66.寵愛の深さ
アナスタシアとブラントは王城を去り、瑠璃宮に案内された。
かつてアナスタシアが暮らしていた小宮殿のことかと思ったのだが、もっと王城に近く、落ち着きのある青色を基調とした優雅な宮殿だった。
「こちらの瑠璃宮は、今は亡き王太后陛下が愛した宮殿で、国王陛下も幼い頃をここで過ごされました。国王陛下にとっては、特別な思い入れのある宮殿でございます」
案内する侍女が説明してくれる。
王太后といえばアナスタシアの祖母にあたるが、アナスタシアが物心つく前に亡くなったので、どういう人物かは知らない。
「実はこれまでに、王妃殿下やジェイミー殿下がこの宮殿をねだったことがございますが、陛下ははねつけておいででした。それをアナスタシア殿下が賜るということは、陛下のご寵愛の深さの表れかと存じます」
「はあ……」
やや声を潜め、とてつもなく重大なことのように囁かれたが、アナスタシアは生返事をすることしかできない。
寵愛の深さと言われても、これまでずっと放置されてきたので、まったくもって実感がわかなかった。
中は豪奢だったが、華美になりすぎない上品な造りになっている。
以前暮らしていた小宮殿とは装飾も広さも比べものにならず、アナスタシアは落ち着かない。
ブラントも物珍しそうにしていた。
同じ宮殿内にブラントの部屋も用意されたらしい。
さすがにアナスタシアの部屋とは離れているようだが、それでも同じ宮殿内に一緒にしておくということは、父は二人の仲に反対というわけではないのだろうか。
だが、常に侍女がぴったりとアナスタシアに付き添っていて、ブラントと二人きりになることはできなさそうだ。
おそらく、監視役でもあるのだろう。
「こちらがアナスタシア殿下のお部屋でございます」
ブラントと離ればなれになり、アナスタシアが通されたのは、広々とした部屋だった。
繊細で優雅な調度品に囲まれ、身の丈に合わない気分になってしまい、アナスタシアは居心地が悪くなる。
「こちらにはドレス、こちらには装飾品がございます」
しかも、クローゼットにはずらりと色とりどりのドレスが並んでいて、首飾りや髪飾りといった装飾品もふんだんに用意されている。
いったいこれらは何なのか、もしかしたら罠なのだろうかと、アナスタシアは宙を仰ぐ。
父はどのような恐ろしいことを企んでいるのかと、不安しか感じない。
ドレスや装飾品はとりあえずそのままにしておき、夕食の準備ができたと食堂に案内された。
そこにはブラントもいて、すでにぐったりとしているアナスタシアを見て、物言いたげな眼差しを向けてくる。
本当はブラントと色々相談したかったのだが、侍女たちが控えているために、現状に関する話題は口に出せない。
どうせ会話は父に筒抜けになるのだろう。
「……空間制御の効率化について試行錯誤したときと、似たような気分です」
アナスタシアがそう言うと、ブラントは苦笑しながら頷いた。
そのときは試行錯誤したのだが、結局は徒労に終わってぐったりとしたものだ。
わけがわからなくて困っていて、疲れ切っているという意味をこめたが、ブラントには大体伝わったらしい。
用意された食事は手の込んだ豪勢なもので、かつてとは大違いだった。
アナスタシアもブラントも何を話していいのかわからず、互いに無言のまま食事を進めていく。
結局は当たり障りのない話題にするしかないとの結論に達し、二人はいつものように魔術談義を始める。
これならば人に聞かれてもどうということはないし、もし理解できるのなら話に加わってもらっても構わないくらいだ。
食事を終え、今度は談話室に移ってお茶を飲みながら、話を続ける。
相変わらず侍女たちは控えていたが、アナスタシアとブラントが親しく会話を交わすことについては、何も言ってこない。
二人の言葉遣いも普段と同じだったが、侍女たちはそれについても口出しすることなく、まるで置物のようにじっと立っていた。
「それでは、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
やがて夜も更けてきて、二人はそれぞれに与えられた部屋に戻っていく。
就寝の準備をして寝室に行くと、立派な天蓋付きの寝台があった。
とても柔らかく包み込んでくれる上等な寝台だったが、アナスタシアは優しく絡めとられて、いつの間にかがんじがらめになって息苦しくなっていくような錯覚を覚える。
明日、父と話せば、今の得体の知れない不安は拭えるだろうか。
もしかしたら、それ以上の面倒なことが待っているのかもしれないが、何もわからないまま怯えるよりは、マシなように思えた。
アナスタシアはぐったりと横たわり、目を閉じた。
──一方、とある別の宮殿の一室にて。
「どうして、お姉さまなんかが瑠璃宮を……! あんなにお父さまにねだっても、そのうちに考えようとはぐらかされてきたのに……どうして……!」
飾られていた調度品を床に叩きつけながら、ジェイミーがヒステリックに叫ぶ。
床にはすでに破片がいくつも転がっていたが、さらに破片は増えていく。
「それに、あんなに美しい方を連れて……あれほど整ったお顔の殿方なんて、初めて見たわ……お姉さまなんかにはもったいない……!」
新しく調度品を手に取り、床に叩きつけようとして、ジェイミーはふと思い留まる。
「そうよ……美しい方には、美しい私のほうがふさわしいに決まっているわ。いくらお姉さまがちょっとマシになっていたところで、私にかなうはずがないのよ。それに……確かまだあったはず……」
ジェイミーは調度品を放り投げると、棚の引き出しを探し始める。
ややあって目当ての小瓶を見つけ、ジェイミーはにんまりと笑う。
「これよ、これ……お母さまお抱えの占い師からもらった、惚れ薬……! あの美しい方は、魔術師だそうだけれど……一人くらい、魔術師がコレクションにいてもいいわよね。お母さまがいくら魔術師嫌いとはいっても、私のコレクションにまでは文句をつけないでしょう」
ジェイミーは良からぬ企みを呟く。
そのときのアナスタシアの表情を思い浮かべると、ジェイミーは溜飲が下がる思いだった。






