに王子の婚約者を襲わせようとしていた。
最終的にハンスはその願いを聞き入れず、ジュリアナからも逃げ出したわけだが、レディ・ゴールドことレイア・アウラスタ公女が狙われただろう事実に変わりはない。
「えーと…同盟とか、そういうのは?」
「第二王子か第三王子の婚約者にどうか――という話は上がっているな」
直接的な表現はどうかと思ったが、無事伝わったらしい。
オレの言わんとする事を汲み取って、カイトは事もなげに答えた。
けれど『ラブデス』の内容を考えると、ジュリアナが狙うのは王妃の座だ。
しかし今ここで公女の殺害を考えている――などと息巻く事は出来そうになかった。
いかにカイトがオレに優しくとも、憶測で王族を貶める内容は憚られてしまう。
「んー……」
「言いたい事があるなら遠慮せずに言ってくれ。それがどんな内容でも咎めはしない」
「んんー……たとえばだけど、王妃の座を狙ってるとしたら?」
結局オレはカイトの優しさに甘えてしまった。
しかしオレの言葉に驚く事もなく、カイトは目を伏せるだけだった。
「……やはりそこに行き着くか」
「カイト……様も同じ事を?」
「様はつけなくて良い。だがそうだな。交流が目的とは謳っているが、正直きな臭いと思っている」
レイア公女と仲が良いだけに懸念があるのだろう。
小説に描かれなかったカイトとジュリアナの関係を前にオレは唇を固く結ぶ。
オレが未来予知の加護の持ち主ならジュリアナが悪人だと言えるのに、それが出来ないのがもどかしい。
そこにハンスが再び口を挟む。
「どのみち公女の警護は厚くしておいた方が良い。王女の方も下手な動きが出来ないよう、信頼のおける人物で囲むべきだ」
「貴様に言われるのは癪だが最もな意見だ。殿下たちにも進言しておこう」
ハンスの意見にカイトも納得したようだ。
これで多少なりとも公女の安全が確保されるのだと思うとほっとする。
関わりがあろうがなかろうが、誰かが傷つく事は嬉しいものではないものだ。
「……話は終わりか?」
「用がなければ一緒にいてはいけないのか?」
安堵したオレをよそに二人はまた口論を始めたようだった。
やはり似た者同士だと、オレはつい笑ってしまう。
「……何がおかしい?」
「笑うところはなかったと思うんだがな」
返答まで似ているじゃないかとオレはクスクスと笑い声を上げる。
そっくりだなどと言っても怒られそうなので言わないが、案外と気が合いそうな二人が面白く見え始めてきた。
「そういや、オレたちに言って良かったの?」
「ああ。あの状況で他に話せる相手もいないしな。お前たちが口外しなければ問題ない」
「あー…皆王女に骨抜きにされてるもんな」
乾いた笑いを溢し、ふとカイトと普通に話せている自分に気が付いた。
急に照れ臭さが込み上げてくるが、変に緊張するよりは良いのかもしれない。
そんなオレの頭をカイトが撫でる。
鋭い光を宿した深緑の瞳はハンスを捉えていた。
「――俺はそろそろ戻る事にする。ウィルフレッド、今は任せるが下手な真似はするな。貴様が抜け駆けしようとしたところで俺は見ているからな」
ハンスに捕まったままのオレを残し、カイトは学院へと戻っていく。
三公としての仕事やら、ジュリアナの相手やら、オレが思ってるよりずっとやる事が多いらしい。
特にジュリアナの世話は気の毒だと思いつつ、遠ざかっていく背中を見送った。
すっかり毒気の抜かれたオレにずしっとハンスがのしかかる。
「デルホークと何があったんだ?」
「ひえっ…!」
少しは機嫌が直ったかと思いきやそんな事はまるっきりなかったようだ。
オレは顔を真っ赤にしながらも、あの日の醜態を白状する事になったのだった。




