9 宰相の受難 ①/4
「エイジ様、私は怒っています。理由はお分かりですか」
朝、執務室に入ったらいきなり怒られて面食らう。
「えっ、いや……イマイチ見当つかないなぁ」
あの後すぐに寝て、そして普段通りの時間からやや遅れて起き、始業時間ギリギリに入っただけなのだが。
「……あなた、深夜も働いていましたね?」
「ん、ああ。……ああそうか、ここに勝手に入ったことかな、すまない」
「いえ、そうではなく……はぁ、重症ですね。あなたは働き過ぎだ、と言っているのです。それに執務だけならいざ知らず、アンデッドやゴーレムどもの対応もなさっていたと。」
「大丈夫だ、休んでいるしこのくらいのことならなんとも。それにこの国この城で起きる問題は俺の問題でもあるし、放っておけないだろ」
「そうですか……」
シルヴァはどこか諦めたようにそれ以上は何も言って来なかった。
「さて、今日やることは……資料の整理のほかに承認と、あとは昨日起こった事故、もしくは事件か…の被害の調査と当事者への聞き込みだ。犯人がいるならそれも調べて暴かねばならんしな。そして16時に魔王様およびレイヴンとの会議か……」
業務内容の確認等ブリーフィングを始める統括部の面々。そして終わりかけた頃に、静かに扉がノックされて、きちんとした身なりの魔族が箱を大事そうに抱えて入ってくる。
「失礼します。ご注文の品物、お届けに参りました。」
今までここの扉はよく蹴破ろうかという勢いで開けられていたので、ノックありで静かに開けられることの方が珍しく、拍子抜けに感じ、そして感覚ズレたなと皆思わざるを得なかった。
「そうかご苦労。で、その品物ってのは?」
「印鑑にてございます」
「おおやっと来たか、遅かったじゃないか」
と言ったところでふと違和感を感じ、
「あれ……いや待て? 頼んだの昨日だよな……ああ、色々ありすぎて昨日が遠く昔に感じる」
エイジのぼやきに、また空気が重くなる。そしてハンコを持ってきた魔族もまた居た堪れない様子である。
「ま、それはそれとして、これで少しは作業が楽になりそうなんだが……なんだか嫌な予感がするぞぅ! キミ、一応扉から離れておきなさい」
エイジの言葉に皆がまた引き攣った顔をしする。そしてエイジが呆けている魔族の手を引き扉から離すと同時に、またいつものごとく扉が勢いよく開いて、息を切らした魔族が飛び込んでくるのであった。
「は〜い、今度は何〜」
もう諦めた様子で、逆にのんびりと余裕を持って訊くエイジであった。
「それが……家畜や魔獣達の囲いが破壊されて……」
「あ〜、うん〜、大変だねぇ〜」
エイジのあまりにやる気のなさそうな様子を見て青ざめる魔族をよそに、彼は箱を受け取ると、
「ライル、エリゴスに報告して柵用の木材を揃えるよう伝えろ。マルコ、エレンに伝えて魔物達の退路を飛竜部隊に防がせとけ。キートン、捕獲用の魔導具をフォラスに申請。シルヴァ、縄や鎖を速攻持ってきてオレに渡せ。マルコ、リオン、キミらは先行し情報収集。その情報はオレより先にレイヴンや実働隊に伝えろ。ダッキ、ゼト、キミらは私に同行しろ。そして…………」
箱の中身を確認しながら指示をどんどん出していく。判子を確認すると孔を開けて放り込み、
「さあ、ボヤボヤするな! 総員行動開始!」
部屋から飛び出すのであった。
「さあて、今日のカオスぶりも絶好調だなぁ‼︎」
囲いの数ヶ所が破られ、四方八方点々バラバラに魔獣と一般獣が逃げていく。何人かの魔族が捕まえようと走り回っているが、全力で疾駆する獣達にはそう簡単には追いつけず手こずっている様子。
「あの、大丈夫ですの? 疲れすぎておかしくなってしまわれたのですか?」
「まあ、な。こんなんヤケになるだろ。ああ酒が飲みてぇ……」
と、ぼんやり眺めているうちに、エイジの視界の右上に何かが飛んできているのが映る。
「お、来たか。よしダッキ、お前の役割を伝える。あの飛竜隊に協力するんだ。具体的には幻獣化して炎なりなんなりで魔獣達の退路を塞ぐんだ」
「幻獣化はあまり好まないのですけれど……仕方ありませんわね、行きますわ!」
「くれぐれも焼肉にはするなよ」
指示を聞くと人間体のまま走っていった。幻獣化した方が速そうなのに。
「あの、私になぜ同行を命じられたのですか?」
「そうだな、ともかくシルヴァが来るまで待ってくれ」
不思議そうにするゼトを尻目に、左目を閉じながら状況を眺めるエイジ。そしてそれからわずか十数秒、
「エイジ様、持って参りました」
「ああ、ご苦労さん」
鎖やロープを輪にしたものを、手で持つだけでなく身体中に巻きつけたシルヴァが現れる。
「さてゼト君、キミを呼んだ訳だが……確か、飛べたよな」
「ええ、はい。飛翔可能です」
「足も速いよね?」
「ええ、自信ありますが…」
そこまで言うとエイジはシルヴァの体からロープを数束取ると、ニッコリ笑顔で渡す。
「はい、コイツで魔獣を捕まえようか」
「あ………はい」
この惨状を見てしまったからだろう、よりによって一番面倒な役回りになったことに気づいたのか厭そうな顔をする。
「貧乏くじは嫌か? あはは、オレもだけどもう既に四回引いてるんだよねぇ」
そんなこと言われてしまったら、もう何も言い返せない。
エイジはシルヴァからロープ類を受け取るとすぐさま孔にしまい、前方を見据え家畜に狙いを定めると、その瞬間ノーモーションでダッシュを始める。足に魔力を纏い全力疾走する最強種格のこの男は、クラウチングどころか片足を引くことすらせずに僅か三秒で高速道路を走る車並みの速度に到達する。と言っても魔獣達には敵わないのだが……それでも通常の家畜には素早く追いつく。補足すると前方に回り込んで、足や首、角なんかにロープを引っ掛ける。数匹まとめて引っ掛けるとその場に踏ん張って動きを一時的に止め、ロープを杭で固定したり拘束魔術をかける。捕獲が完了するとまた別の獲物を探す。
「仕方ねえ、少しギア上げるか」
少し走っただけで息切れが始まってしまったが、解放率を二割から三割にまで上げる。これで魔獣と同速かそれ以上を出せるようになる。さらにそこに肉体強化をかけ魔力噴射を使うことでより速く、より体力の消耗が抑えられ、より小回りが効くようになる。
彼はまず逃げ遅れた足の遅い通常の動物から狙っていく。魔獣は直線では追いつくのに時間かかる上に、一体一体が遠いため時間がかかる。地上を走る魔獣達より速い飛竜たちが退路を塞ぐからこその判断。そしてまた十体ほど縄で絡め取っていると
「よし、始まったな」
視界の隅で上から赤い光が降り注ぎ、またところどころで花火でも上がったかのようにカラフルな魔術の光が瞬く。そして一際強く金色の光が輝くと、遠く離れたこちらにも熱波が届くほどの紫の業火が立ち上る。
「アイツ随分とはしゃいでるなあ」
この前戦った時より幾分火力が高そうで少しの恐れと安堵があった。が、今はそんなことを考えている余裕はない。綱を固定して家畜たちを捕獲していく。
エイジはまた数頭捕獲すると、足を止め周囲を見渡す。そして少なくとも自分が担当できる範囲に家畜の姿がないことを確認すると、片目を閉じ千里眼で上空から現在の状況を俯瞰する。
飛竜やそれに同乗した魔術師達が城周囲に展開し、火炎放射や結界で魔獣達の退路を断った。工作員が作業を開始し、囲いの修復作業に入った。戦闘員や魔術師達が出撃、拘束用魔道具や縄などで家畜達を捕獲していく。恐らくこの二日間で最も大掛かりであろう。
「さて、と…」
人員が増えたならわざわざ単独行動することはない、と判断するとエイジは移動を始める。正直もう流石に一人で走り回るのは疲れたのである。別に自分一人で全て解決する必要はないのだし、と。今までの事件は緊急事態で人手が回らず力ある自分が出なくてはならなかったが、連続して起こるたび徐々に他の部署の対応も速くなっていった。もうそろそろ独力解決はいらないだろうと。
彼が向かっていく先は外周部、退路塞ぎをしている部隊の方向である。そしてその移動方法は、スキップである。と言っても歩幅が常人の比ではなく、一ステップ2,3mなのだが。そんな彼の心中は__移動だるいな……アシになるものが欲しい、早く飛べるようになりたい……__である。
移動途中にシルヴァや捕獲活動をしている部下を見つけると手招きして呼びつけ、外周部、ダッキのいる方へ向かう。
ダッキの元へと向かうにつれて部下達の顔が強張っていき、攻撃をしようとするが、エイジはそんな彼らを手で制すると、
「ようダッキ、もう戻っていいぞ」
声をかけられた九尾の幻獣は、目だけを動かし彼の顔を見ると、目を閉じる。そして九尾の全身が光ったかと思うと、仄かに光る粒子となって解けていき、そしていつもの人間体へと戻った。
「ああ、そういえばダッキの変身を見たことなかったのか。言ったろ、彼女は幻獣だと」
そのことを聞いた皆は、かなり驚いた様子であった。
ちなみにダッキ曰く形態変化するたびに少なくない魔力を使うそうだが、幻獣体の方が肉体が強く魔力が活性化されるため、普段は人型、本気戦闘で幻獣体と使い分けるそうだ。
「っと、しに来たのはこれだけじゃねえ。エレンさん!」
上に向かって叫ぶと一体の飛竜が降りてくる。竜もそれに跨る騎士も他と纏う空気が違うから、見れば一目でわかる。
「何用カ」
「家畜達の捕獲が進んでいる。状況を見つつ獣が少なくなっていったところから徐々に包囲を狭めてくれ。采配はあなたに一任する」
「承知シタ、任セヨ!」
エイジの指示を聞くと再び飛び上がり、周囲の者たちと言葉を交わすと城の方へと向かって飛び去っていった。そしてかの騎士が飛び去ってしばらくすると、竜騎士達の動きが変わる。火炎放射が止み、交差するように旋回したのちフォーメーションが組み変わり徐々に包囲が狭まっていく。
「よし、いい調子のようだ。おいお前達、呆けてんな! まだ仕事は終わっとらんぞ!」
その言葉にハッとしてエイジの元へと集まってくる魔族達。
「よし、ここからは部隊を二分する。片方はオレが、もう片方はシルヴァが率いろ。ではいくぞ」
エイジが突然走り出してしまったのでしばらく狼狽えていたが、数言交わすと、すぐさま後を追う者と別の方面に向かう者とで分かれた。
「よし、予想以上に早く判断できたな、上々。では指示を出す。まず私と数名で、鎖と魔力縄で魔獣達を捕まえる。で、その鎖を私が持って耐えるからそのうちに君達が拘束するんだ。いいな? よし作戦開始!」
エイジは隣に並ぶよう進んできた三人に鎖を投げ渡すと走り出し、その三人も後に続く。
四人、それぞれ言葉を交わすでもなく、誰に合わせるでもなく、思い思いに動いているように見える。しかしアイコンタクトで相手の位置状態を把握し上手く誘導、捕まえていく。それ以外の者達も術を使って逃げ道を巧みに塞いでいる。彼らは仕事を共にしているうち、こんな短期間でありながらも既に連帯感ができていた。
彼らは息を合わせ、周囲の十数体の魔獣を一息に捕まえるとエイジに拘束具をパス。彼はそれを十の指に絡め、体を強化し、力足を踏み、踏ん張って動きを抑える。その隙に部下達が魔術をかけて動きをとめたり、気絶させたりしていく。そして引きが完全なくなってようやく彼は力を抜く。
「よし………あとこれを三セットってとこかな!」
そう言うと鎖をしまい、部下を集めて別の場所へと向かっていった。
「だああ! 疲れた!」
そう叫ぶとエイジはその場に大の字に寝転がる。あれから十数分、魔獣脱走事件は大半の魔獣が捉えられ、囲いも修復されたことで収束に向かっていった。
そして大の字に寝転がって数秒後、すぐに彼は立ち上がり、
「よし、次は事情聴取だ。昨日の事件の当事者達を円卓部屋に集めろ、私は先に行っている」
そう言うとそそくさと城の中に戻っていった。
それから一時間も経たないうちに、円卓部屋に人が集まっていた。幹部全員と現場に居た者、そしてその手伝いの者である。
「それでは、報告を始めさせていただきます」
まず立ったのはフォラスとその部下の研究員二名。昨日のうちにまとめ上げられた報告書の読み上げが始まった。
報告が始まって暫く。話者は研究員に代わり書庫の管理者たちである。が、
「〜〜〜〜………あの、エイジ様?」
途中で話すのをやめ、困惑した様子でエイジに尋ねる。それはそうであろう、聞きたいと言っていたエイジが目を瞑っていたからだ。
「おっと、すまない。寝ているわけではないから安心してくれ。だが、そうだな、悪いが少し中断してもらえるだろうか」
そう言うとエイジはさらに集中した様子で、眉間に皺を寄せる。そして、暫しすると彼は目を開け、手招きしてシルヴァを呼び、耳打ちする。
「おい、部下達に命令だ。いいか、地下三階川のすぐ近く、それから三階医療院、四階各事務室に警備の人員を向かわせろ。そしてその者ら以外決して誰も近づけさせるな。そして彼ら同士にも互いを監視させ合わせろ」
「な、なぜですか?」
「いいから、やるんだ。どうせ言ってもわからん」
「彼らが、素直に聞くかは…」
「それなら、オレの命令だ、つべこべ言わずにやれ、と伝えろ」
「わ、分かりました」
いつもと違い、詳しい説明をせず、上から押さえつけるような珍しい言いぶりに困惑していたが、彼の言うことなら仕方なしと伝えに部屋を出て行った。
「よし、続きを話してくれ。そうだな、さっき話していた項目から三つほど遡って再開してくれると助かる」
一部の者からは今の一連に疑いの目を向けられたが、それ以降何事もなく報告は続いていったのであった。




