3 適応訓練 ②
コンコン、とノックが鳴る。各々自室に解散して数十分後のことだ。
「起きているぞ」
その部屋の主、カムイが返事をすると、ドアがゆっくり開けられた。
「こんばんは、カムイさん」
「何の用だ、テミス姫」
薄いピンクのパジャマを着たテミスが、覗き込むようにして現れる。
「落ち着かないんじゃありませんか?」
「……」
図星。見知らぬ地で、慣れぬベッドに広い部屋、あまり居心地良さは感じていなかった。
「ついてきてくださいな」
特に断る理由もない、カムイはついていく。最初のうちは馴れ合うつもりなどこれっぽっちもなかったのに、と彼女自身不思議な感覚だ。
カムイの手を引き部屋を出たテミスは、そこから三つほど隣の部屋へ。そしてドアに手をかけると、中に入るよう促す。
「ここは?」
「レイエルピナちゃんの部屋です。ほら、みんなもう来ているんですよ」
確かに、部屋の中央に鎮座する大きなベッドには、六人の女性の姿があった。
「なぜ、ここへ?」
「みなさん、落ち着かないかと思いまして、お誘いしたんです。落ち着くまで、おしゃべりしましょう?」
テミスはベッドに腰掛け、隣をポンポンと叩く。誘われるまま、そこにカムイも座る。
「ていうか、なんでわたしの部屋なのよ!」
「だって一番広いですし」
「……」
勝手に集合場所にされて、部屋の主人は不満げだったが。もっともな理由を返されて口をつぐむ。
「で、話というのは」
「ちょうど今揃ったばかりですので、これからですわ。話題はなんでもいいのですけれど……」
「だったらァ、エイジクンについてがいいんじゃなぁい?」
「えぇ……ここでもアイツのことかよ」
ガデッサは流石にちょっとうんざり顔。
「興味無いワケじゃないでしょう? エイジクンが来たばかりのこととか、聞きたくない?」
「それは、確かに興味あるな」
「じゃあ、今まで魔王国がどうだったのかと合わせて話すわね。五十年前……」
イグゼが食いつき、モルガンはウキウキした口調をしている。他のみんなも乗り気な以上、反対の声は挙げにくかった。
「ふむふむ」
「でね、実はァ……__」
「へえ、そうだったんですね」
いつしかみな、面白そうにその話を聞いていた。
といっても、話してのは別にモルガンだけではない。各々感想を述べたり、そこから更に言及の幅を広げたりと、ちゃんとお喋りしているのだ。
そんなこんなで、夜も更けていき__
***
「おーい、おはよう。……ここもいない? 全然誰もいないじゃんか」
翌朝八時。エイジは皆の部屋をノックしながら挨拶して回っていたが、どの部屋からも返事がなくて戸惑っていた。しかも、どの部屋も鍵がかかっていない。
「まさか、早起きして城の探索でもしてんのかな」
いよいよ不審に感じてきた頃、エイジは最後にレイエルピナ部屋のドアをノックする。
「おーい、誰かいるかい? 入るよ〜」
ノブに手をかけると、案の定鍵は掛かっていなかった。そのままドアを引き開けると、中に入る。
「レイエルピ……なんで、みんなここに?」
本来魔王国の王女様だけのもののはずが、そのベッドの上には複数人の姿が。というか、あの八人が全員いた。
そして、その寝相はなかなかに個性が出ている。テミスは寝落ちしたように突っ伏していて、モルガンがそれに重なるようにして寝ている。ガデッサは野生動物みたく縮こまるように丸くなっていて、カムイはピンとまっすぐな姿勢。レイエルピナはベッドの真ん中で枕を一人使い普通に寝ているが、ダッキが抱きついているからかその顔は苦しげ。そしてイグゼは寝相が悪いのか大の字で、その犠牲になったかシルヴァは床で寝ていた。
「…………」
このまま眺めているだけでも面白いのだが、今日はスケジュールがカツカツなので、そうも悠長にしていられない。
「オハヨーございまー!」
「うわぁ!」
「ぅん? もう朝ぁ?」
飛び起きる者、のんびり起き上がる者、微動だにしない者。と、これまたバラバラの反応である。
「……チッ、アンタさ、人の部屋に勝手に入ってこないでくれる」
「おや、寝起きで御機嫌斜めかい? だが、鍵を締めないそっちも悪い。そんでもって、今日はスケジュールがギチギチなんで、早起きしてもらうよ。……といっても朝八時だけどね。昨日何かあったの?」
「落ち着かないからって、みんな勝手にここに集まって、寝落ちするまでずっと話してたのよ」
「……そうか。配慮が足らんかったな、申し訳ない」
ペコリと頭を下げるエイジ。
「で、無粋だとは分かっているが、敢えて訊こう。なんの話をしていたんだい?」
その問いに、皆はしばらく目を合わせると……黙ったまま、一斉にエイジに目線を戻した。
「…………わかったよ。じゃ、急いで着替えてね。着替えたら下に行って朝食を摂ってきなさい。そしたらオレの部屋の前集合な」
お手上げ。やっぱり答えてくれなくて、つまりオレのことか、などと考えは至りながらも、部屋を後にする。
そのまま向かいの自室に入り,待機すること約三十分。ノックが鳴り部屋を出てみれば、全員が万全の状態で待機していた。
「では、案内の再開といこうか。この階には幹部の会議室がある。それ以外は幹部格の寝室とか。で、この上五階が最上階だ。玉座、司令室、そして目的地であるオレ、宰相の執務室があるぞ。……ああ、はいここが円卓の間だ。じゃ、上行こう」
さらっと場所だけ紹介して、さっささっさと先へ進むエイジ。
「おい、貴様。拙者たちに場所を覚えさせる気はあるのか」
その様子に不満があるのか,カムイは彼を呼び止める。しかし、その足取りは衰えない。
「ないよ」
あっけらかんと。その様子に怒りが沸々湧いてきたようだが。
「だって、今無理に覚える必要ないもの。君らがすぐには使わない施設も多いし、暮らしていくうちに慣れるし、困ったらパートナー……いや、目付役に訊けばいいだけのことだからね」
飽くまでこの案内は儀礼的なものというわけだ。その態度に不満がないわけではないが、カムイはそれを飲み込み、彼について行く。
さて。朝の八時半といえば、始業の三十分前。早い者は既に出勤していることもあるのだが、今日のシフトにはそんな人はいなかったようだ。
エイジは扉に手をつくと、数言唱えて魔力を流す。同時に生体認証を済ませ、物理的な鍵も差し込む。慣れた様子で鍵のパズルを最速クリアすると、扉を押し開けた。
「…………いやいやいや、少し待ってほしい!」
中に入れと言おうとしたエイジに、驚いた声がかけられる。その声の主は、イグゼ。
「なんだ、今の」
「なにって、鍵ですが?」
「……疑問形で返さないでくれ。いくつもの種類があったような気がするが。そして私は魔術はかじった程度で、それほど詳しくもないが……今の封印術式,相当に高位のものではないか」
「ああ、厳重過ぎって言いたいのかな? 確かに、この部屋の防護措置は玉座よりも厳重だ。けどね、これくらいじゃないとダメなの。むしろ、これでもまだ足りないって思ってるんだよ。この部屋には、国家機密が詰まっているからね」
国家機密。その単語に、イグゼの顔は強張る。魔王国の機密事項ともなれば、それはエイジの齎したオーバーテクノロジーについてか、あるいは世界の、魔術の深淵に迫るモノである。そう感じるに違いない。
「ま、巧妙に隠してるので、慣れた人じゃないと何の情報がどこにあるかなんてわからないだろうがね。さ、入りたまえ。ここが私の仕事部屋だ」
自慢げに紹介するエイジの部屋を見て、新入りたちは息を呑む。
机が整然と並べられ、書類や道具はきっちり整理整頓されている。床には塵一つ落ちていないし、ロッカーも埃や汚れとは無縁の清潔さ。最奥の窓は日当たりも良く、机の配置も一切動きを邪魔しない。
さらに空調や湯沸かし、休憩のためのソファーなんかもある。自慢したくなるのが分かるほどの職場だった。
「さて、では君たちはそこの机に座ってくれたまえ」
イスにはクッションが備え付けてある。素材は上質で心地よく、机も高級感のあるアンティーク風。派手ではないしモダンでもないけれど、快適であり、それとは違った高級感がある。促された者たちは、そのイスに座ることを一瞬躊躇するほどだ。
「こんなところで、何させるつもりだ」
柔らかい感覚に戸惑いながらも、ガデッサはエイジへ問う。案内のはずが、突然イスに座らされて困惑していることだろう。
そんな彼女に対し、エイジは背を向ける。そして自分のロッカーを探ると、数枚の紙を取り出した。その紙を、それぞれ席についた三人に渡すと、ペンを渡す。
「じゃ、早速だが、ちょっとしたテストを受けてもらおう。まずは、この世界の常識と魔王国についての知識を問う問題。三択式だ。そしてイグゼとカムイには、魔術の選択式テストもさせてもらおう。カムイはそこに学問の記述式を追加で。それぞれ十分、十分、二十分だ。ガデッサは十分、イグゼは二十、カムイは四十分な。文は魔族語だが、読めるだろ?」
「ほう、確かこれはお前の特殊能力のおかげ、か」
「知っているなら話は早い。さて、試験なので、静かにやること。そして他人の解答を覗いたりしてはいけません。では、試験開始!」
そう叫ぶと、手元のストップウォッチを押した。
「はい、では第一科目の解答を終了して、次の科目を始めてくださいな」
「ぐあー……終わったぁ。わっかんね」
試験の終わったガデッサは、頭を押さえて机に突っ伏す。そんな彼女の机からエイジは回答用紙を回収すると、サラサラと丸付けをする。
「うん、二十五点。ではガデッサ、あちらのソファーに移動して、休んでいなさい」
魔王国についてが三問、世界については二問の正解だ。回答用紙をガデッサに返すと、彼女はふらふらとソファーへ向かっていった。
「……はい、第二科目終了。イグゼはお疲れ様。お、おはよう」
溜息を吐いたイグゼから用紙を回収すると同時に、総務の者たちがちらほらと出勤し始める。
「イグゼの第一科目は六十五点、第二科目は五十点だね」
「むぅ……思ったより低いか」
「そうでもない。いやしかしでも……なんでこんなに魔王国について詳しいんだ」
「実は、昨夜モルガンさんから魔王国について教わってな」
「へえ、そうだったんだ。じゃ、魔王国についての説明はあまりいらない感じかな」
そしてさらに二十分経ち。
「回答終了してください」
部屋にはほぼ全員が出勤を済ませていた。しかし、彼らは困ったように立ちっぱなしだ。なぜならば__
「はい。カムイ及びみんな、お疲れ様」
その他五人もテストを受けていたからだ。
第一科目開始から数分後、彼女らも受けたいと言い出した。だが実は、エイジは同様のテストを彼女たちのために用意しておいたのだ。元はと言えば、教育の到達度を測るために兼ねてから用意していたもの、それを新入り達に流用していたのである。
さて、テストの終わった彼女らは立ち上がり、エイジに提出すると、ソファーに座り込んで結果を待つ。そしてようやく総務の者たちは仕事を始めることができた。
「結果発表ね。第一科目、テミスとレイエルピナとダッキは満点、シルヴァが九十五、モルガンが八十五、カムイが四十点。第二科目はカムイが三十点で、それ以外は満点。第三は……」
第三科目は、中学校レベルの漢字の読み書き、四則演算や面積などの数学、化学や物理に生物、そして地理地学公民からなる二百点満点だが。
「レイエルピナ、百二十点。テミス、百四十点。シルヴァ、百三十五点。ダッキ、百点。モルガンは八十五点か……ちょっと難し過ぎたかな。はい、返すよ」
採点すると配り直す。しかし、一部は訝しげな顔。
「ねえ、カムイは?」
「そうよ、カムイちゃん、何点なの?」
「二百点」
「「「…………へ?」」」
「つまり満点だな」
さらっと言い放たれた言葉の意味がわからず、数秒硬直する面々。
「いやぁ、かなり難しくしたつもりなんだけど、あっさり解かれてるわ。途中式もバッチリ」
漢字は二級、一部準一級相当。漢文問題も織り交ぜた。数学は因数分解から簡単な微積まで。社会学には歴史をも組み込んだ。そう、全て高校レベルなのだが。
「何故だかは拙にもわからぬのだが、体が覚えているというか……勝手に解けたのだ。…………これでは益々、異世界出身説が確証を帯びてくるな」
彼女自身非常に戸惑い、そして不機嫌そうではあるが。ふと、異様な空気に気づいたようだ。そう、皆から、エイジに向けられるものと同類の、畏敬の目で見つめられているということに。
「うっうん。では、次の指示を出そうか。ダッキはガデッサに、テミスはイグゼに、レイエルピナはカムイに、第一科目と第二科目の解説をしてあげてくれ。モルガンも復習をしっかりと。わからないところあったら聞いてね、教えるから。じゃ、シルヴァ。オレたちは仕事だ」
「はい、かしこまりました」
今までフラフラしていた分、仕事は溜まりに溜まっている。例えば、魔王城周辺の畑からの収穫量。それから、次の栽培に向けた提案と、それについての意見が求められている。
工場はなお規模を拡大しつつ、操業継続中だ。生産量の報告書に、拡大計画の承認。新たな技術を導入したり、検討しなければならない事項が多い。
そして。今回の遠征で得たエイジ自身の収穫をも考慮する必要がある。王妃王女の救出で得た資産、権利。これを整理し魔王国今後の展望を練らねばならない。近いうちに幹部議会を招集する必要がある。
さらに、王都地下スラムから連れてきた者たち、拠点を襲撃した武者たちの処遇を考える必要がある。今はレイヴンたちが保護してくれているが、いつまでも任せきりにはできない。聞き込みを行って素性を明らかにし、労働力や知的財産などの有用性を確かめなければ。
「うあー! 検証事項が多すぎる!」
「貴方がサボっていたからですよ。身から出た錆、自業自得です」
「グサッ! 今日の秘書はなんだか冷たい⁉︎」
「今のエイジ様に、女の子にかまけている暇はないということです。何より、もう冬が近づいてきています。ターニングポイントだとおっしゃっていましたよね。ご旅行でリフレッシュは済まされたはずです。頑張ってください」
エイジは一度大きく溜息を吐いて、俯く。そして勢いよく顔を上げると、両頬を張る。
「よっし、めんどくせぇがやるか! 昨日のうちにある程度整理したし……後は一気に!」
まずは幹部たちのスケジュール表に目を通すと、会議を開く旨の記述と、開催日を打診する手紙を書く。次いで各種報告書に目を通し、確認印を押していく。その表情は、いつになく真剣だ。
それでいて、テスト組の質問にも真摯に答えていく。簡単な問いには作業を継続しながら。複雑なものには一旦手を止めてまで。
「おーい君、この手紙を届けて来てくれ。シルヴァ、これは幹部会議についてのものだ。返事が来たら会議のスケジュールを決めてくれ。それと、オレは今日の午後、カムイとガデッサ、その目付役を連れて王国拠点に行く」
「私は留守番ですね、了解しました」
シルヴァはメモ帳を取り出すと、細かく綺麗な字でサラサラ書き込んでいく。それが終わると、エイジの代わりに書いていた視察レポートの続きに取り掛かる。
「エイジ様、一つ質問がありますが、よろしいでしょうか」
「ん、何かな」
二人は手を止めず目線も動かさないまま会話を始める。
「何故、彼女達にそこまで目をかけるのですか」
「有能だろうと感じたからさ。戦闘だけじゃない、君やテミスと同じように仕事もこなせそうだと思ったんだ」
「確証は」
「あるわけがない」
「感覚ですか。ふふっ、ですが私は信じますよ。はい、第一部書き上がりました。貴方との認識に齟齬はありませんか?」
「…………オッケー。だけどここちょっと補足ね。メモ貼った」
「はい。では次のレポートに取り掛かります。ところで、アレはありますか」
「アレね、はい」
アレ。エイジが渡したのは、彼お手製の穴あけパンチと紐である。そして、それが彼女が求めていたことは間違いないようだ。
「ああ、そういえば。アレがどうなったか知ってる?」
「私も詳しくは。しかし、半分以上は終わっていると聞いています」
アレとは、鉄道の砦への延長のことである。
「いやしかし、こうも仕事が多いと欲しくなるな」
「それはむしろ妨げとなるのでは……私は仕事中は好みません」
次は紅茶のこと。まだ知り合って半年も経っていないのに、お互い指示語なのに、おおよそ何が言いたいのかわかってしまう。熟年感を醸し出していた。さらに作業の手は全く鈍らない。
「あの、少しいいでしょうか」
「質問があるのだが」
とそこへ、テミスとイグゼがやってくる。
「この問題について、少し発展したことを聞きたいと」
「ああ、いいよ。うん……魔術の分類についてか。これは__」
その分野について詳しく、そして更にそれを別分野にまで発展させて、スラスラと教えていく。その解説に、彼女達は満足した様子を見せた。
「なるほど、そうだったんですね! 私も初めて知りました」
「……そうか、解説感謝する。ところで、もう一つ聞きたいことがあるのだが、いいだろうか」
「ん〜?」
「私達の、今後についてだ。私たちをどうするつもりだ?」
じっ……と、エイジとイグゼは数秒見つめ合う。
「……そうだね、しばらくは、ある程度自由にしつつ、お勉強してもらうかな。慣れてきたら、少しずつお仕事の手伝いをしてもらうよ」
「案内に教育など、まるでキミがされたかのようなことを」
「おや、そんなことなんで知ってるの?」
「……昨日、話してもらってな」
「おや、やっぱりオレのことについて話してたんだね。てことは特殊能力とかについても知ってる?」
「……ああ。物を召喚したり、言語を翻訳したり、それらの能力を他人に与えたりできるということもな。……しかし、なぜ私達にここまでしてくれるのだ?」
「君らに見所があるなと思ったからさ。……あ、そうそう。ガデッサとカムイに、午後お出かけするって伝えてくれるかな」
「了解。邪魔して悪かった。ではお仕事、頑張れ」




