72.三文芝居
かつてのアナスタシアならば、何も言い返すことなく、俯いてやり過ごしていただろう。
ジェイミーと騎士ヘクターの態度も、アナスタシアがそうすると疑っていないようだ。
喧嘩を売るというよりは、一方的に殴りつけて憂さ晴らしをしようという催しなのだろう。
「見事な自己紹介、ありがとう。さすがジェイミーの騎士だけあって、立派な礼儀作法だこと」
そこで、喧嘩を買ってやることにした。
威厳ある王女を演じながらアナスタシアが言い放つと、ジェイミーとヘクターが驚愕に目を見開き、言葉を失う。
やはり、言い返されることなど想定していなかったのだろう。
以前のアナスタシアは寄る辺ない子供に過ぎず、全てをただ受け入れるしかなかった。
だが、今は魔術師としての力量もあり、いざとなれば力でねじ伏せることもできる。身ひとつでどこかに放り出されたとしても、問題なく生きていけるだろう。
本当に最悪の場合、気に入らないものを全部殴って吹き飛ばして、ブラントと一緒に遠くに逃げてしまえばよいくらいの、ろくでもない余裕があるのだ。
「第一王女であるこの私、アナスタシア・ウーナ・セレスティアが声をかけているというのに、そこの騎士の態度は何事か。無礼者め」
先ほどヘクターが言っていた言葉をそのまま返すと、ヘクターはびくりと身をすくませて、わなわなと震えながら跪いた。
「ご……ご無礼……お許しください……」
悔しさを滲ませながら、ヘクターは謝罪を述べる。
「お……お姉さま! あんまりですわ! 私の騎士に対して……!」
固まっていたジェイミーが、ヘクターの跪く姿を見て、抗議の声をあげる。
「私が何か間違ったことでも? どこがおかしかったのか、説明してもらえる?」
「そ……それは……」
アナスタシアが冷たく問いかけると、ジェイミーは口ごもる。
「姫……分をわきまえなかった私が悪いのです。どうか、私ごときのことで、姫の優しいお心を悩まされることがありませぬよう……」
「まあ、ヘクター……私のために屈辱に甘んじる、その気高い心……あなたの献身は決して忘れませんわ……」
見つめ合ってうっとりと言葉を交わすヘクターとジェイミーを眺め、アナスタシアは何もかも放り出して帰りたくなってきた。
この三文芝居はいったい何だと、うんざりしてくる。
ちらりとブラントの様子を窺ってみれば、彼も辟易とした顔をしていた。
「きっとお姉さまは、私に嫉妬しているのよ。あなたのような立派な騎士など、お姉さまにはいないのですもの」
「確かに、連れているのが魔術師ごときでは……魔術師など所詮は腰抜けにすぎませぬ。平時の飾りとしてはよいのでしょうが、いざというときに主を守ることもできますまい。私はこの剣にかけて、姫をお守りいたします」
「まあ、私のためにそんな危険なことを……でも、いくらこのような侮辱を受けたところで、まさか決闘なんて……」
「いいえ、姫の名誉を守るためでしたら、決闘も辞さぬ覚悟でございます」
二人の世界は、アナスタシアとブラントを置き去りにしたまま続く。
しかも、何故かいつの間にか決闘沙汰になりつつあるようだ。
いっそのこと、決闘を受けてみればこの茶番は終わるだろうかと、アナスタシアは面倒になりながら考えてみる。
これまでの足運びなどを見ていても、ヘクターはそう大した力量があるようには見えない。
アナスタシアもブラントも、一対一で問題なく勝てる相手だろう。
どうせなら、アナスタシア自ら決闘を受けて、直接殴り飛ばしてやろうかくらいのことが頭をよぎる。
「……お望みでしたら、決闘と大事にせずとも、手合わせという形ではいかがでしょうか?」
そこに、ブラントが口を開き、提案を持ちかける。
まるでアナスタシアの思考を読んだかのような行動だった。
これまで二人の世界に入り込んでいたジェイミーとヘクターも、はっとしたようにブラントに視線を向けた。
「魔術師ごときに護衛が務まるのかと、心配しておいでなのでしょう。姉君のことを思う第二王女殿下の、お優しいお心遣いかと存じます。ならば、その魔術師の力量を確かめて頂くのが一番よろしいかと」
涼やかな声で、ブラントが淡々と語る。
その表情には感情らしきものが窺えなかったが、これまでブラントを見てきたアナスタシアには、彼が自分の言葉にうんざりしていることがわかった。
「ま……まあ、そうね……」
「なかなか良い度胸だ。その勇気だけは褒めてやろう。……いかがでしょうか、姫。姫のお許しさえあればすぐにでも、その魔術師の力量を確かめてやりましょう」
「ええ、私は許可しますわ。……お姉さまはそれでよろしいのかしら?」
余裕を取り戻しながら、ジェイミーは勝ち誇ったような顔で、アナスタシアに尋ねてくる。
ジェイミーもヘクターも、魔術師であるブラントの力量などたいしたことないと思っているのか、勝利を確信しているようだった。
「……ええ、どうぞ」
アナスタシアは静かに頷く。
するとジェイミーは嬉々として、控えていた侍女たちに命じて会場を作らせ始めた。
「アナスタシアさん、さっき自分で殴ってやろうかくらいに考えていただろう」
待っている間、そっとブラントに囁かれて、アナスタシアは気まずくなりながら視線を泳がせる。
「さすがにそれは、この場ではまずいと思うよ。俺が相手するのが無難だ。しっかりあの騎士を地面に這いつくばらせてやるから、俺に任せて」
にっこりと笑うブラント。
その言葉には好戦的なものが滲んでいたが、それでもアナスタシアが直接戦うよりマシなのは確かだろう。
あの三文芝居を見せつけられて、平和的に次の手を打つなど、アナスタシアには無理だ。もう面倒で、全て殴り飛ばしておしまいにしたい。
やはり威厳ある王女など演じきれないと、アナスタシアは宙を仰いだ。






