83.魔族の真実
状況を把握できず、アナスタシアとブラントは固まる。
二人の目の前に、突然魔王エリシオンが転がり落ちてきたのだ。
そしてエリシオンは突っ伏したまま、動かない。
「あの……大丈夫ですか?」
おそるおそる、アナスタシアは声をかけてみる。
前回の人生では、威厳のある魔王としての姿しか見たことはなかった。
本当に魔王本人なのだろうかと、アナスタシアは不安になってくる。
「……ずっと眠っていたが故に、体がまともに動かなくてな」
気だるそうな声で呟くと、エリシオンは立ち上がった。
かなりの段数を転げ落ちたにも関わらず、どこにもダメージが無さそうなあたり、さすが魔王といったところだろうか。
「それよりも、もしやそなたはイリスティアの子か?」
エリシオンはブラントを見つめながら、問いかける。
「はい……」
「そうか……子がいたか……名は何という? 儂はそなたの祖父となるエリシオンだ」
「……ブラントです」
「そうかそうか。成人の挨拶に来たのか? すでに番いがいるとは早いな」
あっけにとられるブラントだが、エリシオンはごく普通に話しかけている。
孫と初めて会い、少し高揚しているおじいちゃんにしか見えない。
アナスタシアはブラントの番いとして認識されたようだが、それに対しても反対といった様子はなく、受け入れているようだ。
「して、イリスティアはどうした?」
「亡くなりました……魔族に殺されて」
「……どういうことだ」
ところが、ブラントが答えた途端に、それまで穏やかだったエリシオンの纏う雰囲気が変わった。
びりびりとした威圧感があふれ出し、周辺の空気が揺れる。
アナスタシアは足を踏みしめて衝撃に耐えながら、やはり目の前の相手は魔王なのだと実感していた。
ブラントがこれまでのことをかいつまんで説明する。
幼い頃に魔物を率いた魔族に両親を殺されたこと、それがヨザルードという魔族だったこと、そして先日仇を取ったことを語る。
「そうか……そのようなことがあったのか……よくぞ仇を取ったな。父と母を殺されてつらかったであろう。何も知らずにすまなかったな」
労りの眼差しを向けながら、エリシオンはブラントの頭を撫でた。
ブラントは驚いたように立ち尽くしていたが、撫でる手を振り払うことはせず、受け入れる。
うっすらと、目が潤んでいるようでもあった。
「あの……あなたは、魔王なのですよね? 俺は母さんが魔族であることも最近まで知らず、魔族は両親の仇と恨んできました。でも、自分も魔族の血を引いているわけで……」
迷いを浮かべながら、ブラントがぼそぼそと口を開く。
まだ自分でも考えがまとまっていないようで、はっきりと言い切ることなく、言葉は尻すぼみに消えていった。
「そうだな。人間にとって魔族といえば、恐ろしい存在なのだろう。だが、魔族とは魔を管理する者なのだ。いわば、人間のために魔族が存在するともいえる」
だが、エリシオンはブラントを否定することなく、穏やかに微笑みながら答える。
「人間のために魔族が……?」
訝しげな顔をして、ブラントが言葉をなぞる。
アナスタシアも、その考え方は初めて聞いたものだった。
「我々には、人間が生み出す瘴気をコントロールする役割がある。そのまま放置しておけば、あちこちで災いをもたらすものに道筋をつけ、決めた場所に集めているのだ。それが、ダンジョンコアだ。瘴気を魔物に変換する装置であり、いわば世界の浄化装置でもある」
続く言葉は、アナスタシアにとっては衝撃的なものだった。
ダンジョンコアとは、魔物を世界に生み出す呪われた装置だとばかり思っていた。
壊した方が魔物がいなくなり、世界が平和になると信じていたのだ。
だが、実際はどうやらそうではなかったらしい。
「昔は魔物も魔族が倒していたのだが、今はそれを人間に仕向けて利用する者が多くなった。それにも、人間自身に始末をさせようとする考え方、人間に仕向けて怨念を集めて己の力とする考え方がある」
エリシオンはさらに語る。
魔族にも派閥のようなものがあるとは、以前にも聞いたことがあった。
魔術学院の学院ダンジョンも、魔物に対抗するために作られたものだという。
おそらく、魔術学院の創設者ラピスは、人間自身に始末をさせようという考え方の持ち主だったのだろう。
「今、人間が魔族と呼ぶ者たちは、後者だな。ダンジョンに人間を呼び寄せ、直接怨念を集めて己の力とするのだ。魔族が人間のために動くことに不満を抱き、人間が魔族の糧となるべきだという連中だ」
「……魔王としては、どちらの立場なのですか?」
説明を聞いて、ブラントが思わずといったように尋ねる。
アナスタシアも、エリシオンがどちらの立場なのかは気になった。
「どちらでも構わぬ。著しく均衡を崩すのでなければ、魔王としては動けぬ。瘴気の循環という役目を果たしていれば、何も言わぬよ。そうだな……例えば、あちこちのダンジョンコアを砕いて回るような者がいれば、魔王としても排除する必要があるが」
魔王というのは、中立の立場になるらしい。
だが、それよりもアナスタシアの背筋を凍らせたのは、ダンジョンコアを砕いて回る者を排除する必要があるという言葉だ。
それも、先ほどの内容と照らし合わせれば、魔物を世界に広めるために邪魔者を排除するわけではなく、むしろ逆になる。
前回の人生で、アナスタシアは勇者のパーティーの一員として、世界に平和をもたらすために、各地のダンジョンコアを砕いて回った。
だが、その行為は世界に平和をもたらす正義の行いではなく、均衡を乱す悪の行いだったのではないだろうか。
「もしダンジョンコアを砕いて回れば、どうなるのでしょうか?」
いても立ってもいられなくなり、アナスタシアは尋ねていた。
恐ろしくて仕方が無いが、聞かずにはいられない。
「個数が少なくなることにより、残されたダンジョンコアに負担がかかる。各地に分散していた魔物が、狭い範囲で多く、強くなるだろう。そして最終的には、浄化能力を超えたとなれば、人間ごと一度浄化する力が働くことになる」
返ってきた答えは、心当たりのあるものだった。
前回の人生では、旅の終わりに近づけば近づくほど、魔物の強さや数が増していったのだ。
以前にも、もしかしたらと思ったことはあったが、やはりそれはダンジョンコアを砕いたせいだったらしい。
最終的には、人間ごと滅びてしまうのかと、アナスタシアは目まいを覚える。
「もっとも、歴代でもそこまでの事態になったことはないがな。魔王はダンジョンコアを作り出すことができる。故に、魔王さえ存在していれば、どうにか取り戻すことは可能だ」
いわば魔王の存在が安全装置でもあるらしい。
だが、前回の人生では魔王も倒してしまった。
ダンジョンコアの多くを砕き、魔物は多く強くなり、さらに魔王すらいなくなってしまったのだ。
体が小刻みに震えてしまうのを、アナスタシアは止めることができない。
アナスタシアは最後まで見届けることはできなかったが、あの世界はいったいどうなってしまったのだろうか。






