08.呪いからの解放
アナスタシアはレジーナに腕をつかまれ、寮のレジーナの部屋まで引きずられていく。有無を言わさぬ迫力があり、アナスタシアはおとなしくついていくことしかできなかった。
「まずは、座ってくださいな」
レジーナの部屋はアナスタシアの部屋と同じ造りでありながら、まるで別物のように華やかだった。
ピンクを基調としたインテリアが部屋を彩り、窓辺には花も飾られている。自分で色々と手を加えたのだろう。何もしていない殺風景なアナスタシアの部屋とは大違いだ。
すすめられた椅子も、備え付けの物ではなく、持ち込んだ物のようだ。
アナスタシアが言われたとおりに腰を下ろすと、ほどよく柔らかいクッションの、座り心地の良い椅子だった。
「アナスタシアさんは現在、間違いなく一年の首席ですのよ。それなのに、あの下品なバカ男に言いたい放題させて、もう見ていられませんわ。先ほどの身分を笠に着たバカもそう、どうして何も言いませんの?」
「……私が不細工なのは本当ですから」
レジーナに問い詰められ、アナスタシアは苦笑しながら答える。
罵られて良い気分になるはずがない。
魔術に関する話ならば、いくらでも応じることができる。だが、容姿に関する悪口は本当のことだと納得してしまい、言い返すことができないのだ。
「不細工だなんて、どうしてそう思いますの?」
「……お前のような不細工、何をやっても無駄だとずっと言われ続けてきましたから。目障りだから、隅に引っ込んでいろ、と」
アナスタシアは幼い頃から、妹のジェイミーと比べられ、けなされ続けてきた。
母は幼い頃に亡くなり、ジェイミーは腹違いの妹である。継母はアナスタシアのことを醜い娘だと嫌い、事あるごとに罵ってきた。
父も政略結婚だったアナスタシアの母を嫌っていたようで、アナスタシアのことも疎んでいた。見せつけるように、ことさらジェイミーを可愛がっていたのだ。
「……どうやら、あまりよろしくない方々に囲まれていたようですわね。でも、何をやってもと言えるほど、色々と試したことがありまして?」
「それは……」
レジーナの指摘に、アナスタシアは即答できなかった。
考えてみれば、幼い頃から何をやっても無駄だと決めつけられ、放置されていたのだ。実際に何かをしたわけではない。
一度だけ、自分から身を飾ろうとしたことがあった。前回の人生で、勇者シンと恋人になったとき、髪飾りを付けて華やかな装いをしてみたのだ。
だが、彼は『何もしないでも、そのままのきみでいいんだよ』と遠回しな拒絶をしてきた。それ以降、身なりに気を遣うことはやめた。
「ありませんでしょう? 磨かなければ、光るものも光りませんわ。魔術をろくに学ぼうともしない者が、どうせ自分には才能がないから無駄だと決めつけていたとしたら、どう思います?」
「……そう、ですね……」
過去に縛られ、ろくに努力もせず諦めていたのだと、アナスタシアは気づく。
やり直すことになった新しい人生、今度こそ自分の好きなようにしようと思いつつ、引きずられたままだったのだ。
「まずは簡単なことから……髪型を少し変えてみるだけでも、違って見えるものですわ。どうして、そんなに前髪を伸ばして目を隠していますの?」
「……睨んでいるようで、気持ちの悪い目だから隠せと……」
幼い頃に言われた言葉をそのまま答えると、レジーナの表情が曇った。
「……わかりましたわ。わたくしにお任せなさい」
レジーナは唇を引き結び、アナスタシアの髪に櫛を入れる。
ろくに手入れをしていない髪は通りが悪く、何回も引っかかったが、レジーナは丁寧に梳かしていく。
一通り梳かし終わると、長い前髪を編み込んで横に流し、髪留めでとめる。
「ほら、これだけでも違いますでしょう? 睨んでいるようではなく、切れ長の知的な目というんですわよ。この目を隠すなんて、もったいないことですわ」
鏡をレジーナに見せられると、まるで別人のような自分の顔があった。
前髪がなくなり、自分を覆う鎧が消えてしまったかのような不安感があったが、鏡の中から見つめ返す目は涼しげで、凜々しさすら漂っている。
たったこれだけで変わるのか、これが自分かと、アナスタシアは言葉を失う。
「それと、気になっていたのが、その猫背ですわ。もっと、背筋を伸ばすことを意識したほうがいいですわ」
「……ひょろ長い棒のようでみっともないから、もっと体を縮めろと言われたのですけれど……背筋を伸ばしたら、それが……」
これも、幼い頃から言われ続けていたことである。
可愛らしい女性とは程遠い、でくのぼうのようだと陰口を叩かれてきた。
勇者シンよりもアナスタシアは背が高く、隣に立つと彼は少し不機嫌になることもあった。常に身を屈め、一歩後ろを歩いていたものだ。
「……もうそんな愚か者たちの戯言は忘れてしまいなさいな。アナスタシアさんは背が高くてスタイルも良いのですから、活かさない手はありませんわ」
呆れたようにため息を漏らすと、レジーナはアナスタシアを立たせる。
「そのおどおどとした態度が舐められますのよ。背筋を伸ばして、堂々としている女は、それだけで美しいんですの。せっかく良い素材があるのに腐らせるのは、罪でしかありませんわ」
そう言ってレジーナは、アナスタシアの姿勢を正していく。
これまでの経験から、アナスタシアは自分に自信がなく、唯一自信があるのは魔術だけだった。
魔術に関する話ならば堂々とした態度で挑めるが、それ以外のことはどうしてもおどおどとしてしまう。
だが、それではいけないのだと、わかっている。せっかく与えられた機会を腐らせてはいけないと、アナスタシアは腹に力を込めてまっすぐに前を見据えた。
そのとき、何かが砕ける音が響くのを、アナスタシアは感じた。
「そうそう、そんな感じですわ。ごらんになってみて」
満足そうに頷くと、レジーナは鏡をアナスタシアに見せる。
そこには野暮ったい不器量な女など存在せず、凜とした気品漂う姿があった。
「……信じられない」
ぽつり、とアナスタシアは呟く。
髪型を変えて、姿勢を正しただけだ。あとは心構えくらいだろうか。
たったそれだけで、まるで別人のようだ。目だけではなく、顔全体がこれまで被せられていた仮面を取り払ったかのようで、何か魔術を使ったのだろうかとさえ思える。
「レジーナさんは特殊な魔術でも使ったのですか? 凄い……こんなに……ありがとう……本当にありがとう……」
アナスタシアは感極まって、涙がにじんでくる。
これまで積まれてきた重りが一気に軽くなっていくようだった。
自分で思っていたより、不細工という言葉は重くのしかかっていたらしい。
取り払ってくれたレジーナには、感謝しかない。
「そ……それほどでもありませんわ。かわいそうな田舎娘に、少し教えて差し上げただけのことですのよ。第一クラスの首席にふさわしく、これからもっと精進することですわね」
照れたようにそっぽを向きながら、レジーナは素っ気なく言い放つ。
「でも、どうしてこんなによくしてくれたんですか?」
「だ……だから、第一クラスの首席にふさわしくなってもらいたかっただけですわ。お……お話ししたいと思っても、アナスタシアさんはいつも授業が終わるといなくなってしまいますし、きっかけを探していたというか……えっと……その……」
不思議に思い、アナスタシアが尋ねてみると、レジーナは視線をそらしながら、しどろもどろになる。
いったん言葉を句切り、ややあって決意したように、レジーナは口を開く。
「そ……その……わたくしが、友達になって差し上げてもよろしくってよ」