98.魔族の目的
ホイルとレジーナと別れた後、アナスタシアたちは街の宿にやってきた。
魔王エリシオンが、人間の街の宿に泊まってみたいと言い出したためだ。
ちなみに、先日まで帝国の第三皇子エドヴィンが滞在していた、街一番の高級宿である。
さすがに魔王をその辺の安宿に泊めるのには、抵抗があった。
当然ながら料金も高額で、宿代を支払ったブラントが少し遠い目をする。
「料金は先に支払うのか。人間が使う貨幣も持ってきたが……価値がよくわからぬ。宝石もあるが、これはそのまま使えるのかのう。これだけあれば足りるか?」
手続きを済ませて部屋に通されると、エリシオンはテーブルの上に金貨をじゃらじゃらと積み上げた。
さらに、大粒の宝石まで無造作にいくつも取り出す。
「……宿ごと買えるんじゃないですかね」
呆れ気味にブラントが呟く。
「どうも人間のしきたりには疎くてのう……これはそなたに預けるから、支払いはそなたに任せた。余れば、好きに使うがよい」
気前よくエリシオンは大金をブラントに渡す。
だが、ブラントは何か言う気力もないように、遠い目をするだけだ。
「さて、あれから儂はヨザルードに関連していそうな連中を何人か捕まえて、殴ってみた」
エリシオンが話を切り出すと、やや虚ろだったブラントがはっとしたように正気づく。
アナスタシアも、気を引き締めて続きを待つ。
「連中の目的は、黒い翼の次期魔王を作り出すことだそうだ」
「黒い翼の……ということは、一般に言われる魔族……人間を糧にするような考え方の持ち主を魔王にしたいのでしょうか」
アナスタシアが呟くと、エリシオンは頷いた。
「そうだな。儂は黒い翼の連中が人間を糧にするのも、著しく均衡を崩さない限りは、黙認しておる。連中もわきまえて、人間の国に関わるとしても、せいぜい影から暗躍する程度だ。だが、もっとおおっぴらに支配下に置きたいのだろう」
現在のところ、人間が魔族と関わることは滅多にない。
糧にするといっても、直接危害を加えるというよりは、宝や素材を求めてダンジョンにやってきたハンターたちの怨念を集めているので、ある意味では持ちつ持たれつなところがある。
セレスティア聖王国を影から操ろうとしていたことは問題だったが、それも正面から支配下に置くのではなく、王妃を通してではあった。
以前、エリシオンは人間のために魔族がいるのだといったことを言っていた。
その考え方は、黒い翼の魔族たちにとっては気に入らないものだろう。
もっと一般的な魔族らしい考え方の持ち主を魔王に据え、エリシオンのことは排除したいのだろうかと、アナスタシアは考える。
「次期魔王の作り方だが、特におかしなものでもなかった。魔王の因子を持つ者に黒い翼の魔族を宛てがい、交配させるつもりだったという。それで生まれた子が力を持てば、いずれ次期魔王となるわけだ。言われてみれば、儂も心当たりがあった」
「心当たり……ですか?」
やや眉根を寄せ、ブラントがエリシオンを見つめる。
「うむ。以前、やたらとおなごが言い寄ってきたことがあった。番いを亡くした儂を慰めたいとか、魔王妃の座など望まぬので情けをくれやら、果ては慰み者で構わぬ、飽きれば捨ててくれというのまでおったな。おそらく、魔王の因子を持った子を作るのが目的だったのだろう」
「……それ、どうしたんですか?」
淡々と語るエリシオンだが、ブラントは顔をわずかに引きつらせる。
「全員、追い払ったに決まっておろうが。儂は番い一筋だ。先立たれた今でも、その想いは変わらぬ」
エリシオンはきっぱりと言い切る。
その答えに、ブラントは何も言うことなく、驚いたように目を見開いていた。
アナスタシアも、一途な想いに胸を打たれる。
「……まあ、おなごたちに言い寄られて、儂もまだまだ捨てたものではないと少し気分を良くしたのは間違いではないが……だが、手は出しておらんよ」
しかし、続く言葉にアナスタシアは苦笑がわき上がってくる。
ブラントも感動を返せと言わんばかりに額を押さえていた。
言わなければよいのにと、アナスタシアはつい思ってしまう。
「ずっと引きこもって寝ていたのは、そういう連中がうっとうしかったというのもある。城も身内用の通路以外は全て塞いでいた。そなたたちがやって来たのは、セレスティア用の道だな」
前回の人生では、地下神殿に魔王城への道が何故あるのだろうかと疑問だった。
今回はエリシオンがセレスティアの兄ということを知ったため、何となく予想はついたが、やはりセレスティアのための道だったらしい。
「ちなみに、ヨザルードはイリスティアの息子を見つけ、黒い翼の魔族との交配を迫って、逆鱗に触れて返り討ちになったということになっておった」
「いえ……あいつ、そんなことは一切ありませんでしたけれど……ごく普通に殺そうとしてきたような……」
顔をしかめながら、ブラントは答える。
アナスタシアもヨザルードとは二回会っているが、どちらもエリシオンが言っているようなことはなかったと記憶している。
何か利用するつもりで最初はブラントを生け捕りにしようとしていて、結局は殺そうとしていたはずだ。
「……ただ、何人か殴ったものの、イリスティアの死を知っている者はいなかった。どいつもそのような恐れ多いことはしていないと、泣くばかりだった」
話を戻して、エリシオンはため息を漏らす。
「連中の首謀者はヨザルードだそうだ。参謀気取りの奴はいたが、詳しいことは知らされていないようだった。人間の国を影から操ることに集中していたようだったので、そちら用に使われていただけかもしれぬ」
「その参謀気取りだというのは、本当に何も知らなかったのですか?」
ブラントが尋ねてみるが、エリシオンは残念そうに頷くだけだ。
「嘘をついていないかの術は使ったが、偽りはないようだった。……詳しいことを知っていたのはヨザルードとその側近のみで、そなたたちが倒してしまったということなのかのう」






