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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
1部-2章.シャルル・ミオンの学院生活②
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78.子猫伯爵と新学期

肺いっぱいに吸い込んだ空気をゆっくりと吐き出していく。

空は明るく、まだ若い青葉が日差しを受けてキラキラと光っていた。

芽吹きを感じさせる温かな風を感じ、オレはともすれば重くなってしまいそうな一歩を踏み出した。


今日は夏の第一月(だいいちづき)

長い休暇を終え、神学院(アーク・マナリア)での新たな授業が始まる日だ。


覚悟を決め直したオレは気合を入れて馬車を下りる。

一ヵ月ぶりに仰ぐ学院はまるっきり知らない場所のように思えたが、尻込みしていてもしかたがない。

食っちゃ寝生活が(たた)り腰が痛かったけれど、平気なフリをして校門を目指した。

(しっかりしろオレ…!)

校門で立ち止まり、もう一度自分を叱咤する。

休みの間に出来る事はやったのだし、後はもうなるようになるだけだ。

ずっと部屋で腐っていたオレだったが、前を向くと決めた後は手紙の返事に課題にスミレたちとのスキンシップに弟妹(きょうだい)分の名づけにと忙しく時間を過ごしたのだった。

(あんまり落ち込んでなきゃ良いけど……)

ハンスへの返事は倍では利かないくらい頭を悩ませた。

何度も考えては何度も書き直してを繰り返し、数日ごしに返事を出す事が出来たくらいだ。

手紙には想いには応えられないという旨を添えた。

直接好きと言われたわけではない以上、自意識過剰と思われるかもしれない。

けれどそこだけはハッキリさせるべきだろうと、気持ちは嬉しいとした上で、そういう事は考えられないと(つづ)ったのだった。

予想通りというべきか、カイトから恥ずかしくなるような手紙が届いていたが、こちらにも懲りずに〝NO〟の返事を出しておく。

そうして目の前の事に追われる内に、残り少ない休日はあっという間に過ぎていった。

季節は早くも夏を迎え、柔らかな空気が身を包んでくれている。

その心地良さとは裏腹に、オレはいささか気乗りのしない心を引っ提げて、この戦場へと戻ってきたのだった。

(よし!行くか!)

手紙だけで解決するわけがない事は知っている。

これからオレはハンスとカイト、そしてジュリアナとの仁義なき戦いに身を投じなければならない。

突っ走るだけ突っ走ってやると、自棄(やけ)にも近い心持ちで校庭を歩いていく。

オレの視線の先、悪い意味で注目を集めるのは新学期だと言うのに酷く沈んだ顔の大男だ。

いつから待っていたのか、校庭に植えられた大木に寄り添うハンスの姿があった。

どんよりと淀んだ空気のせいで近づこうとする者はなく、オレは誰に邪魔される事もなくハンスの前で足を止める。

「久しぶり」

「あ……シャルル」

あの日とは違い、伸ばしっぱなしになった前髪が青く澄んだ瞳を隠している。

その黒を掻き分けるように顔を覗き、オレは眉を下げて微笑んだ。

「いつまで沈んでんだよ。そんなんじゃ置いて行っちまうぞ」

「………のか?」

「何だよ?」

「俺が……気持ち悪くないのか?」

絞り出された声は小さく、背後から聞こえてくる談笑にかき消されてしまいそうだった。

図体ばかりが大きくなって心は繊細なままのハンスの頭を撫でてやる。

髪がぐしゃぐしゃになって、アイスブルーの瞳が見えるまで乱暴に頭を撫で回した。

「オレの方こそごめんな。甘えてばっかでお前のこと傷つけちまった」

「……違う。俺があんな馬鹿な真似をしなければ――」

「手紙にも書いたけどさ、ハンスの気持ちが嫌なわけじゃないんだ。でも今はそういうこと考えられないし、ハンスの気持ちには応えられない。オレにもハンスにも時間が必要だと思うんだ」

結局なかった事には出来なかった。

けれどオレはハンスの気持ちに応える事も出来なかった。

ハンスの気持ちは嫌ではないけれど、オレにはそれが優しさに対する執着なのか、憧れに対する興奮なのか、単に困惑しているだけかが分からなくなっていた。

互いに(ほだ)されているだけの可能性も否めない。

それを思えば、オレたちに必要なのは考える時間だった。

「我儘なのは分かってるけど、これからも一緒に居てくれるか?」

「……っ……当然だ。お前の傍にいられるなら、俺は何だって構わない」

「ありがとな、ハンス」

泣き出してしまいそうなハンスの頬に手を添え苦笑を(こぼ)す。

ハンスも同じように笑みを返してくれた。

切望を宿した笑みは胸をぎゅっと鷲掴みにするような哀愁に満ちている。

それでも同情だけで好きだなどと告げるわけにはいかない。

生半可な気持ちで好きになるな――女手一つでオレを育ててくれた前世の母の言葉が蘇り、オレはハンスの手をとって歩き出した。

「ハンスにもらった花、ポフィンにしてみたんだ」

「……そうか」

「香水も良いなって思ったんだけどスミレたちが嫌がりそうだったからさ。お前も香水買う時はそのへんまで考えた方が良いぞ」

反応が薄いながら相槌だけはしっかりと返してくれるハンスに話しかける。

ハンスに貰ったブルーローズは萎れ切る前に乾燥させ(ビン)の中へと閉じ込めた。

鮮やかな青色は消えてしまったけれど、ほんのりと甘く爽やかな香りがするポフィンは寝る時や起きた時のお供にぴったりで、すっかりオレのお気に入りだ。

その事を伝えるとハンスはひどく嬉しそうに目を細めてくれた。

優しい眼差しについドキリとしてしまい、バッと顔を逸らしてしまう。

(ああもう…!言った傍から…!)

一度でも意識をしてしまえば、そこから抜け出すのは難しい。

口では応えられないと言いながら、オレはハンスだけでなくカイトの言動にも一喜一憂する始末だった。

いちいち反応していては駄目だというのに、そうでなくてもびびりなオレの体は慣れない攻撃に反応してしまうのである。

(つーか、カイトもいんだよな……)

本気になったカイトの猛攻はそれはもう凄いものだった。

数日かそこらで慣れる事が出来るような代物でなく、文面と贈り物だけでもオレの心は爆発してしまいそうになっている。

どんな英才教育を受ければ、あんな歯の浮くような言葉がつらつらと並び立つものか。

これからほぼ毎日顔を合わせなければいけないと思うと、既に帰りたい思いでいっぱいだった。

今すぐ回れ右をしたいが、教室はもう目の前だ。

オレとハンスは1年間世話になった教室の一つ隣の教室へと入っていった。

全学年で3クラスしかないというのに、設備が微妙に違うやらで律儀に教室を移動する必要があるらしい。

とはいえ座る場所は変わらない。

オレは気だるい体を引きずって一番隅っこの特等席を目指す。

「待っていたぞ、シャルル」

しかしオレの特等席だったそこに堂々たる貫禄(かんろく)で座っているのはカイト・デルホークだった。

思わず引き返そうとするオレをカイトの手が阻む。

立ち上がったかと思いきやオレを抱き寄せ、頬に口づけを落としたのだった。

「んなっ……!!?」

「調子が優れないと言っていたからな。変わらず愛らしい姿が見れて安心した」

甘い言葉を囁き――けれどその視線は恐ろしいほどの険しさを秘めている。

オレごしにハンスを睨みつけ、バチバチと火花を散らし出した。

「シャルルから離れろ」

「それが挨拶とは、相変わらず躾のなってない野良犬のようだな」

ハンスの方も負けじと冷たく突き刺すが、カイトには何の効果もないようだった。

浅く笑みを浮かべ余裕綽綽(よゆうしゃくしゃく)にハンスを見据えている。

「シャルルから離れろと言っている」

「何故貴様の言う事を聞かなければならない。貴様は俺の気まぐれでそこに立てているだけだ。少しは口を慎む事だな」

一触即発の空気にオレの方が死んでしまいそうだ。

背中には冷や汗が流れ、授業が始まる前から居心地の悪さが最高潮だった。

始業1日目の必須イベントか何かなのだろうか。

オレのために争わないで――そう言いたくなる気持ちをぐっと(こら)えてカイトの胸を押しのける。

もはや無礼だ何だとは言っていられない。

(今のはただの挨拶…!今のはただの挨拶…!)

頬への口づけは挨拶に過ぎないと、少しでも気丈に振る舞おうと眉を吊り上げる。

「ご配慮ありがとうございます。ですが――」

「堅苦しい世辞は良い。お前にはとっくに全てを許してるだろう?」

オレの言葉を遮り、呆気なく距離を置いてくれたカイトが深緑(しんりょく)の瞳を光らせて笑う。

その言葉に極一部の生徒を除いてみな目を(またた)かせた。

困惑とどよめきに呑まれ、すぐさま色めき立った空気が立ち上る。

ある者は消し切れぬ当惑を浮かべ、ある者は頬を染め――ある者は嫌悪に顔を歪めていた。

「何、言って……」

「言葉通りだが?もっとも意味が分からない者がいるならば、手を打たねばならんだろうがな」

平然と言ってのけるカイトに眩暈(めまい)がする。

今の一言でオレがカイトのお気に入りである事は全員に知れ渡った事だろう。

〝俺のものに手を出すな〟というお触れに、オレはもう意識を失ってしまいたいくらいだった。

(どうしてこうなるんだよ……)

2年連続で偶然こんな事になるとは思えない。

授業初日には魔が潜んでいる――そう覚えたオレは今から来年のこの日に戦々恐々とするのだった。

だが一番恐ろしいのは真後ろからの殺気だ。

どす黒いオーラをだだ洩れにするハンスの圧に当てられ、その場を動く事もままならない。

「ハンス………」

後ろを振り返る事すら出来ないオレの肩にハンスの手が触れる。

びくりと体を跳ねさせるオレを乱暴に抱き寄せ、低い声を発した。

「シャルルはお前のものじゃない」

「ならば貴様のものだとでも?思い上がりも(はなは)だしい」

笑っているようでカイトの瞳はまるで笑っていない。

このまま二人に衝突させたとして百害あっても一利なしだ。

オレは震える体に鞭を打ち、話を逸らすべく二人の問答に割って入る。

「な、何でそこ座ってるんですか?」

「ああ、この席が良かったのか?たしかにこの席の方が日当たりも良いし風も気持ち良いだろうな。何より、お前の隣に座れるのが俺だけというのも悪くない」

「は?や、そういう意味じゃ……」

「なら言葉には気を付けろ。真意を捻じ曲げる事なんてそう難しくはない」

勇気を振り絞った甲斐なく、カイトは3つの椅子が並んだ中央にオレを座らせる。

今のは〝舐めた口を聞くな〟という威嚇(いかく)ではなく、〝俺の都合良く解釈する〟という意味だ。

言葉(たく)みに相手を操るカイトの手腕にオレはもう(はま)ってしまっているらしい。

ハンスから引きはがされたオレは、成す術なく椅子へと座っていた。

それでもオレを端ではなく中央に座らせてくれるのは、カイトなりの優しさといったところか。

(……嬉しくはねーけど)

強制的に真ん中に座る事になったオレの左にカイト、右にハンスという見るからに強そうな布陣が出来上がる。

群を抜いて大柄な二人に挟まれたオレは、捕らえられたUMA(ユーマ)か何かの気分だった。

「おはようございます、シャルル様。これからよろしくお願いします」

半ば虚無(きょむ)になりつつあるオレに律儀に挨拶をしてくるのは前の席に座ったルーカス・キングスレイだ。

カイトがオレの隣に来た事で、今までオレの前に座っていた男爵家の面々は追いやられたようである。

ルーカスがカイトの前に座る形で、ヘンドリック・リロイ、メイナード・セストッドの二人が一つ前のテーブルを占拠しているのだった。

「や、あの、シャルルで結構です」

「そういうわけには参りません。どうぞ私の事はルーカスなりルカなり気安くお呼びください」

カイトの取り巻きの中では真面目そうで好青年に見えていたルーカスがにこやかに言い放った。

好青年には違いないのだが、違うそうじゃない。

仮にも侯爵令息が爵位の低いオレにぺこぺこと頭を下げるのは明らかに何かが間違っている。

「ほんと、そういうの良いんで……」

「シャルル様は謙虚でいらっしゃるのですね」

何を言っても暖簾(のれん)に腕押しな彼にオレは言い返す気力そのものを失っていく。

満足気に微笑むカイトには悪いが、これだけの事を仕出かされて喜べるほどオレは馬鹿ではない。

何よりオレの背後だ。

いまだ立ったままのハンスの機嫌は一言で悪い。

殺気が目に見えてしまうのではないかと錯覚するくらいハンスは不機嫌だった。

今にも殴りかかりそうな暗く重い空気に、ただ黙って座っている事など出来そうにない。

「オレ、違う席に――」

「どこが良いんだ?前でも後ろでも好きな場所を選ぶと良い。新学期という新たな舞台だ。皆もこれまでと違う場所から教室を見てみるのも悪くないだろう」

「………やっぱ大丈夫です」

立ち上がろうとして、有無を言わさぬカイトに大人しく座り直す。

どこの席に移動しても、次の瞬間にはカイトがオレの横を陣取る事は理解できた。

カイトに言われて断れる人間なんてそういない。

最悪ハンスたちが冷たい目で見られかねない現状に、オレは文句を言いたいのをぐっと我慢する。

ささやかな抵抗にカイトを睨みつけるが、カイトはどこ吹く風だ。

「怖い顔をするな。これはお前のためでもあるんだ」

「だとしてもオレは横暴なのは好きじゃないです」

「それは気が合うな。俺とて武力に訴えるのは好きじゃない。だから――分かるな?」

カイトはオレにこの状況を飲み込めと言う。

だがその言葉はオレではなく、拳を握りしめるハンスに向けられていたのかもしれない。

ハンスは荒々しくオレの右隣に腰を下ろし、カイトを睨み続けた。

オレを挟んで睨み合いを続ける二人を眺める生徒たちの目は強い好奇に満ちている。

その中でも一際(ひときわ)目を引くのは、瞳を震わせるサマル・バロッドだった。

カイトの取り巻き全員が事情を聞いていたわけではないのだろう。

サマルを始め、オズウェル・ガーネットやラケルとロシェルの双子のキャメロンやジェラルド・オストリッチなど、よくオレに突っかかってきていた顔ぶれは教室の中央に残されたままだった。

他の生徒と同じように驚愕を浮かべる顔を見るに、この状況を快く思っているわけではなさそうである。

「おはよう…?」

当然この奇妙な座席に疑問を頂くのはカイトを頭に置く貴族派だけではない。

少しばかり遅れてやって来たユージーン・アーチボルトが、ハンスの前で困惑を浮かべていた。

「えっと…、デルホーク様のお席、変わったんですね」

「アーチボルト卿には悪いが気分を変えようと思ってな。別の場所に座ってくれ」

ユージーンはキョロキョロと辺りを見渡し、(そで)を掴む感触に振り返った。

昨年と変わらず座席は三人、四人、三人の計十人が横一列に座れるようになっている。

中央の机に座ったアンナたちが一つよき、ユージーン、アンナ、レフ、ジョンがオレたちの隣の机に着く形となった。

その一つ前とさらに右隣にルーカスらに追いやられたキャンディスら男爵家の顔ぶれが座っている。

ロナルドは交際の始まったミラ・クロッシュと共にそこに腰かけているようだ。

そのまま多少の変動を見せつつ、誰一人として文句を言う事なく席を決めていく。

これがカイトの影響力なのだろうか。

始業の鐘が鳴る前には座席が埋まり、皆こちらを気にしながらも慌てる事なく過ごしている。

目に見えて剣呑(けんのん)なのはハンスただ一人で、それを直に浴びるオレは全身汗まみれだ。

授業が始まる前からこれで大丈夫なのだろうか。

(何でこうなっちゃうかな……)

昨年のように無理に表情を取り(つくろ)ったりはしないが、苦しい状況に変わりはない。

オレはひたすらに身を小さくして始業の時間を待った。

授業が始まりさえすれば、少しは気も紛れるだろうと、教卓の上に掛けられた時計へと視線を送る。

左からはカイトの熱い視線、右からはハンスの悍ましい殺気を感じながらオレは鐘が鳴り響くのを待ち続けるのだった。

居心地の悪さばかり募る中、ようやく鐘が鳴り響く。

ゴーン、ゴーンと鈍い鐘の音が響き渡り、程なくして一人の教師がオレたちの前へ現れた。

長く淡い金髪が、色のくすんだグレーのマントと共に揺れ動く。

その顔に浮かぶのは期待に満ち(あふ)れる新学期には不釣り合いの無機質と言っても過言ではない表情だ。

生徒たちも思わず息を呑み、完全な静寂が教室を支配する。

無駄のない動きで教卓へと立った教師は、にこりともせずに室内を見渡した。

「皆さんおはようございます。挨拶は不要かと思いますが、新たな年という事で改めて紹介しておきましょう」

トントンと左手で教卓を叩き、教師は続ける。

「本日より皆さんの主任を務める事になりましたキース・ヴァン・トラスティーナです。常勤としての仕事は初めてですが、皆さんが心配する事はありません。どうぞ1年よろしくお願いします」

やはりにこりともせず、トラスティーナ教授が言い放った。

(……トラスティーナ教授が担任なのかよ)

チラリとハンスを見るがハンスも今初めて知ったという風な顔だ。

昨年のいるんだかいないんだかな印象の薄い学年主任―オレには担任という言葉の方が馴染み深いが―に比べ、色濃い出だしを決めてくれた教授に皆も(おのの)いた様子である。

単に怖いだけな気もするが、波乱万丈な幕開けとなった事だけはたしかだろう。

左にカイト、右にハンス、前方にトラスティーナ教授という逃げ場のない状況に囲まれたオレも内心泣いてしまいそうだ。


――本当に何がどうしてこうなった。

あまりに理解の追い付かない現実に、オレは全てを上の空で教授の話を聞き流すのだった。

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