43.豚の求婚
干し肉を賭けた対抗戦が行われる西会場に行くと、予想どおりというべきか、人の姿はまばらだった。
同じ時間に別の会場でも対抗戦が行われるので、そちらに人が流れているのだろう。
明らかに、不人気対抗戦だ。
「おい、あれ……」
「嘘だろ……?」
そこに三年首席のブラントが現れたのだから、周囲は騒然となってしまった。
ブラントは学院主催の対抗戦で二年連続優勝している。個人主催の対抗戦でも無敗だ。
このようなたいして魅力のない対抗戦に集まっているのは、ホイルのように干し肉をよほど愛する者でなければ、競争相手が少なければチャンスがあるかもしれないと思うような者たちだ。
まさかブラントのような強者が現れるなど、予想もしていなかっただろう。
「棄権しようかな……」
「いや、むしろ対抗戦で戦ったことが箔になるかもしれない……」
「そうか……学院主催の対抗戦だと、出場自体が難しいもんな……戦ったというだけでも自慢になるか……」
参加者たちがひそひそと囁く中、ブラントはやる気なさそうに立っている。
「……俺が出る必要があるような相手はいないみたいだから、戦うのはホイルくんに任せた。どうしても危なくなるまで、俺はただ突っ立っているから」
周囲をちらりと窺った後、ブラントはホイルに対し、無気力に言い放つ。
「それで構わないぜ。先輩の手を煩わせることなく、干し肉を獲得してやる……!」
ブラントと対照的に、ホイルはやる気を見せている。
二人は対抗戦の受付をするべく、歩いていった。
やや遅れてやってきたアナスタシアとレジーナは、対抗戦が始まるまですることもないので、舞台の近くに設けられた座席に座って待つことにした。
舞台には魔術障壁が張られていて、観客に被害が出ないようになっている。
また、基本的には殺傷力の高い攻撃魔術も禁止だ。相手の動きを封じるか、衝撃を与えて舞台から落とすことが推奨される。
ちなみに殴るのもルール違反ではない。だが、対戦相手同士は離れた状態から始まるため、最初から殴りかかる者は滅多にいない。
「おや、もしかして僕の応援に来たのか?」
他に誰もいない座席でアナスタシアとレジーナが待っていると、声をかけられた。
どこかで聞いたことがあるような気がする声だが、思い出せない。
アナスタシアが振り返ると、でっぷりとした一年生の男子生徒がいた。
その姿を見て、アナスタシアはやっと思い出す。
以前、アナスタシアを手下にしてやるとわけのわからないことを言ってきた、男子生徒だ。
確か、モルヒ・ディッカーという名だったはずだと記憶を引っ張り出す。
それで、この対抗戦の主催者であるディッカー伯爵の名をどこかで聞いたことがある気がしたのは、これだったのかと納得する。
彼に対しては悪印象しかない。
アナスタシアは、今度は何を言いにきたのかと身構える。
「きみは……以前の暴言を謝罪したいと思っていた。なかなか機会がなかったが、これこそ天が与えてくれた出会いだ。あのときはひどいことを言ってしまって、悪かった」
ところが、意外なことにモルヒの口から出たのは殊勝な謝罪の言葉だった。
アナスタシアは唖然として、モルヒを眺める。
もしかして悔い改めて真人間になったのだろうか。
「醜いなどと言ってしまったのは、隠れた美しさに気づかなった僕の落ち度だ。手下にしてやると言ったことを訂正したい。妻として迎えようじゃないか。もちろん、正妻などと自惚れてもらっては困る。側妻となるが、光栄だろう?」
しかし、やはり何か勘違いしているのと傲慢さは直っていないようだ。
一瞬でも期待したのは間違いだった。アナスタシアは目を伏せ、ため息を漏らす。
「……お断りします」
「何故だ? きみのように身分卑しい女が、伯爵家に入ることができるんだぞ? ここは泣いて喜ぶところだろう?」
本気で信じられないといった様子で、モルヒがアナスタシアにぶよぶよの手を伸ばそうとする。
だが、その手は届くことなく、モルヒは首根っこをつかまれて後ろに引きずられ、尻もちをつく。
「今すぐそのうるさい口を閉じて失せろ、豚」
モルヒの巨体を片手で引きずったのは、ブラントだった。
受付を終えて、アナスタシアたちのところにやってきたのだ。
蔑んだ眼差しでモルヒを見下ろし、冷たく言い放つ。
「なっ……なんだと……! 僕を誰だと思っている……! 誰か、今すぐこいつを捕まえろ!」
尻もちをついたまま、モルヒは顔を真っ赤にして怒鳴る。
しかし、ブラントを捕まえようとする者はいない。
「おい! 誰か! さっさとしろ! 無能しかいないのか! このクズどもが!」
「はいはい、坊ちゃん、少し落ち着いてくださいよ」
さらにモルヒが喚き散らすと、痩せた長身の男がやってきた。
年の頃は三十くらいだろうか。どうやら伯爵家の家臣らしい。
「これが落ち着いていられるか!」
「今日は皇子殿下だって来ているんですよ。あまり騒ぎを起こすと、面倒なことになるんで我慢してもらえませんかね」
「む……」
「それに、そちらは出場者じゃありませんか。だったら、舞台の上で決着をつければいいんですよ」
「……それもそうか。おい、貴様の無礼な行いを後悔させてやるからな!」
「はいはい、じゃあ行きましょうか……」
周囲を置き去りにして、痩せた長身の男はモルヒを助け起こすと、なだめながら連れ去っていった。
「アナスタシアさん、大丈夫?」
「はい、頭のおかしなことを言われただけでしたから」
ブラントに問われ、アナスタシアは頷く。
すると、ブラントは底冷えのするような、凄惨な笑みを浮かべた。
「もう二度とそんな口をきけないように、あの豚を潰してくるから。ちょっと待っていてね。……さあ、ホイルくん。行こうか。敵は全部俺が潰す」
「え……? 先輩、突っ立ってるんじゃ……」
「気が変わった。潰す」
「う、うん……」
先ほどまでとは打って変わって、やる気にあふれたブラントが舞台裏に向かっていく。
その後ろを、戸惑った様子でホイルが追いかけていった。
「……あの豚、ブラント先輩のことを知りませんの? どうやって後悔させてやるつもりなのかしら……勝てるわけがないでしょうに……」
呆れたように、ぽつりとレジーナが呟く。
「……ブラント先輩が、ぶた……彼を殺さないよう、祈るだけかな……」
あまりにも自然にレジーナもモルヒを豚呼ばわりしているので、ついアナスタシアもつられてしまうところだった。
訂正しながら、アナスタシアはこれからの惨状を予想して、宙を仰いだ。






