05.先輩との出会い
扉はあっさりと開き、吸い込まれるようにアナスタシアは中に入る。すると、扉は自動的に閉じられた。
だが、扉が閉まったことに気づかないほど、アナスタシアは中の光景に目を奪われていた。
そこは図書室と同じように本の立ち並ぶ小部屋だった。部屋の両横に本棚が置かれている。奥の壁には透明な球体が埋め込まれ、そこから生えるように一対の翼のような模様が刻まれていた。
そして、翼の下には小さなテーブルと椅子があり、一人の青年が座っていたのだ。
まるで部屋の一部であるかのように溶け込んでいて、アナスタシアは一瞬、飾りだろうかとすら思う。
しかし、さらりとした銀色の髪が揺れ動き、本に向けられていた切れ長の紫色の目がアナスタシアに向けられる。計算して配置された彫像のごとき顔が、まるで命のない像に生気が吹き込まれていくかのように、驚きに彩られていった。
「……驚いた。この部屋に誰かが来るのは初めてだよ」
独り言のような小さな声が、静かな部屋にくっきりと響く。
その声で、幻想の中に迷い込んだような気分になっていたアナスタシアは、はっと我に返る。
「あ……勝手に入ってきて、ごめんなさい……」
おろおろしながら、アナスタシアはどうにか謝罪を口にする。
考えてみれば、鍵の入った部屋に無理やり押し入ってきたようなものだ。ここはダンジョンではない。失礼だっただろうと、アナスタシアは後悔する。
「いやいや、ここは俺の部屋じゃないし、謝ることはないよ。俺も勝手に入ってきているんだ。ただ、ここって隠蔽されていただろう。しかも強力だったし、特殊な術式だったし……見たところ、ここの生徒みたいだけれど、よく破れたね」
作り物めいて整った顔が、柔らかく綻ぶ。
その言葉にほっとして、少し余裕の出てきたアナスタシアは、彼が男子生徒の制服を着ていることに気づく。襟のラインが三本なので、三年生だろう。
「ああ……俺は、三年のブラント。きみは……まさか一年? え、一年なのにここを見つけたの? もしかして、最初の実技でいきなり上級魔術を使ったっていう、噂の新入生?」
アナスタシアの視線に気づいたらしい。彼は名乗ると、アナスタシアの制服を見て戸惑いの声をあげる。
「は……はい、多分……そうじゃないかと。一年のアナスタシアです。ブラント先輩は、三年首席の……?」
噂の新入生かどうかは知らなかったが、実技で上級魔術を使ったと言ったのは確かなので、おそらくそうなのだろう。
それよりも、ブラントという名には前回の人生で聞き覚えがあった。
学院始まって以来の天才といわれていた、莫大な魔力量を持つ三年の首席だ。学院一の美形とも噂され、ファンクラブもあったと記憶している。
こうして間近に見てみれば、噂にたがわぬ美形だと納得する。どこかで見たことがあるような気もしたが、きっと前回の人生で見たときのものだろう。
当時は接点がなく、たまに女子生徒に囲まれた姿を遠目に見ることがあった程度だ。
「アナスタシアさん、か。俺は三年首席で合ってるよ。二年のときにここを見つけて、入り浸っているんだ。追いかけてくる連中もここまでは来ないから、落ち着いていられるんだよね」
「確かにあの術式は、魔……いえ、古代の術式のようなので、破るのは難しいでしょうね」
魔族の術式と言いかけて、アナスタシアは慌てて言い換える。
魔術に関しては絶大な力を誇る魔族だが、一般的なイメージは良くない。その術式を知っているということは伏せておいたほうがよいだろう。
また、古代の術式と魔族の術式は似ているのも事実だ。
「アナスタシアさんは古代の術式に詳しいの? いや、あっさり破ってくるんだからそうなんだよね。周りにそんな人はいなかったから嬉しいな。さ、座って座って」
ブラントは隅に置いてあったもう一脚の椅子を持ってくると、テーブルの前に置いてアナスタシアにすすめる。
「は……はい……」
勢いに押し切られ、アナスタシアは椅子に座る。
前回の人生では、学院内において雲の上の存在ともいえる相手だった。今も学院内での立ち位置は変わっていないだろうから、遠い存在のはずだ。
それがこうして間近でにこやかに笑いかけてくるのを見ると、何が起こっているのだろうと不思議な気分になってしまう。
「俺はここに入るとき、辺り一帯に【消去】をかけて突破してきたんだけど、アナスタシアさんはどうやったの?」
ブラントが尋ねてくる。
【消去】とは、魔術の効果を一時的に消し去るものだ。
「私は妙な気配を感じたので、【探知】で調べたら扉が見つかりました」
「【探知】だけで? それ、どれだけ魔力乗せてやったの?」
「魔力はそれほどでもないです。術式にちょっと工夫して……ええと、こんな感じです」
アナスタシアがこの場で【探知】を発動させてみると、ブラントの顔から表情が抜け落ちた。ややあって、感嘆のため息が漏れる。
「……とんでもなく繊細な術式だね。俺のような力技が恥ずかしくなってくる」
「いえ、力技といっても【消去】で突破するって、並大抵の魔力ではできませんよね。ちょっと人間離れしています」
アナスタシアにしてみれば、己の魔力だけであの隠蔽を突破してしまうほうが信じられない。
例えば、鉄の扉を開けるのに、アナスタシアは鍵穴に針金のようなものを差し込んで技術で開けたとすれば、ブラントは素手で扉自体を殴り飛ばしたようなものだ。
かつての全盛期だった頃のアナスタシアでも、己の魔力だけでは無理だっただろう。魔素を取り込む術式を使えばどうということはないが、一般に知られている術式ではない。
「ブラント先輩、魔素を取り込む術式は使っています?」
「え、何それ」
念のために尋ねてみると、ブラントはきょとんとした顔をする。
やはり、己の魔力だけしか使っていないようだ。
「……どうやら、面白い術式を知っているみたいだね。何を対価にすれば教えてもらえるかな?」
「え?」
「俺の知っている術式や、持っている魔道具のリストでも作ってみようか。何だったら魔術の実験台にしてもらってもいいし、それから……」
「ちょっ……ちょっと待ってください!」
興奮したように言葉を並べていくブラントの様子に混乱しながら、アナスタシアは彼の言葉を遮る。
すると、ブラントの表情が曇っていく。
「そうか……この程度の対価じゃ教えてはもらえないか……」
「い……いえ、そうじゃなくて、対価……?」
「そりゃあ、何かを教えてもらうのだから、対価を払うのは当然だろう?」
アナスタシアが信じられない思いで問いかけてみれば、ブラントも首を傾げた。
前回の人生で、勇者やそのパーティーの仲間たちに対し、アナスタシアは差し出すのが当然だった。魔術を使うのも何かを教えるのも当たり前のことで、遅さをなじられたことこそあっても、感謝の言葉ひとつ受け取ったことはない。
自分が対価を払うことはあっても、受け取ることはないのが、前回の人生だったのだ。
ところが、ブラントは至極当然のように対価を払おうとしている。
奪おうとすることなく、対等の立場で接しているのだ。
たったそれだけの、当たり前といえば当たり前のことが、アナスタシアの乾ききった心を潤していく。
「そ……その……私にも、何か教えてもらえれば、それで……」
うまく言葉が出てこなかったが、アナスタシアは教えるにやぶさかではないことを伝えようとする。
ぼそぼそとした声だったが、ブラントにはしっかりと伝わったらしい。表情が目に見えて明るくなった。
「ありがとう! じゃあ、互いに教え合っていくということでいいかな。術式でも、学院ダンジョン攻略法でも、試験問題の出題傾向でも、何でも聞いて!」
満面の笑みで声を弾ませるブラントを見て、表情が豊かな人だなと思いながら、アナスタシアも嬉しくなってくる。
前回の人生では、誰かと勉強を教え合うようなことはなかった。当時は憧れつつ、足を踏み出せなかった普通の学生生活に手が届いたようで、心が温かくなる。
「えっと……じゃあ……あれ? 光っている……?」
何を教えてもらおうか迷いながら口を開きかけたところで、アナスタシアは壁に埋め込まれている透明な球体が淡く光っていることに気づいた。
「ん? ……本当だ、何だろう?」
ブラントもアナスタシアの視線の先を見て、首をひねる。
二人の視線を受けると、透明な球体は強烈な光を放ち、部屋全体が白い闇に包まれた。