06.習得
あまりの眩しさに目を閉じると、アナスタシアは意識までもが遠のいていく。
空に急激に引き上げられていくような浮遊感の中、まるで稲妻が貫いたかのごとき衝撃を覚える。痛みはないが、脳を直接揺さぶられているのではないかと思える感覚で、くらくらしてしまう。
それと同時に、頭の中に何かが焼き付けられた。
「うっ……」
軽いめまいを覚えながら、意識が徐々にはっきりしていく。
透明な球体の光もいつの間にかおさまっていて、何事もなかったかのように壁に埋まっている。
この感覚をアナスタシアは知っていた。
魔術を授かったときのものだ。前回の人生では何度か経験している。
特定の術式を発動できるレベルで頭に刻める装置が世界にいくつか存在していて、神の遺産ともいわれている。この魔術学院内に存在するダンジョンにもあったはずだ。
おそらく、壁に埋め込まれている透明な球体がその装置なのだろう。
「ええと……【転移】……?」
アナスタシアは己に宿った魔術に意識を向ける。
どうやら自分自身を特定の場所に転移させるもののようだ。同時に他者を一人くらいなら運べるらしい。
ただ、特定の場所というのは、この部屋しか指定できない。透明な球体が転移の目印となっているようだが、その部分の術式を書き換えられなくなっている。
この魔術についての理解をより深めていけば書き換えられるかもしれないが、今は不可能だ。
実は熟練者並みのレベルで魔術を授かる手段が存在することもアナスタシアは知っていたが、今それを試してみる気にはなれない。
「……今、何が起こったんだい? 【転移】……?」
「ブラント先輩には何も起こらなかったんですか?」
「光るのは見えたけれど、それ以外は何も」
「魔術を授かりました。多分、学院ダンジョンにあるものと同じ仕組みじゃないかと思います。【転移】という、どこか別の場所からここに転移してくることができる術式のようです」
同じ場所にいたのに、魔術を授かったのはアナスタシアだけのようだ。
不思議に思いながら、アナスタシアは説明する。
「そんな術式を……」
ブラントは眉根を寄せて考え込む。
学院ダンジョンと同じ仕組みであれば、何人でも魔術を授かれるはずだ。アナスタシアも首を傾げる。
「どうしてブラント先輩は――」
(ブラントも【転移】を習得可能です。習得しますか?)
アナスタシアが口を開いたところで、頭の中に無機質な声が響いた。
びくりと身をすくませ、アナスタシアは口を閉じる。
「どうかした?」
「い……今の声、ブラント先輩には聞こえませんでしたか?」
「いや、俺は何も。何が聞こえたの?」
「ブラント先輩も【転移】を習得可能だけれど、習得しますか、と……」
「お願いします」
おどおどとしたアナスタシアに対し、ブラントは迷いなくきっぱりと言い切る。
「は……はい……」
アナスタシアが答えた途端、壁の透明な球体が光った。
先ほどのように部屋全体を白く染めるほどではなく、強い光が一瞬輝いて、すぐに消える。
「……ああ、覚えた。いや、凄いなこの術式……」
無事にブラントも魔術を授かったらしい。
術式について考えを巡らせているようで、気難しい顔をしながらぶつぶつ呟いている。
「もしかして、話せるの……?」
アナスタシアは壁の透明な球体に向かって話しかけてみる。
前回の人生で魔術を授かったとき、装置に話しかけられたことなどなかった。初めての出来事だ。
(アナスタシアは現在習得できる魔術が存在しません)
また頭の中に声が響いた。
質問内容に対する答えではなかったが、答えが返ってきたこと自体が話せることの証明だろうかと、アナスタシアは唸る。
(ブラントが現在習得できる魔術は、【血鎖】、【魔病】、【黒死】です。習得する場合は個別に指定してください)
さらに声は続き、アナスタシアは思わず叫びそうになってしまった口を押えた。心臓がバクバクと音を立て、手のひらにじわりと汗がにじんでくる。
並べられた魔術は、どれもアナスタシアが前回の人生で呪いと共に習得した、魔族の術式だ。使うたびに多大な負担がかかる、危険な禁呪でもある。
しかも、当時はダンジョンの生命でもあるコアを砕いて習得した、一度きりの機会しか存在しない特殊な魔術だったはずだ。
そのような魔術が何故、習得可能だとあっさり並べられるのかと、背筋が冷たくなっていく。
「この術式部分は……やっぱり固定か……条件付きで変更は可能だけれど、それには……」
幸いにして、ブラントは【転移】に夢中で、アナスタシアの様子には気づいていないようだった。
今の声はブラントには黙っておこうと、アナスタシアは決める。
禁呪など覚えたところで、その先にあるのは不幸な未来でしかない。前回の人生の最期を思い出し、アナスタシアはぶるりと身を震わせる。
これら禁呪は指定して習得しようとしなければ、何も起こらないようだ。
ブラントには声が聞こえていないようなので、言わなければわからないだろう。
ただそうなると、どうしてアナスタシアだけに声が聞こえるのかという疑問も出てくる。
そもそも、アナスタシアの知っている装置は、【転移】を授かったときのような動きしかしない。声も選択肢もなく、問答無用でひとつの魔術を頭に刻むものだ。
何から何までさっぱりわからない。
「ブラント先輩、この術式なんですけれど……」
アナスタシアは考えても仕方がないと、いったん棚上げしておくことにした。
それよりも、まずは未知の【転移】についてブラントと意見を交わすことにしようと、切り替える。
「ああ、そこについては俺も……」
うきうきしながらブラントも応じてくる。
しばし二人は【転移】の術式について話し合った。
アナスタシアはこれまで魔術について話すような相手自体が存在せず、ブラントは同レベルの話をできる相手がいなかった。そのような二人の話は弾み、あっという間に時間が経っていく。
やがて夕暮れの鐘の音が聞こえてきて、二人ははっと我に返る。
「……もうこんな時間。そろそろ寮に戻らないと」
「名残惜しいな。まだまだ話したいことがたくさんあるのに。俺は空き時間はこの部屋にいることが多いから、もしよかったら来て欲しいな。また話したい」
「はい、もちろん来ますね。私もお話ししたいです」
ブラントの提案は、アナスタシアも望むものだった。
学院の生徒たちの頂点に立つ存在でありながら、ブラントは気さくで、アナスタシアにも対等に接してくれた。これまで奪われ、利用されてきたアナスタシアにとっては信じられないような出来事だ。
魔術についての話も楽しく、会ったばかりでありながら、ブラントの存在はアナスタシアにとって大きくなっていた。
「よかった、ありがとう。今日ここでアナスタシアさんと会えて、とても嬉しかったよ。きみの口から出る言葉は、新鮮な驚きをいくつも与えてくれて、道を明るく照らしてくれるようだった。今日の出会いで、俺の人生も大きく変わったと思う」
好意をあらわにしてくるブラントの言葉に、アナスタシアはまるで口説かれているような気がして、照れてしまう。少し大げさだと、くすぐったくもあった。
――本当に彼の人生が大きく変わったことをアナスタシアが知るのは、まだ先のことである。
 






