09.ホイル敗走
友達になってもよいというレジーナの申し出にアナスタシアは驚いたが、すぐに頷いた。
初めての友達だ。ブラントも友達のような関係といえるかもしれないが、先輩という感覚のほうが強い。
何にせよ、初めての女の友達であることは間違いなかった。
アナスタシアは心が浮き立つ。
同様にレジーナも喜んでくれているようで、心が温かくなる。
そのままレジーナの部屋で魔術のことや美容のことなど色々と話し、あっという間に時間が過ぎていった。
「今日はとても楽しかったですわ。わたくしのことはレナと呼んでほしいのですけれど、どうかしら?」
「ええ、レナ。わかったわ」
「それと……ステイシィとお呼びしてもよいかしら?」
「ええ……もちろん」
別れ際には、互いに愛称で呼ぶことを約束した。
これまで一度もそのように呼ばれたことがないアナスタシアは戸惑ったが、くすぐったいような気持ちで、胸が温かく満たされる。
翌朝はレジーナと一緒に食堂で朝食をとった。周囲から物珍しいものを伺うような視線をちらほら投げかけられたが、話しかけてくる者はいなかった。
一緒に教室まで行くと、ホイルが唖然とした顔でアナスタシアを見つめてくる。
「え……?」
開いた口がふさがらないようで、ホイルは固まってしまう。
アナスタシアは無視して、ただ背筋を伸ばすことを意識する。猫背が染みついてしまった体は、ちょっと気を抜くとすぐに戻ってしまいそうだ。
だが、不細工だと思っていた自分でも美しくなれることがわかった今は、そうやって気を張ることすら楽しい。
授業が始まり、今日は実技もあったため、場所を移動する。
ホイルが何か言いたげにアナスタシアの後ろをついてきていたが、声をかけてこようとはしない。
アナスタシアは構わず、レジーナと一緒に向かう。
すると、中庭の近くまで来たところで、ブラントが歩いてくるのが見えた。
昨日と同じく、制服の上にローブを纏っていたが、今日は他の誰かの姿はなく、一人だ。
クラスメイトたちが、ブラントを見てざわつく。
「あ……あの方、三年首席のブラント先輩ですわよ。こんな近くで見ることができるなんて……え……こちらに来ますわよ」
上擦った声で、ひそひそとレジーナが囁いてくる。
ブラントはすたすたと歩いてくると、アナスタシアの前で止まった。
向かい合うと、アナスタシアは少し見上げなければならないくらい、ブラントの背が高いことに気づく。
「アナスタシアさん、髪型変えたんだ。似合うね」
にっこりと微笑みながら、ブラントが声をかけてくる。
嬉しさや恥ずかしさ、照れくささなど、様々な感情が渦巻いてアナスタシアは混乱してしまう。
「あ……ありがとうございます……」
顔が熱くなるのを感じながら、アナスタシアはどうにか言葉を返す。
クラスメイト達の視線が集中している。どうして三年首席のブラントが、親し気にアナスタシアに声をかけているのかと、唖然としているようだ。
レジーナもアナスタシアの隣で、愕然とした様子で立ち尽くしている。
「……髪型が変わっただけで、不細工な顔が変わったわけじゃねーだろ」
ぼそりと、ホイルの声が響く。
その途端、ブラントの表情が剥げ落ちた。
「……きみは?」
ブラントの氷のような視線がホイルに向けられ、ホイルは一瞬、身をすくませる。
だが、すぐに己を奮い立たせるように、ホイルはブラントを睨みつけた。
「俺の名は、ホイルだ! 三年の首席だと思っていい気になってるんじゃねえぞ! 俺がお前なんざ負かしてやるからな!」
ホイルは大声で叫ぶが、その姿は恐れを打ち消すため、虚勢を張っているとしか見えない。
ブラントの口元に冷たい笑みが浮かぶ。
「うん、その気概はいいね。でも、きみも魔術師の端くれなら、口先ではなくて力で示してほしいね。弱い犬ほどよく吠えるというだろう。本当に俺に勝てるつもりなら、いつでも受けて立つよ。今日の放課後? それとも明日?」
「そ……それは……」
あっさり喧嘩を買われるとは思わなかったのか、ホイルはうろたえる。
さすがに力量差があることをわからないほど愚かではなかったらしい。
いくらホイルの魔力量が多く、中級魔術を扱えるとはいっても、一年生にしては凄いという程度だ。上級魔術を扱い、教師たちも凌ぐ力量の持ち主といわれるブラントには到底かなうはずがない。
この場に立っているだけで、ブラントには威圧感がある。端から見ても、格の違いがはっきりしていた。
蛇に睨まれた蛙のように、ホイルは顔面蒼白になって立ち尽くす。
「自分の言葉には責任を持つべきだよ。一度口から出た言葉は、もう取り消せないんだから。……それと、良いことを教えてあげよう」
諭すように言うと、ブラントはホイルに近づいて、小声で何かを囁く。
「……ちっ……ちげーし! そんなんじゃねーし!」
慌てふためき、それまで蒼白になっていた顔を真っ赤にして、ホイルは喚く。
その姿を見て、ブラントがくすりと笑う。
「悪いことをしたら、素直にごめんなさいを言うべきだよ。『ありがとう』と『ごめんなさい』が言えない奴は、クズだ」
「くっ……」
悔しそうに俯き、ホイルは拳を握りしめる。
「それとも、俺と魔術で語り合ってみる? 大丈夫、殺さないように手加減するのは得意だから、安心して」
「わっ……わかったよ! 俺が悪かった! 悪口言ってごめんなさい! ……これでいいだろ!?」
爽やかな笑顔を浮かべるブラントの前に、ホイルは屈した。
ホイルはアナスタシアに向かって、キツツキのように勢いよく頭を下げて叫ぶと、逃げるように駆け出していった。
「……あれが精一杯っていうところかなあ。じゃあ、俺も行かないと。アナスタシアさん、またね」
「は……はい……」
にっこり微笑むと、ブラントも去っていった。
どうにか返事はしたものの、アナスタシアは唖然としたまま、立ち尽くす。
隣のレジーナも、周囲のクラスメイトたちも、何も言うことができず、呆然としている。
「……移動しないと」
ややあって、誰かがぼそっと呟く声が響いた。
それでようやく皆がぞろぞろと動き始めたが、誰も何も言うことなく、無言の行進となった。