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魔王国の宰相 (旧)  作者: 佐伯アルト
Ⅳ 魔王の娘
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6 彼女の過去 ③

 「大変です! エイジ様が‼︎」


 情報処理室。という名目でモルガンとメディアの貸切になっている図書室に、伝令の声が響く。


 その名。聞き入れた瞬間、五名の顔色が変わる。


「エ…エイジくんが、どうしたって……⁉︎」


 咄嗟に訊くのはモルガン。嫌な予感がしていたのか、青ざめている。


「宰相閣下が、倒れました」

「はぁ⁉︎」

「なんですって!」


 秘書二人は、先程彼の元を離れたばかりである。さっきまで、なんともなかったはずなのに。離れた途端に……。その時、そばにいてあげられなかった。その後悔が心を覆い尽くす。


「どういうことです……倒れたって!」

「え…いえ……その……」


 凄まじい気迫で伝令に詰め寄るシルヴァ。哀れな彼は慄き、声が出せない。


「シルヴァさん……! 彼を責めたって、意味がありませんわ! さてアナタ、倒れたってどういうことか、説明しておくんなし!」


 シルヴァを嗜めるダッキだが、彼女の声も震えている。


「そ、その……ノクト様曰く! 過労とのことです!」


「か…」

「ろ」

「う⁉︎」


 シルヴァ、ダッキ、モルガン。彼女ら三人は、その言葉がストンと腑に落ちる。遂に……遂にことが起こってしまったか、と。


「そう……ノクト、やってくれたのね……」


 ただ一人は、違う反応を示したが。


「過労って……一昨日は、大丈夫そうだったのに……!」


 テミス、その思考は三日前の夜に飛ぶ。一夜を共にした時、彼は元気だった。それは空元気だったのだと、そして自分の我儘が、彼の心的負担を増やしたのでは、と気付く。


 彼が語ってくれた武勇伝。しかしその時、気づくべきだった。異世界人、プレッシャー、多忙……彼も弱音を吐いてはくれなかったが、自分も結局あれだけ言っておきながら、寄り添えてはいなかった。


「ごめんなさい、エイジ。私は……ッ!」


 彼は優しいから、自分のわがままを受け止めてくれた。けれど何も返せなかった自分。やるせなくて、泪が溢れる。他の女性は伝令に詰め寄り、見られなかったのは幸いだった。


「それで、彼は今⁉︎ 私が看病に

「その必要はありません」


 焦るシルヴァを、落ち着きを取り戻した伝令が止める。


「何故です⁉︎」


「彼は既に、自室に搬送済みです。また、ノクト様曰く、安静にしていれば回復するはずだ、とのことです。それに、今はレイエルピナ様がお傍にいるということで

「「「はい⁉︎ レイエルピナ⁉︎」」」


 思いもよらぬ名前に、間抜けた声が響く。


「任命した人はどんな神経を⁉︎ 信用出来ません、ここは私が

「命じたのはベリアル様です」

「……ッ!」


 誰よりも、レイエルピナとエイジを知っているベリアルが命じた。とあれば、反対もできない。どこか力なく、シルヴァは椅子に腰を下ろす。


「倒れた宰相閣下の代わりは、ベリアル様とノクト様が引き継ぐとのことです。報告は以上です、失礼しました!」


 用件を伝えた伝令は、足早に部屋を後にする。取り残された者達は黙り込み、重苦しい静寂に包まれる。



「間に合わなかった、ですわね」


 ダッキは部屋を見渡す。皆ショックを受けているようだったが、特に酷い三人がいる。彼女らの通夜のような重苦しい空気のせいで、周辺の者達も近付けず、手が止まっている。


「はあ、わたくしって、本当に損な役回りですわ」


 自分だって衝撃を受けている。されど、他の三人に比べればメンタルは強い方。だから、ケアしなくてはならない辛さだってある。自分が動かなければ、ここの空気は澱んだまま。自身の意外にも強い責任感を疎ましく思いながら、手を叩く。パァンという乾いた小気味いい音と共に、彼女に注目が集まる。


「さあて皆様、エイジ様が倒れられたのはショッキングでありましょうが、お仕事、再開いたしましょう。少なくとも、現在手を着けているタスクは完遂させて下さいませ」


 ダッキの喝で、目が醒めたように各々手を再び動かし始める。全体の空気が変わったのを感じ取ると、今一番落ち込んでいる者を見下ろす。


「シルヴァさん、再開しますわよ」


 声をかけられ、弱々しく顔を上げる。ダッキが顎でしゃくると、俯いたまま無気力に立ち上がる。


「シルヴァ、いつまで落ち込んでいますの。やりますわよ」

「ですが……!」


 なよなよしい様子の返事に、ダッキの中の何かが切れた。


 パァンという音が響き渡り、その音源に視線が集める。そこには、左頬を抑え、目を揺らすシルヴァが。


「貴女、仮にもエイジの右腕でしょう? いつまでしょげているのです。貴女いなくして、一体誰が彼の穴を埋められるというのです」


 鬼気迫る剣幕で、静かに怒り狂う。初めて感じるその威圧感に、シルヴァは恐れさえ抱いた。


「……ッ! あなたは…っ! 彼が倒れたことを何とも思っていないのですか!」


 再びバチンという音が響く。


「わたくしだってショックですわ! けど……アンタが動かないから、仕方なくあたしがやってんでしょうが‼︎」


 首元を掴み、口調さえ乱れる程に激昂する。しかし、シルヴァの吃驚した顔を見て、ふと我にかえり、手を離す。


「おほん……失礼。わたくしとしたことが、つい熱くなってしまいましたわ。どうやら、わたくしも苛立っていたようです。ごめんなさいね、当たってしまって」


 謝ると、ばつが悪そうに背を向ける


「ありがとう、ダッキ。目が醒めました」

「……でしたら、再開することです」

「分かっています。ですが……もう、少しだけ」


 先程よりは、声に調子が戻った。慣れないことをした甲斐はあったな、と自分を労う。されど、あと二人、ケアしなければならない者がいる。



「モルガン様、手を、或いは口を動かしてくださいまし」


 先程怒鳴っていた時のことを見ていたためだろう、声をかけられた細い肩が震える。


「ご、ごめんねぇダッキちゃん……けどワタシ……彼のことが、心配で……」

「ふうん……確かに、彼であれば、心配されたことを聞けば嬉しがるでしょう。しかし……それで仕事の手が止まったとあれば、貴女の幹部としての能力は、きっと失望されるでしょうねえ?」


 ハッとした様子を見せる。自分がどのような立場にあるか、思い出してくれたらしい。


「そうね……ワタシは、幹部だったわね」

「なら、その責務を果たしてくださいませ。それと、わたくしはまだ貴女をライバルになりうるなどとは警戒しておりませんので。仕掛けるならお早めにどうぞ。あの程度で制したと思うのなら甘過ぎです。油断していると、抜かれますわよ」


 最後にもう一手発破をかける。


「お見通し? ……ウフフ、ワタシ、もうダッキさんには、ちゃん付け出来ないわァ」

「わたくしに、敬称は不要でしてよ」



 最後にもう一人。一昨日、そのフォローで手間をかけさせてくれた、あの小娘の元へ。


「テミス様、泣いている暇があったら手を動かしなさい」


 目元を赤く染めながら、隅っこで存在を消すようにしていた彼女の前に仁王立ちする。


「一昨日あたりのことでしょうか……のことをクヨクヨ嘆いても仕方ありませんわ。あなたが何かに気付いたとしても、結局何も変わらなかったでしょう」


 色々見抜かれていた(隠そうともしていなかったが)ことに恥じらいつつ、辛辣な言葉に落ち込む。


「こんなことは言いたくありませんが、所詮貴女は、彼にとってはその程度の存在でしかないのですわ」


 今の言葉はテミスの心に、杭のように深々と突き刺さる。ごねたいけど、その言葉は事実。彼との関係はまだまだ浅い。何も言い返せなくて、ただ唇を噛む。


「悔しいんですの? だったら働きなさい! そして、可及的速やかに魔王国に馴染んで立場を確立することですわね。貴女が魔王国に慣れない限り、エイジ様の負担が増えるばかりですわ」


「……そうですね。確かに、全てダッキ様のいう通りです。でしたら、お願いします! 宰相閣下が倒れられた今、負担は大きいかもしれませんが。私に、お仕事を教えてください」


 見直した。泣いてばかりで世間知らずの小娘かと思いきや、案外早くに立ち直った。


 __いいえ、違いますわね。彼女は仮にも皇女、精神はそこそこ成熟していた。慣れない感情に振り回されていただけで、今振り切れた……整理できてさえしまえば安定しそうです__


「ええ、よろしい。今ある仕事が落ち着き次第、手取り足取り教えて差し上げますわ」

「はい、よろしくお願いいたします」


 皇族として、そして同時に武人として、毅然とした敬礼を見せる。


「これは……頼りにしていますわ。わたくしの手が空くまで、書類の運搬といった簡単な作業をお願いしますわ」

「はっ!」


 いい返事と共に、魔族らの元へ颯爽と駆けるテミス。シルヴァ、モルガンも仕事を再開したようだ。これでようやくケアは終わり。


「はぁ……ホンット慣れない。あたしはおちゃらけるのが好きだってのに……」


 なんかどっと疲れた気がするのだった。しかし、まだ終わりではない。胸中に渦巻く一つの疑念、それを晴らさぬことには手が付かない。


「メディア様、何を隠していらっしゃいますの?」

「何のこと…」

「ノクト様と何か企んでおりましたわね? そのために、邪魔なわたくしたちを彼のお側から、仕事という理由をつけて引き剥がした。違います?」


「……この女狐……侮ってた……案外鋭い…」

「聞こえておりますわよ」


 目の奥が全く笑っていない微笑みを浮かべる。


「……あなただけ……他言無用」


 メディアはいままでほとんど抱いたことのない感情、恐怖を感じながら、念を押しつつ真相を語った。




「情報院への伝達は終わりか。ふむ、二つの部署が固まっていたのか? それは効率が良い」

「うん、これ、秘書ズの元へ。さて君たち、移動してもらうよ〜。この部屋にヒトはいなくていいからね〜」


 宰相と、その側近二名が消え、淋しくなった部屋で。ノクトとベリアルは、エイジのいなくなった穴を埋めるように、次々と指示を下していた。


 そして人が掃け、部屋は二人だけとなる。用の無くなった、閑散とした部屋を、ノクトが後にしようと扉に手をかける。


「さて、ではノクト、そろそろ話してもらおうか」


 呼び止められ、動きが止まる。内心、肝が冷える。


「はい? なんでしょ〜」

「何を隠している」

「ッ!」


 息が詰まる。


「ア、ハハ…ハ……やっぱりベリアル様には敵わないなぁ」


 言い逃れはできそうにない。なにより最初から、見抜かれたなら包み隠さず話すつもりだった。


「エイジくんは過労。そう言いましたね」

「ああ。それが?」

「実は……誤診なんです」


 ノクトの告白に驚き……はしないが、不思議ではある。


「ほう? どういうことだ。意図的に間違えたと?」

「…………エイジくんが倒れた原因は、僕の呪いです。呪術で、彼を昏倒させたんです」


「何故そんなことを」

「彼のためだ。身を削って働き続ける彼を見ていることが耐えられなくなった。だから……!」


 誰かの為に、そしてこれほど地の感情を見せるノクトは稀有であり、やはり彼も人の子かと親しみを催す。


「僕を独房に入れてください。提案したのは別の方ですが、実行したのは僕だ。そして、宰相に危害を与えた。その罪は重い……」


「彼のため。なのだろう? だったら今することは、そんなことではないはずだ。彼のいない穴を埋めてでこそ彼のため、償いである」


 威厳がありつつ、それでいて責める様子もない寛容な言葉。こんな自分でさえ忠誠を誓う、主君の姿がそこにあった。


「寛大なる処置に感謝を。陛下」

「やめてくれ。お前に陛下なんて言われると、むず痒くてたまらんわ。では、仕事だ仕事。奴が新しいことを始めるには、今溜まっているものを清算する必要があるからな」

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