4節 絶対防衛線 ①
戦闘開始より、約五日が経過した。本日の正午を以て、交戦開始より六日目となる。
「もう、後がない……!」
魔王国軍が最初に展開した陣地から、二度撤退を行なった。一日に一回下がった、と言ってもいい。そして此処が、最後の陣地だった。ここより後ろに入り込まれれば、人類の負けが確定する。
「物資にも底が見え始めたようだ」
「……残りは」
「一割にも満たない……」
寧ろ、それだけ残っているのが奇跡だった。ユインシア達が前線で物資を作成・再利用し、商業国家ポルト共和国があらゆる資源を提供し、魔神王らが権能で一掃する。これらの内何れかが欠けていれば、一日以上早く尽きていた。
「人員の、損失は……」
「60%弱です」
後方支援など、非戦闘員も含めた場合、魔王国の人口のうち七割以上が軍隊に加わっていた。そのうちの過半数、つまり魔王国の約半分弱の人数がもはや戦えない状態にまで追い込まれた。正しく総力戦、これ以上ないほどの極限状態だった。
さらに、兵力はこれだけではなかったというのにだ。魔神王の権能で、哺乳類や爬虫類、鳥類などの動物を敵と同様眷属化、魔獣化して操り、迎撃させた。それでも、趨勢は一向に変わらなかったのである。
「水神は何処に⁉︎」
「前方に約三十キロメートル! 想定迎撃地点まで後僅かです‼︎」
「そろそろ、決めるか」
「ああ、そうだな」
擦り減った肉体と精神に、力が戻った。長かったが、耐え切って見せた。ここで、漸く希望の光が差し込む。
「海上は敵の密度が濃すぎて、飛び込むのは自殺行為だった。だが、今ならば……」
敵の数は、莫大でこそあるものの無限ではない。数は間違いなく減っているし、この距離なら十分に近い。更に、水神周辺も、ここも、最早敵の密度に差はほぼ無い。
「だが、この残された力で……果たして水神まで辿り着けるものか」
ベリアルが不安を口にする。すると、レイヴンが意を決したように、棒立ちして戦況を眺めるエイジの下へ向かった。
「エイジ……使いたくないのはわかっている。だが……俺達の力不足で悪いが、使ってくれ。最終兵器とやらを」
ゆっくりと目だけを動かして、レイヴンの顔を見る。その申し訳なさげながらも、真剣な表情を目にすると。エイジは観念したように息を吐いた。
「……分かった」
ポケットに手を突っ込んで、戦友に背を向ける。
「だが、少しだけ時間をくれ。なに、ほんの数分だ。それで撃てるようになる」
エイジは飛翔し、戦場を後にする。そして安全地帯に到着すると、通話機を取り出した。
「モルガン」
『……! エイジくん、どうしたの⁉︎』
「君に頼みたいことがある。今からオレの言う通りにしてくれ」
『わかったわ』
通話をした相手は、唯一後方に残ったモルガンだった。慌てて応答した様子から分かるように、これは本来計画になかったこと。彼女はこれから何が起こるか、何も知らない。それはある意味、幸福かもしれない。
「今何処にいる」
『遺構の、最深部。シェルターよ』
「そうか。それは都合がいい……主制御室に向かってくれ。起動したら、メインメニューの一番下を開くんだ」
彼女の移動が終わるまで、戦場の方を見遣る。敵の数はほぼ変わらない、それどころか若干増してすらいるのに、こちら側の火力は数日前と比べて明らかに目減りしている。発動するまで持ち堪えてくれ、と心の中で祈り、焦れながらも極力冷静になろうと努める。
『この、ドゥーム……ってやつかしら?』
「……そうだ、そのタブだ」
『……声が、震えているわよ……?』
「疲れているだけだ……」
『開いたわ。パスワードは?』
「N,U,C,L,E,A,R」
一字一字、その重みを噛み締めるように呟いていく。その表情は若干青ざめていた。
『これは、兵器の制御画面? アラートが鳴っているケド……』
「……時刻を、十一時三十分に設定。座標は……X:25、Y:35に設定。それだけでいい」
『これを押したら、何が起こるの……?』
「……知らない方がいいこともある」
『そう……けれど、いいわ……アナタのためなら、ワタシは命だって惜しくはないから』
「そんなことはしない‼︎ オレが! お前達の命を使い捨てるだなど__」
『準備、できたわよ』
彼の緊張や気遣いが裏目に出てしまったのか、モルガンは命を賭けることだと勘違いしてしまったらしい。その声音からは、若干の諦観と、強い覚悟。そして、彼を後悔させないようにか、これ以上ない程に慈愛に満ちていた。
「そうか。確定を押したか」
『……ええ』
「なら、他にもやってもらうことがある。右上から、02を選択して……同様に、今から時刻と座標を言う。その通りに」
次々と指示を下す。もう、そこに躊躇いは残っていなかった。僅か十分にも満たない時間で、全ての準備が整った。
『全部、終わったわ』
「そうか……お疲れ様。……あと数時間。日が暮れる頃には、全てが決まる。それまでどうか、待っていてくれ……必ず、帰るから」
『……もしかして、ワタシが命を賭ける必要は、なかった?』
「そうだ」
『きゃ、きゃ〜……は、恥ずかしいわ、もう!』
「だが、史上最悪の兵器、その発射ボタンを押させてしまった……その重さを、君に背負わせた」
『…………いいのよ。アナタなら、その使い方を間違えることはないはずだもの』
「……ありがとう。また、あとで」
『ええ。絶対に、戻ってきてね』
通話を切る。そして、入り混じる魔力波によって通信が不可能な戦場へ、再び舞い戻ってきた。
「エイジ……準備はでき__」
声をかけるレイヴンに返事もせず、その通信機をひったくる。
「魔王国軍、全隊に通達する。十分後、総員防御姿勢。敵陣方向を直視するな。また、決して地表より上に体を出さないようにすること。これが守られなかった場合、無事は保証できない」
「エイジ……」
一方的に連絡すると、通信機を握り潰した。その手は震えていて……通話終了のボタンさえ上手く押せなかった。
「お前達も例外じゃない。全員身を隠せ……時間が来たら、この魚とはまた別の、世界の終わりを目にすることになるぞ」
その有無を言わせぬ剣呑な瞳に気圧され、レイヴンも引き下がる。前方の塹壕では、魔族達が慌ただしく動き始めた。
「魔神王の方々‼︎ 避難の邪魔にならぬよう、あたり一帯の魚を排除してください‼︎ 万が一影響を受けても、この兵器、皆様にとっては被害が限定的です!」
「「「承知した‼︎」」」
魔神達が各々魔力を解き放ち、強力な属性を纏った攻撃を次々放つ。今まではセーブしていたが、進化した魚相手でも全力の攻撃なら、易々と葬ることができる。エイジも武器飛ばしをして、魔力に強い魚を優先的に狙って援護しながら、ギリギリまで殲滅作業を行う。そして__
「残り一分! 時間だ! 総員、退避を‼︎」
エイジは叫ぶと、塹壕の中へ飛び込んだ。魔神王もそれに倣う。そして、先程までの乱戦ぶりが嘘のような静寂な時間が数十秒経過し__
突如として、空が凄まじい光によって真っ白になった。それから暫く遅れて、凄まじい振動が、戦場全体を揺るがした。




