1節 イチャラブワーキング ②
そうやって心を鬼にし、修羅場すること三時間弱。
「はぁ〜……」
エイジが一際大きな溜め息を吐く。どうやら集中が途切れたらしい。時間としても昼休憩が近く、キリの良い頃合いだ。
「おや、終わったのかい?」
そんな彼の傍にやってきたのはイグゼ。彼の机に手をついて、ほんのり疲れが滲む顔を見つめている。
「まだまだ、全然だ。とはいえ少し疲れ……オレの顔に何かついてるか?」
「いや? でも、強いて言うなら__」
突然、イグゼはエイジに顔を近づけると、その額に口づけをした。
「いつもは隠れている、無防備なおでこが新鮮でね」
舌なめずりをして、いつもの彼女らしからぬ小悪魔的な微笑を浮かべる。
「……まだ、そんなことをしていられる余裕はない」
「あれ? 全然効いてないな」
その行動には少し面食らったものの、エイジはすぐさま平静を取り戻し、彼女を嗜めるような目で見る。大して揶揄った彼女は、その反応が意外だったのか困り顔。
「つーか、何そのイケメンムーブ。良くもまあこんな言動、行動ができるものだ。オレならとても恥ずかしくてやってられん」
「まあ、ボクはモテてたし? そういう行動を求められたこともあるから慣れっこなのさ」
「このナルシスト野郎め……」
ちょっと得意げな顔のイグゼは、諦め悪く今度は彼の膝へ横向きに座った。構図的にはお姫様抱っこ。
「おい……」
「別に、いいじゃないか。ボクたちだって頑張ってるんだよ? モチベーション維持のためにも、ご褒美のイチャイチャが欲しいな〜」
首に腕を回すと、甘えるように体を預ける。そして、必殺の威力を持つ超至近距離の上目遣いが刺さった。
「それに、仕事もかなり進んだだろう? 午前だけで、およそ二割も。だから、ちょっとくらい、こういうことしても大丈夫と思うよ」
そこまで言われてしまったエイジは、鼻でため息を吐く。そして、イグゼを見つめ返した。
「それもそうだな」
彼女が自分から甘えてくることは珍しい。また、仕事が予想より早く進んでいるのも事実。ならば、その口車に乗せられてやろう。そう考え直して、頭を優しくなでなでする。
「……ふふ、ここはいいな。好きな人の温もりが感じられて、触られるのも心地いいし……ところで、どうだい? 好きな人とこの距離感、ドキドキしちゃうな」
「ああ。愛する人の端正な顔が、こんなにもすぐ近くにあるなんて。オレはもうメロメロだよ」
するとイグゼの耳は、その象徴的な髪色と同じくらいにまで真っ赤に染まった。
「あ、え……あぅ……」
「ていうか、いいのかい、オレの上に乗っててさ。いつも上に乗りたがるけど、オレに勝てた試しがないよね」
途端にモゾモゾし始める。色々思い出して、危ないことになっているようだ。
「イグゼ、チョロすぎない?」
「う、うぅ……こ、恋人補正ってやつだよ! 惚れた弱みっていうか……」
「む、それはオレが惚れてないみたいな言い方だな」
照れたり恥じらっていないことが、まるで好きじゃないかのように思われるのは癪である。
「じゃあ、こうしよう。オレがどれだけ君のことが大好きなのか。行動と言葉で示そうか。そうだね〜、愛してるゲームなんてどうかな。愛してるって言い合って、照れたら負けな。モテてたんだろ? 好きとか言われたり、キザな言葉を返すのも慣れたもの。きっといい勝負になると思うよ」
エイジは彼女の体を抱き寄せ、顎に手を添えて、愛おしそうにじっと見つめる。対するイグゼは硬直したのち、顔を真っ赤にして顔を逸らした。
「え、遠慮しておくよ……」
「おや、逃げんのか? ざ〜こざ〜こ、恋愛くそざこ〜」
耳元で小馬鹿にするように煽ってやる。その言葉に反応して、彼女の体はピクンピクンと跳ねる。密着しているから、その動きはエイジにもダイレクトに伝わる。それが彼を煽り立て、もっと攻め立ててやりたいと思わせる。
__こ、このままだとダメになる!__
「も、もう十分堪能したし、今日はここまででいいよ……」
イグゼは弱々しく高速を払うと、彼の膝上からプルプルしながら立ち上がり、逃げるように距離を取る。しかし、背を向けた彼女は、興奮からか、その奇襲に気づけなかった。
「ひゃううぅぅ⁉︎」
後ろから気配を殺して接近したエイジが、彼女のうなじに噛みついたのだ。軽く歯を立てて、絶妙な力加減で喰む。その感覚にイグゼはビクビクと震え、遂には力無く崩れ落ちてしまった。
「悪いね、チラチラ見え隠れするうなじが、あまりにも無防備だったものだから」
意趣返しとばかりに、蠱惑的な言葉と顔つきで見下ろす。へたり込んだ彼女は、顔を染め、息を乱しながら、最後の抵抗として恨めしそうにそれを睨み返した。
「ふん、男としても女としても中途半端なお前が、オレに勝てるわけないだろ?」
完全に打ち負かされたイグゼを抱き上げると、部屋の隅のソファに寝転がした。
「……もう、むりぃ……」
彼女はというと、興奮冷めやらぬ様子のまま、その上でジタバタしている。それからしばらくすると、今度は恥ずかしさとかが込み上げてきたらしく、処理容量を超えたのかぐったりとしてしまった。この様子では、もう使い物にならないだろう。
「さて、と」
それを見届けると、エイジも気分の切り替えができたからと、仕事を再開。しようとしたところで、あるモノが目に留まったので襲いかかる。
「ひゃん⁉︎」
それは、シルヴァの首筋。敢えて今の一連を気にしないようにと意識していた。そのせいで、気配に気づけなかったのだ。とばっちりを受けた彼女は、おおよそイグゼと同じ反応をすると、同じような状態に陥ってしまった。
「……それって、そんなにヤバいんですか?」
「は、はい……新しい扉が開きそう……いえ、もう開きました……」
カムイの代わりに残っていたテミスが、恐れ半分、興味半分といった様子で問う。それに対してシルヴァは、瀕死の様相で辛うじて返答した。
「ねえ、報告があるんだけど……何この惨状?」
そこへレイエルピナが入室する。恋人同士でイチャラブしていたいとはいえ、勿論この部屋で全てが完結することはなく。仕事中は各々の職場に向かうため、ある程度の出入りはあった。
「イグゼは自爆にカウンター合わせたらこうなった。シルヴァは巻き添え」
「そう……アンタも調子取り戻したのね」
大体の経緯を察したらしき彼女は、少しだけ呆れたような溜め息を吐くと、エイジの方を向く。
「そういえば、伝達事項があるんだってね」
「ええ。……ちょっと、遠いわよ」
部屋の中央にいる彼女と、自らの机にいる彼は、確かにやや離れている。
「何遠慮してんのよ」
一メートルの距離さえダメなのか、レイエルピナは肩を密着させる。やや小突くように勢い付けて。
「報告するわね。わたしが担当する城内セキュリティと防壁の建造が始まったわ。城壁の方は、今は木製の枠組みと、鋼製の土台を造ってる途中。けど、範囲が広いし障害物も多いから、ちょっと手間取ってる。鉄道との兼ね合いが心配みたいね。あと、一部設計が終わってないとこ__ひゃ……何するのよ」
密着しているからと魔が差して、その小ぶりで形の良いお尻を撫でた。が、即座にその手を振り払われてしまった。
「やめてよね」
「……ごめんよ。こういうの、しないほうがいい?」
「ええ、仕事中は集中が乱れるし。それと……期待しちゃって、手につかなくなっちゃうから……」
「……およ?」
どうやら満更でもない様子。
「嫌じゃ、ないんだ?」
「……アンタ、前から思ってたけど、わたしにだけ距離作ってない? まさか、わたしがイチャイチャするの嫌いだとでも思ってるわけ?」
その口調はどこか責めるようで、詰め寄られたエイジは少し後ずさる。
「……まあ、そこまで好きじゃないかなとは」
「いっとくけど、わたしはアンタのこと大好きだから。もし、わたしがどれほどアンタのことしゅきしゅきなのか知らないってんなら、わからせてやるわ」
そして追い詰めたレイエルピナは、資料をほっぽり投げると、真正面から彼に抱きついた。
「覚悟しなさい、たっぷり甘えてやるんだから!」
挑発的な笑みを浮かべると、抱きつく力を強める。
「まずは、そうね、膝の上にも乗せなさい。それから撫でたりとか甘やかすこと。あ、そうそう、どこ触っても、何してもいいわよ」
さっきの拒絶はなんだったのだろう。ツンツンしているようでデレデレしているような彼女は、いざエイジがイスに座ると、ベッタリと甘えだした。
「あ〜、イチャイチャしてますわー!」
「……ずるいわ!」
ところで今は昼休憩の時間。エイジの機嫌もそろそろ直ったかなと考えたのか、続々と戻ってくる。そして、歓迎モードになっているのを見ては、報告を済ませつつ早速構ってもらおうとする。しかし、レイエルピナは全く譲らず、エイジとしても普段甘えない彼女がこうしているのは珍しいからと、優遇するつもりらしい。このように、ご褒美を巡ってわちゃわちゃしているうちに___
「そうして今に至るわけだ」




