7節 真打:厄災顕現
「終わった、のか……」
エイジは盟友と仇敵の末路を看取ると、倒れ伏す。水神の肉体は間違いなく焼失し、魔力や気配も感じない。安心感と喪失感に包まれながら、力を抜いた。
「ああ、これで全て終わった」
そんな彼の元に、装甲を畳んだベリアルが歩み寄り、残った僅かな魔力を分け与える。
「動けるか?」
「はい……なんとか」
「彼方の方角に、魔力だまりがありそうだ。そこで魔力を回復してから、帰ろう」
エイジはレイエルピナを抱き上げると、東に向かって飛ぶ。数キロ進むと、ベリアルの言った通り地脈があった。そこに降り立ち、三人で周辺の魔力を吸い尽くす。このおかげで、それぞれの魔力は本来の半分近くにまで回復した。そこらの魚を捕食すれば、更に補給できるだろうが、あとはもう帰るだけだ。放射能汚染されているかもしれないし、その必要はないだろう。
回復を終えると、エイジは体を地に投げ出した。空を見上げると、黄昏時。周囲はどこか不気味なほどの静寂だった。
思いに浸る、この異世界で過ごした一年間を。全ては、この時のためだった。自らを鍛え、国を育て、仲間を集め。親友や国民、多くの犠牲を払いながらも、遂に悲願は達成されたのだった。
達成感や虚脱感を抱きながら、今は将来のことも考えず、ただゆっくりと空を眺める。だが__その光景に何か、違和感がする。
__こんな、だったか?__
嘗て視た世界の滅び。空は、こんなに綺麗ではなかった。大地は、何もかも押し流された、こんな真っ平なものではなかった。空気は、こんなに澄んでいなかった。時間は、こうも何時も通りに流れていたか。空間は、こうも安定していたか。
世界はこうも、穏やかなままだったか。
「! なんだ⁉︎」
その差異に、気づいた瞬間だった。何か途方もない気配を感じて飛び上がる。再び空を見上げて__その先で、空が裂けた。
世界、この大陸の中央上空に、巨大な孔がぽっかりと開いた。そこから、出てきたものは__巨大な龍の頭だった。
「っ……!」
それが姿を現した途端、空の色が変わった。不気味で禍々しい赤黒い雲が覆い、時空が歪み軋んでいる。……予見した光景と、全く同じ現象だ。
「何よ、あれ……」
知っている。知らないはずなのに知っている。体が恐怖で強張り動かない。呼吸すら、まともにできない。この体に宿る神々の魂が教えてくる。
__アレには、勝てない__
這い出る竜の首は、一つだけではなかった。二つ、三つ、四つ……九つの頭を持つ龍だ。
「あれ、は……厄災、だと⁉︎」
その姿を見たベリアルは、何か知っている様子で呟く。
「知ってるんですか⁉︎」
「思い、出したぞ! 我々神々を真の滅びに追いやったのは、アイツだ」
その存在感は。失われたはずの、彼が嘗て神であった時の記憶さえも呼び起こした。
「九頭竜、アポカリプス……我々は、奴をそう呼称した。星の意思が生み出した、断罪者。滅亡の具現、文明を破壊し世界を終わらせるモノ」
全容が、露わとなった。九つの頭と、一対の大きな翼、ワニ型で六本足の胴体を持つ赤黒褐色の龍。それぞれの頭には、赤青緑橙白褐金黒銀、各々が司る属性の色の一本角が生えている。その大きさは、水神とは比べ物にならない。何百メートルという規模感だった。
その存在に、呆気に取られていると。一つの頭が、鎌首をもたげた。その口腔には、光が凝縮していき__
「こっちを狙って……マズイ!」
それは、明らかに彼らを狙っていた。いち早く気づいたベリアルは、二人を抱えてその場を離れようと飛び出す。だが、奴と目が外れない。逃れられないと察した彼は__
「お前たちは、生きよ……!」
二人を突き飛ばす。そして、ただ一人、その光の中へ消えていった。
「ベリアル‼︎」
「お父様ぁー‼︎」
二人が悲痛な叫びを上げるも、その膨大なエネルギーを前に、何もできない。その余波に、ただ吹き飛ばされるだけだった。
その光柱を押し返し、相殺するのは、たとえエイジが万全だったとしても難しい。そう思わせる威力だった。
「ぅっ……レイエルピナ、大丈夫か……」
「そんな……父様……お父様……!」
泣きじゃくり、先程まで彼のいた場所に手を伸ばすレイエルピナ。エイジはその体を押し留め、強引に飛び立った。彼の遺志を、無駄にはできない。
「また、来る……」
その間にも、他の首が周囲に攻撃を仕掛けていた。彼の周り、七つの地点に光が降り注ぐ。
「魔神王たちか……」
彼に次いで力を持つ神性を狙っている。だとしたら__
「早くしないと……みんな、殺される!」
九割の力を解き放ち、夕陽を追いかけるように翔ける。三対の翼を広げた彼は、未だ嘗てない速さで飛翔する。波濤や魚など遮るもののないその速度は音の三倍にも届き、行きは遥かに思われた道程を僅か数十秒で踏破する。
その視界の先に、人影を捉えた。降り立ってみると、エリゴスとフォラス、そして数百名の魔族たち。ベリアルたちの凱旋を待っていたであろうことが伺える。
「エイジ! これはどういう状況なのだ⁉︎」
「こっちが聞きたいくらいだよ!」
「おや? ベリアルや、他の方々はどうされたのです?」
「…………」
エイジが押し黙り、俯く。その様子から、おおよそ全て察した彼らは愕然とする。
だが、そんな状況に厄災はお構いなしだ。再び空で、禍々しい極光が煌めく。
「っ! みんな、早く逃げろ!」
その脅威を知っていて、機動力に優れる彼は、すぐに射線から逃れることができた。だが、それ以外の者たちは反応できず。
「ぁ__」
折角、水神によるあの災禍を、生き延びたはずの者たちは__無情にも、塵一つ残さず消し飛ばされてしまった。
「エリゴス……フォラス……クソッ」
再度空を見上げると、他の首は全く他の場所に攻撃していた。
「あ……あの、方向は__」
帝都、王都、首都、聖地がある場所だった。都市に留まり水神の難を逃れた者たちも、何の影響がなかった共和国や聖王国の人々さえも、滅ぼされていく。力ある者の次は、人の多く密集している場所を狙うつもりだ。このままでは、全人類が奴の餌食になってしまう。
「アイツら、だけでも!」
魔力波を発する。彼女らの場所はすぐに分かった。近い方に向けて飛んでいく。
そんな彼に向けて、先程から執拗に狙ってくるものとは違う首も狙いをつける。顎門を開くと、そこに巨大な光球が形成され。それが破裂したかと思うと、十の矢となってエイジを狙う。
それらをスレスレのところで躱し続け、ひたすらに愛する者達の下へ向かった。その威力たるや、万全の彼でも喰らえばタダでは済まない。
漸く、その姿を捉えた。手前に水神の討伐に同行した者、奥に残してきた姫君達。だが、その双方に向けて、九頭龍が矛先を向ける。どんなに急いでも、攻撃が放たれる前に二組を合流させることは叶わない。間に合わない。助けられるのは片方だけ。
「……どちらも、守る‼︎」
少し速度を落とし、地表スレスレでレイエルピナを放り投げると、両手それぞれに魔術陣を展開する。そして、シルヴァやカムイの真上で分厚く巨大な障壁を展開すると、テミスやセレイン達の方に向けて極太魔力砲を放つ。
「う、オォオオオオオアァッ!!!!」
防壁が一方の裁きの光を受け止め、照射がもう片方を逸らそうと押し止める。
「ぁアアあアぁァああぁアああァッ‼︎」
絶叫し、持てる力の全てを振り絞り解き放つ。
__しかし、現実は残酷で。前座如きで力を使い果たした彼に、最早ソレに対処するだけの力は残っておらず。止めることができたのは、たかが数秒だけ。魔力光線は掠れて弾かれ、障壁は砕かれて。彼諸共、全ては押し潰された。
「っ……」
エイジは、起き上がる。目を開くと、目の前にカランという音を立てて転がってきたのは、ユインシアの聖杯。
「あ……ぁ、ああ__」
必死になって、辺りを見渡す。だが、見つけられたのはカムイの神剣。残ったのはそれだけ。彼女達は、跡形もなく__死んだのだ。
「うあああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
エイジの慟哭が、命なき大地に響き渡る。拳を打ちつけるも、その手に地を割る力はなく。殴りつけるたびに、肉が裂ける。その身には、もうただの人間一人程度の力さえ残っていなかったのだ。
「嗚呼、臆…………オレは……おれは…………なんて__」
__無力なのだろう。何が世界を救うだ。何が神の力だ。愛する者も、たった一人でさえ、守ることができない。
そんな彼自身、見るも無惨な状態だった。左腕の全て、右足の膝先、そして翼のそれぞれ半分を欠損し。顔面左側が抉れる重傷、残った手足もかろうじて繋がっているような姿。
それでも、彼は死なない。死ねなかった。少しずつではあるが、体が再生していく。
「エイジ……」
茫然自失としている彼に、レイエルピナが歩み寄る。されど、無慈悲にも、世界の滅びなどというものは絶望に沈むことさえ許しはしなかった。
「あっ」
九頭龍が、レイエルピナを狙う。その敵意を悟った彼女は、一瞬たじろぐ。
そのことに、失意に暮れていた彼は、気づくのが遅れた。
「レイッ__ぅぐっ……!」
彼女に駆け寄り飛び立とうとするも、体が動かない。そこで、漸く彼は、自分の体を半分以上失っていることを理解した。
「早く、治れ……治ってくれよ……頼むから……! 動かなくちゃ……動けってんだよ‼︎」
右手で体を上げ、左足で地を蹴り。根元しか残っていない翼から、滓のような魔力を出し。死に物狂いで手を伸ばすが__
「__」
光の壁が、彼らを阻む。伸ばした手は、届かず。彼の腕を巻き込んで、この世から葬り去った。その煽りを受けた彼は、暴風に巻き込まれた小石のように、無様に宙を舞った。
「ぅぁっ……」
地面に叩きつけられたエイジは、何の思考や感情も持てないまま顔を上げた。その先で、一片のの希望さえも残さないと見せつけるように__魔王国や遺構までも光線に打たれ、薙ぎ払われ、消されていった。
「あ、ああ、ぁ……」
その事実を認識すると__自分の中で、何かがぷつんと切れた。身体中に浮かび上がった拘束具は、全てが砕け散り。
「____________________‼︎‼︎‼︎‼︎」
彼は持ち得る力の総てを解き放ち、激情に任せ、自暴自棄になりながら厄災へ向け飛び立って__
彼の意識は、そこで途絶えた




