1節 戦闘開始 ③
交戦開始より六時間。晩冬ゆえ、黄昏時である。所謂、夕マズメの時間帯であり、昼行性と夜行性の切り替わる頃だ。要するに、魚の活性が最も高まる。言い換えると、攻撃が最も激しくなるということ。
「ここからは、増援の到着までオレも戦う。これ以上の攻勢は許さん。この場で押し留める‼︎」
既に先遣隊は四度の撤退を経験している。元々は威力偵察と時間稼ぎのための部隊であるため、無理な継戦はせず不利になれば即座に交代して体勢を立て直すことが想定されていた。
その可能回数は、目安六回、最大十回。一回あたりに五キロ程度下がっている。この程度の裕度を以て、増援の到着まで耐え忍ばなければならない。期間にして、約一日。
つまり、耐えなければならない時間の、まだ僅か四分の一にも拘らず、交代可能数のおよそ半分を使ってしまったことになる。
そして、この後退は海から距離を取ることで有利になると思われるだろうが、そう単純な話でもない。下がれば下がるほど、戦線は横に拡大し、防衛がより困難となる。
先遣隊の規模は、一般市民など義勇兵を含まない魔王国軍全体のうち、四分の一である。それほどの動員があったとしても、半日も保ちそうにないとは。流石は星を創りし神の一角か、その力は誰の想像をも上回っていた。
「魔力波を放って、敵の注意をこちらに引き付ける! そうすれば一直線になるから狙いやすいはずだ! 加えて、奴らはこっちの撤退に合わせて深追いし、陣形が縦に伸び切っている。殲滅し、押し返す好機だ!」
エイジは貯蔵していた使い切りの魔道具を展開して、兵士たちに強化を掛けつつ作戦を提示する。指揮官たちは即座に命令を下して、作戦実行に最適な陣形を組ませる。
「陣形の編成、完了しました!」
エイジを中心に、挟み込むような縦列陣形。或いは、鶴翼の陣。
「そうか。では、合図と同時に始めるぞ。カウントダウン、7…6…」
時間稼ぎと牽制の部隊は、ギリギリまで注意を惹きつける。そして、カウント開始と同時に攻撃範囲外までの退避を始め__
「2……いくぞ!」
合図の直後、磁石に引き寄せられるが如く、魚の動きが激変する。その意識の外から、敵に狙われず集中できる状態の弾丸が次々と突き刺さる。
魚たちとて、無闇矢鱈に突撃を繰り返すばかりではない。魔弾を放ったり、最短距離から離れ遠回りをする、魔力波に惑わされない個体などもいた。
それに対抗するエイジは、足元の岩盤を隆起させて遮蔽物に。逸れて来る個体は手持ちの銃で丁寧に撃ち落とし、射程外の敵は深追いせず無視。岩壁に魚群がぶつかり、潰れていく音を聞きながらやり過ごしていく。
「さて、おかわりっと」
左右の地面を剣へと変化させつつ隆起させ、迫り来る幻獣級を串刺し、切断。更に、周囲の岩を二つ念力で持ち上げると、それで逸れてきた魚を挟み潰す。
「ハァッ!」
エイジが両腕を開くように振り下ろすと、衝撃で砕け散った石礫が四方八方へ飛び散り、命中すると僅かに動きを止めさせた。質量こそあるが速度はそれほどでもないため、弾丸よりも殺傷力は劣る。しかし、牽制には十分。動きの鈍ったところへ武器飛ばしや射撃を行い、確実に始末する。
「ふっ……」
そちらを片付けると、盾にした岩盤に跳び乗り__
「ゥオォッ……らっ!」
極太のビームを薙ぎ払って、一網打尽にする。照射を終えると再び降りて、幻獣級の骸に近づき手を伸ばす。
「いただくぞ」
すると、遺体から一人でに真っ赤な血が立ち昇り、エイジに纏わりつく。だが、その数秒後には飲み込まれたように消えていた。
「補給完了。次だ」
吸血鬼の能力、取り込んだ血液の魔力変換だ。これにより、先ほど消耗した魔力分を補って余りある魔力を確保。余剰分は即座に強化や回復の魔術を発動して、周囲の支援に回す。
今までの戦いに於いて、エイジは群対群の長期戦を経験したことがない。強敵と一対一で戦う、一人で雑魚を蹴散らす、幹部や恋人と協力しての集団戦などはあった。しかし、敵の数も質も、それらを大きく上回っていた。そして、長時間の継戦こそあったが、それは模擬戦、鍛錬の一環である。限界が来たら休めるのだ。それ故に、ペース配分が上手く出来ず、先程は十分な活躍ができなかったが__
「此度こそ遅れはとるまいよ!」
一時間あたり、相手取らなければならない敵の数・戦闘力・脅威度、味方の援護力、設備の能力、自身の魔力・精神力・体力の消耗具合……把握することができた。これならば……
「三時間くらいは、やれそうだな」
周囲を見渡す。今の誘導作戦、衝突による自爆と友軍の十字砲火、魔力砲が功を奏したか、戦闘区域内空中に見える敵影は疎ら。撤退直後の軍が体勢を立て直すだけの余裕が生まれる。
「じゃ、やるか」
翼を生やし、飛翔を始める。高度は三、四百メートル。亜音速のような効率の悪い超高速ではなく、敵に追い付かれない程度の速度。彼にとってはジョギング程度のスピードだ。その状態で周囲に十丁程度の銃を展開し、近距離からゆっくりと狙い撃ち。残った僅かな敵を掃討して制空権を取り戻すと、機雷をばら撒きつつ悠々と帰還する。
「今のうちに」
武器を取り出すと、使用し終えたばかりの銃器の内部構造を能力で把握。傷や機構の故障がないことを確かめるとリロードし、銃身内を軽く清掃。それを一回二十秒程度で数十回行うと、次は近接武器の刃毀れの確認をして、能力で金属を付加、或いは手で研いでいく。能力のおかげで銃よりはメンテナンスも簡単だ。
「さあ、どちらを使うべき?」
手持ちの武器を中心に用いるか、それとも備え付けの固定砲台を使い潰すべきか。というのも、どちらにせよ運用効率は変わらないからだ。操作に割くエイジの集中力は一丁の銃と一つの砲台で変わらない。手持ちの火器ならば念力での操作が必要で、砲台は離れた場所にあるため命中率が悪く、操作も複雑。また、銃を使うなら砲台は魔族が操作し、砲台ならばその逆と、結局総火力も同じになる。
__結局ここの兵器も爆破することになるだろう。押し返しても再利用はできない。その一方でオレ個人所有の火器は、最後まで何度でも再利用することになる。本体だけでなく弾薬の消耗も考えると、今ここで使っただけ後の火力が目減りしていくか……ならば__
沈黙していた砲台が、駆動音を上げながら顔を上げた。
「敵の密度が高けりゃ、適当に撃っても当たるしな」
「敵魚群、第十九波、来ます!」
「そこまで来たら、もう数えるだけ無駄だろ……」
敵の押し寄せる勢いは、全く衰えない。周期こそあるが、無尽蔵に思えるほどに湧いてくる。それこそ波浪のように。
「……有効射程圏内までは、もう少し猶予があるな」
大型狙撃銃のスコープを覗き込みながら、敵の進行速度を確認。時間的余裕を見つけると、制御を一旦手放して、司令部の方に向かう。
「おい、そろそろ日没だが、これからどうする。何か策はあるのか」
日が暮れれば、周囲は暗くなる。その状況においてはまず間違いなくこちら側が不利となる。何故ならば、敵の侵攻は益々勢力を増す一方で、こちら側は狙いにくくなるからだ。こちら側の主たる攻撃手段は銃や砲であり、目で見て狙う必要がある。これで逆光だっとあらと思うと……考えたくもない。
ただでさえ暗くなり始めた今さえ狙いづらいというのに、日が沈んだらどうなってしまうというのか。幸い部隊の多くは夜目の利く種族であるため幾分マシであるが。
「ご安心ください、サーチライトが充分数あります。また、宰相殿のご活躍のお蔭で、損失は事前想定の最悪値を下回っていますから、控えの部隊も温存できております」
「そうか……」
顎に指をつけて、考えに耽る。エイジとしてはどうしても不安が拭えないのだが、司令部の者たちは困惑している。いや、寧ろ、その不安が伝播したのか面持ちが暗くなる。
「もし、敵の攻撃がこのまま続くとして、オレがいなかったとしたら。この戦線はどのくらい保つだろうか。所感でも構わないから、予想を聞かせてくれ」
「残念ながら……増援の到着はおろか、夜明けを待たず全滅でしょう」
それを聞いたエイジの目つきは鋭く、眉間に皺を寄せている。勿論、今までの戦況の推移から容易く想像できることだ。しかし、敵についての調査が進み、より効果的な対策を立てられたのだとしても。その圧倒的な物量を前にしてはなす術がない、状況を覆すどころか多少押し留めることすらできないということ。状況は絶望的と言い表すより他になかった。彼はその事実を受け止めると、暫く沈黙し。
「今オレが発揮している力は、本来の全力の五割ほどだ。対水神への切り札として温存しているが……後がなくなってしまうのだとしたら、今この場で全力を解き放つしかないだろうな」
呟く。視線を動かして、発言の意図を不思議そうにしていることに気づくと。
「まあ、要するにまだ余裕はあるというわけだ。八割も出せば、二波分くらいは消滅させられる。多少は安心材料になったか」
それだけ告げて天幕を去り、夕日に向けて歩んでいった。




