07.不器量な女
それからアナスタシアとブラントは、図書室の隠し部屋で会うようになった。
翌日には早速、ブラントが覚えたばかりの【転移】を使って隠し部屋にやってきて、興奮していた。その後、アナスタシアも実験してみて、問題なく使えることを確認済みである。
扉にかけられていた隠蔽は、一度見抜いた者に対しては効果がないようで、普通に訪れることもできた。
授業が終わると、隠し部屋に向かうのがアナスタシアの日課となっていた。
「幽鬼みてえな女がふらふらと歩いてるな。みっともねえ。不細工な女なんて生きてる価値もねえのに、よく息していられるな」
そして、授業が終わるとホイルから悪口を浴びせられるのも、もはや日課だ。
魔術に関する内容は分が悪いと思ったのか、容姿を罵ってくるようになった。
前回の人生でも、容姿に関して散々けなされていたアナスタシアは、今さらこの程度で心が動くようなことはない。まして、今はブラントと魔術についての話をするという楽しみもあるのだ。ホイルの言葉は、雑音として聞き流していた。
「…………」
今日もホイルを無視して教室を立ち去ろうとするアナスタシアを、レジーナが物言いたそうな目でじっと見送っている。
その視線には気づいたが、アナスタシアは何も言うことなく教室を出た。
図書室に向かって歩いて行くと、廊下の先からブラントがやってくるのが見えた。隣に亜麻色の髪をした女子生徒もいて、二人とも制服の上にローブを纏っている。
無表情のブラントは、まさに彫像が歩いているかのようで、端正な顔立ちがより冷たく感じる。隣の女子生徒は必死に早足でついてきているようで、ブラントが彼女に合わせている様子はない。
「いたいた、アナスタシアさん。こんにちは」
ところが、アナスタシアの姿を認めると、ブラントの表情が柔らかく綻んだ。冷たい彫像のような印象が一転する。
「ブラント先輩、こんにちは」
「今日はこれから学院ダンジョンに潜らないといけなくなっちゃってね。だから、今日は魔術研究ができなくなったんだ、ごめん」
どうやらブラントは、アナスタシアに予定の変更を伝えに来てくれたらしい。
わざわざ足を運んでくれたのかと、アナスタシアは驚く。
「い……いえ、私は大丈夫です。それよりも、ご武運を」
「ああ、ありがとう」
爽やかな笑顔を浮かべると、ブラントは廊下を引き返していく。本当に、用事はそれだけだったようだ。
隣にいた女子生徒はその場に留まったまま、端麗な顔を醜く歪ませて、アナスタシアを睨みつけてくる。
「……野暮ったい不器量な女のくせに」
憎悪の滲んだ声を小さく吐き出すと、女子生徒はブラントの後を追っていった。
やはりけなしやすいのは容姿のことだろうなと、アナスタシアは妙に冷静な気分で思う。しかし、こればかりは生まれ持ったものなので、どうしようもない。
一年生はまだ学院ダンジョンに入ることを許可されていない。魔物も存在するため、許可されるのは早くても一年後期からとなる。
前回の人生でアナスタシアも入ったことがあるが、たいした魔物はいなかったはずだ。ブラントならば、何の問題もないだろう。
そして今日はブラントがいないとなれば、隠し部屋に行く必要もない。それとも、一人のときに色々調べてみるべきだろうかと、アナスタシアは廊下に立ったまま悩む。
「お前が、上級魔術を使ったという一年か?」
すると、後ろから尊大な声をかけられた。
アナスタシアが振り向くと、見知らぬ男子学生がいた。制服から一年生であることがわかるが、同じ第一クラスの生徒ではない。
でっぷりとした体の上にちょこんと金髪の頭が乗っていて、世の中を舐めたような面構えでアナスタシアをじろじろと眺めている。
「僕の名はモルヒ・ディッカー。ジグヴァルト帝国の栄えあるディッカー伯爵家の次男だ」
「はあ……」
仰々しく名乗る相手を前に、アナスタシアは嫌な予感しかしない。
この学院では、身分を持ち出さないことが決まりとなっている。生徒のことは名前のみで呼ぶ。
あっさり決まりを破っているあたり、ろくな相手ではなさそうだ。
「喜べ、お前を僕の手下にしてやる。卒業後も僕の家で面倒を見てやろうじゃないか。下賤な女には身に余る光栄だろう。ありがたく思え」
傲慢に言い放つモルヒだが、やはりその内容は頭を抱えるようなものだった。
アナスタシアはそっと目を閉じ、ため息を漏らす。前回の言いなり人生だったときでも受け入れないレベルだ。
「……お断りします」
きっぱりと断ると、モルヒの顔が信じられないといったように歪み、わなわなと震え出した。
「この僕が声をかけてやっているのに、無礼な! 僕を誰だと思っている! いったい何様のつもりだ! 容姿だけではなく、心も醜いんだな!」
ぎゃあぎゃあ喚き始めたモルヒを、アナスタシアはうんざりしながら眺める。
前回の人生ではひっそり静かに学生生活を送っていたはずなのに、今回はやたらと絡まれる。今日はホイル、先ほどの女子生徒、モルヒと続けざまだ。
やはり最初の実技で目立ってしまったのが原因だろう。
だが、誰も魔術の力量に関しては触れてこない。そこでけなせないとなると、簡単に貶められる容姿が標的になるのだなと、アナスタシアはぼんやり考える。
「廊下で騒がしいですわよ。みっともなく喚くのが、栄えある家柄の方がすることなのかしら」
そこにレジーナが割り込んできた。堂々とした態度で、モルヒを見据える。
「そもそも、この学院で身分を持ち出すのは禁止ですわよ。そんなことも理解できないくせに、よく恥ずかしげもなく学院に通えますわね。猿が紛れ込んでいると報告に行かないといけませんわ」
「な……なんだと! お前、僕を誰だと……!」
蔑んだ眼差しを向けるレジーナに対し、モルヒはさらに大声で怒鳴ろうとする。
「何の騒ぎだ……ああ、モルヒか。一度、じっくり補習を受けてもらう必要があるようだな。来い」
「違う! 僕は悪くない!」
「はいはい、この時期はこういうのが出てくるなあ……まったく……」
だが、そこに教師が現れ、問答無用でモルヒを連れて行ってしまった。
アナスタシアとレジーナが取り残される。
「ええと……その……」
「……実力もないくせに家柄で威張るような相手、大嫌いですのよ。つい割り込んでしまいましたわ」
どう声をかけたものかアナスタシアが迷っていると、レジーナがため息混じりに呟く。
礼を言おうとアナスタシアがおそるおそる口を開きかけるが、レジーナは険しい顔のまま、アナスタシアを睨みつけてくる。
思わず、アナスタシアは口をつぐむ。
「でも、そもそも悪いのは、アナスタシアさんですわ! わたくし、もう我慢できませんの! ちょっといらしてくださる!?」