9.子猫伯爵と城下事情
ハンスに案内されてやって来たのは城下街の下層部だ。
城下は上層にあたるハイタウンと下層にあたるロータウンに分けられていて、名前の通り高所に位置するハイタウンには貴族向けの高級ブティックやレストランが立ち並んでいる。
聖なる大地クーラ・アース最大の都市だけあって人の往来も目まぐるしいものだ。
オレ自身ハイタウンには度々お世話になっているわけだが、整然とした街並みを見ているとデパートやショッピングモールを思い出す。
洗練された店構えの数々は、記憶の中のそれとは比べ物にならないほど絢爛なものだったが、店舗が綺麗に並んでいる様は懐かしさの残る過去を呼び覚ました。
一方ロータウンは庶民向けのお店や作業場がほとんどだ。
階段を下りた一段低い位置にある事もあって、貴族が訪れる事はまずない場所だろう。
王都に暮らす職人や使用人のための街でもあり、彼らの住まいが点々と立ち並ぶ住宅街としての側面もかなり強いのだそうだ。
冒険者に向けた酒場や宿も多く、城下ではあるものの下町という言葉がぴったり当てはまるように思えた。
爵位を持たない人々にとっては憧れの地であり、下働きで良いからこの地に住み込みたいという人がたくさんいるのだと言う。
紹介がなければ王族や貴族に仕える事はままならないのだし、肩書きを持たない彼らにとって王都で暮らせるというのはそれだけでステータスという事なのだろう。
以前の記憶を辿ってみても、都会に住むことはたしかに一つのステータスになっていた。
どの時代、どの場所でも、人の考える事はだいたい同じというわけだ。
「さあ、寄ってらっしゃい!見てらっしゃい!」
「安いよー!エールにぴったりだよー!」
オレの雑念を吹き飛ばすように、活気に満ちた喧噪が右から左からあちらこちらへと飛び交っていく。
少し遅いくらいかと思いきや、まだまだお昼時の真っ最中なのだろう。
数多くの屋台が立ち並ぶ広間は、食べ物を片手に談笑する人たちで埋めつくされていた。
客寄せの声が響き渡り、誰もかれもが昔ながらの友人のように振る舞う光景は祭りの如き賑わいだ。
「あんた冒険者だろ?手が空いてるなら手伝ってくれよ」
「はい、お待ち!おまけしといたからね!」
「南の方に行った事はあるか?私の故郷なんだが最近雨が続いてるらしくてな…」
耳を澄まさずとも色々な音が耳に入ってくる。
他愛のない話し声に、ジュージューと燃える鉄板の熱気に、誰かがグラスを置く音にと、本当に様々な音が飛び出しては他の音にかき消されていった。
見慣れない景色にキョロキョロと辺りを見渡せば、ハンスが小さく笑みをこぼす。
好奇心丸出しの顔がおのぼりさんにでも見えたのだろう。
まるで子供にするように手を掴まれた。
「離れるなよ?」
「分かってるって」
恥ずかしさを誤魔化すようにぶっきらぼうに返事をする。
そんな事をされるほど子供ではない――そう怒ってやろうと思ったが、規則性の欠片もない人の波を前に小言は飲み込むことにした。
暑苦しい男たちにもみくちゃにされるくらいなら、恥を捨てる方がよほどマシである。
オレはハンスの手をぎゅっと握り返した。
「っ……こっちだ」
行っては返す人の濁流とあちこちで火をあげる鉄板の熱のせいだろうか。
オレの手を引くハンスの顔は随分と赤らんで見えた。
それも束の間、冒険者と思しき女性たちに声をかけられる。
「お兄さん良い男ね♪」
「何か食べに来たの?一緒にどう?」
肌の露出が多い民族風の服を纏った女性と、露出こそ少ないが体のラインがくっきり浮き出る服を着た剣士風の二人組だ。
ちぐはぐな組み合わせからいっても城下に暮らす職人とは思えない。
王都の近くまでやって来るヨナが稀だと言うし、荷運びや要人の護衛、熊や猪といった害獣の撃退を生業とする冒険者なのだろう。
「そっちの坊やも可愛いわね~!」
「奢ってあげるし一緒に遊びましょうよ」
すでにアルコールが回っているらしい。
妖艶に微笑む二人は、ハンスの影に立つオレにも狙いを定めたようだった。
その手がオレに触れようというところで、ハンスがオレの腕を引っ張った。
「行くぞ」
どうにも気を悪くしたらしい。
引き留めようとする二人に目もくれず、オレの腕を掴んだままずんずんと進んでいく。
(あー…アレか?露出が多いのが気に障ったのか?)
照れているというより単純に機嫌が悪そうなハンスを半歩後ろから追いかける。
もしかしたら腕に腹に足にと肌を露出した彼女たちを破廉恥だと感じたのかもしれない。
アイリスの雰囲気からいってもハンスは清楚なタイプが好きという事だろう。
(オレももう少し落ち着いた感じの方が好みだな)
ハンスにはアイリスがいるがオレはこのままでは独り身だ。
貴族らしく婚約という手もあるが、やはり目指すは恋愛結婚だ。
どうせ結ばれるなら好きな相手と結婚したいと思うのは至極当然の事だろう。
(アイリスがハンスにとっての運命の相手って事だよな)
オレにも運命と呼べる相手はいるのだろうか。
悪役令息をやめた今ならば、素敵な相手に出会える可能性もあるのではないかと淡い期待を抱く。
ハンスに腕を引かれながらも、考えるのはそんな事ばかりだった。




