評価の仕方
なんでも、バブルの時代の銀行員の評価方法に、「純増」というものがあったそうで。
例えば、ある年に3000万の定期預金を獲得したとする。それは勿論成績になる。
では次の年はどうだろう。その3000万を維持しているだけなら、何もしていないのと同じ。
新たに更に3000万の定期預金を獲得して初めて次の年の成績になる。
逆に言えば、その3000万が満期になって引き出されてしまったら、それはマイナス査定になってしまう。
ところで、同じような評価を証券会社もやっていたとか。するとどうなるか。
証券会社の口座で違う所は、運用成績によって預かり金が増減する事。
もし、顧客が儲けを出してしまったら。余剰金は引き出したくなる。すると、純増の考えではなんとマイナス査定になってしまう。
逆に顧客が損をして、資金を追加しなければいけなくなったら。そうして初めて成績になる。
なんだかなあ、ですが、要するに成績を上げるためには、顧客に儲けさせるな、出金させるな。損をさせて、追加資金を受け入れろ、という事になってしまいます。
まあ実際当時の証券会社はそういう営業をしていて、だからこそやくざ者扱いもされてきたんですけれど。
さすがに、この考え方はあまりよろしくないということで、安定した顧客の預かり資産を維持する事が成績評価になってきたという話もあります。証券会社の場合は、ネット証券が一般的になり、担当という概念が希薄になって、初めてその呪縛から逃れたのかもしれません。
さて、なんでこんな話をしているかというと、まあ要するになろうの評価システムって、まさにこの純増だなあ、と。評価はつけた時に計上されて、維持している事は評価対象にならない。
だから、連載を長く続けて「お客さん」が固定化してしまうと、もう評価は上がらなくなってしまう。そして、新しいキャッチ―なものだけがランキングに出るようになってしまう。
なんかこう、もう一つ、安定した読者の維持、というものが評価の対象にできないものでしょうかねえ、と。連載の読み手としては、思うわけです。
まあそうしたら、時間pvが万を超えるような化け物的存在が永久にランクインしてしまうことになってやはりどうにもならないのかもしれないのですけれど。