2節 異変 ①
月日は流れ、春が訪れる。魔王国の暦において、今は三月の頭だ。気温が上がり、雪が溶け始め、草木は芽吹き、動物は目覚め、人々にも活気が戻りつつある頃だった。
異変は、その時起こった。
「エイジ、興味深い報告があったわ」
宰相執務室にセレインが入る。その表情はいつも通りの仏頂面だが、彼女に詳しいエイジからしてみれば、何処か興奮、というより焦っているような雰囲気だった。
「なに。どうした?」
「不思議な魔獣の発見報告があったのよ。これを見て」
差し出された写真を見る。それはどうにもぼやけていた。しかし、これは焦っていたからというよりは、非常に遠くから撮った印象を感じる。
「これが?」
「ここを見て」
彼女が指したのは、林の上あたりにある黒い点。彼も最初はそうとしか思えなかったが、じっくりと見ているうちになんとなくその正体に見当がつく。
「さかな、か? これ」
「ええ、そうみたいね」
「いや……いやいやいや、待ってくれ?」
別に、魚の魔獣自体は珍しくない。海に行けば、そこらじゅうに泳いでいる姿が見られる。しかし、場所が問題なのだ。
「魔獣つったって、魚だろ。それが陸に、しかも空にだなんて」
「私も信じられなかったわ。噂とか怪談には興味ないもの。けど、似たような目撃例がいくつも上がってるのよ……」
「詳しく」
「哨戒中の兵士たちや、旅行者たちが見かけただけじゃないの。港湾からこっちに来る列車の中で、何人もの魔族が見たと言っているらしいわ。不安も広がっているそうよ」
「確かに、それは調査が必要だな……場所はどこだ」
エイジも最初は胡散臭そうだったが、一息吐くと真剣な目つきになった。興味はあるが、何より、宰相として未知の脅威が存在しているのであれば見て見ぬ振りはできない。
「南東部、この辺りの森よ」
「その辺りなら、人通りも多いはず。危険がある以上、放置はできないな。で、一匹だけか?」
「いえ、いっぱいいたそうよ」
一度言葉を区切って黙考する。そして、再びセレインに向き直った。
「なら、調査を任せたい。隊長は君が。不明点が多く、危険な任務だろうが。幹部が出向けば不測の事態にも対処できるだろう。士気も上がる」
「そうね。じゃあ、何人で行こうかしら」
「百人も連れて行けば不足はないだろう。……ああいや、モルガンも連れて行け」
「どうして?」
「あいつならスケッチが上手いし、特徴を捉えることには長けているだろう」
「確かにそうね。じゃあ、声をかけてくるわ。出発日時はいつにしようかしら」
「シルヴァ、この後数日、幹部や調査隊が必要な要件は?」
「少々お待ちください…………ありません、大丈夫です」
「じゃあ、二日以内のお好きな時にどうぞ」
「なら、この後すぐにでも行くわ」
「助かる。任せたぞ」
一任されたセレインは、くるりと背を向け、いつもよりややゆっくりとした足取りで退室する。その後ろ姿を見たエイジは、何かを思い出したようにハッとした。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
彼に呼び止められた彼女は振り返り、小首を傾げる。
「一応写真も撮ってきて」
「そのつもりよ」
「あと、できたら捕獲してきて。サンプルが欲しい」
「わかったわ」
「それと……くれぐれも気をつけろよ」
「ふっ……なに? それ。そんなこと言われたら、逆に何か起こりそうじゃない」
クスリ、と口元を綻ばせると、今度こそ彼女は去っていった。




