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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
1部-1章.シャルル・ミオンの学院生活①
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74.子猫伯爵と残雪

ハンスたちを置き、オレは一人会場の外へと飛び出した。

控室となるサロンに向かう者、トイレに向かう者など様々だが、レーデンベルグ王子が来ているだけあって、守衛の数も相当なものだ。

各地で目を光らせる守衛たちの視線を()い潜り、オレは控室を飛ばし教室がある本棟までやって来た。

明かりの灯らないそこは音楽と談笑で賑わう会場とは真逆に、奇妙なくらい静かなものだ。

往く宛てもなく彷徨って数分、オレは食堂に併設された屋外テラスへと踏み出した。

鉄柵へともたれかかり、胸の内に溜まっていたものを外へ出す。

「はぁー、疲れた!」

準備のために早朝から起こされたのもあるが、人込みの中でじっとしているのはなかなかに大変なものだ。

加えて油断ならない相手がたくさんいる場所だ。

いくらハンスたちが一緒に居るとはいえ、休まる気分はしなかった。

幸いサマルたちがやっかみを付けてくる事はなかったが、それでも気を遣う事には変わらない。

火照ってしまった体を冷やすためにも、束の間の自由を満喫する。

「――――シャルル」

しかし、その静寂はあっさりと破られてしまう。

いつから着いて来ていたのか、オレのすぐ後ろには花束を抱えたハンスが立っていた。

「驚かせたならすまない。一人で抜け出す姿が見えたものだからつい……」

「ん、大丈夫」

しっかりと花束を持ってくるあたりがハンスらしいと小さく笑みを溢す。

隣へとやって来たハンと共にオレはフェンスに体を預けたまま空を仰いだ。

昼過ぎに始まったパーティーも、もはや数時間が過ぎている。

(こよみ)では春とはいえ、まだ寒い冬の空はすでに星を瞬かせる濃紺へと移り変わっていた。

「ハンスまで抜け出して良かったのか?」

「最初からそのつもりだった。俺にはああいった場所は向いてない」

「んなこと言って、騎士みたいだってチヤホヤされてたじゃん。1曲くらい踊ってやれば良かったのに」

「見てくれだけで近づいて来る相手とか?」

お世辞ではなく、今日のハンスは輝いてみえる。

オレたちのテーブルにやって来た生徒の中には、ハンス狙いの人たちも多かった事だろう。

睨みを利かせてばかりで席を立ちはしなかったが、ハンスにだって十二分にチャンスはあったはずなのだ。

とはいえ、この面倒くさそうな顔だ。

アイリスのような見た目も中身も清純派なヒロインが登場でもしない限り、ハンスが重い腰を上げる事はなかったのだろう。

喜ぶべきか、嘆くべきか分からず、オレはただ星の昇る空を見つめ続けた。

「シャルルこそ誰かと踊ろうとは思わなかったのか?」

「んー、良い相手がいればってとこ?変な連中も多いし、あんま期待出来なそうだけど」

「………そうか」

ハンスに問われ、空を仰いだまま答える。

最初はアンナと踊ろうかと思っていたが、あの人気ぶりだ。

パーティーを楽しんでいるアンナに水を差すのも悪い気がして、あえて誘おうという気にはなれなかった。

それはニーナ・ジルコンを始めとする他の見知った令嬢たちも同じ事だ。

我ながらインドアだとは思うが、美味しい料理をつまみに楽しむ彼らを見ているだけでオレは満足していたのである。

「シャルル」

ふいにハンスの声色が変わった気がした。

重さを感じるその声に視線を移し、星の輝きを移し込むアイスブルーを覗き込む。

オレを一心に見つめる青から目を離せない。

「お互い1曲も踊らないのは寂しくないか?」

薄く笑ったハンスがそう言ってオレに手を差し出してきた。

抱えていたブルーローズは外に置かれたままのテーブルの上にそっと置かれている。

「オレ、男と踊った事はないんだけど?」

「俺だってそうだ。授業でだって女性パートを練習した事はない」

ありえないと苦笑するが、ハンスも同じように眉を下げて笑うばかりだ。

けれど不思議と嫌な気持ちはしなくて、気が付いた時にはハンスの手に自分の手を重ねていた。

屋外のせいか、(かす)かにだがオーケストラの演奏が聞こえてくる。

その音色に乗せるように、オレたちは最初の一歩を踏み出した。

「足踏むなよ?お前に踏まれたら骨折しそうだもん」

「安心しろ。その時には運んでやる」

軽口を叩き合いながらステップを刻んでいく。

足を踏まないようにだけは注意を払い、右へ左へと体を揺らしていった。

「ははっ、意外と踊れるもんだな」

ゆったりとした音楽など関係なしに忙しなくテラスを回っていく。

まさしく無礼講(ぶれいこう)で無遠慮なダンスに、オレもハンスも終始笑顔を絶やさなかった。

ハンスに回されると腰についたリボンがたなびき、まるでドレスのようだ。

踊りながらも見上げたハンスの顔は幸せそのものだった。

あまりに綺麗に笑うものだから、冷えた空気と、激しくはないが動き続ける足とで息が止まりそうになる。

どうやって踊っているのかも忘れてしまうくらい、その優しい笑みに見惚れてしまっていた。

演奏が届かなくなった事にも気づかずに、オレたちはテラスを駆け回っては身を寄せる。

観客も誰もいない中、時間も忘れて二人で踊り続けた。

「変なの。お前が踊るとこ見たいって思ってたのに、オレが踊ってんだもん」

「俺が踊るところを見たかったのか?」

「だって今日のハンス…その、かっこいいし。その服着て踊るとこが見たかったんだよ」

オレが唇を尖らせると、ハンスは肩を揺らして笑った。

会場では仏頂面(ぶっちょうづら)だったくせに、こういう時だけは素直に笑うハンスが腹立たしくも可愛らしい。

「笑うなってば」

「しかたないだろう?理由があまりにかわ――面白いんだからな」

「今可愛いって言おうとしただろ!良いだろ別に!オレがプレゼントしたんだからさ!」

「悪いなんて言ってない」

騒ぎ出したオレを黙らせるように、ハンスがぐんっと手を引っ張る。

ハンスの胸に飛び込んだオレはそのままハンスに腰を支えられ、すぐ間近にハンスの熱を感じるのだった。

冷え込んだ外気とは逆に熱いくらいのハンスの体に、どうしてかオレの方まで火照ってきてしまう。

体を冷やすためにここまで来たはずなのに、これではまったくの逆効果だ。

(でも嫌じゃないん……だよな)

普通ならこんな事はしない。

パフォーマンスのようなダンスならまだしも、男と抱き合って踊るなんて頼まれても御免だった。

今だってそう思っているはずなのに、ハンスに誘われると(かたく)ななつもりのオレの意思は簡単に瓦解(がかい)してしまうのだ。

ハンスに優しくされるのも、一緒に踊る事も、ハンスの温もりを感じ心臓が騒がしくなるのも全部、オレにとっては嫌な事ではなかった。

むしろ――そこまで考えてオレはハンスの手を離そうとする。

しかしハンスの手は簡単に(ほど)けてはくれない。

オレの体を抱きとめ、その場へと繋ぎ止めた。

「シャルル」

名前を呼ばれているだけなのに胸が苦しくなって、逃げ出してしまいそうになる。

返事も出来ないままのオレを見下ろす顔は優しくありながらも酷く切なげだった。

どのくらいそうしていたかは分からない。

次の演奏が聞こえてきたのにも構わず、オレたちは無言で視線を交わし合った。

その果てにハンスがオレの頬へと手を添える。

大きな右手が頬を包み、微かに開いたオレの唇へと固く筋張った親指が乗せられた。

指先に気を取られたところで、熱を帯びた瞳と視線が絡む。


そして――指越しにハンスの唇がオレの唇へと重なった。


眼前に迫った狂おしげなアイスブルーから目を逸らす事も、逞しい体を突き飛ばす事も出来ず、オレはただ立ち尽くしてその熱を受け入れていた。

一瞬だったのか、それとも数分だったのか、時間の感覚すらなくなって茫然(ぼうぜん)とハンスを見つめ続ける。

オレを見つめ返すハンスの顔は大人の男のもので、心臓を鷲掴みにされた気分だった。

ドッドッとざわつく心音は、ハンスにまで聞こえてしまうのではないかという程だ。

唇から離れていく指の感触がいつまでも残り、オレは言葉もなく浅い呼吸を繰り返す。

キスをされていると分かったのは、(しばら)くしてからの事だ。

はくはくと自由になった唇を上下させ、丸く見開いた目でハンスを凝視する。

唇どころか頬も耳も体も全部が汗が噴き出してしまいそうなくらい暑かった。

「へぁ、え、あ……」

まともに言葉を発する事も出来ない。

金魚のようにパクパクと口を動かすだけで、叫び声の一つ出てきはしなかった。

じんじんと残る少しかさついた口と指の熱が(わずら)わしい。

混乱と恥ずかしさと訳の分からなさが一気に襲い、オレは人生一(じんせいいち)素早い動きでハンスの腕を抜け出した。

シュババッとハンスも驚きの速度で逃げ出したオレはテラスの出入口へと猛然(もうぜん)とダッシュする。

「オ、オオオ、オレ、戻るからな…!!」

テラスを出る直前、律儀にハンスに声をかけバタンと扉をしめる。

返事だけは待たずに一人飛び出していった。

(な、ななななな、何で……!!?)

(じか)に触れたわけでもないのに唇が火傷してしまいそうだった。

頭には〝(ハテナ)〟が浮かぶどころか眼前に迫ったハンスの顔が思い起こされ、オレは恥ずかしさのあまりブンブンと乱暴に頭を振り回す。

(え?いや、何?オレ、ハンスに…キ……キス?された……?)

何度思い返しても違うビジョンは思い浮かばない。

夢だったのかと思って頬をつねるが、熱くなった頬は余計に熱を持つばかりだった。

(おあ……、あ……、え?ほんとに?意味分かんねーんだけど?)

どれだけ考えても意味が分からない。

たしかにハンスの事をかっこいいと褒めたりはしたが、だからといってこんな展開にはならないはずだ。

だが一番理解できないのは自分自身だ。

(オレ…何で……、こんな時にまで嫌じゃないって思ってんだよ)

唇を(ぬぐ)う事も出来ず、煩いままの心臓を押さえ付ける。

激しく脈を打つ鼓動を(なだ)めるようにゆっくりと息を吐き出し、ぎゅっと拳を握りしめた。

(――ちょっと、ぶつかっただけだよな?)

拳を固め、ダンスの中で体勢を崩しただけだと言い聞かせる。

唇が触れ合ったわけでもないし、少しムードに飲まれただけで、あれはキスでも何でもないただの事故だったのだと頭の中で繰り返した。

(ハンスにはアイリスがいるんだから、オレが見守ってやんねーと)

当初の目的を忘れかけている自分を叱咤(しった)する。

オレはただハンスに殴られずに悠々自適な生活が送りたいだけだ。

2年後、ハンスがアイリスと出会うまでを見守るだけなんだと自分の立場を思い直す。

そう思っているはずなのに胸が苦しい。

(オレ、何で………)

苦しくて、泣いてしまいそうで、オレは止まりそうな足を懸命に動かした。

本当はもう分かっている。

分かってはいるけれど、これは認めてはいけない感情だ。

一人になったらハンスの事ばかり考えてしまいそうで、オレは一直線に会場へと戻っていった。

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