46.聖王国第一王女
──キーラが駆け込んでくる少し前のこと。
モルヒが地面に墜落して決着がついた後、アナスタシアは家臣の男が倒れている場所に近づいていった。
もしかしたらと気になることがあったのだ。
「あの……よろしければ、治癒魔術をかけましょうか?」
目を閉じて倒れている家臣の男に、アナスタシアは声をかける。
「あれ、今は救護所に行かなくても、来てくれるの? ん……でも、一年生……?」
家臣の男は目を開けて不思議そうに尋ねた後、アナスタシアの制服を見て首を傾げる。
対抗戦で負傷した場合、救護所に行けば治療してもらえる。
手伝いには日当が出るので、そこで働いている生徒もいるが、一年生で治癒魔術を使いこなせる者は滅多にいない。
「一年首席のアナスタシアです」
「……!? あなたが……! このような格好で失礼いたします。イゾルフと申します。でも……よろしいのですか……?」
アナスタシアが名乗ると、家臣の男は目を見開いて絶句した後、丁寧に答える。
少々驚きすぎなくらいだったが、アナスタシアも彼の名を聞いて、やはりそうかと驚いていたので、違和感には気づかなかった。
前回の人生で、彼とは会ったことがある。
当時はろくに身なりを手入れせず、無精ヒゲも生えた状態だったが、今はこざっぱりとした姿だったため、すぐには気づかなかった。
アナスタシアは彼から格闘術を教わったのだ。
短い間だったが、パーティーメンバーと違ってアナスタシアを蔑むこともなく、ごく普通に教えてくれたため、良い印象が残っている。
だが、アナスタシアの記憶では、イゾルフはジグヴァルド帝国第三皇子のお抱え魔術師だったはずだ。
当時は第三皇子が戦死して、立場が宙に浮いてしまい、それがきっかけで勇者パーティーの一員だったアナスタシアが格闘術を教わることにもなった。
ディッカー伯爵家に仕えていたといった話は聞いたことがない。
「あ……治癒魔術を使いますね」
少し物思いに浸っていたところ、気遣わしげにイゾルフが見ていることに気づいたアナスタシアは、慌てて治癒魔術を施す。
あちこちに打撲と、肋骨に損傷があったが、このくらいならばアナスタシアにとっては簡単だ。
すぐに、全てが回復する。
「うわっ……マジかよ……あ、失礼いたしました。凄まじいですね……」
イゾルフは思わず呟いた後、慌てて訂正する。
そして起き上がり、びしっと頭を下げた。
「ありがとうございました。御自ら治癒魔術を施して下さったこと、誠に光栄にございます」
あまりにも仰々しい物言いに、アナスタシアは唖然としてしまう。
しかし、アナスタシアにとっては懐かしくても、彼にとっては初対面なのだ。少し寂しく思いながらも、仕方が無いことだと受け入れる。
「ブラント……こんなところにいるなんて……! もうすぐ、対抗戦が始まってしまいますわ! せっかく、あなたを見てもらうために開いたのに……早く、いらしてくださいな!」
アナスタシアはもしかしてイゾルフではないかと気づき、治癒魔術を口実に確かめに来たものの、確かめた後のことは何も考えていなかった。
どうしたものかと思っていると、会場にキーラが駆け込んできて、対抗戦が始まるから早く来いと叫び出したのだ。
いったい何を言っているのだと、アナスタシアは首を傾げる。
「……俺はもともと、どの対抗戦に出るつもりはなかったんだけれど、何のこと?」
ブラントも眉根を寄せながら、冷たい声で問う。
「だって、あなた、研究員になるなんて……平民であることを気にしてのことなのでしょうけれど、私と共に立つのを恥じなくてもよろしいのですわよ! そこで、宮廷魔術師長の父にお願いして、対抗戦を開催してもらいましたわ。私の家の力で貴族たちも呼んだので、あなたが宮廷魔術師にふさわしいと、実力を見てもらいましょう!」
一気にまくしたてるキーラに対し、ブラントは額を押さえてため息をつく。
アナスタシアも面倒くさい人だなと、うんざりしていた。
「俺が研究員になるのは、もっと自分を鍛えたいからだ。それにもともと、この国の宮廷魔術師になる気はかけらもなかった。別に実力を見てもらう必要もないから、対抗戦に出る気はない」
「そんな……私の顔に泥を塗りますの!?」
「俺はそんなことしてくれなんて頼んだ覚えはない」
「で……では、私のために出て下さいな! 私の隣に堂々と立てるようになるチャンスですのよ!」
「どうして俺がきみのために? 俺が隣に立ちたいと思うのは……」
ブラントがアナスタシアに視線を移す。
これまで血の通わない人形のように冷たかった瞳に、優しい光が宿る。
それを見たキーラの顔が憎悪に歪んだ。
「下賤な女の分際で……!」
憎々しげに、キーラは吐き捨てる。
視線で人が殺せるのならば殺してやるといわんばかりに、アナスタシアを睨みつけてくる。
だが、アナスタシアにとっては聞く価値のない相手の言葉だ。世間知らずのお嬢さまが睨みつけてきたところで、恐ろしくもない。
「どうしてそう決めつけるかな。彼女の生まれを知っているわけでもないのに」
ブラントが苛立った声を出す。
「あら、もしかして貴族の血を引いていますの? でも、それにしたって、どうせ貴族が下女や娼婦に生ませた庶子でしょう? ああ……なるほど、母親譲りの淫売というわけね。身の程知らずが!」
「は?」
勢いに任せたキーラの暴言で、ブラントから表情が抜け落ちた。
仇である魔族に見せた表情と同じだと気づいたアナスタシアは、咄嗟にブラントに駆け寄っていく。
術式を構成しようとしていたブラントは、近づいてくるアナスタシアの姿を認めると術式を引っ込めた。
「ブラント先輩、落ち着いてください! 私は大丈夫ですから……!」
「……心配しないで。言葉を封じようとしただけだから」
必死にアナスタシアがなだめようとすると、ブラントは苦笑しながら答えた。
キーラを殺そうとしているのではないかと思っていたアナスタシアは、少しだけ安心する。
「どうして……どうして、そんな卑しい私生児の女を……」
ぶるぶると震えながら、キーラは二人を睨む。
「おや、どうも我がジグヴァルド帝国のことをも貶めるような言葉が聞こえてきた気がするが、これはどうしたことだろうか」
そこに、声が割り込んできた。
アナスタシアには聞き覚えのない声だ。
声のした方向を見てみれば、金髪碧眼の長身の青年がお付きを従えてやってきたようだった。
その顔を、アナスタシアはどこかで見たことあるような気がする。
「な、なによ、あなたは……」
キーラが問いかけるが、青年は答えない。
「な……まさか……エドヴィン殿下……!?」
まだ地面に倒れたままのモルヒが、顔だけを上げて驚きの声を漏らす。
その名を聞いて、ようやくアナスタシアは彼が誰であるかを知った。
ジグヴァルド帝国第三皇子エドヴィンだ。
前回の人生では、魔物との戦いで戦死してしまい、一度も会うことはなかった。肖像画で見たことがあるだけだ。
「え……エドヴィン殿下って、ジグヴァルド帝国の……?」
信じられないといった様子で、キーラがエドヴィンを見つめる。
だが、エドヴィンはそれにも構うことなく、アナスタシアの側までやって来た。
「こうしてお会いするのは初めてですね。我がいとこ、アナスタシア姫」
エドヴィンが微笑みながらアナスタシアに語りかける。
気分がとても沈んでいくのを感じながら、アナスタシアは目を伏せた。
「いとこ……? 姫……?」
呆然としながら、キーラが呟く。
ようやく、エドヴィンがキーラに視線を向ける。だが、その眼差しは凍り付くように冷たい。
「こちらのアナスタシア姫の母君は、我がジグヴァルド帝国の皇女だった。それを下女や娼婦と同じ扱いとは、恐れ入る。しかも、セレスティア聖王国第一王女に向かっての暴言、身の程を知るのはどちらか」






