5節 対神決戦 ①
世界の滅び、厄災。その元凶たる水神。その容貌が露わとなった。
最たる特徴は、その体躯だ。身長にして、五十メートルを超えようかという巨大さであった。地母神の名に恥じぬ威容である。
その顔立ちは、面長で端正。自らを討ちに現れた敵を見据える瞳は、神性を表す銀色。そこには光がなく、狂気に濁っているようにも見えた。その側頭部からは、腰まで届く程の湾曲した一対の角が生えている。髪は、水を司る神らしく蒼色。波打ちながら、足元の近くまで伸びていた。
首から下に視線を向ければ、目が留まるのは母性を象徴するが如し豊かな乳房。しかし、その下の腰や足は不釣り合いなほどに細く、その巨体を支えられているのが不思議なほど。その肌の色は、陶器や像を想起させるような無機質で、不自然なほどの白さ。命を司る神には見えぬ、生気のなさだった。
とはいえ、手足の先や、体の随所には濃い緑青色の鱗が並ぶ。海を司る故、魚由来かと思いきや、龍の印象を感じやすい。その訳は、指がトカゲや鳥のように鱗に覆われ、指先に鋭い爪が生えているからだろう。但し、その指の間には水掻きが張ってあるが。
その身に纏うものは、天女を連想させる羽衣のような衣。白地に、淡い青色や桜色が入っていて、色彩はさながらオーロラのよう。胴や上体を覆っていた。
だが、それらよりも余程目を引くのは、その尾であった。腰より生える尾は、その身長を上回る程に長大である。それ故か、全体の印象としては細長いように見受けられる。また、背中から尾の先端にかけて、魚の背鰭、もしくは剣竜のように、鱗が連なっていた。
全体的なシルエットは龍だ。だが、西洋のトカゲ型のドラゴンではなく、東洋の蛇型の龍。ウミヘビならぬ海龍、リュウグウノツカイや青龍といった印象があるだろう。
それこそが、海を統べ、生命を創り出した原初の女神、海龍神王ティア=リヴドナだ。
ベリアルとバエルの合体攻撃により、水神周辺の水が消し飛んだ。だが、それでも足元までは届いていない。蒸発させられたのは彼女の腰より上側のみ。
その巨体を覆い尽くせるだけの水深だ。更には、上から見ただけではその存在を感じ取ることはできなかった。周囲の水の壁と比較してみれば、その厚みが分かる。その高さ、実に百メートル。ここは元々陸の上だったというのに、その上に水深百メートルの海を作り出してしまう。水神の規格外の能力を示すにはいい例だろう。
「ザガン!」
「ユインシア!」
だが、その事実や彼女の容姿に驚く間も無く。エイジとベリアルはそれぞれ指示を下す。すると、その孔にザガンが入り込み、戦車から飛び出したユインシアもそれに続く。折角開けた穴が塞がってしまわないように、壁を作ってしまおうという魂胆だ。
しかし、そんな二人を阻むように、穴に海水が流れ込み始める。物理法則に従って、更にはそこに水神の権能も加わっているのか。定かではないが凄まじい勢いで海の穴が埋まっていく。しかも、そもそも穴は陸地まで届いていない。
それでも、対策は考えてあった。
「……! ベリアル様‼︎」
「うむ……いくぞ、最終形態だ!」
ベリアルの体が変化する。だが、今回の変身は一瞬だった。
身体中の装甲が、一斉に放射状に展開された。さながら傘のように。腕部、脚部、胸部、肩部、背部、頭部、翼部。もれなく全身である。その下にあった回路や配線、コンデンサーらしき水晶体までもが露わになった。そして、そこから凄まじい勢いで魔力が噴出、或いは漏出していく。
「ハァッ!」
十秒足らずで変形を終えると、二柱の後を追って穴に飛び込む。海面に埋まって難儀している二人の下まで一秒掛からず到達すると__
「我が力、引力のみに非ず!」
白球を生成する。その直後、海水が押し除けられるように離れていく。掻き分けるように下へ下へと進んでいき、ほんの一瞬で最深部まで到達した。更に、作業する二人にも白球を纏わせ、相殺しているようだ。
「おっと、その邪魔はさせないぜ!」
水神はその三人に意識を向ける。だが、何かをする前にエイジが動いた。
「初撃はいただく‼︎ 能力解放、全力だ。喰らえ!」
道中では50%、戦闘時でも最大60%までしか出さなかったエイジが、この場では一切躊躇わず本気を出す。その解放率は、今まで誰も見たことのない、80%だ。
「ハアァーッ!」
その攻撃方法は、飛び蹴りである。三対の翼より全力で魔力を噴射し、右踵を水神の眉間に叩き込む!
「____‼︎」
その不意打ちに、彼女は対抗できない。その衝撃で体は大きく揺らぎ、完全にバランスを崩して後方へ倒れかける。
だが、完全に倒れ込む前に、その尾を使って体を支えた。見かけ以上に強靭なようだ。角によって後方に傾いた重心を尾で支える、カンガルーのようなバランスの取り方をしているのだろうか。
「ふっ!」
だが、エイジは止まらない。彼女の後方で体を捩り、即座に方向転換。その手には、自らの背丈以上にしたアロンダイトが握られていた。
「ゥオォオーアッ‼︎」
その大剣を構え、エイジは再度突撃する。狙った箇所は左の首筋だ。生物の弱点、頸動脈を狙って剣を振るう。その斬撃は、切り抜くこと叶わず、首にめり込んでしまった。だが、そこで止まることなく、力を込めて押し切る。結果、首の三分の一をバッサリと切り裂いた。
「ダァアアァー‼︎」
最後に、彼女の目前で停止すると__剣を水神の左目目掛けて突き刺した。
「______!」
助走距離は少ないとはいえ、その瞬発力は先ほどの蹴りと同等。更には、得物が魔力を極限まで込めた宝剣。狙った箇所は剥き出しの臓器とも呼ばれる目玉。果たして、その剣は根本まで深々と埋まり込んだ。最後に亜空間に収納して傷口を開くと、その場から離脱した。
「フハハッ! どうだ!」
「……凄まじい、な」
「成程。これならば、希望と言われるだけのことはある」
「我らの全盛期にかなり近しい力を有しているようだ……」
殺意高めの連続攻撃を喰らった水神は、流石に堪えたか、絶叫し、苦しげに身じろぎしていた。その戦果を上げたエイジの力は、この中でもダントツで最強。その実力には、魔神王でさえ舌を巻くほど。
「よし、今だ。行くぞ、プルソン!」
「了承したぞ、バラム!」
その隙に、二柱の魔神王が動いた。バラムは自らの権能で海水を操作、孔の維持に努め、プルソンは海水を凍らせて浸水を遅らせる。バアルも他と比べれば効率が悪いが、熱を使って水を蒸発させ、ベレトも風の力で海水を押し除けている。
「ふっ、これなら案外余裕かもな!」
そんなフラグ発言をかましながら、エイジも孔の最深部に進入した。そして、自らの権能を使用し、岩壁づくりに協力する。十分な環境にするならば、半径百メートル、高さも百メートル欲しい。水圧に耐えられるだけの厚さもなければならない。それだけの壁は、如何に神といえど時間がかかる。少しでも人手が欲しいところだ。また、その広さだけの水を常に押し除け続けるのも酷だ。水神の前方、陸側を中心に海水を廃し続けた。
だが、その代わり水神の背面が疎かになった。そこから流れてきた海水が彼女に触れると__エイジが与えた致命傷なはずの傷が、逆再生するように塞がった。しかも、一瞬で。何事もなかったかのように。
「……ウソ、だろ」
しかも、魔力や神格が衰えた様子もない。無尽蔵の魔力、無限の生命力を有しているようにすら錯覚する。これこそ、彼女が海中において無敵たる所以也。
「________!!!」
「うあっ⁉︎」
耳、いや頭、否、両方を必死に抑える。怒り猛る水神が咆哮を上げ、同時に魔力波を発振しているのだ。その音圧と超高音に、鼓膜が裂けてしまいそうになる。周囲を見れば、魔神王たちも同様に苦しんでいるようだった。海水面も共振しているのか、激しくさざめいている。
「! マズイ!」
今の行動のせいで、集中が途切れた。権能の制御は、基本的に脳魔力波によって行われる。それが乱されたということは__今まで抑えられていた海水が雪崩込むことを意味する。
「総員、退避せよ‼︎」
エイジはユインシアを抱え、魔神王たちは各々飛翔して避難する。最後の一柱が抜けた直後、孔は轟々と音を立てて塞がれていった。
「ふぅ、危ねぇ……」
「だが、もう一度あの穴を開けるとなると骨が折れるな……」
ベリアルがぼやく。穴が完全に塞がると、再度何もなかったかのように、不気味な静寂に包まれた。と、突如水面が激しく揺らぎ__
「ッ! ヤバッ……‼︎」
エイジが慌てて飛び退くと、彼が今までいた場所を槍のような水柱が貫いていった。その威力たるや、厚さ三メートルはある氷を安安と両断するほど。
「狙いはオレか……!」
エイジは変わらず八割の力を出している。そして、水神に大打撃を与えたのも彼だ。集中攻撃を受けるのは当然の帰結だろう。空をかける彼に追い縋るように、触手のように幾つもの水柱が立ち上っていく。
「ぐぬ……どうすればよいか。岩壁は後どのくらいでできるのだ、ザガ__」
ベリアルは同胞の姿を探すも、その姿はどこにも見当たらなかった。
「もしや、取り残されたか⁉︎ ……いや、まさか」
ある考えに思い至ると、氷の下を覗き込む。そして魔力波を発し、反応が返ってくると、その意図を確信した。
「どうした」
「ザガンの奴め……一人、底に残って岩壁を拡大し続けている」
「なんだと⁉︎」
「だが、奴一人では、完成する前に魔力が尽きるだろう……ユインシア」
「は、はい!」
「地中に潜って、そこから壁を拡張することはできるか?」
「わ、わからないですけど……やります! やってみせます‼︎」
ユインシアの覚悟の決まった意気込みを聞くと、今度は盟友に視線を向けた。
「ベレト、バラム。彼女を連れていけ」
「お前はどうする。お前の権能が、一番都合がいいのだが」
「私は、エイジを支援せねばならん」
視線の先には、流星のように空を駆け回るエイジがいた。その速さと高度に槍は全く届いておらず、手をこまねいているようだ。
「……必要なさそうに見受けられる」
「寧ろ、早期に岩壁を完成させ、排水しつつ協力できる体制を整えたほうがいいのではないだろうか」
「そうだな……」
説得を受けて、ベリアルも構える。海中に潜ろうとする四柱。さあ飛び込もう、という直前になって。唐突に目の目に水神が顔を出した。
「なんっ__」
「____‼︎」
水神は咆哮を上げると、自らを海水で覆いつつ、空を駆け始めた。水の通路の中を泳いでいく様は、人魚どころか龍を思わせる。
「彼奴に水神の意識が向いている今が好機だ!」
「……ああ!」
ベレトが周囲に気泡を作り、バラムが下方の水を退けて通路を作り、ベリアルが重力をっけて一気に落下する。底に辿り着くと、ユインシアが地形を変化させて地中に潜り込み、彼女に空気を供給するためにベレトが残る。送り届けると、二柱は一気に上昇して元に戻った。
そこから空を見上げると、水神とエイジがドッグファイトを繰り広げていた。自らが通る海流から幾多の放水を繰り出し、その一部は龍の姿となって自立して空を舞い始める。エイジは追い縋る水神を躱しつつ、龍を魔術や魔力砲で消しながら逃げに徹している。その動きは、先ほどに比べて惑うようなものになっている。
「お前達! 何を傍観している! 我等も気を引くのだ!」
ただこの場で魔力波を発していても、水神はエイジにばかり意識を向けており、こちらに攻撃が来ることはない。それは、出番を控えている者を乗せているこの氷を守ることになる。が、エイジの負担が増すことにもなる。
「しかし……」
「……やむなし」
何柱かは未だ渋る様子を見せたが、アスモデウスは飛び出したベリアルに続く。
「この星の上にいて、この理より逃れられる者はおらぬぞ、水神よ!」
「余の光を受け、滅するがよい!」
「雷霆よ、世界に害なす厄を打ち給え‼︎」
ベリアルの重力は、水神の機動力を鈍らせるのに効果はあった。だが、パイモンの光は水によって屈折され届かず、アスモデウスの電撃も拡散してしまった。とはいえ、意識を多少逸らす程度の効果はあったらしく、水龍の何割かは彼らの方を向いた。
それによって少しの余裕が生まれたエイジは、軌道を修正。遭遇地点を中心とするように周回し始める。このまま水神を誘導して陸側に誘い込めばよいと思うかもしれないが、それに合わせて海も移動するため結局条件は変わらない。それどころか、折角ここで築いた岩壁が無駄になる。彼とてザガンとユインシアが何をしようとしているかくらいはわかる。そのための時間稼ぎに徹し始めた。
「……後、どのくらいだ」
高度数百メートルを飛び回る。千メートルを超えると水神は届かず、標的を移してしまう可能性が高い。かといってこれ以上低ければ、海水面からの攻撃が届く。この高さなら、ティア本体と水龍のみに気をつければいい。とはいえ、超音速飛翔ではないとはいえ、攻撃に気を払いながら飛び続けるのは流石に疲れる。水龍は突撃するだけでなく水鉄砲を放ち、数隊が連携して挟み撃ちしてくることもあるのだ。
そのような時間稼ぎを続けること十分程度。遂に、海水面から岩が見え始めた。
「来た! 来たぞ!」
その合図を確認したエイジは、高度を下げて周回半径を狭める。徐々に、じわじわと岩が浮かび上がり、周囲と明らかに隔絶された空間が出来上がる。
「じゃあ……やるか!」
脳波を送る。それで皆に準備を促すと、エイジは急に方針転換。強力な魔力を放ちつつ、決戦の場へと急降下を始める。
それに誘われた水神も、その後に続き。エイジが海面に近づいて、後僅かで着水しそうという瞬間、突然魔力波を切り、力も封印しつつ急上昇をかける。だが、水神はその慣性を彼のようには殺しきれず、誘導もなくなったためそのまま入水。狙った通りの場所へ潜っていった。
「ようし、よくやった‼︎」
「今だ!」
「奴の周りから海水を排するのだ‼︎」
バラムがすぐさま海水を束ねて、周囲へ流していく。ベリアルも引力で引き上げ、斥力で持ち上げる。これでおよそ半分の海水が無くなった。
「残りは、余が消そう!」
バエルが飛び上がると、水神の頭上で魔力を高め始める。その熱量で、海水を干上がらせる作戦だ。だが、ティアも黙ってはいなかった。不利な状況に追い込まれようとしていることを察すると、残りの海水を纏い始め、岩壁を越えようと試み始めた。
「奴を抑え込め‼︎」
バエルの号令に、魔神王達が動く。プルソンが周囲の水を凍らせ、その隙にアスモデウスとパイモンが魔力攻撃を浴びせかける。ある程度排水作業を終えたベリアルも、重力をかけて離脱を阻んだ。
「喰らいなさい!」
さらにそこへ、いつの間にやら岩壁の頂上に立ち、構えていたレイエルピナから消滅の魔力が飛んだ。その魔弾は水神の頬に着弾し、その肉を抉る。意識がそちらに逸れたところで__
「ダメ押しに、もう一本!」
おまけに、水神の前方、上空より魔力を再開放したエイジが電磁砲を撃つ。その砲弾は、見事水神の右角の根元を直撃し、大きなヒビを入れた。
「____!」
その余波は、壁の中からユインシアと共に飛び出してきたベレトが制御して往なし。全員が周囲から離れたことを確認すると、チャージを終え、満ち満ちるエネルギーを湛えたバエルがゆっくりと水神の直上まで降下。そして__
「Flare‼︎」
一万度を超える、猛烈な熱量を放出した。その爆発が如き熱波は容易く海水を干上がらせ、水神の皮膚をも焼き尽くす。当然、魔神王達でさえこれ程の熱量には耐えきれないため、壁の向こう側に遠く離れるよう避難していた。それでも穴の中から溢れ出る光は目を灼き、肌をチリチリと炙るような熱気は感じ取れる。シルヴァが流氷を補強していなければ、溶けて戦車は水没していただろう。
さて、爆発が如き放熱が終わってから一分。気温がやや下がったところでベレトとプルソンが接近し、風と氷を操って他の者達も活動できる温度帯へ戻す。
その穴の中に、海水が殆ど残っていないことを確認すると。戦車や流氷の上で待機していた者達にも、やっと出番が与えられる。穴の中央へ降り立った討伐隊、計十六名。そして、生き残った魔族僅か数十名。海水がなくともすっかり傷を癒した水神の足元で、いよいよ全員が対峙した。
「これで、漸くスタートラインか」
長かったが、対等に戦える舞台は整った。ここからが本番と言える。果たして、海水がなくとも圧倒的な力を持つ水神と、どこまで戦えるのか。否、討ち果たすことはできるのであろうか。




